190 照れ隠し
歳はレイモンドと同じくらいだろうか。上質だと一目で分かる衣服に漂う雰囲気は柔らかいが本質は違うとコスモスは察した。
綺麗な白髪は緑のリボンで一つにまとめられており、琥珀色の瞳が優しく輝く。
「ほほう。これはこれは。素晴らしいものですね」
「世辞は結構よ」
「いいえ、本心ですよ」
「浄化しても、クズ魔石より少し良いくらいでしょう?」
白手袋で魔石を手に取り片目に装着したルーペでその質と内包される魔力を確かめていた彼は、どこかうっとりとした様子でそう呟いた。
しかしその言葉にすぐさま反応したのはルーチェだ。
彼女は淡々とそう告げて相手の様子を窺う。
「確かに一つ一つの大きさは小ぶりで小さすぎるものもあります。ですが、浄化の質も内包する魔力も高い。どうやって浄化しているのですか?」
「普通によ」
「普通ならばこんな小さな魔石は浄化する最中に崩壊してしまうと思うのですが」
「私が器用なのよ」
にっこりと笑みを浮かべてルーチェは優雅にお茶を飲む。その様子を漂いながら見ていたコスモスは、うっかり認識されぬよう気配を消しながら鑑定に訪れた人物を見つめた。
琥珀色の目、綺麗な白髪。そして特徴的な角が生えている。
ループタイのエンブレムはどこかで見たことがあるように思うがピンとこない。気のせいかと首を傾げながら何かを辿るようにコスモスは男性の周囲をうろうろと漂う。
(どこかで見たことがあるような気がするんだけど、気のせいかな?)
どこだっけ、どこだっけと心の中で呟きながら目を瞑った彼女は管理人に助けを求めた。カウンターで作業をしていたらしい彼はにっこりと笑顔で頷いて、その時のことを思い返してくれる。
暇を持て余しての城内散策。感知されないことをいいことに興味本位でお邪魔した宝物庫。
(あっ、姿見通って出た場所ってオルクス王国だったの!?)
何故その場所と繋がる物がミストラルに保管されていたかは知らないが、その先で起こった出来事を思い出したコスモスは小刻みに震えながらそっと彼から離れた。
濃い紫色をしている羊のような角が特徴的なオジサマに自分はセクハラをしてしまったと頭を抱えた。
(いや、違うし。ゴミついてたから取っただけだもの。うん? 見知らぬ異性にゴミがついていたからと言って勝手に触れる女……アウトだわ)
あの時の不審者だと知れたら命は無い、と殺されかけたことを思い出しながらコスモスはそっと隠れるようにソファーの背に身を沈める。
アジュールはそんな主の様子に気づいているはずなのに動こうとはしなかった。薄情者と心の中で叫ぶも理由を話せばドン引きした目で見てくることは間違いない。
「それで、どうです? プリニウス様」
「とても素晴らしい技術です。普通は見向きもされない小さな魔石がこれほどまでに高品質な浄化と魔力を持っている。お値段は……そうですね、このくらいでどうでしょう」
サラサラと紙にペンを走らせるプリニウスにレイモンドの口笛が響く。ルーチェは表情を崩さずその数字を見つめていたが、小さく息を吐いた。
「それではこの皮袋の半分程度にしかなりませんね」
「お待ちください。流石にこの大きさでは用途が限られてしまいます。この値段でも充分だと思いますが」
「本当にそうかしら? このくらいの小さくて高品質な魔石、溶かして使うだけでは勿体無いでしょう?」
ルーチェはトレイに取り出された魔石を一つ手に取るとその輝きを見つめながら愛らしく笑う。
その可愛らしさに引寄せられたコスモスを優しく受け止めたルーチェは、彼女を膝の上に置くと無言でプリニウスと見つめ合う。
「このくらい小さくて高品質だと装飾品にも使えるからね。魔道具としても利用価値はあるし。装飾品ならお金のある貴族や新しい物好きな商人が黙っているわけもない」
呟くようにそう言ったレイモンドは、娘から視線を移した彼と目が合うとにこりと笑った。
「……ふぅ。分かりました。では、このくらいでいかがでしょうか?」
「ええ、それで構わないわ。ありがとう。これからも魔石の買取は貴方にお願いしたいのだけどいいかしら」
「それは、願ってもない事ですね」
商談成立するのをルーチェの膝の上から眺めながらコスモスは複雑な気持ちをどうしていいか分からずにいた。
