192 実践あるのみ
「初めてこんな早く終わるんじゃない? って思ってしまった自分を反省したいわ」
「そうね。風の神殿に着いたまでは良かったわよね」
はぁ、と溜息をつくコスモスとルーチェは目の前に立つ石碑を見つめてもう一度溜息をついた。こういうものが好きなはずのルーチェですらうんざりしてしまうくらい、彼女達は疲れていた。
ルーチェの隣で浮遊しながらコスモスは掠れている石碑を眺める。
「また古代遺跡の掃除とはね」
「しょうがないわ。恩を売ると思えばいいのよ」
「恩を売る……」
仮にも神殿相手に何ということを、とコスモスは慌てた様子で周囲を見回すが誰もいない。どこで誰が聞いているか分からないのでそれでも油断はできないと思いながら、難しい顔をして石碑を見つめる少女を見下ろした。
「それにしても分断されるなんて想像してなかったわ。しかも何度も何度も同じ場所を巡っているなんて、こちらの疲労待ちかしら」
「アジュール、何か感じる?」
「上手く言えないが、変な力に邪魔されて探れないな」
「それにしても本当に貴方達の関係って不思議よね」
何らかの力が発生しているということか、とコスモスが考えているとルーチェが興味深そうに二人を交互に見た。
一見すると相性が合わないように見えるのだろうかとコスモスは首を傾げる。
(人魂が魔獣を従えてるんだから不思議に思わない方が変かもしれないけど、最近は慣れすぎて忘れてたわ)
「真逆だからか?」
「それもあるけど、真逆なのにお互いマイナスになってないのも面白いわね。きっと、貴方が完全服従しているからなんでしょうけど」
「どうかしらね。その気になれば噛み砕いて殺せると思うけど」
「できなくはないが、物騒なこと言うなマスター」
淡々と答えるコスモスにルーチェは小さく目を見開く。溜息をついたアジュールは呆れ顔でそう答える。
いつものようなやり取りにルーチェは「ふふっ」と笑った。
信頼しているのかしていないのか、油断はしないと言いつつもしっかり信頼関係が築けている二人の関係が面白い。
しかしそれを口に出せばコスモスが拗ねるのは目に見えて分かったので、黙っていることにした。
(相手は魔獣だから油断しないのは当然だけど、アジュールが完全服従なのはちょっと怪しいわよね。どうみたってあの獣、潜在能力隠しているもの)
相手に気取られずその力を探ることは得意だったルーチェも、アジュールに対して探るようなことはしない。
本能的にそれは危険だと分かっているからだ。
例え探ったとしても上辺だけのもので深く見ることはできないだろう。気付かれたらこちらの喉を噛み千切られる可能性もある。
(それを言ったら他の人達も同じね。アルズは探られても平気そうだけど、あの神官は父様並に胡散臭いもの。コスモスが胡散臭いといい続ける理由も分かるわ)
だからこそ、せめて自分がしっかりと彼女の側にいなければと小さな拳を握ってルーチェは大きく頷く。
ぶつぶつと呟いて何かを決意したかのように頷いている少女を見つめながら、コスモスはただ可愛らしいなと思うのだった。
「それはそうと、悪意は感じないから元々ある仕掛けなのかな」
「だろうな。ここは昔教会があった場所だ」
「うわ、オールソン氏案件」
「奴が知っているかどうかは分からんが、三人が一緒なら問題ないだろう」
「私もそう思うわ。父様はこういうの慣れているから。あ、でも泣いていないといいんだけど」
慣れているのに泣くのかと眉を寄せるコスモスにルーチェは深い溜息をつく。掠れて所々読めなくなっている石碑の文字を何度もなぞりながら、ちらりとコスモスを見上げた。
「過保護なのよね。ありがたいけれど、下手すると破壊行動もしかねないから厄介なの。今までバラバラになることはなかったから、変なことしてないといいんだけど」
「あー、私とアジュールだけじゃ心配ってことかな。それとも、一緒にいるって分からないとしてルーチェが一人ぼっちだと想像したら……まぁ、仕方ない?」
「仕方なくないわ。そういう時こそ落ちついてもらわないと困るわよ。それに旅をしている以上危険な目に遭うのは覚悟の上だもの。いつどちらかが、それとも両方が命果ててもおかしくないと思っていないと」
読める部分の文字をたどたどしく読んでは、抜けている箇所を推理して文章を組み立てていくルーチェ。
時折、アジュールの意見も参考にしながら取り出したメモ帳にペンを走らせる姿は歳より大人びて見えた。
