197 3回目です
ただの夢だけ見れていたらどれだけ幸せなことか。
今までで一番嫌な出会いかもしれないが、それを口にすることなどできないコスモスは眉を寄せたままギリギリと歯軋りをした。
「あら、急にご機嫌斜めなの?」
「敬愛する偉大なる女神ルミナスに呼んでいただいたのは光栄ですが、嫌な予感しかしないので」
「……うふふ」
「あー、ほらーやっぱりー!」
マザーの娘に会ってみたかっただけという理由で呼ばれたのではないとコスモスは察して思わずそう声を上げてしまった。
相手が神だろうが関係ない。これ以上の面倒ごとはごめんだ。
お願いされたら断る道などなく強制的に受けるしかないのだろう、と想像するだけで吐きそうになった。
「しょうがないでしょ? 私達が実際に世界に降りるわけにはいかないもの。声を届けるにも受け取る人の器が小さすぎて壊れてしまうし。その点、異世界から来た貴方のような存在ならばっちりよ」
「嬉しくないですね。他をあたっていただけませんか?」
自分よりも適任者は他にいるはずだと強く告げるコスモスを見つめていたルミナスは、綺麗な笑顔を浮かべるだけ。
誰しもが見惚れそうな微笑で虜にするのだろうが、今のコスモスはセールスお断りの心を持っているため通用しない。
断固拒絶である。
「……そんな難しいことじゃないのよ? 世界の安定を保つ手伝いをしてくれればそれでいいの。ね? コスモスちゃん」
「加護が先払いならお返しします」
(いきなり世界平和のためとか、スケール大きなこと言われても困るわ)
最初からその気で加護を授けてくれたのだろうかと疑ってしまってもしょうがないだろう。警戒している様子のコスモスを困ったように見下ろしながら、ルミナスは赤子をあやすように「よしよし」と彼女の体を軽く揺らす。
(これでご機嫌になるわけがない)
「だって呼びかけに答えてここに来れた子ってコスモスくらいなんだもの」
「えぇ? 他にもいるでしょう?」
「本当に貴方だけだったのよ。狭間を漂える客人も少なくなっちゃって、私達の声が聞こえる存在も年々少なくなる一方だわ」
「あれだけ信者がいるのに、ですか?」
「どれだけ信心深くとも私達の声が届かない場合もあるの。まぁ、相性と才能かしらね」
神に身を捧げるほど心酔して祈るために生きているような人が聞いたら絶望するのか、それともまだ修行が足りないと思うのか。
頭からすっぽりかぶったローブを揺らしながらルミナスは憂い顔をして溜息をついた。
思わずこの人の為に何でもしたいと思いそうになり、コスモスは慌てて小刻みに震える。
優しい眼差しと穏やかな声を聞いているだけで心の奥底の柔らかい部分まで包み込まれるような安心感を覚えた。
隠しておきたい傷も、忘れたくて蓋をしたものも、全て優しく暴かれそうな気持ち悪さ。
「あら」
パシン、と何かを弾くような音が響いたかと思えば残念そうなルミナスの声が聞こえる。彼女の腕からするりと持ち上げられたコスモスは、荒い呼吸を繰り返しながら汗がどっと噴き出す変な緊張状態になっていた。
頭の中が真っ白になり、二人の管理人の姿すらおぼろげにしか見えない。
ぐるぐると回る周囲の景色、持ち上げられているのに沈んでいくという変な感覚に襲われた。
やっとそれが落ち着いたかと思えば周囲は何も無く、誰もいない状態でコスモスは眉を寄せながら必死に呼吸を整える。
(また変な場所に飛ばされた?)