セクハラをしたことを謝るべきかと思っても、認識されていなかったから自ら墓穴を掘りにいくというもの。
スルーするのが一番だが、もしどこかで彼が自分のことに気づいたらどうしようかと不安は募る。
「私のことは怪しまれないのですか?」
「そこの神官が神殿にまで連れてくるような人物よ。結構な身分のようだけど、そう名乗ることもしない。私達としたら信頼できる人物に正当な価値で対価をもらえればいいだけだもの」
「なるほど。オールソン殿を信頼しているということですか」
「それは貴方もでしょう? 神殿にいるとはいえ、こんな胡散臭い集団を目の当たりにしながら蔑むこともせず接してくれるもの」
「……この人を信頼してるっていうなら、ある程度下調べは済んでるんじゃないですかねぇ」
にこにこ、と笑顔でそういうアルズにルーチェが小さく笑う。ぱちぱち、と数回大きく瞬きをしていたプリニウスはおかしそうに笑った。
「はっはっは。やはり私が直接出向いて正解だったよ。さて、表に馬車を用意してあるから支度を終え次第来てくれ」
今までとは雰囲気が変わったプリニウスに驚いたコスモスだったが、彼は支払いは邸宅に来てからと言って契約書だけを残していく。
それを確認して懐にしまいながら、レイモンドはちらりとトシュテンを見た。
「ははーん。なるほど。転移装置は彼のお宅にあるんだね。使用料は別かな」
「えっ、それならもっと上乗せしておくんだったわ」
「ルーチェ。皮袋一つであれだけの資金調達ができたんだ。それ以上の欲は駄目だよ」
「わ、分かってるわ」
「収集したのは私達だけど、その価値を高めたのは精霊ちゃんだ」
「それも分かってるわ」
「よし。やっぱりウチの娘は賢くて可愛い」
「分かる」
頬を緩めてへらりと笑うレイモンドに素早く同意するコスモスのせいで、調子が狂ったルーチェは膝の上のコスモスを高速で撫で始めた。
美少女の膝の上で撫でられる幸せ、と磨り減っていくことも気にせずにコスモスは意識が遠のいていく。
どこかでアルズの心配する声とアジュールの呆れたような溜息が聞こえたような気がした。
まーたこれか。
コスモスはそんな事を思いながら目を開けた。そこにはいくら見ても飽きない美人が優しく微笑んで自分を見下ろしている。
「想像の産物とはいえ、本当に眼福だわ」
「ありがとうございます」
「良い声、良い心地、そうもう一眠り……」
想像ならどんなことでもできるし許される。我ながら良くできたものだと思いつつ目を閉じようとしていたコスモスの耳に、響きの良い男の声が届く。
「御主人様、せっかくいらしたのに眠ってしまわれるのですか?」
「痛い妄想だと言われようが、自作自演と嘲笑されようが良いものは良いのよ」
「少し混乱なさっておられるようですね。お茶をいれましょう。どうぞ、こちらへ」
自分で自分を慰めたり褒めたりしているだけでしかなくとも、コスモスにとっては安らぎの空間だ。忘れてしまいそうになる本来の姿に戻っていることに気づいた彼女は、美形に囲まれ気後れしないのは自分が作り出した自分に都合の良い存在だからということを理解していた。
(理解して虚しいとか言われそうだけど、私は幸せなので良いわ)
「はぁ。ルーチェの撫で方が余りにも芸術的だからちょっと眠ってしまったわ」
「高速に摩り下ろしているようにしか見えませんでしたけれど」
顔をさすりながら息を吐くコスモスに、管理人が笑顔を浮かべる。彼の言葉をスルーしながらコスモスが視線を向ければ待ってましたとばかりに持っていた本を差し出してきた。
「転移装置についての説明です」
「魔力を使って一瞬で転移できる魔法装置。魔道具の一種か……複雑な計算式と、行き来する場所には装置が必要なのね」
「定期的なメンテナンスも必要ですし、魔力を消費して作動する仕組みになっていますから設置されている場所は限られています。使用料が高額なのも頷けますね」
「どこにでも設置できるとなると、嫌なことにも使われそうだものね。一般には簡単に扱えない代物で良かったのかも知れないわ」
転移装置の管理はそれが設置してある国がすることになっている。メンテナンスを行うのはオルクス王国の者が多いとの記述があった。
それを読んでいたコスモスは眉を寄せる。
「亜人の方が魔力保持量は多いですから。御主人様と同じような人種では量も少なく、魔力酔いをしてしまうかと」