それは父親と二人で旅をしてきたからなのか、元来の性格なのかは分からない。
(私よりもずっと年下なのに、しっかりしてる。感心してる場合じゃないけどね。分かってるんだけど、平和ボケしてる身には辛いというか……甘くて温すぎるって怒られてもしかたないわ)
アジュールから言われ慣れているとしても、再確認するだけでズンと心が重くなる。戦闘にも慣れてきたと思っていたが、どうやら精神的にはまだまだらしいと自嘲するコスモスは小さく息を吐いた。
「マスター!」
「大丈夫です」
鋭い声を上げるアジュールに答えながらコスモスは背後からの殺気を防御壁で弾く。慣れた様子で弾いたコスモスは振り返ることなく石碑へと目をやった。
驚いたルーチェが振り向こうとするのでコスモスはスッと移動してその視線を遮る。
「見なくていいよ。多分、良くないものだから」
「そうだな。精神感応系かもしれん。この中で一番危ないのはお前だろう」
「そう、ありがとう。念の為に守りを強くしておくわ」
「何とか解読できそう?」
「知らない文字ではないから何とかなると思う。任せてくれていいわよ」
「じゃ、お願いします」
そう告げてコスモスはアジュールへと視線を送る。彼はすぐに防御壁を這う何かに向かって駆け出しており、コスモスはそれを確認しながら周囲の精霊にルーチェの守りを頼んだ。
小さな背中を守るように寄りそう精霊と、彼女自身が自分に施した守りの術を感じながらコスモスは振り返る。
「よし」
ふんっ、と力を入れて防御壁を押せばこちらに向かってきたものも押されていく。防御壁をすり抜けようとしたコスモスを止めたのは敵の前に移動したアジュールだった。
「随分と趣味悪い奴等だけど、大丈夫?」
「こちら側に近いな。さっきはああ言ったが、一番危険なのはマスターなのではないか?」
「そうかしら。うねうねして気持ち悪い影だとは思うけど、恐ろしさは感じないのよね。寧ろほら、壁すら破れなくて触れた先から溶けていくでしょ? 怯えてるのは寧ろあっち?」
それはそれで納得いかない、と呟きながらコスモスは迫り来る影を振り払い時に喰らうアジュールを眺めていた。
「アジュールに近いなら、アジュールの方が危ないんじゃないの? 逆に取り込まれちゃったりして」
「馬鹿を言うな。こんなの、餌にしても腹の足しにすらならん」
「ここが昔の教会なら、成仏しきれない霊魂とかその集合体ってところかしら」
「……」
「教会ならそれこそもっと浄化できるような聖なる場所ってイメージはあるけど、汚いことをやっていないとは限らないものね」
「……」
「ちょっと、彷徨ってるお前が言うのかとか、マザーの娘のくせにとか思ってるのバレバレなんですけど」
「私は何も言っていないが」
絡み付く影はアジュールを捕らえようとするが、するりとかわされて喰われる。ならば内部からと侵食しようにもアジュールの方が強いので逆に彼の糧になってしまっていた。
暗闇の中で赤い双眸が踊る。
嫌な気配を感じるのかコスモスの背後では精霊たちが身を寄せ小さく震えていた。
「ん? 一気に散った?」
「何もして……いないぞ」
「咀嚼しながら言わないで」
腹の足しにもならないと言いながらしっかり食べるのはアジュールらしい。どんな味がするんだろうかと思いながら彼を見ていたコスモスは、一斉に影が引いたのを見て首を傾げた。
決まった形を持たない成仏できぬ霊魂や思念の集合体はアジュールの周辺から距離を置く。何かする前触れだろうかと思っていれば空気が震えた。
『オカシイ……オカシイ』
『ナカマニ ナラナイ』
『エサ……チガウ』
カタコトのような言葉が聞こえてくる。その声はひどく動揺しているようで、恐怖と怯えが混じっている。するり、と防御壁をすり抜けてアジュールの元まで移動したコスモスは、ゆっくりと移動してそれに近づく。
カタカタと音を立てるのは髑髏で、その窪んだ眼窩には青白い炎が宿っておりこれが核だと分かった。
つまりこれを破壊すれば周囲の影も消失するだろうが、それを知っていたはずのアジュールはそうしなかった。
(遊んでたのかしら)
「マスター、不用意に近づくと危険だぞ」
「あぁ、うん。そうね」
頭蓋骨だけで他の部位は見当たらないがその口や眼窩から漏れる黒い霧のようなものが影になり、それが手足の役割をしているのだろう。
上手く人の形を取ることはできないようだ、とその場を離れようとしたコスモスはガブリと髑髏に噛みつかれて乱暴に振り払ってしまった。
