186 帰りたいのに帰れない
二度目だというのに寛いでしまっている自分も危機感がない。
そう思いながらコスモスは香りのよいお茶を飲んだ。
生命力溢れる庭のガゼボにて穏やかな時間を楽しんでいるのであれば良かったがそうではない。
すんなりと再会できてしまった動く鎧に今までのことを説明し、これからどうするか相談に乗ってもらっている。
「なるほど。その二人は教会で保護してくれることになったんだね。そして、現状打つ手はないと」
「あるけど……」
「けれど、それを使う気はないんだろう?」
「酷い女でしょ」
鎧に覆われているその身で器用にお茶を入れたりケーキを切ったりする彼を見つめながら、コスモスは慧眼を使用し跳ね返された。バチン、と顔面に軽い衝撃を受けるの同時に彼の窘めるような声を聞く。
「こら、使っても無駄だって言ったよね? 危ないからやめなさい」
「いやー、もしかしたらと思って」
「勝手に暴こうとする態度は感心しないな」
「貴方も何回か私に探り入れてるのに?」
「……ええと」
「それに気づかないほど、愚鈍だと?」
「ごめん」
「ううん。私も悪かったわ。ごめんなさい」
コスモスが何も反応しないから気づいていないと思ったのだろう。ケーキを取り分けた皿にホイップクリームを乗せた動く鎧は、その大柄な体を縮ませるようにしながら彼女の顔色を窺う。
球形ではなく人型になっているのが悪いのかと思ったコスモスだが、口に入れたケーキの美味しさに頬を緩ませた。
「ここに来る前に寄ったんだけど、逆に慰められちゃって」
「あぁ、それは辛いね」
「だからと言って私に何ができるわけじゃないんだけど」
「彼女達は恐らく、自分の役目やしたことを受け入れているんだろうね」
「私が無理に引き止めているからそういう所にいるんだと思う?」
鎧の言葉にコスモスは沈んだ様子でそう尋ねた。本当は死ぬ覚悟があったのに自分が無理に引き止めてしまっているのではないかと。
そして、無駄な希望を彼女たちに抱かせ続けているという残酷なことをしてしまっているのではと思っていた。
大した力になれなくてと謝るコスモスを責めるような二人ではない。
「うーん。それもあるかもしれないけど、留まっているのは本人達の意思じゃないかな」
「そうだといいけど」
「無駄に希望を持たせて残酷なことをした、って思ってる?」
「思うわ」
心の内を見透かしたかのような言葉にドキリとしつつもコスモスは素直に頷く。それを見ていた動く鎧は暫くの沈黙の後、顎に手を当てた。
「思ってるけど、後悔してない?」
「ちょっとだけ後悔してる。奇跡の力とか、万能薬とかそういうものが簡単に見つかるって楽観視してたところもあるから。でも、手がなくても助けたいと思ったと思う」
救える命があるならその後のことなど考えずに手を伸ばして助けてしまう。それが例え残酷な結果になったとしても自分はそうするのだろうという妙な自信があった。
(自分の叶えたい願いのために魔道具は譲れないくせに、人助けをしたいと思うなんてろくでもないやつじゃない?)
「わがままだね」
「そうね。中途半端なわがままだわ」
「けれどそのお陰で、彼女達の魂は守られたわけだ」
「安らかに眠らなくて怒られそうだけど」
「そうしたいならそうなってると思うよ。未だ彼女達がそこにいるなら、留まると決めたんだと思う」
それを本人達の口から聞ければいいのだが、自分がやってしまったことに後ろめたさを感じているコスモスは聞くことができなかった。自分のわがままで中途半端な形になってしまっているのに、いいことをしたという感覚が拭えない。
偽善よりもたちが悪いんじゃないかと眉を寄せながらお茶に映る自分の姿を眺めて苦笑した。
(ぼんやりとした人のような形の何か。まぁ、映るだけマシってことよね)
「肉体は土の神殿にあるなら安心していいと思う。土の大精霊様にとっても興味深い事例だろうし」
「結晶化から回復できた人はいないし、ドリスは肉体の傷が徐々に癒えても目覚める気配はないけど」
「それでも結晶化する前にキミが触れたなら、何らかの変化はあるかもしれないね」
「私が触れた程度で?」
思わず何とかなるのではないかという希望がわいてしまう。そう簡単にはいかないと雰囲気で察することができるのに、とコスモスは自分を落ち着かせた。
鎧は慰めるように手を伸ばして頭を撫でてくる。球体状の時ならば大してなんとも思わないが、人型の今は妙に照れくさい。
子供に対してやるようなものだと思えばその照れも薄らいだ。
「キミは例外が多いだろう? キミ自身も自分のことを良く分かっていないようだし」
「それは……そうね。自分のことを一番よく知ってるのは自分のはずだけど、この状態になってからはさっぱりだわ」
この世界に来る前と全く違う状態なのに、既に慣れてしまった。いつまでも泣いて落ち込んでいる暇はないからだが、それでもたまに落ち込んでしまう。
もっとカラッとした性格だったら道は開けたのかと思わず眉を寄せて考えてしまうコスモスだった。
「危機感ないの?」
「うーん。なるようになるって思うしかないもの。幸い、サポートしてくれる人には恵まれていると思うから」
「それは良いことだね。自分自身が怖くないのは、いいことだ」
「まぁ、それは……その、異世界人特有のってものがあるんだろうなって思ってるから」
「あぁ、確かにね。人によってどんな特異能力に目覚めるのかは分からないけど、現地人より力が強いのは確かだ」
コスモスのような存在を目にするのは珍しくないと言っていた鎧だけに、こうして異世界人のことについて話せるのは彼女にとってもありがたい。
マザー、アジュール、エステルに続いて四人目の理解者と言ってもいいだろう。魔女であるココは自分と近いようだが直接会話ができていないので何とも言えない。
(大精霊様は察してるようだけど、深く探ってくるようなことはしないし。害さえ及ぼさなければいいってことなのかしら?)
