170 見返り無し
アラディアの屋敷に戻ったコスモス達は、魔の森であったことを報告する。口を挟むことなく黙ってそれを聞いていたアラディアはにこりと微笑んで一同を労った。
「誰一人欠けることなく無事に帰ってきてくれてなによりだわ」
「依頼を遂行できなくて申し訳ないわ。依頼料は半分というところかしらね」
「そうだねぇ」
リーランド家当主から依頼を受けた親子がそう話す。ちらり、とアラディアがアルズを見れば彼はにこりと笑った。
「僕も無しでもいいですよ」
「いいえ、そういうわけにはいかないわ。正直なところ、倒せるなんて考えてはいなかったから」
「それはそれでショックだねぇ」
「相手がやってることを考えればしかたないわ。それで、私達が不在の時に何か変わったことはあった?」
アラディアの言葉にレイモンドがわざとらしくリアクションをする。泣き真似をする父親を無視してルーチェがそう尋ねるとアラディアは傍に控えていたレナードへ視線を送った。
そのやり取りで室内の空気が少し張り詰める。
「あー、変わったことはあったが何も問題はない」
「何があったの? ああ、話したくないならそれでも構わないわ」
「そういうわけじゃないのよ。貴方達が魔の森へ発ってから暫く、妹たちの部屋に侵入しようとした者がいただけ」
「二人は無事のようだな」
「ええ。侵入することができずに消えたようよ」
二人の部屋やその周辺には結界が張られており邸内でも入れる者が限られている。二人共、世話が必要ないためにアラディアやレナードが入れるだけでいいのだ。
第一、仮にもレディの部屋に無断で入ろうとするほどレナードは不躾ではない。アラディアの護衛も兼ねて部屋に入ることもあったが、部屋の前で見張りをしていることがほとんどだった。
「結界は破れなかった程度の侵入者……ね」
「あれだけ二人に固執してたなら簡単に破れそうなもんだけど、精霊ちゃんのお陰かな?」
「え? 私?」
「精霊様の……ですか?」
不思議そうな顔をするルーチェの隣で、レイモンドがにこにことコスモスを指差す。アルズに抱えられたコスモスは急にそう言われて首を傾げた。
彼女を抱えていたアルズはにっこりと笑って何故か得意気だ。
アラディアは説明を求めるようにレイモンドを見る。すると彼は大したことじゃないと言ってパチンと指を鳴らした。
ふわり、と室内で気ままに漂っていた精霊たちがレイモンドに呼び寄せられるように彼に近づいてゆく。
精霊に纏わりつかれたルーチェは眉を寄せて彼らを手で払っていた。
「精霊ちゃん、二人の部屋に入ったことあるよね?」
「ありますね」
「その時何かしなかった?」
「特に何も。ただ、近くにいる精霊に二人を守ってくれるようにお願いしたくらいで」
「それだよ」
そう言われても分からないコスモスは不思議そうな声を上げる。アルズの隣に座っているトシュテンが何かに気づいたようで「ああ、そういうことですか」と呟いた。
コスモスの声が聞こえないアラディアとレナードは顔を見合わせて軽く首を傾げる。
「つまり、レイモンド氏は御息女のお願いを聞いた精霊が侵入者を撃退したと言いたいのですね」
「そうそう」
「その、基本的に無害な普通の精霊にそんなことができるのかしら?」
「そうですよね。いくら精霊サマのお願いとはいえ我々が感知できなかった侵入者を撃退なんて」
アラディアの疑問はもっともである。
レナードはへらりと笑いながら軽く肩を竦めてそう言うが、侵入者に気づくのが遅れたことを悔しがっているのだろう。
(感知できなかったってことは、それなりの相手ってことでもあるわよね)
本来なら魔の森へ行ったメンバーの中から誰か一人残したほうがいいんじゃないかという声も出たのだが、結局そうならなかった。
もし六人のうちの誰かが欠けていたらあそこまで魔獣と修道女に深手を負わせることはできなかっただろう。
(いや、私は除外しても良かったと思うけど)
