18 一人じゃない
夜空に瞬く星を眺めながらいつもの場所に移動する。
教会内、マザーの執務室の隅。
目隠しとして本棚から少し離れた場所に観葉植物が並べられている。
すでに自分の家という感じになってしまっていることに苦笑しながら、コスモスは大きく伸びをした。
「はぁ。こんなに長居するなんて思ってもなかったわ」
普通に召喚されていたなら、こんなことにならずに済んだのにと正体不明の召喚者に対して恨み言を呟き彼女は横になった。
マザーが用意してくれたベッドは中々寝心地がいい。
少し狭いがそれは我慢しなくては、とコスモスは毛布を引っ張る。
彼女以上に疲労が溜まっていたらしいケサランは、いくつかあるクッションの中からお気に入りのものを見つけるとその上に転がり動かなくなった。
中心部がゆっくりと明滅しているので、眠ったのだろう。
「おやすみ、ケサラン」
そんな彼に苦笑してコスモスが横になると、室内にいた精霊たちがゆっくりと集まってくる。
呼んだわけでもないが、彼女がこの場所に戻ってくると室内にいる精霊たちが何故か集まるようになっていた。
「慣れたくないけど、ある程度慣れなきゃこの世界じゃ生きていけないだろうし」
早く帰りたいと喚いたところでどうにもならないのは経験済みだ。
欲しい情報すら手に入らない状況で、焦りばかりが募る。
何とかそれを宥めてこれから先この場所で過ごしていかなければいけないんだろう、とコスモスは近くにいた精霊を撫でた。
「マザーからの情報を待つしかないっていうのも、辛いなぁ」
だからと言って自分に何ができるわけでもない。
マザーやソフィーアはコスモスに感謝しているが、それはただの偶然で自分の力じゃないと彼女は思っていた。
全てマザーの言う通りにしただけで、実際活躍したのはケサランや他の精霊だ。
調整役も大事な役目なのは分かるが派手さはない。
ケサランや精霊たちが彼女に従っていなければ、今回の儀式も成功しなかっただろう。
「ま、成功したんだから良し」
何を気に入ってくれたのかは知らないが、ケサランと精霊たちはコスモスにとても懐いている。彼女の少々乱暴な指示にも従ってくれるあたり、性格がいいのだろう。
もしかしたら、単純に楽しそうだから協力しているのかもしれないが。
「明日も平穏に過ごせますように」
ささやかな願いを呟いて大きな欠伸を一つ。
コスモスは精霊たちに囲まれるようにして眠りについた。
幼い頃は絵本の中の世界に行ってみたいと憧れた。
現実には有り得ないことばかり起こる世界で、誰からも崇められ尊敬されるような英雄にと。
魔法が使えて、強くて逞しくて、それでいて美しくて。
理想はいつだって高く思い描くが、絶対に現実にならないと判っているからこそ折り合いがつく。
本来の自分は輝き皆から好かれるような人物とは真逆でも、夢や想像の中ではいつだって自分が主人公だ。
誰も彼もが自分を求め、注目し、頼る。
人とは思えない万能の力で平穏を齎し、素敵な人物からたくさんの求婚を受けて好きな人と幸せになるのだ。
なんて甘くて、くだらない物語。
他の世界に行けば理想とする自分になれるなんて、嘘ばかり。
選ばれるのは少数で、不思議な力を与えられるのも限られた者だけ。
想像していた自分の思うがまま振舞える世界など、結局は己の内にしかないのだと自嘲して溜息をつく。
「……」
薄汚れた町並み。汚い空気に曇った空。
ねずみが駆ける建物の隙間に腰を下ろしながらゴミ箱を風除けに手の中にある物を見つめる。
四日前のものだと捨てられたパンは他のゴミと一緒にしてあった為に生臭いがまだ食べられる。
ガサガサとした肌、汚れて色褪せた服とボロボロのシーツ。寒さと乾燥でひび割れた指、ボサボサの髪に前髪を切ってくれた母親を思い出して涙が出る。
歯を食いしばって声を殺し、涙に濡れたパンをカラカラに乾いた口内へ押し込んだ。
頭が重い。
嫌な夢を見ていたが内容が思い出せない。残る不快感に眉を寄せながらコスモスは目を開けた。
周囲の精霊たちがふわり、と離れる。射しこむ陽の光に朝になったのだと彼女は頭に手を伸ばすと何かが崩れて落ちてきた。
「……」
目の前に落ちた数冊の分厚い本を見た彼女は、その奥で転がりながら笑うように鳴くケサランに舌打ちをする。
悪びれずそのまま頭上に乗ってこようとした彼を叩き、近くにいた違う精霊を乗せた。
急に頭上に乗せられた精霊は戸惑ったように小さく揺れていたが、花輪の感触が気に入ったのか嬉しそうに鳴く。
恨めしそうに近づいてくるケサランを本で挟み込んでサンドイッチにすると、コスモスはそれを持ったまま部屋から移動した。
「あれ、マザーまだ来てないの? 年寄りだけに朝は早いんだけどな、あの人」
聞こえていたら笑顔で説教されていただろう言葉にも反応はない。会議か、城かと思っていればサンドイッチにされていたケサランが本の間から抜け出した。
