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17 小さなやきもち

 他愛のない会話だけで欲しい情報はない。

 タイミングを窺って退室しようかと思っていたコスモスは、床に座りながら小さく欠伸をした。

「ところで、あの黒い蝶の件は進んでいるのか?」

(おっと、そっちの話か。これも気になるから聞いておこうかな)

「先日、本国から研究員が到着しましてね。こちらの研究員と共に捜索中ですよ」

「あら~。捜索中なのね~。早く見つかるといいんだけど」

「ええ。収集した情報を元に場所を絞り込めましたので調査隊を派遣しました。しかし、貴殿方の滞在中に結果を出すのは流石に無理ですね」

「それは仕方ないさ。それよりも、この数日でそこまで進展できたことが素晴らしいじゃないか!」

 大きく両腕を広げ、スタァが前髪を揺らす。キラキラと光の粒が零れ落ちる様子を見つめながらコスモスは口を開けた。

 彼の一挙手一投足についつい目が奪われてしまうのだが、どうしてなのか理由が判らない。

 ここにいる全員がとても魅力的だというのに、その中でも彼だけが飛びぬけているように感じる。

 その行動に注視せずにはいられない不思議な胸の高鳴りを感じながら、コスモスは首を傾げた。

(これは魔術の類なのかな? それとも、スタァのカリスマ性?)

 抗い難い魅力の虜になることなく平然としている他の人物たちは精神の鍛え方が違うのだろうか。それとも彼らの周囲は美形だらけなので免疫があるのかとコスモスは眉を寄せた。

「ここまで円滑に進むのは、ひとえに協力してくださるこの国の方々のお陰でもありますからね。本当に助かっていますよ」

「国によっては、外部の介入を嫌がるところも多いからな。まぁ、大概がそうだと言えるのか……」

「あら~ん。協力するのはいい事よねぇ。クーちゃんに協力要請されたら、私だってすぐに承諾しちゃうもの~ん。それってクーちゃんがミストラルに信用されてるってことでしょう~?」

(クーちゃんっていうのが、あの精霊が見えない切れ長美形ね)

 どうやら小国に存在する病弱な美少女の噂は他の国にまで知れ渡っているらしい。国王の姫でもないのにここまで有名になるのが不思議だ。

「愛らしい姪御であるソフィーア姫の為に、両陛下とも協力は惜しまないとおっしゃってくださいましたからね。確かに彼女を見ていると、お力になりたいと思いますね」

「まぁ、ソフィちゃん狙ってるの~? 駄目よぉ、クーちゃん」

「薄幸の美少女、深窓の令嬢、幻の姫。ソフィーア姫を実際に目にしたのは今回が初めてだという者も多いからな。噂に違わぬと感動すら覚えるのも仕方が無い」

 クーちゃんと呼ばれた切れ長美形は目元を緩めてソフィーアの姿を思い浮かべる。「めっ」と幼子を叱るように唇を尖らせた妖艶美女に彼は苦笑し、カップを手に取った。

 赤髪姫が並べ立てたソフィーアを形容する言葉の数々には思わずコスモスも頷いてしまう。

 純真無垢で清らかな心を持ち、御伽噺の中にのみ存在するような綺麗なお姫様。それがソフィーアに対する第一印象だったコスモスは、あれから多少の変化はあるものの未だその通りだと療養している少女を思った。

「そうだね。舞踏会、ソワレ、お茶会。招待状を幾ら送っても、病弱な為に断られる。本当は醜過ぎて外に出せないのだという心無い可愛そうな輩もいたけれど、ボクは分かっていたよ。ソフィーア姫の美しさにね!」

 まぁ、このボクには負けてしまうけれどね、と伏目がちに髪をかき上げたスタァに赤髪姫が盛大な溜息をついた。

 

「それで、クオークはソフィーア姫を狙っているのかい?」

「いえ、そんな恐れ多い。愛でるには素晴らしい方だとは思いますが、私にとっては黒い蝶の方が魅力的に映りますね」

「……結構酷い事を言う男だな、お前は。しかし、見舞いと称して押しかけては自分を売り込むのに必死な馬鹿共に比べればマシか」

 辟易したように眉を寄せ、今にも舌打ちをしそうな赤髪姫の言葉にクオークと呼ばれた切れ長美形はコホンと咳払いをする。

 ゆっくりとした動作でカップをソーサーに置いた彼は、よく通る美しい声で穏やかに告げた。

「レーヴァ姫。私をそういう輩と同じように思っていらしたのですか?」

「ああ。半分はそう思っていた。ソフィーア姫を見るなり面白いくらいに顔を赤らめていたではないか」

「ふふふ、クオークも男だからね。可愛らしい美少女を見てときめいてしまうのはさがというものさ。研究にしか興味の無い彼も、愛らしい存在には心揺さぶられるものがあるんだろうね。いいじゃないか、美しいものを愛でるのは」