自分が屋敷に残ったところで大した戦力にならないと自覚しているコスモスは、どっちにしろ微妙な自分に溜息をついた。
「この方は少々特殊な方ですので、文句なくお願いされた精霊が従ったのでしょう」
「……精霊様ってどれだけ上位なのかしら。家のゴタゴタに巻き込んでしまって申し訳なくなってきたわ」
「え、マジでそんな上位精霊様なんですか」
下位精霊が上位精霊に従うのは当然のことだが、室内にいる属性がバラバラの精霊を従わせるとなるとそれだけ力が必要になる。
コスモスとしては、ただボディーガードをお願いしたという感じでそこまで凄いとは思っていない。
しかし、レナードが口を大きく開けた間抜けな反応を見ると意外と自分は凄いのではないかと思った。
「そうね。見てる限り属性も関係なし。それ以上に、命令ではなく精霊たちの好意で彼女のお願いを叶えようとしているみたい。貴方にお願いされたものだから、邸内や周辺の精霊も張り切ったのね。私が仕掛けていた迎撃の術まで強化されて、便利なものだわ」
「それが本当なら、精霊様にどう返したら良いものか」
「気にすることはないわよ。本人は見返りを求めるわけではないもの。ただ、貴方達と同じように二人のことを心配しているだけ」
ルーチェがコスモスの気持ちを代弁するようにそう告げてもアラディアは申し訳なさそうな顔をしてアルズの膝の上にいるコスモスを見つめた。
「それでも気持ちがおさまらないなら、当主と相談して神殿に寄付するなりすればいいと思うな」
「そうね。それが一番ね」
「神殿、ですか。そうですね、母と相談してみます」
(まさか親子二人が私の代弁者になってくれるなんて思ってなかったわ)
アジュールは床で伏せ、トシュテンも笑顔を浮かべたまま同意するように頷いている。アルズはコスモスに害がなければそれでいいのか何も言わなかった。
何かお高いものを貰わずに済んで良かったとホッとする反面、何かしら良いものをもらえていたのだろうかと残念がる自分がいてコスモスは溜息をつく。
『欲に忠実で良いのではないか?』
『いいんですかね。まぁ、何も貰う気はないですけど。そういうのが欲しくてやったわけじゃないですし』
『分かっておる。恐らくこれからもこの屋敷にいる限り精霊はお主のお願いをきくだろうな』
『……見返りなしで?』
『見返りの有無関係なく、あやつらはお主の役に立つのが嬉しいのだろうよ』
エステルにそう言われたコスモスだが自覚がないので眉を寄せた。嫌われてはいないと思うが、そんなに好かれているとも思っていない。
精霊たちは楽しそうだから話に乗ってやるかという感じだと思っている。
(確かに、戦闘の時も反抗されることはまずないわね)
でもそれは自分の方が強いと彼らが認識しているからではないか。
コスモスがそう尋ねるとエステルは何を当然のことをと言わんばかりに溜息をついた。
『基本的にはそうだ。お主が自分達より下であればもっと気まぐれだっただろうな。だが、今のお主にはマザーの加護がついている』
『あぁ、マザーの娘効果ですか』
それなら納得だわと呟くコスモスにエステルは笑った。
これといって目に見えるわけではないが確実にその恩恵を受けているコスモスとしては、マザーの娘という立場に感謝した。
(結局、これがなかったらどうなってた分からないのも事実だものね)
「ふぅ」
神殿に向かうのは明日にしてコスモスは宛がわれた室内のベッドでごろごろと転がっていた。
ベッドに腰かけたアルズはその様子を見ながらにこにこと笑っている。
「お茶が美味しいわ」
「僕もここのお茶好きなんです。マスターがお好みならもう少し多めに持っていきましょうね」
「ありがとう」
アルズが入れてくれたお茶を飲みつつ、用意されたお茶を口に運ぶとコスモスはソファーに座って書類を見ているトシュテンへ視線をやった。
アジュールはといえば当分危険はないと判断したのか柔らかな絨毯の上で既に夢の世界へ旅立っている。
