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191 幼馴染

 地下の一室で一向を送り終えた紳士が振っていた手を静かに下ろす。

 先ほどまで賑やかだった室内にはブゥンと待機音を響かせる転移装置(ポート)と自分達だけになっていた。

 じっと転移装置(ポート)を見つめていた彼は、苦笑を浮かべて顎に手を当てる。

「いつまで隠れているつもりですか? 堂々と見送れば良かったのでは?」

「そうしたいけど、できないの~。知っているくせに意地悪言うんだからっ」

「これは失礼しました」

 薄紅梅の髪を揺らしながら姿を現した女性は頬を膨らませながら彼を睨みつける。とはいっても全く迫力のない睨み方なので本気ではないと分かるものだ。

「護衛もつけずに何を考えているのかと思えば」

「あらぁ、しょうがないわよ。気がついたらはぐれちゃったんだもの」

「陛下」

「違うわ。ピュアよ。パーちゃんでもいいわ~」

「それはどうかと思いますと何度も申し上げているはずですが」

「も~ぷーちゃんたら相変わらずなんだから。私が出られるわけないでしょう? 余計な心配させちゃうわ」

 頬に手を当てため息をついた彼女はコスモス達が消えた転移装置(ポート)がある場所を見つめる。

 古代文明が好きな彼が手入れしているだけあって、他の転移装置(ポート)とは少し違う。城にある装置よりも恐らくこちらの方が上だろう。

 魔道具発掘も彼の手腕によるものだとよく知っている彼女は、首を傾げた。

「あの子達、風の神殿に行ったらまたここへ戻ってくるんでしょう?」

「ええ。その約束です。恐らく移動での疲労もあるでしょうから、ここにお泊りいただく予定ですよ」

「本当は……城に招きたいのだけどね。そうしてしまうと、あの子が動きにくくなってしまうもの」

「処理は無事に終わったと聞いたのですが」

「表向きは、ね。まだ捕まえ損ねた子がいるから油断はできないけれど」

 困ったものねぇと告げる声色とは裏腹にその紫の瞳は静かな炎を秘めている。そんな彼女の様子を見ながら相変わらずだとプリニウスは小さく笑った。

 幼少時から彼女を良く知っている彼は、世間で称される彼女の評判を聞いては上手く騙されているなという感想しかなかった。

「穏やかで優しい女王陛下」

「なぁに? 何が言いたいの?」

「いえ、昔からお上手だと思いまして」

「あら、それは嫌味かしら」

「まさか。貴方にお仕えできて光栄だと思っております」

 恭しく頭を下げるプリニウスにムッと眉を寄せる。どうやら呼ばれ方が気に入らなかったらしい。

 しかし、分かっていてそう呼んだのだから当然だと彼は心の中で笑った。

 口を開けば彼女の言動に関する小言しか出てこなそうで、それを飲み込みながら怒って部屋を出て行く彼女を追った。

「相変わらず腹が立つ程に完璧な守りね」

「お褒めに与り光栄です」

「いいわ。娘ちゃんの安全が第一だもの。転移装置(ポート)が貴方のところにもあって良かったわ~」

 拗ねたままだと思っていた彼女はホッと安堵した様子で胸元を押さえながらそう告げる。彼女から秘密裏で頼まれた時にはどうしようかと思ったのだが、相手が命の恩人であれば断る理由などない。

 教会の人間であり自分や彼女とも親交があるトシュテン・オールソンから助力を求められた時には少し驚いたが恩人の正体を知れば納得だ。

「こちらに来てからも色々と大変だったようですが、無事のようで安心しました」

「正式な国賓として迎えたかったけれど、迎えに行った途中で襲撃され誘拐でしょう? 挙句にはリーランド家とアルテアン家のお家騒動にまで巻き込まれちゃって。月石鉱山も絡んでくるわ、魔石で凶暴化した魔獣は現れるわ、古代遺跡を汚して呪いの温床にする輩はいるわでもう大変よね。通常の仕事ですらいっぱいあるんだけどぉ~」

「それに付随して見え隠れする複数の貴族や商人たち。怪しげな宗教を広める集団もいるな」

「あ~邪神を崇拝する子達ね。あれは貴方が片付けてくれたんでしょう?」

「素晴らしい古代の壁画を汚す賊を追い払っただけのことです」

「王族の一部にも感化された子がいたみたいでね。まったく、可哀想だわぁ」

 言葉とは裏腹にその仕草はわざとらしい。鼻を鳴らして瞳を潤ませるもそれは本当に涙なのかと首を傾げてしまうほど。

 しかし、彼女のことを良く知らない者が見たらなんて心優しい人なんだと思うことだろう。それだけの魅力があるということだが、残念なことにプリニウスにはきかない。

「……少しは静かになるのでは?」

「まさか。あの子を狙う輩はたくさんいるわよ。上手く利用すればその恩恵を受けられるってね。欲望に染まって道を外すのに人種なんて関係ないわ」

「あれだけ痛い目を見て、まだ懲りないのですか」

 応接間に移動した二人は窓の外に広がる星空を見つめながら、ここにはいない誰かを思うのだった。



「ハックション!」

「マスター寒いですか?」

「誰かに噂されているだけだろう」

 溜息をついたアジュールの呆れ声を聞きながら、コスモスは瞬時に移動できた転移装置(ポート)の凄さを実感する。

 移動の際に目を瞑らなければいけないのが難点だが、それは酔いを防ぐためだろう。

 猛者は目を開けたまま移動できると聞いたが、自分はそうはなれないと早々に諦めた。

(乗り物酔いに似てる感覚よね。みんな平気なのはすごいわ……って、あれ?)

