174 魔道具
何でも願いを叶える道具。
明らかに胡散臭いそんな道具が存在するのかと疑るような声を出すコスモスに、鎧は苦笑する。彼女の反応はもっともだと思ったのだろう。
ごつごつとした鎧の手で優しく彼女を撫でると、彼はふわふわと離れようとする彼女を抱えてガゼボの中へと戻った。
「夢のような話だけど、昔から言い伝えとして残っているんだ。それを持ったものには巨万の富と権力が与えられたとか、世界中の美女を妻に迎えたとか。女神として君臨したという話もあれば、不老不死になった者もいるって言われているね」
「……御伽噺でしかないってこと?」
「どうだろうね。古代文明の遺物という話だけど。魔法道具だと思うよ」
「それがもし存在するなら、私の願いも叶うってこと?」
「恐らくね。やってみないことには分からないけど」
手がかりが極端に少なかったのだから眉唾ものの情報でも嬉しい。それが例え物語の世界でしかないようなものだとしてもだ。
(この世界ならそんなものが存在しててもおかしくない)
「見たことあるの?」
「ふふふ。面白いことを聞くんだね。見たことがあったら、それを既に使っていると思わない?」
「あぁ、そうね。だとしたら貴方の願いは叶ってるはずだものね」
彼の願いが何なのかは知らないが、少なくともこんな場所で過ごすことではないだろう。
そう思ってからコスモスは罰の悪い顔をした。
コスモスにとっては何もないような暇な場所かもしれないが、彼にとっては安住の地なのかもしれない。
(これほどの手練で性格も良さそうなのに、空ろの塔から出たいと思ってなさそうだものね。色々あるんでしょう)
「それについての詳細を知ってそうな人とか分かる?」
「うーん。夢物語のような道具だからね。使用方法を間違えれば危険極まりないから、知っていても話さないと思うな」
「あー……だったら、探しようがないわね」
「そんなに叶えたい?」
穏やかで優しい声色の向こうに咎めるような響きを感じ取ったコスモスは、曖昧に誤魔化そうとしていたのをやめて自分を見つめる鎧を見上げた。
「ええ、帰りたいわ」
「意外とここも居心地いいと思うんだけどな」
「来たいと思って来たわけじゃないから」
はっきりと、そして鎧の奥の本体を射抜くようにしっかりとコスモスはそう告げる。彼女を撫でていた手が止まったのは一瞬で、彼はテーブルの上で自分を見上げてくる生命の塊を見つめると小さく笑った。
どこか、物悲しく思えたその笑みの理由を考える前に優しい声がふる。
「そうだね。キミの場合だとやっぱりそのくらいしか方法はないかな」
「可能性は低くても縋るしかないのよ。情けないでしょ? 諦められたら楽だけど、それもできない」
自分がもう少し若かったら。こんな状態ではなく五体満足でこちらに来てしまっていたら。もしかしたら今とは違っていたかもしれない。
全てを諦め、何も考える気も起きずにひっそりとどこかで死んでいたかもしれない。魔物に食われてあっさり死ぬという展開だってあり得る。
そう考えると、人魂ではあるがこうして元気で生きているだけまだ希望はあるのだ。
コスモスがそう告げると鎧が小さく笑った。馬鹿にするではなく、慈しみの声にこの鎧は一体どんな人生を歩んできたのか不思議に思う。
「いいと思うよ。足掻けるうちはそうすべきだ。どうしても叶えたいならなおのこと」
「……言っておくけど、非情な犠牲を強いてまでそうしたいって思うわけじゃないからね」
「うんうん、分かってるよ。キミはそんなタイプじゃないってことくらい」
「うーん」
出会ったばかりだというのに分かっていると言われるのはむず痒い。
何をどう分かっているのか、と反論したくなりながらその言葉を飲み込んだコスモスは溜息をついた。
ふわり、と軽く浮けば心配するように鎧の手が彼女を囲む。
押さえつけられたりはしないが、いつでも捕まえられる態勢だ。
(何をそんなに心配しているのやら。あれだけすり抜けたりしてたの見たでしょうに)
精霊さえ怯えて逃げていくほどだというのに過保護である。
アジュールもこのくらい過保護だったらいいのに、とありえもしないことを思いながら何故かコスモスの頭にレイモンドの姿が浮かぶ。
(いや、あそこまでされるとさすがに鬱陶しいわ)
いい大人だというのにこんな子供扱いをされるのは人魂だからだろうか、と思いながら自分の動きを観察する鎧を見上げため息を一つ。
試しにころり、と転がって鎧の手をすり抜ければ彼は焦った。
するり、するりと追いかけてくる手をすり抜けるのが楽しくて、コスモスはテーブルの上を転がる。
(わーたのしー)
「危ない、危ないからそういうことはしちゃだめだよ。だめだって……」
大きな体格の鎧がオロオロとしている様が見ていて楽しい。彼の反応が楽しすぎてゴロゴロと転がり続けていたコスモスだが、伸びてきた鎧の手をすり抜けようとして押し戻された。
(ん?)