ルミナスの元から逃れられたのは良かったものの、この場所がどこなのか分からない。
こういう事ばっかりで嫌になる、と呟いた彼女はごろりとその場に転がった。
「なんで私ばっかりなのよ。異世界人とかなら他にも腐るくらいいるでしょう? いや、腐るくらいいても困るか」
そんなにたくさん異世界人がいたとしてもギスギスする未来しか見えないのは小説や漫画の読みすぎなのか。
平和に仲良くなんてどこにいても綺麗事でしかないのか、なんてぼやきながらコスモスは瞑っていた目を開く。
澄んだ青い空にゆったりと流れる雲が見える。それだけで安堵している自分に気付いたコスモスは、波の音を聞きながらゆっくりと伸びをした。
深呼吸をしながら伸びをして全身を確認する。
透けることのない手に顔に張り付く細かい砂。じゃり、と口の中に入ってしまったのでペッと吐き出す。
鼻を動かせば潮の匂いがして、ゆっくりと体を起こしながら穏やかに寄せては返す波を見つめた。
「はぁ、助かった……。助かった?」
見覚えのある場所と雰囲気はコスモスを落ち着かせてくれるには充分で。実家に帰ってきたかのような懐かしさすら感じながら胸に手を当てた彼女は、首を傾げて眉を寄せた。
「ま、いいか」
「目が覚めたか。相変わらずお嬢さんは打ち上げられるのが好きじゃな」
「あはは、お邪魔してます。好きで流れ着いてるわけじゃないんですけどね。またタモですか?」
「いや、今回は気付いたら砂浜に横たわっておったぞ」
心配して様子を見に来てくれたのだろう。コスモスに声をかけたサンタは相変わらずの格好で、御自慢の髭を弄っている。
少し視線をずらせばいつもの場所で釣りをしていたのだろう。固定されている釣竿の先がしなっていて獲物がかかったことを知らせていた。
「いかんいかん!」
それに気付いたサンタが慌てた様子で駆けていくのだが間に合うかどうか。また変なものがかかってないといいけど、と思いつつコスモスは拳をぐっと握った。
とりあえずルミナスから逃れられただけでも嬉しい。
相手が相手だけに、あれ以上一緒にいたら呪いにも似た洗脳を受けそうな気がしたくらいだ。
世界中で崇拝される女神相手にそんなことを思っているなんて口が裂けても言えないし、気持ちを読まれるわけにもいかない。
(マザーの娘が女神を嫌悪なんて噂でもたったら、厄介でしかないものね)
不敬だの何だの言われて処分されるのはコスモスとてお断りしたい。
嫌いかどうかと聞かれればそうでもなく、かといって好きとも言えない。係わり合いになりたくない存在だと正直に答えればマザーは笑うだろうかと考えた。
(どうだろうなぁ。説教されそうだけど。オールソン氏にも言えるわけがないし。アジュールは笑いそうよね。アルズは特に何とも思わないかな)
うーん、と小さく唸りながらそれぞれの反応を想像してみる。
ルーチェ親子も表立って批判したりはしないだろうが、変な目で見てくることは間違いないだろう。
そのくらいあの世界にとってはおかしなことを思っていることは自覚していたコスモスだが、ルミナスとまた会うかもしれないと思っただけで体が震える。
(いい人そうなんだけど。うん、綺麗だし、優しいし)
穏やかな声で優しい眼差しから受ける全身を襲う重圧。自分の頼みを叶えさせる代わりに加護という名の力を分けてくれるのもコスモスにとっては迷惑でしかない。
「何か悩み事かね?」
「あぁ、ちょっと面倒なことになりまして」
獲物が逃げてしまったのだろう。サンタに声をかけられたコスモスは日差しを全身に浴びながら溜息をついた。
ルミナスと似たような雰囲気はあるが、圧迫感は全く無いサンタを見上げてコスモスは苦笑いをする。
これまでの話を簡単に説明すれば、聞いていたサンタが同情するような眼差しを向けてきた。
喋り終わって溜息をついたコスモスを家の中に案内した彼は、コスモスが前回、前々回に利用していた部屋を使うようにと言ってくれた。
三回目ともなれば慣れたもので、まるで久々に帰ってきた自分の部屋のように思ってしまう。
自分が使っていたままの状態で残してくれているのは、また来るだろうと思ってのことかとコスモスは苦笑した。
換気と掃除はしているのだろう。清潔な室内の様子を確認してから椅子を窓辺に置くと開いている窓から外を眺める。
「女神様、サンタさんも知ってますよね」
「そりゃ当然じゃな」
「やっぱり、私がおかしいんですかね」
「うーむ。お嬢さんは異世界から来たから効果が薄かったと考えるべきかの」
「効果が薄い?」
何の効果だろうと首を傾げるコスモスにデッキチェアに座ってのんびりと本を読み始めるサンタが顔を上げた。
「想像していた通り、あれは一種の洗脳じゃろうな。選ばれた者だと加護を授け世界の安定を保つようにお嬢さんに強いるもの」
「うわぁ」
「しかし効果が薄かった上に、防衛本能でも働いたのかその場から離脱してしまった。中途半端な洗脳などすぐに解けてしまうじゃろ? 現にお嬢さんから女神の加護はあまり感じられんからなぁ」