「敵対する異世界人? の方が戦闘慣れしていて能力も上のような気がするのよね。そういうのが得意な人達なのかもしれないけど」
「キミが知る限りでは今のところ一人……かな?」
「多分。一人じゃないけど、一人だろうなと」
プリニー村付近で倒れて助けられたメランとマザーとの訓練中に襲撃してきた男は同一だろう。その時に霊的活力は確認できなかったが、先の土の大精霊暗殺未遂でコスモスたちを出迎えていた男も恐らく同一だと彼女は思っている。
(ノアの弟子君は元がメランだからなぁ。分裂したなら、それからまた分裂してもおかしくないし)
それが彼の能力の一つであるのかは分からない。自分と同程度の存在をいくつも生み出せるなら脅威だろう。
「一人だけど、一人じゃない?」
「うーん」
どこまで話せば良いものかと考えあぐねていたコスモスだが、鎧をじっと見つめて大げさに溜息をついた。
彼は誓って敵になることはないと言ってくれているが、立場や状況が変わればどうなるか分からないだろう。
(そもそも、私の存在が認識できてある程度察している時点で隠しても意味ないかしらね)
エステルのように外の様子を眺め、情報収集しているわけではないだろうに鎧の知識はコスモスが何を話してもそう驚きはしなかった。
それだけ彼が経験豊富だということだろう。
「証拠はないんだけど、召喚された一人の異世界人が分裂して二人以上になってると思う」
「えっ……」
「攻撃的な人と、そうじゃない人がいて、そうじゃない人側と協力関係にある状態なの」
「そうか。そういうこともあるか。なるほど、能力で増やせるなら二人以上、だろうね」
「あと、召喚されたわけじゃないけどこちらの世界に転生した子が味方に一人いるわ」
未だ前世の記憶を失うことなく、前向きに生きているアルズのことを思い出してコスモスはそう告げた。静かに聞いていた鎧はさすがにそういう経験はなかったのか手を組んで頭を傾ける。
「転生か」
「貴方の知り合いにもそういう人はいた?」
「いたね。召喚された人も、異世界からの転生者もいた。昔とあまり変わっていないんだね」
「転生はどんな仕組みでそうなってるのかは知らないけど、召喚に関しては禁忌の術として禁止されてるはずだから不思議よね」
「禁止されているとは言え、表向きだけだろう? 簡単に強大な力が手に入るなら実行する人は必ずいるよ」
簡単にと鎧は言うが召喚するために必要なものを知っているのだろうか。莫大な魔力、または大量の生贄を必須とし、召喚する術者の技量と魔力量も問われる。
強大な力を意のままに操れるにしてもデメリットの方が大きい。
「簡単ではないと思うんだけど」
「そう? 現に未だ召喚される人がいるんだろう? キミもその一人のようだし」
「私に関しては私も訳が分からないわよ。中途半端なこんな感じでここに来たってことは、術者が死んでる可能性が高いし。かといって、その術者が死亡してたとしても帰還できないっていうのが腹立つけど」
「この世界に来た時から、人魂のような状態なのかい?」
「そうよ。そのままで存在してるのが不思議なくらいだってマザーに笑われたわ」
出会った時に除霊されそうだったことを思い出す。
逆の立場からしたら、迷える霊魂としか思えないので自分もきっとそうしていただろうとコスモスは小さく笑った。
「それは確かに……不思議だね。最初に会ったのがマザーだったから上手いこと存在を固定してくれたのかな? マザーの娘という立場を与えればその存在はより明確なものとなるし、実質マザーが主人となるなら不思議じゃない」
「なに?」
「いや、何でもない。召喚されたのであれば、呼び出した術者とは少なからず縁があるはずだけどそういうものは感じたりしない?」
「うーん。そういうものはないわね。あったら直接乗り込んで帰せって言ってるわ」
寧ろあってほしかったものだ。
見ず知らずの呼び出し人との繋がりがあったなら、これほどまでに苦労はしていない。ただここに来る前の状態で帰りたいだけなのに、どうしてそれがこんなにも困難なのかとコスモスは歯軋りをした。
「中途半端な状態で存在してるからなのかは知らないけど、私には首輪がないみたいだし。異世界から召喚された人には首輪がついているものなんでしょう?」
「そうだね。どういう仕組みなのかは知らないけど、こちらに召喚された時には首輪がついているはずだよ」
「召喚する術に拘束や制御の術式も混ぜ込んであるのかしら」