彼女が不思議に思った瞬間を見逃さず、鎧の両手に捕まったコスモスは「んぎぎ」と可愛らしくない声を上げながら脱出を試みる。
しかし、先ほどまですり抜けられたはずのその手をすり抜けることができない。
(何で?)
自分にすり抜けられないものなどない、とさえ思っていたコスモスが訝しげに鎧を見つめるとその視線に気づいた彼が苦笑した。
「修練すればこのくらいできるようになるよ。珍しいことじゃないさ」
「……ふぅん」
そういうものか、と思いながらコスモスは再びテーブルの中央まで戻された。ぐいぐい、と彼の掌を押してみるがすり抜けることはできない。
鎧の表面が淡く光っているのを見ながら、魔力の力ですり抜けられないようにしているのかと思った。
「あのね、本当にそんなに心配しなくても大丈夫だってば」
「大丈夫じゃないよ。キミはどうにも抜けてるところがあるみたいだから」
はぁ、と盛大な溜息をつかれたコスモスは、これ以上何を言っても彼は聞く耳を持たないだろうと判断して大人しくしていることにした。
彼女が抵抗する気がなくなったことに気づいたのか、彼女に触れていた両手がそっと離れる。
「とりあえず、今キミはどこにいるんだっけ?」
「土の神殿で、一人待たされてるところよ」
「……それなら、火の神殿で火の大精霊様から精霊石を授かったように、他の神殿でも同じようにするんだ」
「今は土の神殿にいるから、土の大精霊様に会って精霊石を貰えってこと? それで、ええと他の水と風の神殿でも同じようにって?」
「そう。四大元素の大精霊に会ってその加護の象徴、精霊石を授かるんだ」
火の神殿の巫女に土の神殿へ行くようにとお願いされた時から、コスモスは何となくそんな流れになるんじゃないかと思っていた。
物語やゲームでもよくある話だ。
しかし、よくある話なだけに自分には当てはまらないだろうと理由もなく思っていたのも事実である。
(そういうのは神託を受けた聖女か、伝説の剣を抜いた若者で良くない? 人魂が四大元素の大精霊から精霊石貰って何になる……)
「それって、願いを叶える魔道具と何か関係があるってこと?」
「勘がいいね。確実にそうなるとは言えないけど、近づけると思う。私なんかよりも大精霊様の方が知っているかもしれないからね」
「願いを叶える魔道具……戦争とか起きないよね?」
「それは何とも言えないな。実際そんなものが出てきたと知れれば血の争いが起こるかもね」
そうよね、と心の中で呟きながらコスモスは眉を寄せる。
自分はただ元の世界に帰りたいだけなのに何故こんな苦労をしなきゃいけないんだ、と顔の分からない召喚者を激しく罵った。
もう既にこの世にいない可能性が高い迷惑な存在。
「何が何でも……叶えたいんだろう?」
「それは、そう、だけど」
「だったら探すしかないと思うよ。元いた場所へと帰るには膨大な力が必要になるはずだから。大量の犠牲を代償に戻りたいと思うなら別だけれどね」
「試すように酷いこと言うのね」
「気分を悪くしたなら謝るよ。ごめんね。でも、事実だから」
それはまるで、お前がこの場にいる代償に多くの犠牲があったとでも言いたげでコスモスは低く唸る。ぎりり、と歯軋りをすれば宥めるように鎧の手が近づいてきたので触れる前に弾いた。
パシンと乾いた音が響き、弾かれた自分の手を見た鎧が困ったように息を吐く。
「戻ることを諦めたら?」
「イヤ」
「それなら……」
「分かってるわよ。精霊石集めればいいんでしょ。で、大精霊様たちから情報収集してその後は?」
「そう焦らない。とにかく、一つ一つ着実にこなしていかないと。これ食べる? 美味しいよ」
怒りを孕んだコスモスの声に苦笑しながら鎧は美味しそうな果実を取り出す。それをじっと睨みつけたあと、「食べる」と少し乱暴に告げたコスモスはもしゃもしゃと咀嚼した。
