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いえ、私はただの人魂です。  作者: esora
祝福の代償
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169 帰還の術

 それは一瞬だった。

 溜息をついたトシュテンが素早く魔獣へ近づいたかと思えば、攻撃を受けてぐったりしている修道女に短剣を突き立てた。

 ガハッ、という声と共に彼女の口から血が吐き出される。

 短剣に刺された箇所の痛みは感じないのか、驚いたように目を大きく見開いて遠ざかるトシュテンを見つめていた。

 光の鎖で拘束され、身動きが取れない魔獣は何が起こったのか分からないというような様子で自分が抱えていた修道女に目をやる。

 修道服に身を包んでいた彼女はぐったりとして動かない。口の周りは彼女の血で汚れ服もボロボロだ。

 怒りに吠えるが彼女の傷が治るわけではない。傷口からは血が流れ、自分の足元に溜まっていく。

「供給を断たれては何もできないでしょうね。これは貴方の残したものですから、お返ししますよ」

 そう言ってトシュテンは修道女を刺した短剣を魔獣の足元へと投げつける。地面に刺さったそれは豪華な宝石で飾られているが光の鎖と似たような靄を纏っていた。

 不快だとでも言わんばかりの表情で淡々とそう告げる彼を睨みつける魔獣だが、何の効果もない。

 鎖を断ち切ろうともがくも、逆に食い込むばかり。光の鎖は悪しきものが逃れることを許さず、それを操っている少女は静かに中央の魔獣を見つめていた。

「わお。オール君怖いねぇ」

「浄化して返したのですから、感謝してほしいものですよ」

「わーコワーイ」

 ちっとも怖くなさそうな口調でそう告げたレイモンドは、牙を剥いて威嚇する魔獣の首を落とそうとして後方へ飛んだ。

 頭にコスモスを乗せたままルーチェを抱え上げると横に飛ぶ。

「え、なに?」

 どうしたのかとコスモスが尋ねた瞬間、光の鎖で拘束されていた魔獣はカッと眩く光り爆発した。

 衝撃波を土の壁で防いだ彼女に、レイモンドが口笛を吹く。

 轟々と音を立てて燃え上がる火柱を見ながらその中に魔獣の影がないことに気づき、ルーチェは舌打ちをした。

「モタモタしてるから逃げられたじゃない」

「いやーよくやったと思うよ? しかし、天晴れだよね。魔獣もあそこであんな根性見せるんだもん」

「今回ばかりは仕方がありません。どうやらあの女は帰還の術もかけられていたようですからね」

 帰還の術と聞いてコスモスがピクリと反応する。

 どうやらトシュテンは修道女と魔獣を仕留め損なったことに関して悔しがってはいないらしい。

「あぁ、緊急帰還の術ですか。聞いたことありますね」

「しかし、その術をかけるとなると相当な腕だ」

 当然のように爆発から回避したアジュールとアルズも様子を窺いながら魔獣がいた場所へと近づいていく。

 コスモスが察したように水の精霊の力を借りて消火すると地面が焼け焦げていた。

「なんか、魔法陣みたいね」

「みたい、じゃなくてそうなのよ。相当な手練だわ。結界で閉ざされたこの場所に強制的に介入するなんて」

「まぁ、血もあり聖遺物もあったら構築はしやすいだろうねぇ」

「あぁ……あれでも一応、修道女でしたね」

 のんびりと焼け焦げた場所を見つめていたコスモスが告げた言葉にルーチェは溜息をつきながらそう教える。悔しそうに眉を寄せる娘の頭を撫でながら、レイモンドは陽気にそう言った。

