194 風の大精霊
神殿内は複雑だが目的の場所へは迷わず行ける。案内する神官はいないが、通り過ぎる神官達がトシュテンに向かって礼をするのを見つつコスモスは廊下を飛んでいた。
彼女の側には風の精霊が集まってきている。
楽しそうにじゃれつく彼らをやんわりと払うも楽しそうな声を上げて再び近づいていく。
精霊たちにとっては遊んでもらっているというような感覚なのだろう。
「風の精霊との相性は他の精霊よりも高いのですね」
「ん? 知らないのか? マスターは目覚めてからミストラルに流れ着きマザーに保護されたからな。親和性が高いのもそれ故にだろう」
「そうだったのですね。ミストラルにいたことは知っていましたが、目覚めた場所からそこに流れ着いたとは。本人も何故なのか分かっていないのでしょうね」
その程度の情報は既に知っていると思っていたアジュールは意外そうにトシュテンを見た。
しかしその言動から彼が嘘を言っているようには思えない。
(適当に誤魔化したが、マスターに関する詳細な情報は秘匿されているのか?)
確かに彼女の特異性を考えればそれも頷けるだろう。マザーから直接名を与えられ、その場で娘になったことなど彼ら以外知らないのだろうから。
それでも大精霊といった人外の高位存在は何となくコスモスの正体に気付いているだろうが何も言わない。
(今回の件も、二つの大精霊から精霊石を受け取ったマスターならば容易だと思ったのか)
「コスモス様はマザーの御息女でソフィーア様に祝福を与えたという事は知っていますが、それ以上詳しいことは知らないのですよね」
「だからどうした?」
「いえ、疑うわけではないのですが、あまりにも不思議な方だなと」
「本人が一番訳が分からず困惑しているのだがな」
「あぁ、それならば仕方ありませんね」
疑うわけではない。本当だろうか、と思いつつアジュールは苦笑する。
マスターのことを誰が疑おうが彼には関係ない。邪魔になるなら倒すまで、命令とあらば従うだけだ。
「探ってどうする? 好奇心を満たしたいだけか? それとも、疑うわけではないと言いつつ疑っている自分が許せないか?」
「貴方も相変わらず手厳しいですね。私の御息女に対する思いは変わりありませんよ。ただ、彼女がこの先傷つくようなことがあるのなら、なるべくそれを減らしたいと思っているだけです」
「過保護だな。それは本人の問題だからどうしようもないだろう」
「そういうわけにもいきません。偉大なるマザーの御息女なのですから。私のわがままなのは分かっていますけれど」
面倒なやつだと思いながらアジュールは影の中で笑った。その笑い声に動きを止めたコスモスが振り返るも、トシュテンに何でもないと言われ再び動き始める。
わさわさ、と寄ってくる風の精霊たちを避けていた彼女は避けるのも疲れたのか精霊たちに指示し始めた。
今まで彼女に群がっていた精霊たちが一斉に離れたかと思うと、コスモスをぐるりと取り囲むように輪になる。
「教会内でも、御息女のことが知られるにつれ手厚く保護するべきだという者や利用しようとする者が増えてきました。アジュール殿もお気をつけください」
「まぁ、そうなるだろうな。マザーに近づくには世間知らずの箱入り娘を手中に入れてしまえばいい」
「……そう簡単にいくような方ではないのですがね」
肉体がないからこそ捕まるのも困難で、いざ捕まえたと思ってもするりとすり抜けてしまう。
トシュテンが対策した方法でも、捕まえやすいというだけであって完全に捕縛できるわけではない。
「安心しろ。マスターには私がついている。第一、一時的に捕まったとしてもすぐ逃げてくるだろうな」
「私もそう思っているのですが。万が一という場合もありますし」
「防御の術をかけておいてまだ心配か?」
「何重にかけても損ではないですからね。御本人も気付いていないということは負担になっていない証拠でしょうし」
多少動きが鈍いくらいでは気付かないだろうなと思いながらアジュールは風の精霊と遊んでいるコスモスへ目をやった。
やはりミストラルに滞在していた時間が長いせいか、風の精霊との相性がいい。
「御息女、あまりはしゃぎ過ぎませんように」
「あぁ、そうね。ちょっと懐かしくなってテンション上がっちゃったわ」
くるくる、と彼女を囲むように輪になっている精霊たちは楽しそうな声を上げている。ギョッとするように足を止める神官もいるが、トシュテンの姿を見ると納得したような顔をするのだから不思議だ。
(私の姿は見えてないと思うから、精霊が環になって飛んでるだけだと思うわよね)
もう少し頑張れば自分の姿も見えそうなものだが、残念なことに目が合う神官はいない。
目が合ったと思っても、背後にいるトシュテンと同じ目線の高さだったりする。
「ダイレクト入室」
「御息女!」
ぐるん、と回転しながら大精霊の間へと繋がる壁をするりと抜けていく様子を見たトシュテンは思わず声を荒げてしまった。
何の弊害もなく無事すり抜けられたコスモスは「お邪魔します」と小声で呟く。
「わは、話には聞いてたけど面白いなお前」
「ヒッ!」
「大精霊様、そう間近で凝視してはコスモス様が驚かれます」
「あーそっか。この程度何ともないと思ったんだけどなぁ」
(大精霊様?)
