173 人魂と鎧
柔らかで、温かな空気がそこには満ちていた。
差し込む日差しは優しく、木の枝に止まって囀る鳥の声が可愛らしい。
瑞々しい緑が風にそよぎ、ころころと楽しそうに精霊たちが遊んでいる。
一瞬、塔から違う場所へ移動したのかと思えるほどの光景にコスモスは声を失った。
魔の森とは全く違う、生命力と神秘溢れる雰囲気に自分の力が活性化するのを感じる。
(命が溢れてる)
ぞわぞわ、と体の奥から燃え上がる何かに身を任せたままコスモスは大声で叫びたい気持ちになった。
しかし口を開けた所で鎧の手に優しく押さえつけられる。
「反応が早いね。でも、それは駄目だよ。疲れてしまうからね」
燃え上がった炎が一瞬で消火されてしまうように、一気に落ち着いたコスモスは外部から強制的に制御されたにも関わらず不快にならないことに眉を寄せた。
(確かに、彼の言う通りなんだけど。こんなに簡単に落ち着く私もちょろくない?)
情けないと思いながら目を瞑れば管理人が額を手で押さえて溜息をついていた。
アジュールやエステルがいたら未熟者と言われていることだろう。
けれどその通りなので罰の悪い顔をしながらコスモスは鎧の手の中で周囲を見回した。
「ここは魔力が強く神聖な場所だからね。塔の中でも異質だけど、お気に入りの場所なんだ」
(塔にこんな庭園があったなんて知らなかった……)
「外では見たことのないような動植物がいるけど、こちらが害を加えなければ彼らも何もしないから心配しないで」
(この感覚、神殿に似てるかも)
神秘的で少し緊張するような雰囲気。けれど、居心地がよくてずっとこの場に留まっていたいと思ってしまうようなそんな感じだ。
癒され、満たされ、溢れ、この空気に溶け合えたらどれほど良いかと身を委ねたくなってしまう。
そうしたら最後、戻ってこられないような気もするがそれでもいいかと思えるほどの良さ。
(端から端まで飛び回ってこの場所を見て回りたいけど、無理かな。戻れないと困るから鎧さんから離れられないだろうし)
「少し散歩しようか?」
(お願いします!)
待ってましたとばかりにぴょんぴょん跳ねるコスモスに鎧が笑う。
ずっと自分を持ったままでは疲れるだろうと彼女がふわりと浮けば、鎧の手に優しく押さえられ元の位置に戻される。
(うーん。大丈夫ですって言うべきか。いやしかし、何があるか分からないから声は出さずにおくべきか)
悩むコスモスを優しく撫で、鎧はゆっくりと歩いていく。
「危ないからね。大人しくしていようね」
(見た限り、危険性は低いと思うんだけどな。迷子になるくらいで)
「力の強い精霊に絡まれたりしたら大変だ。はしゃぐ気持ちは分かるけど、我慢してくれると嬉しいな」
(それは大丈夫だと思うけどなぁ。心配してくれてるんだから大人しくしてよ)
大精霊でもない限りは大丈夫だろうとコスモスは体を左右に動かした。
見た限りこの場にいる精霊も脅威に感じるようなものはいない。念の為、集中して周囲を探ってみたが危険性の高い存在はいないようだ。
(私が本来いるはずの土の神殿はどうなってるのかしら)
いい気持ちで眠っているはずの自分は一体どうなっているのか気になるも、急に目覚められるわけがない。
そんなことができるならとっくにしている、と思いながらコスモスは溜息をついた。
(眠ったらどうなるのか分かればいいんだけど、よく分からないのよね)
普通にそのまま眠る場合もあれば、今回のように変なことになってしまう場合もある。せめて予告くらいしてくれれば、と思うのだが無理だろうなとコスモスはちょっと諦めた。
夢か現か分からないにしろその情報が役に立ったのは確かだ。
(自分でも良く分からない現象なんだから、他の人に分かるわけもないし。悪いことじゃないからいいか)
鳥籠を思わせるようなデザインのガゼボで一休み。
庭園は誰が世話をしているのか分からないが、綺麗に手入れされていて見たこともない植物がたくさんある。
時折、小動物が顔を出し動く鎧に挨拶をするように鳴いた。