ガツン、と床に叩きつけられた音が響く。
「私は注意したぞ」
「え、それよりも噛みつかれた主人を心配するべきなのでは? 溜息とか何で」
「マスターに噛みつくという愚行には怒りを通り越して呆れる。しかしそれだけ自殺したい気持ちが分からないでもないからな」
確かに噛みつかれて驚きはしたが全く痛くはない。ただびっくりして、気持ち悪いと思うだけだ。歯形がついてないといいな、と噛みつかれた部位を擦りながらコスモスは床に叩きつけられてピクリともしない髑髏を見下ろす。
それはカタカタと歯を鳴らして震えていた。
「……ねぇ、アジュール」
「問題ないと思う」
これではどちらが悪なのか分からないなと思いつつ、コスモスは自分の奥深くで燃え上がる炎を意識した。
まるで温泉につかっているかのような癒しを与えてくれたあの炎を思い出す。
瞬時にコスモスの表面を青白い光が包み込む。静かに燃え上がるその揺らめきはレサンタにある聖炎とよく似ていた。
コスモスが青白い炎を纏って、更に影が退いていく。するする、と逃げるように移動しながら怯えや悲鳴にも似た囁きが聞こえてきた。
「アジュール」
「任せておけ」
このまま追いかけっこをするつもりはない。コスモスはアジュールに声をかけると彼は逃げていく影に飛び込んでいった。その後を追うように彼女が出現させた光弾が影に吸い込まれていく。
青白い炎に追われ端から消えていく影は何とも言えない声を上げて消えていった。
(こんなことがあると分かっていたから、私達に頼んだのかしら)
コスモスがマザーの娘であるということを承知で依頼したと思えばしっくりくる。頼まれて嫌なことは無いが、他の神官じゃ駄目だったんだろうかという思いはあった。
(オールソン氏を始め、この程度を払える人ならそれなりにいそうなんだけど)
「教会と神殿で対立があるわけでもないだろうし、人手が足りていない? 育成不足は考えにくいかなぁ」
「あれだけの量を一度に浄化する規格外、そうそうあってたまるか」
「え?」
「マスターは自分の力を把握しなさすぎる。まぁ、問題ないがな」
「……そんな、難敵だった?」
「高位神官が数人で強力な浄化を行えば何とかできる、くらいか。詳しいことはあの男に聞けばいいだろう」
変な人達と戦ったり殺されかかったりしているせいで、通常というのがどの程度なのかがピンとこないコスモスは首を傾げながらルーチェの元へと戻る。
ちょうと一休みしていた彼女はコスモスとアジュールの姿を見つけると、ホッとしたように表情を緩ませた。
「ただいま。遅くなってごめんね」
「気にしてないわ。ちゃんと片付けてきたってことでしょう?」
「勿論。とりあえず、見える範囲でだけど」
「充分よ。私のほうも解読が終わったから先に進みましょう」
メモ帳を片手に微笑むルーチェにコスモスの疲労は吹っ飛ぶ。可愛らしいはやはり正義だったのだと思いながら楽をするためにアジュールの背に着地した。
彼は何も言わず彼女を背中に乗せたまま少女の少し先を歩き始める。
「あれは侵入者用の罠も兼ねていたみたい。解除できなければ、ずっと同じ場所をぐるぐる回っていたってことね」
「ということは、解除できたってこと? すごいね、ルーチェ」
「あの程度、どうということはないわ。そんな褒められるほどじゃないわよ」
そういうわりにはどこか得意気で上機嫌のルーチェはメモ帳を見ながら行き先を指示する。途中、アジュールが足を止めることもあったが、コスモスがペッと炎を吐き出せば立ち塞がる敵も一瞬で灰になるので問題はなかった。
(火力調整がまだ上手くいかないか……うーん、微妙な力加減が難しい。管理人にお願いすれば自動補正してくれるだろうけど、そこまで頼るのも駄目よね)
楽を覚えて万が一何もできなくなっては困る。感覚を掴むためには実践しかないとアジュールが言うので、飛び出てくるゾンビやグールで練習させてもらっていた。
登場してはすぐに消えていく彼らに、最初は驚いていたルーチェだが回数が増えていくにつれコスモスにアドバイスをし始める。
今のは火力が弱いとか、強すぎるとか言ってくれるのでコスモスはそれを参考に入れながら技術を磨いていく。
「感覚は人それぞれだからアジュールの言う通り、慣れるしかないのが辛いところよね。でもいい練習になって良かったんじゃない?」
「うん、それは思う。的を相手にしても感覚が違うだろうから」
「そのうち怯えて出てこなくなるんじゃないか? 避けられるぞ」
