175 土の神殿
まだ少し夢を見ているんじゃないかという浮遊感に揺れながら、コスモスは深呼吸をした。
眠る前よりも魔力が濃くなっている気がしたが、それはきっと目の前にいる大精霊の影響だろう。
少なからず自分も影響を受けるのかと思った彼女は首を傾げながら自分の体をさする。
「どこかまだ御加減でも悪いのですか?」
「いえ、そうじゃないんですけど」
「サーニャ。心配することはない。あの子に拒絶反応は見られず、きちんと順応している」
尖った耳を持つ美人な女性が不安そうに見つめてくるので、コスモスはその美貌に見惚れるようにぽーっとしていた。
落ち着いた声で心配する彼女を宥めるのは恐らく大精霊の声だろうとコスモスは思う。
視線をそちらの方へ向ければ、色違いの陽炎のような存在がそこにいた。
(大きいけど、陽炎さんほどの威圧感はないわ。寧ろこう、包まれるような優しさがある)
声は低いが女の人を思わせるようなもので、精霊に性別などないのに不思議なものだと首を傾げる。そんなコスモスに小さく笑うと土の大精霊とおぼしき存在は誂えられた台座の上で揺らめく。
「しかし、意思確認もなしに行ってしまうのはいけなかったのではありませんか?」
「本人も元からこのつもりだったのなら、問題はないだろう」
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。すみません、寝てました」
寝ている間に二人がやってきて何かあったらしいがコスモスは分からない。一体何があったんだろうと思っていればコスモスの様子を見て少し安心したらしい巫女がほっと息を吐いた。
大精霊が現れたというのに、待っていた人魂は心地よく寝ていたのだから大層驚いただろう。
二人の様子から不快な思いにさせていないことを感じ取ったコスモスは安心しつつ、欠伸を噛み殺した。
「随分と気持ちよく眠っていたようだが、いい夢は見れたか?」
「そうですね。気力は回復した気がします」
「ほぉ。どんな夢を見たのか聞いても?」
興味をもったのか土の大精霊がそう聞いてくる。まさか夢の内容を聞かれるとは思っていなかったコスモスは困惑した。
嘘をついてもいいのだが、相手は大精霊と土の神殿の巫女。二人を相手に騙しきれるかは難しい。例えコスモスが嘘の夢話をしたとしても二人は怒らないだろうが嘘をついてしまったコスモスは後々までそのことを引きずりそうだ。
(うーん。大精霊様と巫女様なら大丈夫だと思うんだけど)
「他言無用でお願いできますか?」
この場にはエステルもアジュールもいない。彼らに夢の内容を知られるのは何となく避けたい気がしてコスモスはか細い声で尋ねた。
(いつかバレるにしても、今はなぁ)
巫女はちらりと大精霊の様子を窺っている。どうやら大精霊次第らしい。
ゆらゆら、と揺れる大精霊の核を見つめてもその真意をはかることはできない。下手にそれ以上深く視るような真似はせず、コスモスは大人しく大精霊の答えを待った。
「お主がそういうのであれば、他言無用にするから心配するな」
「ありがとうございます」
「あの、でしたら私は……」
「いや巫女たるお主が残っても問題はないだろう。だが、コスモスがそう願うのであれば……」
「いえ、大丈夫です」
大精霊の声を聞き、一番近くで仕える巫女ならば問題ないだろう。火の神殿で出会った巫女を思い出しコスモスはぴょこんと軽く飛び跳ねる。
ローブの裾を揺らして近くの切り株に腰掛ける巫女を見てからコスモスは夢のことを話した。
気づいたら空ろの塔内部らしき場所にいて、そこで動く鎧に出会ったこと。彼に案内されて塔内部にある美しい庭に連れて行ってもらったこと。
そこで、彼に自分の願いを叶えるためには大精霊の協力が必要だと言われたこと。
静かに聞いていた土の大精霊はゆっくりと息を吐いてからコスモスを見つめた。
「なるほど。奴に会ったのか」
「お知り合いですか?」
「まぁ、昔にちょっとな」
精霊石を所持しているのならそれも当然かと思いつつ、動く鎧の情報をもう少し集めるべきかとコスモスは考えた。
(聞くなとも調べるなとも言われてないからいいわよね)
「どういう人物なのか聞いてもいいですか?」
「どう、とは。あのままだが」
「あのまま……」
大精霊と会う時もずっと全身鎧のままだったということだろうか。人なのか亜人なのか、精霊に近い存在なのかそれとも自分と似たような霊魂なのかと小さく唸るコスモスに、土の大精霊はくっくと笑った。
「見た目ではない。存在、性格の話だ」
「はぁ、性格ですか。過保護なところ?」
「まぁ。コスモス様には過保護でいらっしゃるのですね」
まるでその人を知っているかのように穏やかに笑ってそう告げる巫女にコスモスは驚いたように口を開けた。
動く鎧のことを知るのは大精霊だけだとばかり思っていたからだ。
「巫女様もあの鎧のことを知ってるんですね」
「ええ。大精霊様に用があるのでしたら当然私とも会うことになりますから」
「あぁ、そうですよね」
確かにその通りだ。大精霊から精霊石をもらっているのであれば、当然巫女とも会うことになるだろう。
となれば、神殿を訪れ大精霊に会うことができるくらいの人物となる。
そう簡単に入って会わせてもらえるものだろうかとコスモスが考えていると「懐かしいな」と大精霊が呟いた。
「お主を見て保護し、庭にまで連れて行ったくらいだ。よほど気に入られたのだろう」
