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177 お掃除

 誰も何も不満を言うこともなく、巫女からのお願いを聞くことにしたのは彼女が神秘的な美しさだったからだろうか。

 なんて、そんなことを口にしてしまえばアジュールから睨まれそうなことを思いながら、コスモスはにやける口を必死に押さえる。

 頬の内側を噛んでいるので地味に痛い。


『そんなことで引き受ける奴にろくなもんはいないがな』

『え、エステル様! ノック! 予告! せめてノックしてください!』

『ホッホッホ、また随分とみっともない様だなコスモス』

『防御壁軽く突き破って居座るのも何とかしてもらえませんか?』

『管理人が通したのだから文句はそっちに言え。もし侵入者なら迎撃されていただろうから心配するな』


 そう言われても納得するわけがない。だが、エステルはいつものように座り心地の良い椅子を出現させそこに腰を降ろすと本を読み始める。

 せめて事前に連絡が欲しいと何度も思うのだが、彼女に関してそれは無駄だろうなとも思う。

 このやり取りも何度繰り返すのだろうと考えながら、コスモスは今までの説明を管理人に投げて目の前の光景へ意識を向ける。

 薄暗い周囲に湧いては消える死霊達。楽しそうに死肉を貪るようなフリをする魔獣から目を逸らし、聖なる力で欠片すら残さず消えていく様に息を吐く。

「遺跡にいる魔物退治とは言われたけど、皆楽しそう……ね」

「そりゃそうよ。正当な理由で暴れられるんだもの。相手はそこそこ強い上に手加減は必要ないといったらああなるわ」

「ルーチェは……」

「貴重な遺跡と、そこに眠る遺物、資料があるかもしれないじゃない。巫女様も残っているものだったら持ち出さない限り自由に閲覧して構わないとおっしゃってくださったもの」

(うーん。それは体よく何か探して来いと言われているような気もする)

 ぐっと拳を握り、キラキラと輝く瞳で古びた遺跡内を見つめる少女にコスモスは心の中で溜息をついた。


『お主の練習も兼ねての掃除であろうな』

『練習?』

『土の大精霊と会って、土の精霊石を貰ったのだろう』

『分かります?』

『管理人が自慢しておるわ。それにその濃い気配に気づかぬほど耄碌はしておらんよ。今回も上手く溶けているようだが』


 コスモスにしてみれば、大精霊を待つ間に寝落ちして目覚めたら既に儀式は終わっていたので実感がない。

 目に見えてパワーアップしたようにも感じられず、火の精霊石をもらった時と同じような感覚にはならなかった。

 ただ少し、胃もたれするような気がすると体を擦る。


『ということは、私も積極的に参加すべきですよね』

『遠距離からの補助で充分であろう。蔦による行動阻害とゴーレムによる防御、迎撃。慣れておらぬわりにはよくやっておる』

『そうですか? それならいいんですが』


 床や壁、天井を這う蔦は面白いくらいにコスモスの意のままだった。彼女の思考が分かるかのようにアジュールたちの手助けをする。

 アルズはすっかり仲良くなったのか、天井から垂れてくる蔦で簡易ブランコを作り鼻歌を歌いながら集まってくる魔物を倒していた。

 彼らの少し離れた場所にいるトシュテンはその場の魔物をほぼ片付けた時点で床に魔法陣を描き結界を強化させている。

 ちらり、と彼に視線を向けられたコスモスはエステルに教えられた通り周囲にいる土の精霊を呼び、彼らに祝福を与える。

「慣れたものね」

「ううん。言われた通りにやってるだけだから。情けないものよ」

「そう。でも、言われた通りにやれるんだから貴方は凄いのよ。もっと胸を張りなさい」

「あ、はい。ありがとうございます」

 ふとした時に顔を出す自己肯定の低さを、ルーチェは笑顔で吹き飛ばしてしまう。笑顔の愛らしい素敵な美少女占い師にそう言われてしまえば、三十路近いコスモスもキュンとときめいてしまうというもの。

 嬉しさのあまり急襲してきた中型の魔物をゴーレムが頬を染めるようにしながらワンパンで倒してしまうのも仕方がない。

「わーお。さすが、精霊ちゃん。ゴーレムの乙女パンチ強いねぇ」

「マスターは同性の話し相手が増えて嬉しいんですよ。ルーチェさん可愛いですし」

「でしょでしょ! うちの娘すごく可愛いでしょう? 聞く聞く? あの子の話聞いちゃう?」

 ブランコから飛び降りたアルズにレイモンドが満面の笑みで近寄っていく。懐から取り出した何枚もの写真を手にし、だらしなく頬を緩ませて愛娘自慢を始める彼をアルズは営業スマイルで聞いていた。

「あとどのくらいいる? 手分けした方が早いのであればそうするか?」

「では地下は私とアジュール殿で。これより上階は残りの方々にお願いしましょう」

「この程度の敵ならば地下でもそう大したことはないだろう。アルズ、マスターを頼むぞ」

「勿論です。マスターのゴーレムも一緒ですからね。簡単にお掃除終わらせますよ」

 ひょい、とゴーレムの肩に乗ったアルズはノリノリで上階へと続く階段をのぼっていく。それを見ていたレイモンドが満面の笑みでこちらに近づいてきたのでコスモスは首を傾げた。