目の前にいる人物を見つめながら首を傾げたコスモスに気付いた巫女が丁寧に挨拶をした。
コスモスもそれにならうように挨拶をする。
背後で神官がトシュテンの入室を告げたのはほぼ同時だ。
「えっ、人? 大精霊様が?」
「大精霊だからな。この程度の変化は簡単なんだよ。って、そっか。他の大精霊で人型になってる奴ってあんまりいないか。まぁ、いつもの姿が楽チンだからなぁ」
「コスモス様こちらへどうぞ。オールソン殿もそちらの席へ」
「失礼いたします」
ライトグリーンの髪は背後で一つに結わえられ、白を基調とした服装はどことなく巫女のものと似ている。
背はトシュテンより低いがすらりとしていて、言うまでも無く中性的な整った顔立ちをしている。
美術館や城の宝物庫に収められていそうな美しさは、一般人には直視しがたいのではないだろうかとコスモスは思った。
(肉体あったら、眩しすぎて私の目もつぶれてたかもしれないわ)
声は幼さの残る少年のような感じで、その振る舞いと合わせ悪戯っ子のようにも見える。
「……こちらが、大精霊様……ですか」
「はーい、そうでーす。風の大精霊様でーす」
(ノリが軽い)
ぱちぱち、と大きく瞬きをして与えられる情報を必死に処理しようとしているトシュテンが少し哀れに思えてコスモスは差し出されたお茶を飲んだ。
彼の影に潜んでいるアジュールは驚いた様子もなくのん気に欠伸をしている。
「あー、そうだ。先に言っておくね、ごめんごめん」
「え?」
「大精霊様、きちんと説明なさいませんと」
「えー、だってそれを聞きにきたんじゃん」
人ならざるものが人の姿を取っているだけなのに、それを忘れてしまいそうになるくらいほのぼのとしたやり取りだ。
「先ほどの依頼で予期せぬことがあったようで。詳しいことはルーチェさんとレイモンド殿から聞いております」
「つまり、そちらとしても全く知らなかったということでしょうか」
「……はい。少なくとも私どもはですが」
「まぁ、僕は知ってたってことになるよね。そうなんだけど」
(知ってて行かせたのかー)
そう心の中で突っ込みを入れながら、コスモスは目の前の少年ならばそうするだろうとどこか納得していた。
嫌がらせという感じはしないからマシだと思うべきか。
「大精霊様は知っていて、それを巫女様方に教えなかったということですか?」
「そうなるね」
(あっさり認めるなぁ)
「理由をお尋ねしても宜しいですか?」
「いいよー」
風の大精霊は今まで会った大精霊よりもフランクで軽い為に、距離感を見誤りそうになる。
見た目はノリのいい軽くて陽気な青年だが気をつけろ、と自分に言い聞かせてコスモスは静かに息を吐いた。
「コスモスいるから何とかなると思ってさ。マザーの娘だし、ソフィーアの件も何とかしたからあのくらいは余裕だと思って」
「期待が重過ぎる!」
「あはは。でも実際何とかなったじゃん」
「私達が到着した時にはもう既に片付いていましたけどね」
「うん、それも聞いた」
あははは、と笑って済まされるようなことではないのだが彼にとってはその程度のことなのだろう。
他の大精霊なら少しくらい心配してくれだろうに、とコスモスが思ってしまうのも仕方ない。
「でも、それも含めて君の良さじゃないか。第三者介入で自分が直接手を下すまでも無いって運がいいってことでしょ」
「そう言えなくも……ない?」
「いやいや、御息女落ち着いてください。内部では分断され、戦力を削がれたまま中途半端な形で敵と対峙しなければいけなかったんですよ。今回はたまたま運が良かっただけでそれが毎回とは限りません」
相手が人の姿を取っていて威圧感が通常より押さえられているからなのか、珍しくトシュテンがそう食い下がる。
大精霊に意見をするなんて、といつもの彼とは思えない無謀さに驚きながら彼の中ではマザーの方が大精霊より大切なのだろうと理解した。
(その娘である私の為もそれなりに大事ってことね)
「うーん、まぁ、それ言われちゃうと何も言えないけどさ。でもコスモスがいたお陰でそうなったのは事実だからね。君は思っている以上に好かれてるんだよ」
「興味を持たれているの間違いではなく?」
「うわー、疑いの目だ。かわいそうに。よしよししてあげようか」
「大精霊様」
「えーいいじゃん。うちの子たちからコスモスのこと聞いてて他の精霊より親近感あるんだもん。言ってしまえば、コスモスもうちの子じゃない?」
「違います。コスモス様はマザーの御息女です」
風の大精霊が軽くウインクをしてきたがコスモスは反射的にそれを避ける。ははは、と乾いた笑いをしているとふわりと体が浮いた。
それに反応したトシュテンが手を伸ばすより早く、風の精霊は彼女を自分の元へと引寄せる。
(撫でられながらうちの子宣言されてもなぁ)
隣にいる巫女にぴしゃりとそう言われて唇を尖らせながら眉を下げる様は、姉に怒られてしまった弟にしか見えなかった。