「どうでしょう。あれはただ、久々に客人が来たから喜んでいただけだと思いますけど」
誰もいない塔の中で一人。
外に出るつもりもなく、日々見回りをしたりしながら過ごしているのだろう。
長い間あの場所にいるというのは推測できたが、いつから何のためにいるのかは分からない。
そこまで深入りするつもりはないが、大精霊や巫女から見た動く鎧の印象が気になる。
「それにしてもまだアレは引きこもっているのか」
「自ら望んだことですから。私達が言っても聞かぬ方ではありませんか」
「それはそうだが……。まぁ、コスモスと出会ったのが良い刺激になるといいがな」
「多分、会って話したいと思えばまた会えるような気はします」
(夢の中だけだけど)
一度夢見た場所なら、強く願えばもう一度いけるのではないかとコスモスは思っている。試してみないことには分からないし、寝る時にはもう忘れているかもしれないが。
「向こうから呼び出されるかもしれないけどな」
「茶飲み仲間としてですか?」
「ふふふ、そうだな。奴の話はそのくらいにするとして、お主はどうするつもりだ?」
「どうするつもり、とは」
「奴に教えられたのだろう? お主の願いを叶えるには大精霊の協力が不可避だろうと」
言われたが切り出すタイミングを探っていた。
さらり、と夢での出来事を話したもののそのまま聞いては不機嫌になるかもしれないと考えたのだ。
どんな願いでも叶える道具など、聞いただけでも胡散臭い。
それでもコスモスがもう少し若ければ、純真であったなら目をキラキラさせて夢のような素敵な物だと思っていたことだろう。
「探したいとは思っています。それでしか叶わないのなら、探すしかないですし」
「そうだろうな。お主は少々特殊なようだ。何かに妨害されているかのように、靄がかかって中心がよく見えぬ」
「え?」
「マザーとフェノールの神子が心配するのも頷ける。赤子がぽいと荒野に放り出されるようなものだからな」
「赤子……」
「神子はここにはおらぬか」
「この部屋に入ってからは聞こえません」
そういう造りになっているとばかり思っていたコスモスがそう答えると、土の大精霊はその身を揺らしてコスモスを強制的に浮かせた。
自分の意思ではない浮遊感に気持ち悪くなりながら、空中でぐるぐると回転していると吐き気がした。
(何でこんな仕打ちされてるの)
変なことを言った覚えはない。
それに怒っているようにも見えないがこれには一体何の意味があるんだろう、とコスモスは腹に力を入れて外部からの力に抗った。
歯を食いしばって見えない壁のようなものを押しのけていると、パァンと乾いた破裂音が響き渡る。
気づけば床から伸びた蔦がコスモスの体に絡み付いて優しく拘束し、彼女の動きを抑えていた。
「はぁ……急に何なんですか」
「いや、すまぬ。どの程度馴染んだか気になってな」
「大精霊様! コスモス様が可哀想ではありませんか」
「……気持ち悪い、吐きそう」
うぷ、と口を押さえながらゆっくりと深呼吸をする。ほっそりとした白い手が翳されたかと思えばコスモスの不快が消えていく。
そのまま優しく座っていた場所に戻された。
(なんか、さっきと感触が違う)
柔らかな草は彼女の体を包み込み、淡い香りを発する花は気分を落ち着かせてくれる。ぼんやりとした思考で大きく欠伸をしたコスモスはこのまま寝てしまいそうだ。
「少しゆっくり休んでいるといい。うむ。確かに定着しているな」
「コスモス様、眠いなら抗わず眠ってしまって良いのですよ」
「でもまだ……話が、終わってないですし」
「心配するな。今日は泊まれば良い。話はまた明日だ」
「お連れの方々は既に部屋に案内しておりますので御心配なく」
これは最初から泊まることになっていたんだろうか、と思いながらコスモスはエステルも連れてきた方が良かったかと聞いた。
すると土の精霊は気を遣って彼女が退席したのなら気を遣うなと告げる。
「お主がそれを望んでいないだろうから退席したのだろう。どのみち分かることになるのだから、変な遠慮などしなくとも良いのにな」
「いえ、でも、動く鎧の話は何となくまだ話さない方がいいと思っていたので」
「あぁ、それはそうだな。良い勘をしている。今回夢で見たことは伏せると良い。特に、奴と会ったことは今後も口外せぬ方がよいだろうな」
コスモスとしては、また勝手に変な夢を見て変なことになっていると非難されるのが嫌だっただけなのだが、土の精霊の言葉を聞いて動きを止めた。
(これは思った以上にデリケートな問題だったりするのかしら)
単にコスモスの身を案じての言葉かもしれない。これ以上余計な心配をかけるなということなら、その通りだと彼女は一人頷く。
「空ろの塔は教会の管理物ですし、中は秘匿とされていますからね」
「何もないがな。無いからこそ咎をおった王族や貴族の流刑地ともされているが」
「あぁ、管理人としてでしたっけ?」
「知っておったか。そうだな。管理人と言う名の幽閉だがな。最近はそれもなくなったが」
「教会の承認を得なければ無理なのですよ」
二人の会話に入っていけないコスモスが必死にそのやり取りを聞いていると、巫女が優しくそう教えてくれる。
とても大切で愛らしいと思っている少女が、自ら望んでそこへ行きたいとマザーに告げた場所。
その場所の過酷さを知りながら、そこへ行くのが一番だと告げた少女は元気にしているだろうかとコスモスは天井を見上げた。