「これからの予定は土の神殿に行くことだけど、その後ってどうしたらいいのかしら。神殿よりも先に王都に顔を出して挨拶しておくべき?」
「神殿が先で構いませんよ。御息女がこうして旅しておられるのは一部の者しか知りませんし、御息女のことすら知らない者がほとんどですから。わざわざ王都で女王陛下に挨拶する必要はありません」
「それって後々マスターに不利になったりしませんよね? 一応相手は一国の主ですよ?」
「大丈夫です。迎えに来た馬車は襲撃され御息女は誘拐。そして今回の事件ですからあちらはあちらで忙しいはずですから。私から話は通していますので心配いりません」
確かにそうだったなとコスモスは迎えに来た馬車に三人で乗ったことを覚えている。
まさか腕の立つ二人がいながら誘拐されてしまうとは情けないが、すっかり寝入っていて油断していたコスモスが言えることではない。
「それとも御息女は王都へ行ってみたかったでしょうか?」
「ううん。最初から土の神殿に行く予定だったから大丈夫。観光してる場合でもなさそうだし、王都で陛下に挨拶して終わりにもならなそうだからこれ以上はお腹いっぱいです」
「はい。賢明な判断かと」
「……あぁ、今回のマスター誘拐や馬車襲撃には一部の貴族も関係してるとか噂されてますからね」
きな臭いことに巻き込まれるなんてゴメンだ、と呟くコスモスに焼き菓子を差し出しながらアルズはにっこりと微笑んだ。
男の服装をしているものの、その笑顔はまるで天使のようでキラキラと輝いて見える。村でも人気があったんだろうなと思っていると彼はとびきりの笑顔でこう言った。
「危なくなったら僕がサクッと裏でやっちゃいますから大丈夫ですよ」
「ははは、それは頼もしいですね」
「だめだめ、アルズそれは危ないから軽々しく口にしたら駄目だって。オールソン氏も乗らない!」
何でもかんでも邪魔なら秘密裏に葬ってしまえばいいと考える傾向にあるアルズを窘め、笑って頷くトシュテンにコスモスは声を荒げる。
仲が悪そうだと思っていたが、本当は仲がいいのではと思いながらも彼女は物騒なことは駄目だとアルズに告げた。
彼はちょっとつまらなそうな表情をしたものの、素直に「はーい」と返事をする。
「バレないように行動すれば問題ないよね……最初から何も無かったって」
スッと視線を逸らした瞬間に物騒なことを呟いていた気がしたが、コスモスは気のせいということにした。
「私としても本当ならば王都の神殿に寄っていただきたかったのですが、こういう状況ですから無理に行く必要はないと思います。城からの招待も陛下が会ってみたかっただけという理由ですからね」
「だったら尚更行かないと駄目じゃないの? オールソン氏が丁重にお断りしたところであの女王様は納得してくれるかな」
「してくれましたよ。こちらの不手際で危険な目に遭わせてしまって申し訳ないと言っていました」
「なるほど。それならマスターが後に責められたりすることはなさそうですね」
アルズは自分のことのようにホッとした様子でコスモスを見つめた。アジュールはここまで心配してくれないのでコスモスはちょっと泣きそうになってしまう。
(何があっても適当にすり抜ければいいやと思ってたんだけど、アルズだけは置いていかないように気をつけよう)
アジュールは放っておいても勝手に逃げるだろう。しかし亜人であるアルズはそうもいかない。彼の俊敏さなら何とかなるかもしれないが、一人だけ逃げて置き去りにしないようにとコスモスはアルズを見つめた。
「もし何かあったらマスターは自分のことを第一に考えて逃げてくださいね。僕のことは心配いりませんよ。サッと逃げられますから」
「あ……うん。ありがとう」
自分が守ってあげないとと意気込んでいたコスモスだったが、逆にそう言われてしまって複雑な気持ちになる。
自分のことは自分でできるから大丈夫だと告げてもアルズは引かない。
そんなやり取りを聞いていたトシュテンは笑いを噛み殺していた。