柔らかそうな草の上で寝転がりたくなったコスモスが、ひょいとガセボから飛び出して緑の絨毯にダイヴする。草の匂い、花の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、彼女は最初にこの世界に来た時のことを思い出す。
教会でこんな風にのんびりしていたんだっけ、と心の中で呟いてゴロゴロと転がっているとふわりと抱え上げられた。
遠ざかる草の匂いに体に力を入れ抵抗するコスモス。
重くなる彼女の体に少し驚いた鎧だが、それでも難なく抱え上げそのままガゼボの中へと戻った。
「急に飛び出したから驚いたよ。何があるか分からないから、ああいうことはしないように」
(心配してくれるのはありがたいけど、大丈夫だと思うんだよね)
「安全な場所だと油断して、襲われる場合もあるだろう?」
(うーん。この場でそれするとしたら貴方くらいしかいないと思うけど)
それでもコスモスは余裕である。
何しろ防御膜を厚めに纏っている上、いざとなればすり抜ければいいと思っているからだ。その隙に襲撃者の手の届かない場所まで逃げ切ってしまえばいいだろうと彼女は考えている。
(それに、これだけ過保護にしてくれてるなら何かあったらその前に鎧さんが対処してくれそうなものだし)
自我を持つ動く鎧。魔法動力で動いているのか、それとも中に誰かいるのか分からないのが好奇心を擽る。
暴いてみたい気持ちになるものの、鎧を覆う魔力を解除または貫通させて覗き見ることはできない。
それにさすがにそんなことをしては、親切にここまで案内して連れてきてくれた彼に失礼だろうとコスモスは思った。
(どうしてここにいるのか、ここで何をしているのか。この塔はどんな所で、不思議なこの庭は何なのか。聞きたいことは色々あるから喋りたい。でもそうしたら彼に警戒されてこんなことしてもらえないかもしれない)
情報を得たいという気持ちはあるものの、それで距離ができてしまうのは嫌だ。我儘だなと思いながら、コスモスは彼の様子を見てその話を聞いていた。
(警戒されても好青年のようだし、大丈夫のような気もするけど。うーん。よけいな事までポロリと喋りそうな自分が怖い)
「本当に不思議だね。ここに来ても揺らがない。影響も少なそうだし、耐性があるのかそれとも相性がいいのか。どちらかと言えば後者かな?」
落ち着いた色合いの木で作られたテーブルの上に乗せられながら、そう話しかけられるコスモス。彼女が首を傾げれば球体も僅かに傾き、不思議そうにしている様子が伝わったのか動く鎧はふふふと笑った。
「キミは何を求めているのかな? 何を探しに来たのかな?」
(え、そうなんです?)
寝て起きたら魔の森にいて、眩暈がしたと思ったら塔内部に移動していた。
そう正直に言ったところで信じてもらえるものかとコスモスは小さく息を吐く。
(私だったら疑うわね。怪しい奴だって。まぁ、現に怪しいやつなのは違いないんだけど)
コスモスを見つめながら飽きることなく一人で話し続け、彼女の些細な動作からその感情を読み取り笑う。
コスモスはそれについて特に何も思っていないようだが、すごいことである。
彼女と主従関係を結んでいるアジュールなら、全てとは言わないが彼女の感情がなんとなく分かるだろう。
アルズもトシュテンもコスモスの言動をよく観察するからこそ、その感情が分かる。
しかし、動く鎧は違う。見つけたばかりの精霊もどきは顔もなければ声を発することもない。
時々揺れたり、突然飛び出して草の上で転がったりと読めない行動までする妙なものだ。
アジュール達はコスモスと会話できるからこそその感情も読み取りやすいのに対し、動く鎧は喋りもしない彼女の感情を的確に読み当てる。
そしてコスモスはそれに対して特に何も思わない。つまり、警戒心を抱かせず不快な思いもさせに妙な雰囲気がこの鎧にはあった。
いざとなればどこであろうがすり抜けてしまえば迷子なんて関係ないコスモスが、大人しく鎧の傍にいるのがいい例だ。
「あぁ、分からないか。言葉が通じたらいいのだけど、どうにもチャンネルが合わないようだね。どの言語を試してみてもピタリと合うことがない。キミの防御膜に邪魔されて大きく揺らいでしまっているせいでもあるだろうけど」
(え、そんな高機能あった?)