サンタの言葉を聞きながらコスモスの表情が次第に歪んでいく。ルミナスに心酔していたら素直に聞いていただろうお願いも、異世界人というイレギュラー故に回避できたと喜ぶべきか悩んでいたのだ。
そんな彼女を呆れたように見つめている蝶に気付いてコスモスはゆっくりと瞬きをした。
「この子のお陰でもあるんですかね」
「あぁ、そうじゃったな。お嬢さんにはその子がおるんじゃった。ならば、女神の誘惑も撥ね退けられて当然かの」
なぜかこの場所だと元気な幸福の蝶を見つめていれば、コスモスを馬鹿にするかのように蝶は触覚を動かし顔を逸らす。
(うわ、毎回手のかかるとか思われてそう)
「嫌なら放っておけばいいのになぁ」
指先に乗せた蝶を優しく払うように空へと放つ。一緒にいても苦労するばかりで嫌な思いしかしないのになぜくっついてくるのか。
この場所にいれば生きていくのにも困らないだろうと思いながら、コスモスは近づいてくる蝶を優しく手で払い続ける。
自由に飛んでいけばいいのに蝶はしつこくコスモスに張り付こうとしていた。
「火の他に土、風の精霊石も手に入れたようじゃの」
「まぁ、そういう流れになりました。私の願いを叶えるためには必要らしくて」
「元の世界に帰る、か」
「集めたところで帰れる保証もないんですけど、何もしないよりはマシかなと」
上手く騙されているだけのような気もするが、頼るのはそのくらいしかない。動く鎧が嘘をついているようにも思えず、もし無事帰還の願いが叶わなかったとしても絶望しないようにしようと覚悟していた。
(帰還する方法はいくつかあった方がいいと思うけど、今のところは精霊石集めて願いの叶う魔道具を入手するくらいしかないのよね)
難易度が高いが、簡単に行き来できるとそれはそれで大変なのは分かる。強制的に召喚された上に人権すら剥奪されてしまうような状態で異世界人はよく生きていけるなとコスモスは溜息をついた。
(異世界人の方が強いから? 首輪をつけて制御していたとしても、気を抜けば主人が殺されることも多いのかしら)
「ふむ。他の方法もあるじゃろうが、今のところはそれが一番か。それにしても不思議なものじゃな」
「何がですか?」
「女神がそれを餌にしてお嬢さんを釣らなかったことじゃよ」
「あ! そう言われてみれば」
サンタの言う通り、ルミナスがコスモスを思い通りに動かしたいのだとすれば元の世界に帰れる、帰すと言えば簡単だっただろう。
コスモスにとっては甘すぎる餌だからちょろい彼女はすぐに落ちたはずだ。
(うーん、我ながら簡単に落ちそうだわ)
そんなこと言われても素直に従うわけがないと言いたいところだが、女神が言うのなら帰れると期待するに決まっている。
二つ返事で飛びつきそうな自分の性格を分かっているコスモスは、そう言われていたら危なかったと呟いた。
「それ言って上手く利用してれば良かったのに、どうしてそうしなかったんですかね?」
「そうじゃのう。考えられることは、お嬢さんの願いが分からなかった。それか、叶えられないと分かっていたから提案しなかったじゃの」
「えぇ、世界を作った女神様なのに?」
「ホッホッホ」
笑うところじゃないだろうと思いながらコスモスがサンタを見ていれば、彼は淡く光る瞳を彼女へ向けてパチンと指を鳴らした。
不意に頭上からゆっくりと分厚い本が降りてくる。慌てた様子で受け取ろうと手を出した彼女の腕にずっしりとした重みが圧し掛かった。
豪華な装丁がされた本の表紙を撫でれば魔術がかけられていることが分かる。両腕に乗る重みを感じながら戸惑った様子でサンタに視線を移せば、彼は釣竿を見ながらヒラヒラと手を振る。
「それを読んでみると良い。分からない事があったら気軽に聞いてくれ」
「はぁ、ではありがたく読ませてもらいます」
机に移動しようと思ったコスモスの目の前に小さな机が現れる。便利なものだなと思うだけで驚きもしない自分に苦笑しながら、机の上に本を置いた。
表紙に施された装飾だけでも一時間は眺めていられるくらいの美しさで、金縁をなぞりながら目を細めるコスモスを促すように彼女の指先に蝶が止まる。
「はいはい、さっさと読めってことでしょ」
退けても戻ってくる。呆れて馬鹿にするような雰囲気さえ漂わせるのに親身に世話を焼いてくる蝶の真意が分からない。
意思疎通を図ろうにもアジュールのように喋ることのない蝶は、触覚や羽の動きで喜怒哀楽を表現しているように見えた。
「どれどれ」
分厚い本の表紙を捲り、見返しに施された紋様を見つめていると心身共にリフレッシュしたような気分になる。
すっきりとした頭でページを捲ればそこに記されているのは現代語ではなく古代文字。
(自動翻訳、通訳は本当にありがたいわ)
難なく読めるのは自分の特異性のお陰だと分かっているからこそ、この時ばかりは感謝する。
いちいち止まってしまうコスモスを先へと促すように、蝶はトントンと触覚で本を叩いた。