「あら、あいつらにそれだけの知能はないわよ。指示する御主人様がいるならともかく」
単体、複数、力の強さに応じて火力を調整しながら一撃で屠れるように何度も練習を重ねていくコスモスは、少し何かがつかめたのか「うんうん」と頷いていた。
そんな彼女を背に向けたまま、自分の出番がなくて欠伸をするアジュールはルーチェの言葉に頭を上げる。
「ならば、いるんだろうな」
「え?」
「……嘘でしょ? 古代遺跡で朽ちているとは言え、仮にも教会だった場所よ」
「その神聖力は今はもう見る影もないほど衰えているではないか。巣にするにはもってこいだろう」
「これが、風の大精霊からの試練だとでも言うつもり? 自分でやればいいのに、一番厄介なのを押し付けてくるっていう!?」
自分で言っておきながらルーチェは怒ったようにアジュールを見下ろす。赤い双眸に見つめられても彼女は動じたりはしない。
可愛い子は怒った顔も可愛い、なんて場違いなことを思いながらコスモスは不思議に思った。
「まぁまぁ、巻き込んじゃったのは悪いと思ってるけど迷惑かけないようにするからそう怒らないで」
「コスモス! 貴方馬鹿にされているのよ!? 仮にもマザーの娘だと知った上で一番危険な場所に事前情報もなく放り込むなんて死んでも構わないって言われているようなものじゃない!」
「……結構、毎回ハードと言えばハードだから麻痺してるけど、嫌われてるのかな」
ルーチェの言葉が気になったコスモスは周囲にいる風の精霊を呼び寄せた。彼らは喜んでコスモスに近づくときゅるきゅると鳴く。
「神殿も簡易的な試験のつもりだったんだろう。それなりの手練が複数いて、神官もいる。分断されることまでは想像していなかっただろうから怒ってもしょうがない」
「でも、ここまで酷い有様になっていて知らなかったはずがないわ。もし本当に知らなかったとしたら、どこかで誰かが情報を止めているということでしょう?」
「それはそれで問題だな」
先に情報収集を怠った自分達も悪いと反省の言葉を口にしながらルーチェは悔しそうに眉を寄せると、ここにはいない誰かを睨みつけていた。
「人と精霊とは感覚も違うからね。大精霊様が全て知っていたとしても何も言わなかったのは、私なら何とかするだろうって楽観的だったのかもしれないし」
「だったとしても!」
「ありがとう、ルーチェ」
「なによ」
「私の為に怒ってくれてるんだとしたら、嬉しいなって思って。あ、勿論巻き込んじゃったのは本当に悪いと思ってるけど」
全ての精霊が人と仲が良いというわけではない。大精霊においては大いなる力の一部をお願いして借りているのが人間だ。
大精霊の機嫌一つで国が滅ぶことも可能だろうし、過去にはいくつかそんな事例がある。
今まで調子よく火と土の大精霊から精霊石を貰うことができたが、全てがすんなりといくはずもないだろう。
(この程度の試練もクリアできないなら、きっとこの先はもっと辛くなる)
帰還するだけなのに、こんなにも難易度が高すぎるなんて先に知りたかったなと思いながら、もしそうだったら早々に諦めていたかもしれないとコスモスは溜息をついた。
ルーチェはまだ納得がいっていない様子だが、コスモスが怒らないことにわざとらしく大きな溜息をついて腰に手を当てる。
「分かったわ。とりあえず文句は帰ってから言うわ。神殿にも何か思惑があってのことなら、慎重になった方がいいかもしれないし」
「キナ臭いの嫌だなぁ。面倒なのも厄介なのも嫌なんだけどなぁ」
「ふむ、火力調整も上手くいくようになってきたなマスター」
さっさと精霊石を貰って水の神殿に移動できないかとコスモスは考えるが、いい案は思い浮かばない。
(力ずくで風の大精霊から強奪ってわけにもいかないだろうし……さっさと片付けて貰って移動するしかないか)
大精霊の精霊石があっても帰還できるわけではない。アルズに頼んで魔道具の情報を探ってもらってはいるが、今のところ新しい情報はなかった。
「コスモス、少し休む? ずっと力を使い続けているでしょう?」
「ううん、大丈夫だよ。精霊の数も増えてきたし、一応教会だからか力が湧いてくる気がするのよね」
「そう? それならいいんだけど」
「あ!」
「私は平気よ。嘘じゃないから心配しないで」
そういうことだったかとばかりに声を上げるコスモスに苦笑してルーチェがそう告げる。くすくすと笑う彼女は、魔獣の背に乗って光弾を飛ばしたり火球を飛ばしたりするコスモスを楽しそうに見つめるのだった。




