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171 いつもの

 浮遊する精霊は他よりも多く、清廉な空気で満たされ自分についていた汚れが浄化されるような気持ちになりながらコスモスは周囲を見回した。

 部屋の四隅には神官が身じろぎせずに座っている。

 フードを目深にかぶっておりその表情を窺い知ることはできないが、微かに見える口元とか細く紡がれる歌のような声は自分を害するものではない。

(それにしても、やっと神殿に来たと思ったら私一人でここで待つようにって言われたけど)

 コスモスは周囲より少し高くなった台座のような場所で待たされていた。

 壁には蔦が生い茂り、そこかしこにある木々は瑞々しく緑の絨毯は柔らかくて心地よい。森の中にあるようなこの雰囲気がコスモスを落ち着かせる。

 火の神殿も歴史と神聖さを存分に感じる場所ではあったが、こうも印象が違うものかと彼女は小さく口を開けながら台座からふわりと浮かぶ。

 縦横無尽に駆け回って興味がある場所を見てみたいと思ったが、コスモスが浮かび上がったのと同時に四隅に控えていた神官の微かな歌が途切れた。

 そして、四隅から向けられた視線に負けたように彼女は再びトシュテンに置かれた台座の上へと着地する。


『人型じゃなくて本当に良かったんですかね?』

『人型であろうがなかろうが、相手には関係ないから気にせずともよい。それに力を温存できるならこの形の方がよかろう』

『そうなんですけど。ここで一人待たなければいけないのがどうにもソワソワしてしまって』

『他の者は別室にて待機しているだけだから心配するな。丁重なもてなしをされておるだろう』

『いえ、そういう心配は全くしてないんですけどね』

『ははは、そうかそうか』


 アジュールはアルズの影に潜んで静かにしている。

 いくらトシュテンが警戒しておらず、コスモスの従僕とはいえ魔獣は魔獣だ。神官に与える心象を考えると潜んでいる方がいいと判断したのだろう。

 コスモスはそこまで気にしなくともいいんじゃないかと思ったのだが、トシュテンもアジュールの意見に賛成していたのでそれでいいことにした。

 何かあれば影から出て戦えるのだから問題はない。勝手に自分の影に潜まれることになったアルズも二つ返事で受け入れていた。


『ちょっと……眠くなってきました』

『そうか。この様子だとまだ現れぬだろうから寝ていると良い。来たら起こそう』

『そうですか? じゃあ、ちょっと寝ますね』


 心地よい旋律に身を委ねながらコスモスは抗うことなく眠りに落ちていく。

 危機感もなく寝入ってしまった様子に苦笑して、エステルは小さく呟いた。


『さて、どうしたものか』



 羊を数えずとも心地よい眠りに落ちていく。そして目が覚めたときは全てが夢でまた変わり映えのない日常が始まるんだと思って目を開ける。

「……」

 目が覚めて期待と違っていたとしても、彼女はもう落ち込んだりはしない。

 そしてこの状況にも最早驚きはない。

 浮かぶ言葉は一つだけ。

 はぁ、と溜息をついてコスモスは腕を組んだ。

「またか」

 毎回このパターンになってしまうので慣れてしまったのもどうかと思う。

 たまには普通に熟睡させてくれないのか、と思いながら彼女は周囲を見回した。

「……森の中?」

 一面に広がる緑に神殿の中で眠ってしまったから神殿のどこかに飛んだのかと一瞬考える。首を傾げながら自分の姿を見て人型だということに気づき、力を抑えるため球体になろうとした。

 しかし、どうやっても球体になれない。

「こんなことは初めてだけど……ま、いっか」

 自分を通り過ぎていく小動物を見ながらすり抜けは可能かと近くの花で試してみた。

 何も考えずに触れようとしてもすり抜けて触れられない花。

 少し気合を入れればそっとその花びらに触れることができた。

「うん。変なところはないかな」

 エステルとの接続が切れているのは毎度のことなので大して気にせずコスモスは立ち上がる。すると、ふわりと彼女の体から精霊が転がった。

 重さを感じていなかったので気づかなかったらしい。

 彼らはキャッキャと楽しそうな声を上げてコスモスに纏わりつく。

「現実か、非現実かも分からないのにこういうのは変わってないのね。本当に何なのかしらこれ」

 ユリアとドリスの姉妹と会った先日とは少し雰囲気が違う。

 どちらかといえばアルズと初めて会った時に似てる気がしてコスモスは顔を歪めた。

「うわ、ここなの」

 よく見てみれば魔獣と修道女を追い詰めた場所にそっくりでコスモスは思わず声を上げる。額に手を当てて目を瞑った瞬間、乗り物酔いにも似た感覚になりフラフラとよろけてしまった。