 彼女の隣にいるルーチェはサッと身構えるもひょいと抱え上げる父親には適わない。そのまま肩車をされてしまって彼女はその可愛らしい顔を歪めた。

(親子仲良しでいいなぁ)

 微笑ましいとその様子を見ていたコスモスだが、ルーチェとしては不服らしい。助けるような視線を向けられたコスモスは笑顔で返した。

 表情は読めずとも雰囲気で分かるのか、ルーチェは溜息をついてご機嫌な父親に肩車されたまま階段を上っていく。

 彼女の愛らしい手で力強く掴まれたレイモンドの髪を見ながら、禿げそうだなと呟きそうになった言葉を飲み込みコスモスは立ち止まる。


『どうした?』

『上階は彼らに任せて、アジュール達について地下に行こうかと』

『何故だ?』

『いや、特に理由はないんですけど。なんとなく?』


 そう、なんとなく。

 さり気なく自分が地下に行かないように誘導されたような気がしてコスモスは深呼吸をする。地下への索敵をしていた彼女は「ん?」と呟いて首を傾げた。

 自分の力を網の目に広げて敵がいるかどうか、その強さはどの程度か探っていたが不思議な感覚に眉を寄せる。

 気づけば階段の前にいるのはコスモスだけだ。

 上階からは微かに賑やかな声や音が聞こえてくる。階下は浄化し終えたせいかとても静かだった。


『索敵が上手くできんな。何も無いはずだが、結界でそう思わされているだけか……』

『これは、行かない方がいいんでしょうかね』

『あの二人では心配か?』

『まさか。あの二人なら何があっても大丈夫でしょう』

『だろうな。では、我らは上階に行くべきだろうな』

『ですかね』


 地下に何があるのか非常に気になるが、行かない方が良いような気もしてコスモスはエステルの言葉に頷く。

 迷ったときはエステルの指示に従えば間違いないので上階へと続く階段をのぼる。踊場へ出たところで動きを止めたコスモスは、上ってきた階段を一気に下りていった。

 スッと滑るように下りてトシュテンが張った魔法陣の場所まで移動する。


『コスモス!』

『分かってます』

『そのようだな。注意する前に行動に移すとは、まあまあ成長したと言えるか』

『褒めるのは後でお願いしますね。この状況、ヤバイとしか言えないと思うので』

『そうだな』


 何重にも防御膜と防御壁を張りながらコスモスは魔法陣の中心で周囲を探る。浄化されたフロアには敵の気配はしない。

 しかし、そこに何かがいると彼女の勘が告げていた。

 階段の壁には無数の矢が刺さっており、暫くすると消える。魔力で作られた矢だと思いながらコスモスは静かに息を吐いた。

 軽く目を瞑った瞬間に目の前に何かが現れたのが分かる。ゆっくりと目を開けると黒いローブを纏った人物が目の前に立っていた。

 視線の高さは同じくらいで確実に自分を見つめていることが分かる。

(どこまで認識できてるか分からないから、下手に喋らない方が良さそうね)


『こちらでも魔法障壁は張る。しかし油断するなよ』

『気をつけます』


 狙いはコスモスではなくエステルという場合もあるので、いざという時は強制遮断できるように彼女は管理人にお願いした。

 心得ているというように彼は軽く頷く。

「なんだ。こんなものに手こずっているのか」

「……」

「確かに普通とは違うようだな。ふん、生意気にも眼を弾くか」

(いや、防御壁突き破って破壊してくるからその都度修正するの大変なんですけど)

 パリン、パリンと薄氷が割れた音が響きながらもコスモスは落ち着いて防御態勢を取る。暫く彼女を見つめていたローブの人物は声から推測するに男だ。

 それも、トシュテンと然程変わらないくらいの歳だろう。

 相手の出方を伺いながら警戒は解かず、緊張した時間が流れる。浮遊したまま一言も発しない球体を見つめていたローブの男は、スッと左手を上げて魔法陣が作る結界に触れた。

 割れそうだったらその前に直せばいいと思っていると、男の手が結界をすり抜けて目前に迫る。

 コスモスはエステルの自分を呼ぶ声を聞きながら男の手に体を貫かれて大きく瞬きをした。

(あ……れ?)