「ふむふむ。魔力酔いかぁ。どうやら転移装置を利用する人の中にも気分が悪くなる人がいるみたいね」
「そうですね。暫く安静にしていれば良くなるようですが、あの感覚が嫌で転移装置を利用しない貴族もいるようですから」
車酔いのようなものだろうかと想像し、今の自分には関係ないわねとコスモスは一人頷いた。
「やっぱり高位の人達が使う事が多いようね。それでも管理する国の許可と通行料さえ払えば身分は関係なく使用できるのね」
「村でお金を出し合って、代表者を選び巡礼へというのも良くあるようですよ」
「巡礼なのに転移装置使っちゃうのか。地道にコツコツと長い距離を歩いてこそ、な感じがするんだけど」
「巡礼と言っても、教会本部のある聖地へ祈りを捧げる行為を指すこともありますからね」
「通常の旅費を考えれば……マシなのかしら」
「簡単に言えば、時間をお金で買うようなものですからね」
「なるほど」
起動はしないが古代遺跡や神殿にも転移装置はあるらしい。
それぞれの神殿に転移装置があれば移動が楽なのに、そう簡単にはいかないらしい。
「設定されていない場所には行けないか。それもそうよね、装置があるかすら分からないもの」
「ふふふ。御主人様は突飛な場所に飛ばされてしまいそうですね」
笑顔が綺麗な美人にそう言われても言葉の内容が物騒すぎる。気づけばエステルのいる祠に飛ばされてたことがあるだけに、冗談として笑えない。
女の管理人はニコニコと綺麗な笑顔を浮かべ、「楽しそうですね」なんて言っている。自分の心の奥底にそんな願望があるのかもしれないと不安になりながら、コスモスはお茶を飲んだ。
「何事もなければいいんだけど、そうもいかないわよね」
「メランに謎の少年、デニス、修道女そして御主人様を殺そうとしたフードの男もいますからね」
「繋がっていると思う?」
「今ある情報だけでは何とも。しかし、繋がっていてくれたほうが楽ですね。バラバラの目的で狙われるのも面倒ですから」
「あー、それは確かに。でも直接私を狙っていたのはフードの男くらい? 最近会ったメランはそのついでのような気もするけど」
「でしたらフードの男も御主人様だと分かって狙っていたとは言いにくいですね。偶々そこにいたからちょっかいを出そうと思ったのかもしれませんし」
考えるように顎に手を当てながら男の管理人が「ふむ」と呟く。空になったカップにお茶を注ぎながら女の管理人が目を細めた。
「その件で目をつけられたということもあります」
「うわぁ……考えたくないわ」
「御安心ください。私達がいる限り御主人様のことはきちんとお守りいたします」
「よろしくお願いします」
自己防衛を強化しているものの、それでもまだ力が足りない。経験不足からの対応の遅さも問題だろう。
しかし、コスモスの一部であるはずの管理人二人は本体よりも的確に対処できるようだ。
(本体が飾りのようなものになりそうなんだけど、得意なことは得意な人に任せた方がいいものね)
「アジュールに頼ってばかりだったけど、いつでもどこでもってわけにはいかないものね。今回みたいに分断されてしまった場合は自力でどうにかするしかないもの」
「ええ。ですから、情報になりそうなものがあれば全て取り込まれると良いかと思います」
「情報になりそうなものね」
「大丈夫ですよ。今の御主人様であれば本に触れただけでその内容を読み取れるでしょうし」
(触れただけで瞬時にダウンロードするって感じなのかしら。それは、バケモノじみてない?)
それを言ったら人魂でうろうろする現状も充分バケモノだと突っ込まれそうなものだが、笑顔の美人に思わずコスモスもハハハと笑顔を浮かべた。
最初は理解できずとも流し読みする必要があった。それが今では本に触れただけでその内容を取得できるようになるとは。
便利なのは間違いないが、その情報を活かしきれないのが残念だとコスモスは溜息をつく。
(そんな私の代わりにこの二人が管理活用してくれているんだろうけど)
「それでも例外はありますから、その場合はいつもと同じように読んでください」
「うん、分かったわ」
精霊石を集めたらどうするかは動く鎧に聞くしかない。とりあえず残りの神殿を無事に回り終えられるように祈りながらコスモスは自分が想像した美形の管理人達を眺めるのだった。