 視界の隅でぐったりとしている人物を見つめ、コスモスはアルズの腕の中から彼を見つめる。視線に気づいたルーチェが小さく笑って「いつものことよ」と告げた。

「意外ですね、貴方が苦手だとは」

「自力で移動する方が好きなんだよネ」

「父様はちょっと魔力酔いすることが多くて。少し休めば落ち着きますから」

「オールソン氏、休憩できるというか滞在できる場所知ってるなら紹介して欲しいんだけど」

「おや、私にですか。お安い御用ですがこれも意外ですね」

 その言い方からてっきり意地悪でもされるかと身構えたコスモスだったが、そんなことはなかった。

 彼はアルズにレイモンドを支えるのを手伝うようにお願いすると、アジュールに微笑む。小さく溜息をついた魔獣は慣れた様子で彼の影に沈んだ。

「さて、御息女はこちらへどうぞ」

「箱は……ないの?」

「あの一件で壊れてしまいましたからね。また作り直すのも時間がかかるので」

 にっこりとした笑顔で両手を出されるが、コスモスは思わず後ずさりしてしまう。レイモンドを支えていたアルズが声を上げるが、トシュテンの笑顔は崩れない。

「頭の上とか……」

「見栄えが悪い上にお行儀も悪いので。第一印象は大事でしょう?」

「見えないから問題ないと思うけど」

「はい、大人しくしていてくださいね。子守唄でも歌いましょうか?」

(何、なんなの? 私に一体何をさせたいのか分からないんだけど)

 とにかく無事にしていれば早く済むというのならそうするしかないだろう。ぽすん、と彼の手に着地すると意外そうに驚かれたのでコスモスは八つ当たりのように彼の鳩尾めがけてぶつかっていく。

 ぐっ、という声と咳き込む様子にそ知らぬふりをしながら彼の胸元で浮かんでいるコスモス。

 すました顔をしている彼女にアジュールは笑った。

「そうだ、アルズ」

「はーい。隠蔽なら完璧ですからご心配なく。どこからどう見ても……そうですね、どうしましょう」

「私の兄でいいんじゃないかしら。何かあればそれで乗り切れるわ」

「あ、じゃあそれでお願いします」

(そんな簡単でいいのか。それにしてもアルズとルーチェが兄妹かぁ。それはそれで……とても、良いと思います)

 想像しただけで癒されると思いながらコスモスは程よく力の抜けた体をトシュテンに預けた。掌の上で重さが変わる彼女にも慣れた様子で気にしていない。彼はレイモンドの様子を窺うと転移装置(ポート)の様子を確認してから出た。

「で、ここはエテジアンなのは分かるけど、どこなの?」

「王都から少し離れた場所ですね」

「はー、誰かの家みたいね」

「微かなこの気配、あのプリニウスという男の別邸か何かか?」

「察しがいいですね。彼の知り合いですよ」

 バタバタと足音が聞こえて身構えるコスモスとアジュールだが、トシュテンは違う。まるでその足音が何なのか知っているかのように部屋の前で到着を待った。

 姿を現したのは壮年の男性で、トシュテンの姿を見るや否や慌てて立ち止まり咳払いをすると静かにこちらに向かってくる。

 彼に従ってついてきたであろう護衛も、走ってませんよという涼しい顔をして歩いていた。

「オールソン殿、迎えが遅れて申し訳ない」

「いえ、こちらこそ急な願いを聞き入れてくださって感謝しております」

「少し休まれた方が良いですね。急ぎではないのでしょう?」

「ええ。お願いします」

 アルズとルーチェに支えられるようにしながらフラフラと出てきたレイモンドを見た男性が、部屋を用意していると告げる。

 随分と用意がいいなと思いながらコスモスがトシュテンを見れば、にこりと微笑まれた。

(え、もしかしてここがエテジアンでの拠点になるの?)

 てっきりどこかのホテルにでも移動するのかと思っていたコスモスは、彼の手際の良さにぽかんと口を開けていた。

 それよりもレイモンドを休ませなければ、と思っていれば男性が自分の護衛騎士に指示をしてレイモンドを移動させているところだった。

「……最初からここに滞在する予定だったの?」

「そうですね」

「知らなかった私が馬鹿みたいじゃない」

「知らなかったのならしょうがないです。御息女にお願いされて私は幸せですし」

「そういうところがね、胡散臭いって言われるのよ」

 分かっていてやっているんだろうなと思うものの、いくら指摘しても直すことはしないだろう。そう思ってコスモスは彼に抱えられながら溜息をついた。

(うん? だったらわざわざこうして抱えられている必要はないのよね)

 先に運ばれたレイモンドと彼に付き添っていたアルズとルーチェを追いかけようとしたコスモスだったが、グッとつかまれたまま動けない。

 見上げれば涼しい顔をしているトシュテンが見えた。

「寄り道しないですけど」

「念の為、ですよ」

 すり抜けられる特性を活かしてまた屋敷探索するとでも思われたのだろう。失礼な、と思いつつも屋敷探検ができないことにちょっとがっかりするコスモスだった。


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