 いつものようにすり抜ければいいと思っていた。

 いつものようにすり抜けたつもりだった。

 けれど、男の手は確実に彼女を捕らえ何かを探るように中で動く。

 バチン、と派手な音を立ててエステルの声が消えた。

 揺らぐ視界に美しい管理人の姿が映って、コスモスは暗闇に落ちていく。

「なんだ、呆気ないものだな」

 興味を失ったかのようにコスモスから手を抜いた男は、左手を開いたり閉じたりしながら眉を寄せる。核を掴んで破壊するなど彼には造作もない。

 精霊に邪魔されて計画が上手くいかないなどという報告を受け、少しは楽しめるかと思ったがいつも通りの結果だ。

 簡単に壊れる脆い命。

「新たな核を植えつけて、魔力を注げば面白い眷属にはなりそうだ。出来損ないの奴等よりは使えるだろう」

 ぶつぶつと呟いて地に落ちた精霊の有効利用を考え始めるローブの男。

 起動したままの魔法陣の中で生命活動を終わらせてゆくコスモスを見つめながら、階下からやってくる気配を押し止める。

 焦がすような黒い炎、唸る声を聞いて男は息を吐いた。

「魔獣、か。相手をしてやってもいいが、今はこちらが先だ。回収させて改造してみよう」

 男にとっては魔獣が何匹こようと問題ではない。

 ただ、この場を邪魔されるのが非常に面倒で不快なだけ。

 目的が終わればさっさと帰るに限るとばかりに、男は無言で転がるコスモスへと手を伸ばした。

「!?」

 全身が総毛立ち、危険を察知するより前に視界が爆ぜる。精霊が爆発したのか、と思わずその好奇心に男は口を歪めてから眉を寄せた。

 左肩から先の感覚が無い。

「ははっ、ははははは! 私の左腕を吹き飛ばしたか。これは面白い!」

 左上肢が跡形も無く消えたというのに男は嬉しそうに笑う。纏っていたローブも大きく抉れてしまったがそれを修正するかのように元に戻った。

「出血は無し。なるほど、無にしたわけか。これは愉快だ」

『不愉快だ』

 男に答えるかのように宙に文字が浮かび上がる。それを読んだ瞬間に下半身が消えた。

 苦痛も衝撃も感じる間も無く文字通り消滅したのだ。

 ゆらり、と視界に映るのは仕留めたと思ったはずのコスモス。音も無く、気配すらなくその場にいるソレに男はゾクリと身を震わせた。

「それ以上攻撃しても私はもう何もできない。分かっている(・・・・・・)だろう?」

『器ですら不愉快だ』

「あぁ、そうか。そうか、そうか! 理解しているんだな! それは素晴らしい」

 高揚感に包まれながらローブの男は高らかに笑う。

 聖炎にも似た炎に焼かれながら最後の一瞬まで、目の前にいる存在を凝視し続けた。

「……」

 男が消滅した空間に残るのは静寂のみ。浮遊していたコスモスは無言のままその場にじっとしていたが、突然弾かれたように大きく動いた。

「ん? え? 何?」

 ハッとした様子で周囲を見回し、首を傾げ床で起動している魔法陣を見つめる。

「変な奴に会って、攻撃されて……どうなったんだっけ? 無事ってことは撃退した? それとも勝手に帰った?」

 どういう状況なの、と困惑するコスモスの下に黒い影が近づく。結界を破壊しようとする彼を制してトシュテンがコスモスを見つめた。

「マスター!」

「え、何?」

「何? ではない! 何があった?」

「え」

「急に繋がりが途絶えたので慌てて戻ってみれば、強力な結界のせいで入れなかったんです」

「そうなの?」

 トシュテンはゆっくりと頷きながら結界の中にいるコスモスを掴むとそのまま結界の外へと出す。トシュテンの足元ではアジュールが睨むように主を見上げていた。

「その様子では気のせいでしたかね」

「何の理由もなく主従の繋がりが消えるとでも言いたいのか?」

「いいえ。しかし、こうして御息女は無事です。御本人も何がなにやら分からない様子」

「うん。階段の踊場で攻撃されて、ここまで退避してたことは覚えてるけどそれ以降はさっぱり」

 妙にすっきりとした気分で心が晴れ晴れとしている。

 それが何故なのかはコスモスも分からず、エステルに尋ねてみようとして彼女の気配がないことに気がついた。

(用事でもできて帰っちゃったかな?)

「そんなことより、地下はどうだったの? 何かあった?」

「いえ、大したものはありませんでしたよ。魔物の程度も他と同じくらいでしたし、隠し部屋も貴重な資料やアイテムも特にありませんでしたね」

「ああ。何もなかったな」

 何も無かったのかとがっかりするコスモスを見て二人は笑う。地下という響きから何か貴重なものや、手強い魔物でもいると想像していたのだろう。

 大きく欠伸をした声を聞いたトシュテンが視線を落とせばコスモスは既に規則正しい寝息を立てている。 

「お疲れのようですね。お休みなさい」

「いいのか?」

「無事であるなら。貴方もそうでしょう?」

「フン。色々と気に食わんが仕方がない」

 コスモスがいないことに気づいたアルズが慌てながら階段を下りて来る前に、トシュテンは静かに歩き出した。アジュールは溜息をついて許可も得ずスルリと彼の影に潜む。

 疲れているのか溜息をつく魔獣にちらりと視線を向けたトシュテンだったが、赤い双眸に軽く睨まれ苦笑する。気遣いなど無用だと言わんばかりの態度に一人頷いて、無防備に眠るコスモスを抱えなおした。



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