怒ったように飛び跳ねる彼を押さえつけて無視しながら本を棚へ戻す。
「それは失礼じゃないのかしらね、コスモス」
「あ! あれ?」
やっぱりいたのかとコスモスは笑って誤魔化そうとしたが、目の前に現われたマザーを見て首を傾げる。その様子に苦笑しながら手招きをした彼女は、机の引き出しから一枚の紙を取り出してコスモスに見せた。
『暫く留守にします。何かあったら代理に言って頂戴ね。あと、情報収集頑張って! ガーベラ』
花の香りがする紙に書かれた綺麗な文字を読んで彼女は目を見開いた。
言葉をなくすコスモスを見つめながらマザーはその紙を彼女に手渡すと笑顔を浮かべる。
「え? これだけ?」
直接言ってくれても良かったんじゃないかと頭を抱えたコスモスは、これからのことを考えて不安になった。
出会った時から親身になって協力してくれると言った人物とは思えぬような書置きの言葉。
情報収集を頑張れと言われても、どう頑張ればいいのかと震えながら必死に考える。
「ねぇコスモス、その他に何か言うことはないのかしら?」
「他?」
自分の今後をどうするか以外に何か重要なことでもあるのか、とコスモスは普段より低い声で問い返した。
そんな彼女を見ながらマザーは「しょうがないわね」と呟く。
「いや、貴方が本物じゃなかろうと別にいいんですけど」
マザーそっくりの代理マザーはその言葉に少し困ったような表情をして椅子に腰を下ろす。
霊的活力も、雰囲気も本物と見間違えるほどとてもよく似ている。
「冷たいわね」
「やることに変わりがなければ、いいでしょう?」
「うーん。楽天的なのかしらね」
「褒めてます?」
「とっても」
代理だろうとそうでなかろうと、自分の帰還に協力してくれるのであればそれでいい。
素直に自分の気持ちを告げるコスモスに声を上げて笑うマザーは、呆れたように娘を見つめて目元を拭った。
「貴方のことはちゃんと聞いていますよ。引き続き、情報収集を行ってはいますが大した情報は得られていないわね」
「あー、そうですか」
「貴方の問題は難しいと思うから、解決も長引くと思うんだけど」
「一応聞いてはいましたけど……しばらく、ここに腰据えるってことですよね」
都合よく有益な情報が転がり込んできたらいいのにと思ってはいるが、やはりそうはいかないようだ。
中途半端で召喚されていなければ、まだ召喚主の特定も可能だったのかなとコスモスが思っているとマザーが「それも難しいわね」と呟いた。
「そうね。貴方の部屋……はできているし、ここでの生活も基本好きにしてくれていいわ」
「そうですか」
黒い蝶の件がなければもっと力を注げるのだけど、と口にするマザーにコスモスは小さく唸る。
自分と、黒い蝶。
どちらが大事かなんて考えるまでもない。だから仕方がないとコスモスは苦笑する。
「後回しでもいいの?」
「しょうがないですよ。無理したっていい情報は手に入らないでしょうし。だったら、蝶の件が片付いてからの方がいいかと思って」
「あら。意外と落ち着いてるのね」
「こんな状態だからですかね。儀式もありましたし、何だか未だに夢を見ているような気もして」
実感がないと近づいてきたケサランを軽く撫でてコスモスは溜息をついた。
深い夢に落ちていて、目が覚めないだけではないかとの考えが未だに消えない。
「そうね。だったら、いっそ目覚めないという手もあるけれど?」
ぱくり、とマザーの置手紙を食べたケサランに目を細めながらマザーはカップに紅茶を注ぐ。いい香りが鼻腔を刺激してグゥとコスモスのお腹が鳴った。
繊細な持ち手を指で撫でるマザーの視線はどこか試しているようにも思えて、コスモスはパチパチと大きく瞬きを繰り返す。
「そうですね。五体満足で時間や環境を細かく設定した上で元の世界に帰れなかったらそれしかないですよね。コツコツ蓄えた貯金は無駄になり、独身ですから悲しむのは家族や友人くらいですし、仕事もストレスが溜まって嫌になることもありますけど代わりがいないわけじゃないですからね」
こんなことになると分かっていたら、もうちょっと遊んでいたのにと通帳に印字された数字を思い出しながらコスモスは歯軋りをした。
彼女の不快な気持ちに当てられたのか、周囲の精霊たちが離れてゆく。
「細かい条件よね」
「一応決めておいたほうがいいかと思って。元の世界だけど変な場所にいるのは嫌ですし」
「設定が詳細になればなるほど、術者も限られるんだけれど」
「さすが、マザー!」
パチパチパチと手を叩きながら期待に満ちた目でマザーを見つめるコスモス。その調子の良さに笑いながらマザーは溜息をついた。
「そういう約束だもの。ちゃんと守るわよ」
「そうでないと困ります」
「それにしても本当、黒い蝶ですら頭が痛いのにそれ以上に貴方だものね」