「その方が安定はするだろうね。その代わり、呼び出す者の火力には限界があるだろうけど」
管理人に聞けば召喚術に関することも提示してくれそうなものだが、特に反応がないということは情報が足りないのだろう。
そもそも、召喚に関する情報がそう簡単に手に入るわけもない。
「異世界人が複数いて、呼ばれる場所が違うと争うしかないっていうのも嫌よね。首輪がある限り逆らうこともできないし」
中には好んで積極的に従っている者もいるだろう。メランを思い浮かべてコスモスは溜息をついた。
村人に助けられるまで彼は一体どこにいたのだろうか。彼を召喚した主とは一体誰なのか。
「基本的に各国は同盟を結んでいるし、昔のように戦争はしないと思うよ。旅をしていても大した不自由はないだろう?」
「今のところはどこへ行っても平和に……平和に?」
穏やかに過ごせていると言おうとしたコスモスだったが、よく考えてみると全く穏やかじゃなかったことに気づいて首を傾げてしまう。
何度か殺されかけたのに危機感が薄いのだろうか。
(え、私って死に対する感覚まで鈍ってるわけ? あれだけ戦いは嫌だなとか避けたいなと思ってた私が?)
ありえないと呟いてコスモスは頭を抱えた。
「色々巻き込まれても平和だと思ってしまえるのは危なくない? 生きてるから危険なこともあったけど、まぁいいや? いやいやいや、ありえないでしょ」
安全な場所から眺めていたと思ったらいつの間にか最前線にいた。そんな気分だとコスモスは呟いて額に手を当てる。
目の前のことを片付けるだけで手一杯で、周囲がよく見えていなかったどころか自分の立ち位置すら分かっていなかったとは笑えてしまう。
「あまり自分を責めてはいけないよ。私からすればキミは立派にやっていると思う」
「そうかなぁ?」
「そうだよ」
「帰りたいだけなんだけど、上手く行かないな」
「……帰りたいと思う異世界人は少ないからね。いないというわけではないけど」
元の世界よりも優遇されるような能力を与えられ、衣食住には困らず金もそれなりに入ってくる。確かにそんな夢のような世界に飛ばされたら帰りたくないと思うのも当然だろう。
コスモスだって楽ができるならそちらの方がいい。けれど、元の世界よりも魅力的には思えず苦笑してしまった。
(恋人はいない、結婚の予定も今のところなし。偶に友達とご飯を食べたりするけど、平日はほぼ会社と家の往復だけ。代わり映えの無いつまらない日常だ、退屈だって思ってたのになぁ)
そんなつまらない日常が今は恋しい。
「首輪がないせいかもしれないね」
「あぁ、それはあるかも」
「首輪がなくて自由に動けているし。キミにとってはその中途半端な状態でこの世界にいてもいい事はなない、か」
「思った以上に自由で、攻撃力はともかく回避や防御は高いほうだと思うので恵まれてるとは思うけど」
人魂だからかほとんどのものはすり抜けられる。
最近は油断しているせいもあるのか認識されやすくなっているので、気配を薄くして認識されにくくするような練習もしている。
「でもキミの目標はそういうことじゃないだろう?」
「そうよ。そうなんだけど、帰還したいだけなのに攻撃力も防御力も上げなきゃいけない現状って何なのか分からなくなってるわ」
「あー、あるね。そういうの。でも、目的が目的だからしょうがないとも言えるかな」
「帰るだけなんだけどなぁ……帰るだけなんだけど何でこうも難易度高いのよ。おかしくない? 魔王倒す方が簡単にすら思えるわ」
どうしてこうなった、私が何をしたんだと脱力しながら背もたれに寄りかかりガゼボの天井を見つめる。小鳥は愛らしく囀り、木の葉が揺れ生命力に満ち溢れているところに自分がいるのが場違いにしか思えない。
「少数の帰りたい子たちは帰れたのかな」
「私が知ってる人は無事に帰ったよ」
「そっか。それは良かった」
きっと帰りたくても帰れない人もいたんだろうなと思うと、コスモスの心が痛んだ。首輪があれば動きは制限される。
自分よりも年下が召喚されやすいならば、意のままに操ることは容易いだろう。
「いや、良くないか。それは希少な例ってことよね」
「でも帰れるのは事実だよ」
「それが難易度高いって言ってるんだけど」
「私も協力するから、頑張ろう」
「……はぁ」
慰めてくれる鎧の優しさがつらい。この世界に来た時は何だかんだ言って帰れるんじゃないかと思っていただけにコスモスは溜息をついた。