 面白いものを見つけたかのように笑みを浮かべ、クオークを見つめたレーヴァは楽しそうだ。彼女の方がクオークより年下に見えるのだが力関係的にはレーヴァの方が上かとコスモスはその様子を眺めていた。

 スタァがフォローになっていない発言をするのでクオークの表情が笑顔のまま引きつっているのだが、図星なのだろう。

「もう半分は?」

「私に臆することなく話しかけてきた時点で、面白い者だと。挨拶とはいえ、大抵の男共は怯え泣きそうな顔をして近づいてくるから珍しいと思った」

「ふふふっ、焔の戦姫と名高いキミを前にしては、大抵の男は子鼠のように震えるしかないのさ」

「……」

(スタァがマイペースすぎて、最強に見える)

 会話に加わっているわけではないが、室内の温度が数度下がったような気がしてコスモスは体を震わせる。妖艶美女はにこにこしながらケーキを食べており、クオークは面白そうに二人の様子を見ていた。

 レーヴァの鋭い視線にも動じずスタァは笑うだけ。

「ボクはそんなキミもまた美しいと思うけれどね。キミに恐れをなして怯える者のことなんてどうでもいいじゃないか。彼らが何をしてもキミの美しさが損なわれるわけじゃあるまいし」

 先程のレーヴァの発言からするに、ソフィーアのような可愛らしいお姫様でないことは充分に理解しているらしい。だがやはり年頃なのか、赤の他人にこうはっきりと言われてしまうと覚悟はしていても傷つく。

 事実だからこそ何も言えずにいるのだろうなぁと同情していたコスモスは、笑顔を浮かべたまま言葉を続けるスタァを眩しそうに見つめる。

「そ・れ・に、このボクが美しいと言っているんだよ? 自信を持っていい。キミはとても美しい」

「あ……ああ。どうも、ありがとうございます」

「まぁ、それでもこのボクの美しさには敵わないけどね」

(やっぱり最終的にはそれか)

 こちらの世界に来てから美形という美形は嫌と言うほど目にしているコスモスだったが、その中でもスタァの存在は群を抜いている。

 外見は言わずもがな、性格もナルシストな部分があるだけで物腰柔らかだ。芝居じみた大仰な動作をしても彼ならば許してしまえるその不思議さ。

 そして何より別格なのが眩いばかりのオーラだ。

 まるで後光でも射しているかのようなその様子にはコスモスも思わず手を合わせて崇めたくなってしまうほど。

 そんな人物に「美しい」と真っ直ぐに見つめられて言われれば、いくら凛々しい赤髪姫とは言え戸惑ってしまうのも仕方がない。

 寧ろ、直視できるほうが凄いとばかりにコスモスはスタァを見つめていた。

 スタァが登場した時点でその場の主役が彼へと移ってしまうくらいだが、儀式の時にさほど目立たなかったのは意図してオーラを抑えていたのだろうかと首を傾げる。

 儀式を無事に成功させる事と、失敗できない重圧に吐きそうになっていたコスモスには周囲を観察する余裕など無かったのだ。

 暢気に頭上で歌うケサランを恨めしいと思ったことを思い出して溜息をつけば、少し照れたように俯いた赤髪姫がこちらを見る。

「と、とにかくだ。クオーク殿、結果を楽しみにしているぞ」

「ええ。確実に突き止めてみせますよ。幸福の蝶に似た黒い蝶など、私に対する挑戦にしては中々のものですからね」

(あー、レーヴァ姫照れちゃって可愛い。凛々しいけど、綺麗な顔してるからやっぱり照れると女の子らしくて可愛いなぁ)

 スタァの発言に照れた事が恥ずかしいのか、話題を強引に変えるレーヴァ姫。彼女が照れているのは誰の目にも明らかだったが、揶揄するような事はせずクオークは目をキラリと光らせて答えた。

「ふふふふ。レーちゃんたらもう可愛いんだから。ソフィちゃんはギュッてさせてくれたのに、レーちゃんは逃げちゃうんだもの~。おね~さん悲しかったぁ」

「……貴方の胸は、凶器だからだ。窒息させる気か!」

(やっぱりあれは凶器だったか)