「私がここにいるのは不可抗力です」
代理ではないマザーにも召喚される心当たりはないのかと何度も聞かれたことを思い出す。しかし、いくら考えても自分がここに呼ばれる理由が分からない。
特殊な力を持っているわけでもなく、秀でた才能があるわけでもない。
平均的な一般人だと自覚している彼女はその部分に引っかかっていたが、術者の腕が未熟だと思うような存在を召喚できないとなれば自分がここにいる理由にはなる。
なんにしても、自分をここに呼んだと思われる術者を見つけるほかないだろう。
「他に異世界人とかいないんですか? 私なんかが召喚されるくらいなんだから他にもいそうですけど」
「あのね、コスモス。異世界人召喚というのは……」
「難しいのは知っています。でも、いないわけじゃないでしょう?」
本物のマザーから聞いた召喚についての話を思い出しながら、コスモスは代理の目を真っ直ぐに見つめた。真剣な様子に小さく笑ったマザーは「ご飯にしましょう」と言って立ち上がる。
彼女が歩いていく方を見ていたコスモスは、いつも食事を摂るテーブルに料理が並べられていることに初めて気がついた。
マザーと話している間、誰かが出入りしたという覚えはない。
狐につままれたような顔をしたコスモスを手招きしたマザーは、ゆっくりとソファーに腰を下ろしてバターナイフを手に取った。
「周知されているかは別として、異世界人はいると思うわよ」
「思う?」
「把握するのが面倒な上、難しいのよ。痕跡を見つけたと思えば、召喚された人物は姿を消していたりね」
目玉焼きに塩コショウを振ったコスモスはサラダを口に運んで首を傾げた。
代理とは言え、マザーの口から弱気な言葉が出るのが珍しいのだろう。
「異世界人を召喚するのは大きな代償がいるわ。それに耐えうる術者は限られているから特定は容易。けれど、正攻法ではなく召喚する方法もあるからそうなると特定が困難なのよ」
「痕跡が見つかるのに、ですか?」
「ええ。見つかることを前提に隠す準備も念入りにするからよ」
異世界人召喚には大きな魔力が必要になる。
発動すればマザーくらいの人物に簡単に探知されてしまい、召喚した際に残る痕跡を消すのも難しい。
だからこそ、あらかじめ発覚するのを念頭に準備するのだとマザーはコスモスに教えた。
「そこまでして……どうして異世界人なんて」
「聞いたと思うけれど、異世界人にはとてつもない力が宿っているからよ」
「それだけの為に、大きな代償を払ってまで召喚する理由が分かりません」
呼ばれた方としてはいい迷惑だと眉を寄せて怒りながらコスモスは目玉焼きを平らげる。
コスモスから見ればここは平和な世界だ。
大きな代償を払ってまで異世界人を必要とする理由が考えられない。
「まぁ、趣味で召喚してみたいとか思う人もいるかもしれませんけど平和な世界にそんな力は必要ないでしょ」
「……コスモスは本当に平和なところで育ったのね」
「へ?」
マザーはにこにことコスモスを見つめてくる。
馬鹿にされているようには感じないが、所詮はよそ者だという雰囲気にコスモスは黙って朝食を平らげた。
「穏やかな世界に飽き飽きしている存在も、いるかもしれないってことよ」
「そんな」
「貴方の他にも異世界人が存在している可能性もあるから、貴方の情報収集も慎重になってしまうわ。別に適当にすればいいと思ってるわけじゃないから安心してちょうだい」
「えー、そんなこと聞かされると逆に不安になるんですけど」
終わった頃合を見計らって職員が食事を下げに来る。コスモスの姿は見えない彼女だが、慣れてしまったのか驚く様子はない。
マザーが何もない場所に話しかけていても静かに食後のお茶を入れ、ワゴンを押して退室するだけだ。
「貴方はいつも通り、能天気にしていればいいのよ」
「ひどい」
マザーなりの慰めなのだろうとは分かるが、どうにもからかわれているだけのような気がしてコスモスは唇を尖らせた。
ケサランはマザーの膝の上で大人しく撫でられている。
「何度も言うようだけど、異世界人であること、異世界のことについては喋ったら駄目よ?」
「気をつけます」
「自衛のためなんだから徹底しておきなさい」
「……うっかり、しそうなんですけど」
言いかけてコスモスは首を傾げた。
自分を認識できる人物は片手で足りるほど。ならば、そこまで心配する必要はないのではないかと。
「見えないからと言って油断すると、危険よ?」
「わ、分かってますよ! 怪しまれたら姫に言った設定使いますから」
長い間遠い場所で眠りについており、最近マザーにたたき起こされてこちらへ来たので知らないことが多い。
マザーの娘であるという設定があって良かったなと思うコスモスは、心を見透かすように見つめてくるマザーに苦笑した。