 トシュテンは感情が読めない表情でチリチリと燃える炎を足で踏み消すと、地面に刺さったままの短剣を抜いて小さく笑った。

「それにしても、占いは外れてしまいましたね」

「たかが指針よ。全て間違いなくその通りになるわけじゃないわ。貴方も知っているくせに」

「これは失礼。貴方ほどの力ならそうするのも可能かと思いましたので」

「しがない占い師の子供を買いかぶりすぎだわ」

 にっこりと笑みを浮かべるトシュテンと、負けることなく彼の視線を受け止めて淡々と返すルーチェ。

 こういう場面には慣れているのだろう。子供らしくない落ち着いた雰囲気にコスモスは感心した様子でレイモンドの頭上からやり取りを見ていた。

「はいはいはい、もうその辺で終わりにしようか? ルーチェもぷんぷんしないの。可愛い顔がだいな……いや、怒っても可愛いわ。さすがボクの愛娘~」

 ルーチェを抱き上げてレイモンドはスリスリと頬ずりをする。嫌そうな顔をしながらも彼女がされるがままにしているのはその方が早く終わるからだろう。

 コスモスを見つめる目がまるでそう言っているかのようで、コスモスは微笑ましいなと笑顔を浮かべた。

「オール君もカリカリしない。ほら、精霊ちゃんあげるから」

「は?」

「ありがとうございます。しかし、彼女は物ではありませんし、貴方の物でもありません」

「ははは、そうだね」

「……」

 むんず、と掴まれたと思えばトシュテンの腕の中に移動していたコスモスは、間の抜けた声を上げたまま固まる。

 アルズが「あっ!」と声を上げたのが分かったが、もう遅い。

 身じろぎをして抜け出そうとするコスモスだが上手くいかず、何故なのかと戸惑っていればトシュテンの足元にやってきたアジュールが溜息をつく。

「マスター、手を見ろ」

「手?」

「マスターのではないぞ」

「……もちろん」

 思わず自分の手を見たコスモスだがアジュールにそう言われて慌てて手を引っ込めた。球体からにょきっと生えてきたと思ったら瞬時に引っ込んで消えた腕を見ていたルーチェとレイモンドは眉を寄せて「うわぁ」と呟いている。

(見たくないなら見ないでよ! 許可した覚えもないのに認識できる時点で怪しい人物には違いないっていうのに)

 ぶつぶつと愚痴を零しながらコスモスは自分を持っているトシュテンの手を見て首を傾げた。

「……こっわ」

「ふぅ。やっと感知できたか。まぁ、マスターの気持ちも分からんではない」

 トシュテンは白い手袋を嵌めている。それはいつものことだから気にしたことはなかったのだが、どこかいつもと違う感じがしてよく見てみると、コスモスを包んでいたあの金糸で刺繍がされた布と似たような雰囲気がする。

 まさか、と思った彼女が注意深く観察してみると白い手袋に紋様のようなものが浮かび上がっていた。

 ぱっと見ただけではただの白手袋としか思えないだけにゾッとする。

(いや、これは敵を追い詰めるためのアイテムだから。まさか、私を捕まえるだけの為なんてありえないし考えすぎよ)

「いちいち布を取り出すのも手間ですから、こうした方がいいと思いまして」

「仕事のためですよね。お疲れ様です」

「マスター大丈夫ですか? 気持ち悪くないですか?」

「まぁ、特に何もないけど」

(精神的にはちょっと辛いけど、口にしたら後でどうなるか分からないし。エステル様は転げまわるように笑って楽しそうなのが鬱陶しい)

 コスモスの答えにじっと見つめていたアルズは残念そうに溜息をついた。

「なるほどね。それもあったから簡単にあの女を刺せたってこと」

「ええ。気づかれましたか?」

「当然よ。あの女は強い力で守られていたから。あんなに簡単に刺したから驚いたけど、事前に仕込んでいたなら納得だわ」

「これを作るのも結構大変なんですよ?」

(うんうん、やっぱりそうよね。今回のこの時の為に用意してたんだわ)