「あら~ん。だって、だってぇ……皆これが良いって言うのよ?」

 ぽってりとした唇に人差し指を当てながら首を傾げる姿は、妖艶な肢体に似合わず幼い。そのギャップが世の男共を虜にさせる要因なのだろうと思いながら、コスモスはぽよんとした凶器に埋まりそうになっているケサランを見つめた。

 助けろ、と言わんばかりにもがいているが嬉しくないんだろうかと彼女は不思議に思う。

「そんなのは一部だ。私はあんな思いは二度と御免だ。本気で花畑が見えたからな」

 前に窒息させられた経験のあるレーヴァは軽く目を見開きながら首を左右に振る。

 隣に座るクオークは視線を明後日の方向へ向けながら静かにお茶を飲んでいた。

 スタァは笑みを浮かべながら「キミの胸にはたくさんの夢が詰まっているからね」と発言し、妖艶美女と美容に関する話を始める。

 大した情報収集はできなかったが、楽しいひと時だなとコスモスは笑みを浮かべていた。




 今日の体調はどうかと城から自宅に移動したソフィーアの元へ顔を出して、イストがいないことを確認するとコスモスは安心すた。

 そんな彼女の様子に苦笑しながら「イスト兄様が申し訳ありません」と告げるソフィーアに「いや、全く気にしてないよ」と嘘を告げた。

 今日は顔を出すのが遅かったのか、アレクシスの姿は無い。

 城でお茶会をした後、レーヴァに色々と連れ回されたケサランを放っておくことができなかったので来るのが遅くなってしまったのだ。

 レーヴァの守護精霊の反応が非常に気になったのだが、コスモスにもケサランにも大した興味は無さそうにしていたので助かった。

 ケサランが調子に乗ってレーヴァに擦り寄り、撫でられた次の瞬間に力の限り地面に叩きつけられた姿を見た時には精霊にも色々いるんだなと思ったが。

(害悪って思われたというよりも『若造が近づくんじゃねぇ!』って怒られたような気がする。え、あれ女の子なの?)

 精霊に性別なんてあるのかと思いつつ、便宜上全て“彼”と呼んでいたコスモスは意外な事実をケサランから聞いて驚いた。

 城内を見学したこと、お茶会に誘われたことをソフィーアに話していたが、反応が良くないので調子が悪いのかとコスモスは慌てた。

「いえ、そうではないのですが。その、随分と楽しそうで」

「あ、ごめんね。ソフィーア姫がこんな状態だっていうのに一人で馬鹿みたいに楽しんじゃって」

「いいえ! いいえ、そうではないのです。その、コスモス様があまりにも楽しそうなので、ちょっと他の方々が羨ましいというか……」

(羨ましい? 羨むようなところがあったかな)

 ソフィーアは花柄のデュベカバーを軽く握り締めてそう呟いた。

 高熱と倦怠感が未だ残っていて大人しくしていなければいけないが、意識ははっきりとしている。食事もきちんと摂っており、後は高熱が引けば良くなるだろうソフィーアの楽しみはアレクシスとコスモスの来訪なのだ。