知らないんですけど、と心の中で呟けば管理人が誇らしげに胸を張っている。どうやらその辺りの管理も彼がしているらしい。
本体である自分が分からないのに、その一部であるはずの管理人の方が詳しいのかとコスモスは軽くショックを受けた。
我が事ながら知らないことが多すぎる。
「あぁ、警戒させてしまったね。ごめんごめん。そういうつもりじゃなかったんだ」
慌てた様子で手を伸ばす鎧に、コスモスはその手をするりとすり抜け転がることで意思表示をする。しかし、ふわりと浮かぼうとしたところですかさず反対の手で捕まえられてしまった。
そっ、と優しくテーブルの上に戻されてしまったのでイライラするように軽く跳ねる。
「ここに来る人は訳ありの人が多いんだ。でもキミは突然現れたのに何をするでもなく広間で転がってた」
(転がりたくて転がっていたわけではないですよ)
「ここに来れば溶けてしまうかもって思ったけど、そんなことなかったね」
(そんなこと思ってたの!)
自然に還れということだろうか、と思いながらコスモスは息を吐く。彼女を宥めるように鎧の手が優しく撫でてくる。
不快でないからこそコスモスは複雑な気持ちになった。
「ごめん。怒らせるつもりはなかったんだ。大抵の存在は耐えられないから、ちょっと驚いて」
(ということは、耐えられるはずがないだろうと思って連れてきたってこと?)
「精霊石が体内にあるくらいだから、大丈夫だろうとは思ったけど」
(!?)
びゅん、と風を切るように速くその場から逃げたコスモスは驚いたように手を伸ばす鎧をすり抜けてガゼボの屋根の上に避難する。
遠く離れたりしないのは、迷子になったら困るという気持ちが彼女のどこかにあったのだろう。
(探れないって言ってたのに、あれは嘘ってこと?)
「ごめん。触れちゃいけないことだったとは知らなかったんだ」
ガゼボから飛び出て屋根の上にいるコスモスを見つけた鎧は、困ったようにうろたえながら言い訳をしている。
敵意は感じられない。その声からも嘘ではないだろうと判別できる。
しかし、危険だ。
(得体が知れないとは思っていたけど、危険だわ)
「どうか、怖がらないで欲しい。危ないから、こちらにおいで?」
(いやいや、怖がるなっていうのが無理だし、危ないのは貴方の方では?)
どうやらその重い鎧のままでは屋根に上がれないらしい。だとしたらここはコスモスにとって良い避難場所だ。
その場所からじっと動く鎧を観察していれば、彼は困ったなと呟いて頭を掻いた。
(ん?)
面白そうなことをやっていると思ったのか、風の精霊がはしゃぎながらコスモスたちのところへ近寄ってくる。
彼らは楽しそうな声を上げながら屋根の上にいるコスモスを囲むと、ぎゅうとくっついてきた。
(今は遊んでる場合じゃないからどいて……って、引っ張られる?)
コスモスを囲んだ風の精霊はそのまま彼女を移動させるように引っ張っていく。それに気づいた彼女が「ふんっ」と力を入れれば、風の精霊たちが楽しそうな声を上げながら散らばった。
そして動く鎧の元へと飛んでいく。
(精霊を使って私を降ろそうとしていたの? あの鎧、精霊まで使えるの!?)
驚きながらこの場から離れるべきか悩んでいると、しゅるりと体に蔦のようなものが巻きついた。気づけば近くに土の精霊が集まっており、コスモスはこちらを見上げる鎧を睨みつけながらするり、とすり抜けた。
「あぁ、警戒させてしまってる。でも、私がそこに行くわけにもいかないし。こうするしかないんだ。分かって欲しい」
(分かりません。分かりたくないです)
「キミに危害は加えないと誓う。いくら耐性があるとはいえ、この場所は私といたほうが安全だから」
(いやいや、危険でしょ)
「精霊石を持っていると分かったのは、私も持っているからだ。何となく、こう感覚で分かるんだ。キミも大精霊様に認められた存在なんだと嬉しくなってしまって、つい」
(は?)
