168 魔の森
天高く聳える塔の周囲をぐるりと囲むように魔の森はあった。
中央の塔までたどり着くまでに結構な日数を要しそうだと思いながらコスモスは高く浮かぶ。
見下ろせば全体がよく見えると思ったからだ。
(うわ、森が広いし深い。塔に近づけば近づくほど魔力も濃くなってるし魔物も強いんだろうな)
通りに面している部分は普通の森と大差なさそうなだけに、中で迷ってしまえばそれだけで詰みそうだ。
「特に派手な気配はなかったよ」
「そう。それじゃ、地道にいくしかないわね」
「ルーチェのダウジングは確実だから心配することなんてないよ」
空からの偵察を終えたコスモスに礼を言ってルーチェは軽く目を瞑る。その隣ではレイモンドが愛娘の自慢を始めていた。
いつものことなのだろう、鬱陶しい顔をすることもなくルーチェは無言で歩いていく。慌ててその後を追うレイモンドにコスモス達も続いた。
ここにいるのはコスモス、アジュール、トシュテン、アルズ、ルーチェ、レイモンドの六人だ。
リーランド家からも人を出すというアラディアに、レイモンドが無駄な犠牲は出さないようにと進言した結果こうなった。
留守番していたかったコスモスはルーチェに指名された時に思わず不満を口にしたが、聞こえていないかのように無視された。
コスモスにとって戦力の要たるアジュールを貸すからという意見も無視され、仕方がなくここにいるというわけである。
トシュテンは塔とその森を管理する教会関係者のために同行が必須であり彼も拒否することはなかった。アルズは基本的にコスモスの指示に従うがアラディアから追加契約を受けたのでこの場に来る気でいたらしい。
アジュールはコスモスに勝手に決められたことにも不満を漏らさず、結局同行することになった主を見て笑いを噛み殺していた。
「塔の管理は教会だけど、魔の森もなの?」
「魔の森はオルクス王国との共同管理になりますね。中に入れば入るほど魔物はより凶悪になりますから国だけではどうしても管理しきれないのですよ」
「精鋭でも無理なんだ? オルクス王国は亜人の国でもあるから他国とは違って何とかなると思ったけど」
トシュテンの言葉にコスモスは意外だと呟いてそう首をかしげた。
「確かに他国とは違ってここの住人はタフよ。でも、それだけだわ。ただでさえ迷いやすい内部に行方不明になって森の養分になる冒険者は数知れず。それでも名声や珍しい素材を求めてくる人が後をたたないのよね」
溜息をついて歩くルーチェの足取りは全く迷いがない。まるでどこに標的がいるのか既に分かっているかのようだ。
氷のように涼やかな雰囲気を漂わせ、白い肌にプラチナブロンドの髪がより神秘的に感じられる。
どこか冷たい感じのする美少女だが、成長したら美人になるんだろうなと確実に分かった。
「危険だけどそれが魅力的ってことね。ハイリスクハイリターン」
「無謀で命を粗末にする馬鹿が多いだけの話よ」
「ボクらだって仕事だから仕方がなく来てるけど、そうじゃなかったら避ける場所だよ。まぁ、あまり奥まで行かなければ大丈夫だとは思うけど。彼女たちもそんな奥まではいけないはずだし」
「安全のために結界が張られていますからね。定期的に見回るこちらの身にもなってほしいですよ」
珍しく溜息をつくトシュテンにレイモンドが笑う。
「無理矢理結界破って危険な状態にした挙句、その本人は物言わぬ屍とか腐乱状態とか精神的に参ると思いますよ」
「あぁ、そういうこと。経験があって慣れてる人がやるかと思ってたわ」
「経験豊富で慣れていても精神的には負荷が大きいと思いますよ」
(冷静に考えてみるとそれもそうね)
定期的に巡回して結界の綻びがあれば直し、死体を見つければ弔わねばならないことを考えると体力より精神的な限界が先に来そうだ。
『自殺の名所でもあるからな。魔物に食われれば綺麗に片付くから良いが、それも少ないだろう。大抵が中途半端に食い散らかされて終わるだけだ』
『……想像したら気持ち悪くなってきました』
『神官としてはそれも一つの修行ではあるがな。ところでアルズはどこに行った? 姿が見えぬようだが』
『ルーチェが指示するポイントに偵察に行ってます』
『あやつの気配遮断は見事なものだからな。まるで暗殺者になるべく生まれてきたような』