「……おいしい」
「ふふふ。もっと食べるかい?」
「食べる」
すっきりとした甘さが口の中に広がる。見た目は林檎のようだが、コスモスが知っている林檎よりも水分量が多い。
水分補給にもなるんだという鎧の声を聞きながら、目の前に置かれた果実を食べていく。
「今度、いつここに来られるか分からないから聞いておきたかったの」
「あぁそうか。うーん、そうだね。私も定期的にキミのことを呼ぶようにするから、キミもここに来たいと強く願えば来れるんじゃないかな」
「えぇ、そんな簡単に?」
「あはは。意外と簡単なものだよ」
眠って夢に落ちる前に行き先を指定できるならそんな便利な話はない。
そもそも、これも自分に都合の良い夢なのかもしれないしと思いながらコスモスはもぐもぐと果実を頬張る。
(ということは、サンタさんのところに行きたいと願えば行けるってことかしら)
寝てしまえば一定の確率で変なところに飛ぶものだと思っていたコスモスだが、もしかしたら制御できるかもしれないと考える。
うーん、と唸る彼女の目の前に管理人が現れにこりと微笑みながら主人の口の端についた食べかすを拭う。
「御主人様、そろそろ戻りましょう」
「えっ……えっ」
「これは驚いた。気配もなかったけれど、キミの僕かな?」
「な、なんで」
「……本人が一番戸惑ってるね」
自分好みの美青年に設定した管理人が綺麗に微笑みながらコスモスを抱え上げようとする。咄嗟に彼女を守るように鎧が両手で囲うと端整な顔立ちの管理人の目がスゥと細められた。
ゆっくりと口の中の果実を咀嚼しつつ、コスモスは大きく瞬きをして目が眩むほどの美青年を見つめる。
ぽかん、としているわりに果実を食べることを止めないのは彼女らしい。
「まぁ、ここはそういう場所でもあるから。私としてはもう少しキミと話をしていたかったけれど、迎えが来たならしょうがないね」
「御主人様が大変お世話になりました」
「いやいや、こちらこそ。楽しかったよ」
帰りますよ、と管理人に声をかけられてコスモスはハッと我に返る。ちらり、と鎧を見上げて軽く頭を下げるとふわりと浮いた。
軽く手を伸ばした鎧の手に触れることなく、彼女はそのまま管理人の元へと飛んでいく。
「ハッ!」
「おや、目を覚ましたか」
「どうやら御無事のようですね、御息女様」
「えっ」
気づけば目の前に巫女らしき人物と大きな土の精霊がいて、コスモスは言葉を失った。
ずい、とコスモスを覗き込むように見ていた大きな土の精霊はゆっくりと離れると、台座の上に移動する。花や蔦が絡みつくリースのような台座には落ち着いた色合いの花が飾られている。
「呼びかけても反応がなかったものですから、心配したのですよ。何事もないようで安心いたしました」
「はぁ、すみません」
「フフフ。これは話に聞いていた通り面白い子だな」
緑溢れる場所は動く鎧に案内された庭を思い出すが、あの場所とは空気が違う。そんなことを思っていると違和感に気づいた。
(ん? なんだろう、こう、変だわ)
何かがおかしいが、何がおかしいのかが分からない。
戸惑うコスモスを穏やかに見つめる土の神殿の巫女らしき人物と、土の大精霊。
『はぁ……お主というヤツは本当に全く』
『エステル様!』
『エステル様! ではない。ただ眠っているだけかと思えばいくら呼びかけても返事はなく、心配したんだぞ。また変なトランスしおって』
『私が望んだわけじゃないですよ。気づいたらそうなってたんですから』
『どうだかな』
疲れた声色のエステルは心なしかげっそりしているように思える。そろそろちゃんと祠に戻った方がいいのではとコスモスが思っていると、年寄り扱いするなと怒られた。