 苦笑しながらトシュテンは抱えているコスモスをちらりと見て目を細める。どうやら逃げ出そうとしても無駄だと観念して大人しくしていることにしたらしい。

 少し離れたところでアルズが恨めしげに見つめてくるがそれを無視していると、レイモンドが身を屈めて覗き込んでくる。

「精霊ちゃん可愛がられてて良かったね」

「……」

「っ! 痛いっ、熱い熱い熱いってぇ!」

「お前の父親はマスターの地雷を踏むのが上手いな」

「彼女に対してだけじゃないわ。いつもこんな感じなのよ」

 もう少し近づいて欲しいというコスモスの言葉に、素直に従ったレイモンドはぐりぐりと頭突きするように密着する彼女の熱量に悲鳴を上げた。

 退避しようとするものの、頭の周りをぐるりと精霊たちに囲まれて固定されてしまう。

 力が緩んだ隙を見てするりと降りた愛娘にすら気づかず、彼は悲鳴を上げ続けていた。サポートするかのようにトシュテンがコスモスを持ち上げている。

 笑いながら地面に降りたルーチェにアジュールがそう言うと、彼女は軽く肩を竦め魔獣がいた場所を念入りに調べ始めた。

「何を探している?」

「使えそうなものをよ。父様がもう少し早かったら魔獣の首を斬り落とせてたのに」

「魔石、か」

「ええ。浄化すれば使えるもの。他に回収される前に戦利品と迷惑料としてもらうのは当然だと思わない?」

 普通の人間はそう簡単に魔石を浄化し魔道具として使用することはできない。神殿に預け神官や巫女の祈りや精霊の加護を付与して初めて使える道具になる。

 そのままでも使えることは使えるのだが、耐久度が低い上に下手をすれば使い手が魔石の魔力に呑まれかねないという危険性がある。

「浄化できるのか」

「貴方のご主人様ほどじゃないわ。私ができるのは生きていくために身につけたものだもの」

あれだけの(・・・・・)術を使用しておいてよく言える」

「……何が言いたいの? 私達は別に仲間じゃないわ。一時的な協力関係というだけよ」

 焼け焦げた土や草を観察していたルーチェは溜息をついて影のような魔獣へと視線を向ける。毒々しいまでの赤い瞳は面白そうに彼女を見上げていた。

「ならば、マスターに吸収させた魔石を貰えばよかろう」

「あれはもう彼女のものよ」

「あの場であれだけの魔石を他に奪われないようにするためにはアレしか方法がなかったからな。浄化するにしても手間がかかる。マスターの中に入れてしまえば奪われる心配はまずない」

「だから?」

「あの時の魔石をくれと言えば、マスターは素直にくれると思うぞ。必要なのだろう?」

 ルーチェは眉を寄せてアジュールを見つめた。まるで悪魔の囁きのような誘いだが、何か裏があるのではと疑ったのである。

 しかし彼女はすぐに溜息をついて「そうね」と頷くと精霊から熱烈なスキンシップを受けている父親の元へ戻っていった。

「オールソン氏、ちょっといいかしら」

「何でしょう」

「その短剣いらないのなら欲しいんだけど、もらうことはできる?」

「これ、ですか……」

「浄化されてるから大丈夫じゃない? あ、鞘が無くて危ないか」

 白い布に包まれて彼の懐にある短剣を指差すルーチェに思案するトシュテンだったが、コスモスの言葉に懐からそれを取り出す。

 そして地面に膝をついたトシュテンはルーチェと視線の高さを合わせると、にこりと笑って布に包まれた短剣を彼女に渡した。

「え、いいの? でもこれ教会で管理すべき物でしょう?」

「元々私のものではありませんし、聖遺物も各地にたくさん散らばっていますからね」

「欲しいと言っておいてあれだけど、職務怠慢じゃないの? 後で返せって言われても困るわ」

「大丈夫だと思うよ。オールソン氏は胡散臭いけど、そういうケチケチしたことを言うような人じゃない……はず」

 思ったよりもあっさりと自分の手元に来てしまった短剣を見つめてルーチェは驚いた顔のままトシュテンを見つめる。

 そんな彼の手の中ではコスモスが頷くように上下に揺れながらそう言った。

 ちらり、とコスモスとトシュテンを見比べ本当に貰っていいのかと彼に視線で問うルーチェ。

「これは貴方が拾い管理したものです。私は何も知りません」

「へぇ。案外融通がきくのね。ありがとう」

「呪いとかないよね。変な効果とかないよね? ルーチェに何かあったら心配だなぁ」

「御心配なく。丁寧に浄化したものですし聖遺物ですから。御息女に誓ってそんなことはありません」

「……そう」

 自分に誓ってというのは困るコスモスだったがルーチェに害がないならそれでいいとコスモスは頷いた。

 布に包まれた短剣をキラキラとした目で見つめているルーチェが可愛くて、コスモスの顔もついついだらしなくなってしまう。

(可愛い……こんな可愛い子と一緒に旅ができたら嬉しいんだけど。難しいだろうなぁ)

 精霊に囲まれ悲鳴を上げるレイモンドの声を背後に聞きながら、コスモスはそんなことを思っていた。



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