「普通の精霊石じゃないだろう? キミが持つそれは大精霊様の精霊石だ。つまり、キミは大精霊様から認められているという証でもある」
(みとめ……認められてるの?)
複雑な気持ちになりながら、コスモスは火の巫女が言っていたことを思い出す。
(確か、私みたいに精霊石を変化させて内部に取り込むようなものは初めてだとか言ってたから言葉通り持ってるってことだろうけど)
ちゃんと持っていますよと証拠を見せてくれればコスモスも納得できる。しかし、それをどう伝えるべきかと悩んでいればすまなそうに鎧が俯いた。
「証拠だと見せたいのは山々なんだけれど、取り出せない場所にあるから見せるわけにもいかないんだ……」
(はい、怪しい)
適当に話を聞き流して神殿で眠っている自分が目覚めるのを待つしかないとコスモスは溜息をついた。
「そもそも、未だちゃんとした形で残っているかも疑問で……あ、こんなのはどうかな?」
そう言って鎧は軽く手を上げると、その掌に黄金の炎を出現させた。ざわ、と周囲の精霊たちに緊張が走り物影に隠れるよう逃げてしまう。
コスモスはごくり、と唾を飲み込んで鎧の掌の上に現れた金色に輝く炎を見つめた。
「高密度の魔力の塊。確かにその気配は大精霊様のものね」
「しゃべった!?」
驚いたように尻餅をつく鎧を見下ろしながら、コスモスは盛大な溜息をついて心の中で悪態をつく。
(鎧が動き回って喋る方が怖いと思うんですけどねぇ)
「いや、あの……すまない。意思疎通ができるとは思っていたけど、まさか会話ができるとは思っていなくて。もちろん、話せた方が嬉しいけれど」
「中身入ってるの? 脱がないのは理由があるとか?」
戸惑いながらも嬉しそうな声を出す彼に対して不躾だというのはコスモスも自覚している。しかし鎧の中身が手練の魔術師ならば帰れるかもしれないのだ。
気が逸って問いつめるような形になってしまうのも仕方ない。
「中身はあるような、ないような。酷い見た目をしているから脱ぎたくないんだ、ごめん」
「そう。無神経でごめんなさい。貴方は魔術師ではないの?」
「魔法は使えはするけれど、魔術師ではないね」
(そうなの、残念だわ)
大精霊様からもらった精霊石を持っているくらいの人物ならば、コスモスを元の世界に戻す方法を知っていそうなものだがそう簡単にはいかないらしい。
ガゼボの屋根の上からふわりと降りていた彼女を慌てて受け止めた鎧は、ホッとしたように安堵の溜息をついた。
(いや、落ちてもそんな痛くないし飛べるから平気なんだけど)
「どうしてそんな事を? ここに来たのと関係があるのかな?」
「うーん。どうかしら。気づいたらここにいただけで、来たかったわけじゃないの。私、とても遠いところからきた迷子で、帰りたいのよ」
コスモスの言葉に鎧が一瞬動きを止めた。何か心当たりでもあるのだろうかと彼女がじっと見ていると鎧が「そうなんだね」と一際優しい声で呟いた。
「あぁ、警戒しちゃうかな。キミのような存在はこの世界でも昔からそれなりにあることだから。私も何人か知っているよ」
「その人達は無事に帰れたの?」
「そうだね。ちゃんと帰ったはずだよ。私に確かめる術はないけど」
「その方法を教えて欲しいの。私が何かを探してここに来たんだとしたら、きっとそれよ」
まさか空の塔にその答えがあるとは思わなかったが、嬉しい誤算である。変な夢に落ちて良かったと感謝するコスモスに、彼女の管理人は浮かない顔だ。
「一番は、キミを呼んだであろう人物に帰してもらうことだ。でもその様子だとそれはできなそうだから……そうだね、願いを叶える道具でも使うしかないかな」