「おっと」

 バランスを立て直そうとして肩が壁のようなものにぶつかったので、思わず手を出して支えようとした。

 しかし、手はするりとすり抜けてコスモスはそのまま倒れこんでしまう。

 何とも無様な様子に羞恥心で顔が赤くなりながらも、思わず周囲を見回し誰か見てなかったかと確認してしまった。

「恥ずかしい」

 誰にも見られていなかったことに安堵しつつ、体を起こしたコスモスは座ったままで周囲を見回す。首を傾げ大きく瞬きをしてからもう一度見回した。

「え、どこ?」

 さきほどまで緑豊かな森の中にいたはずなのに、目に映るのは無機質な床や壁。近未来的なそれは研究室や病院を連想させてコスモスは混乱した。

(なにこれ)

 どうしてこうなっているのかさっぱり分からないがじっとしていても事態は変わらない。どうせ自分は認識できないのだから、と思ってからハッとした。

 認識できないからいいじゃないかと思って油断するのは危ないとオルクス王国に着いてから学んだではないか。

「はぁ」

 誰にも聞こえないからと独り言を呟くのも止めたほうがいいだろうとコスモスは周囲を注意深く観察した。

 集中して周囲の気配を探るが近くに生命反応はない。それでも油断せず、物陰に隠れながらコソコソと移動して行った。

(配線、大きなポッド。病院なのか研究所なのか、それともそのどちらも?)

 あまり良い雰囲気ではない。

 精霊の数も他の場所よりも少なく、見たこともないようなものがふわふわと浮いている。

 それをじっと見つめれば小刻みに震えて隠れるように逃げてしまった。こちらに害を加える気配はないらしいと判断してコスモスはふわりと浮かぶ。

(あら、こっちでは球体になれた。良かった)

 これならば移動も隠れるのも楽だと安心しながら精霊を少し引き連れて、紛れながら部屋を移動する。

 同じような間取りの部屋がいくつもあり、何に使うのか分からない機械がたくさんあった。

(それにしても人の気配がなさすぎる。人というか、生き物の反応?)

 これまで誰にも出くわすことはない。

 隠れて移動しても生き物の気配すらしないということはどういうことか、と思いながらコスモスは漂う精霊を見た。

(精霊はいる。空気の淀みがあるわけでもない。でも、こう、息苦しいというか常に圧を掛けられてるような雰囲気は何?)

 移動するたびに纏わりつく重い空気は気合を入れれば霧散してしまう。

 しかし、気づけば再び纏わりつくので鬱陶しいとしか言いようが無かった。

 面倒なのでそのままにしておけば、浮遊していた体がゆっくりと沈んでいく。枷でもつけられたかのようだと思いながらコスモスは転がるように階段を落ちていった。

(痛くは無いけど鬱陶しいわね。力の制限がかかってるにしても、振り払えば消えるし。まぁ、またすぐに元通りだけど)

 階段を転がって落ちたのは広間のような場所だった。天井の豪華なシャンデリアが今にも落ちてきそうだ。

(何かあった時のために力は温存しておきたかったけど、仕方ない。防御膜を厚くして防御壁でさらに覆えば少しは遮断できるはず)

 そう考えているせいで気づくのが遅れたらしい。

 金属が擦れる音が近くまで来ていると分かった時にはもう手遅れだった。

 大きな動く鎧がコスモスの視界に映り、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。

 認識できないのであれば通り過ぎるだろう。

 気づいたとしても精霊だと気にせず通り過ぎるに違いない。

(余計なことは考えない。いつも通り普通に、普通にする)

 目を閉じて気配だけを感じながらその場の空気と一体化するように体から力を抜く。

 大きくなる金属音はガシャンガシャンと音を響かせ広間に入る。コスモスが転がっているのは階段から離れた端の方なので目立たない。

 自分の落ち方が上手かったからだと変な自画自賛をしながら音と気配が遠ざかるのを待った。

(おかしいな? 音が止まって静かになったけど気配は近いまま)

 そっと薄目を開けて様子を窺えば視界に広がる銀色に思わず悲鳴を上げそうになった。

 まさかすぐ目の前に動く鎧がいるとは思わなかったからだ。

 驚いても悲鳴を上げなかった自分を必死に褒めながらコスモスは身動きせず鎧の動作を観察する。

(認識してるのかしていないのか。これは偶然なのか違うのか。さっぱり分からないけど怖い)

 押しつぶそうと、踏み潰そうと、すり抜ければいい。

 しかし、万が一相手が自分を掴めたら?

 そう考えると怖くて何もできなくなるのでコスモスは大丈夫だと自分に言い聞かせた。

(魔力で動いてる鎧のわりに、行動が読めない。ただの警備なら怪しいものを見つけ次第、行動に移るはず)

 自分がそれに値するならこの鎧はとうに行動しているだろう。

 それなのに動く鎧はじっと自分を見つめたまま動かない。いや、自分を見つめているというのは勘違いなのだろうかとコスモスも困惑し始めた。


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