 過保護な家族は部屋から出してくれず、ベッドから下りることすらあまり許してはくれない。

 それは彼女の見舞いに訪れる人々と極力関わらせたくないという家族の配慮なのだが、彼女はそれを知らない。

 せっかく自分の見舞いに来てくれているのだから、全員と会うと言いかねない。そんな彼女の性格を熟知しているからこその制限だが、予想通りそれが不満らしい。

 全て制限すれば余計に機嫌が悪くなってしまうので、最初のうちは国外から来訪された国賓なのだからと面会を承諾していた。

 しかし、予想以上に見舞い客が多くソフィーアに負担をかけてしまったので、それからは体調が優れない事にしてお断りしているのだ。

 見るからに薄幸の美少女であり、実際お披露目の場で倒れた事を知っている彼らがそれ以上強く彼女に会わせろなんてことは言えない。

 会えないかわりにと、父親である卿や三人の兄たちの心象を少しでも良くしようという輩が増えて彼らも疲れていた。

 その中でもイストは相手が自分より上であろうと、口調は丁寧だが睨んだりしてしまうので長男と三男により表に出る事を禁じられている。

 自分たちは対処で忙しいからと仕事を押し付けている長男と三男はとても爽やかな笑顔でその事をアレクシスとコスモスに話してくれた。

 アレクシスはいつもの事だと苦笑いしていたが、彼の従者は「下心ありありで、本当に邪魔ですよね」と従者らしくない発言をして主に咎められていたのを思い出す。

「姫のことを心配していたから、元気になったらお茶会できるといいね」

「……はい」

 ソフィーアはコスモスが他の人々と仲良くすることに対して少々嫉妬していたのだが、コスモスはお茶会が羨ましかったのだろうと勘違いして慰めるようにそう告げた。

「えーと、ほら、教会に行く事になってもきっと来てくれると思うのよね。マザーも私もいるし、それで良かったらお茶会できるよ?」

「はい。またコスモス様とお茶ができる事を楽しみにしておりますね」

「いや、まーでもさ、いっつも私ここでお茶飲んでるんだけどね」

 自分の心の内を気づいていないコスモスに訂正するでもなく笑みを浮かべたソフィーアは、「ふふふ」と口元に手を当てて笑うと肩から掛けていたガウンを直す。

「サラも張り切っていましたよ。コスモス様の好みに合わせてお菓子を作るのが最近楽しいみたいです」

「へー、あれってサラさん作ってたんだ。シェフかと思った」

「サラは古株の一人で小さな頃から私の世話をしてくれていますが、昔からお菓子作りが上手なんですよ」

 ヴレトブラッド邸には専属の料理人が数名いる。菓子専門の料理人もいたのでてっきりその人物が作っていると思っていたコスモスは「へぇ」と頷きながらお茶を啜った。

 お茶会では何も口にすることができなかったコスモスは、目の前にある大量のお菓子を頬張っていた。

 綺麗な飾り付けがされていたりするのを見ては、写真にとって後で眺められたらいいのにと残念に思う。味は上品でいくらでも食べられそうだ。

 たまに、変な味付けのものもあるが伝統菓子と言われればそんなものだろうと思って食べられる。

 人魂になる前なら、吐き出していたようなものですら平気で食べられるのは嬉しいのか悲しいのか。残さず食べるのはいいことだとマザーに褒められたのを思い出して、コスモスは気分が悪そうに鳴くケサランの声を聞いていた。

「お店できるんじゃないの?」

「本人にその気はないみたいですけどね。何でも“伝説の菓子職人”直伝らしいので自信があると言っていました」

「へぇー。それは凄い」

 それだけ張り切っているなら、菓子以外も食べたいとは言えないかとコスモスはクリームがたっぷり乗ったパイを口に運んだ。

 思い出したようにアレクシスのことを聞けば、今日も来てくれたとソフィーアは笑顔で答える。そして彼との会話を掻い摘んで話してくれた。

 律儀なアレクシスはソフィーアの体調が本当に優れない時以外は毎日のように訪れているらしい。

 こちらに長期滞在する許可を貰ったらしく、ホテルから王都内にある自分の屋敷へ移ったそうだ。

(王都内に屋敷。別荘みたいなもん? それとも婚約者なら当然かな)

「最初から屋敷に滞在してなかったのね」

「そうですね。国賓としてホテルに滞在するよう指示があったのではないでしょうか」

「でも、国賓扱いだと城内に滞在してもおかしくないよね? 他の国賓はそうだもの」

 でなければお茶会などできない。

 あの中に何故アレクシスがいなかったのか不思議に思ったコスモスの言葉に、ソフィーアは首を傾げて眉を寄せた。

「それは、私もお尋ねしたのですが誤魔化されてしまって。言い辛い事を無理に聞きだすわけにもいきませんし」

「そっか。何か理由があるにしても、互いに納得してるなら問題ないよね」

「そうですね」

 何が理由なのかは分からないが、正直深入りするような問題でもないだろう。

 あまり面倒ごとには首を突っ込みたくないが、好奇心が先走ってしまう最近の自身にコスモスは溜息をついた。

「黒い蝶の事もあるしなぁ。ま、怖いお兄さんが番犬のようについてるし、アレクシスもいるから大丈夫だとは思うけど」

「番犬……コスモス様」

「あはははは」

 教会に移るまで油断はできないと軽く脅されはしたものの、コスモスの役目は一応終わっている。こうしてソフィーアの元に顔を出すのは個人的にであり、マザーに頼まれたからではない。

 情報収集をすればいいと軽く言われた事を思い出した彼女は溜息をついて、教会に帰ってからマザーと良く話し合おうと空になった器を満足そうに見つめた。



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