『物騒なこと言わないでください』
転生者としてこの世界に生まれ育ち、故郷をなくして心細そうにしていたあの頃の彼を思い出す。
不思議な状況で出会ったコスモスだが、元気に育ってくれて嬉しいと保護者のような気持ちでそう思うのだった。
あのまま素直に育ってくれればいいのだが、彼女がそれを強要することはできない。
『しかし、あれだけ女装姿が似合う者もおるまい。喋らなければ女としか思えぬからな』
『女装してた方が相手が油断するので楽だと本人も言ってましたからね。女装することに関しても特に嫌悪感はないみたいですし』
『あれだけの美少女が本当は男だなんて分かったら、嫉妬に狂った女に刺されそうなものだなぁ。ほっほっほ』
『笑いごとじゃないですよ。それに物騒ですって』
そうエステルを窘めてから、コスモスはハッとした。
(アルズは前世で知り合い程度の女の子から滅多刺しにされて殺されたって言ってたわ。しかもその子は人気で校内でも有名だって……)
一方的な想いからの拗らせて逆上され殺されたパターンもあるが、エステルが笑いながら言ったようなこともありえる。
何かのイベントや罰ゲームなんかで女装したことがあったらビンゴに近いかもしれないとコスモスは目を見開いた。
(いやいや、考えすぎよ。それに犯人に聞かなきゃ本当のことは分からないんだしその機会もないでしょう。前世どんな容姿をしていたかなんて分からないし、アルズが今を楽しく生きてるならそれでいいわね。前世の死亡理由なんて思い出したくもない事ほじくり返す必要ないもの)
世の中には知らなくていいこともある。
そう大きく頷くコスモスは歩みを止めた一行に気づかず通り過ぎそうになって、トシュテンに引き寄せられた。
考え事をしていたと言いながら謝るコスモスに、トシュテンは笑顔で懐から白い布を取り出す。
サッとレイモンドの頭上に逃げた彼女は金の刺繍が淡く発光するのを見て髪の中に潜るように身を隠した。
「マスター、警戒はしておけ。そろそろだろうな」
「でしょうね」
「アルズ戻りました。目的の場所に二名発見。予想通り回復しているようでしたね。今のところ動く気配はないようですけど、これ以上接近すれば気づかれるでしょう」
「お帰り。他にはなにかあった?」
音も無く着地したアルズの姿はクラシカルなメイド服ではなく、体にフィットした動きやすい服装だ。
本人曰く忍者をイメージしてみたと言っていたがそれが分かるのはコスモスくらいだろう。
「そうですね。想像以上に回復に時間がかかっているようでした」
「不思議だね。あのくらいならすぐに回復して態勢立て直すと思ってたんだけど」
レイモンドが目を細めて首を傾げる。
どちらにせよこちらに有利だから良い話なのではないかと思うコスモスに、ルーチェ
はちらりとトシュテンを見上げた。
目が合ったトシュテンはにこやかに微笑んですぐに視線を外す。
「よし、それじゃあ二手に分かれて追い込みますか。精霊ちゃんはボクらと一緒にゴールで待機ね」
「なるほど。では我々が追い込めばいいのだな」
「キミたち二人なら余裕だと思うよ」
追い込み役として指名されたのはアジュールとアルズだ。確かにこの二人なら大丈夫だろうとコスモスもレイモンドの頭上で頷いた。
指名された二人も異議はないらしい。
ぐるりと木に囲まれたちょっと開けた場所にコスモスたちはいた。天気は良く穏やかな空気で思わず眠ってしまいそうだ。
小さく欠伸をするコスモスは、仕掛けを終えたルーチェを見て自分は何もすることがないなと思う。
ただ一緒にいればいいと言われたが見せ場がないというのも恥ずかしい。
邪魔にならないようにだけ気をつけないとと思っているコスモスに、ルーチェが声をかけてきた。
「貴方にも協力してもらうわよ」
「できることならするけど……」
「難しいことじゃないわ。森にいる精霊を制御してほしいのよ」
「制御?」
「悪さしないように見張っててほしいってこと」
それはどうにかできるようなことなのか、と疑問に思いながらコスモスは周囲を見回した。
色々な属性の精霊がふわふわと浮かんでいる。
土の精霊が多いのはこの国が土の精霊の加護を多く受けているからだろう。
風の精霊は、きゃっきゃとはしゃぎながらコスモスの周囲で飛び回る。うるさいと軽く払うように身を震わせると、楽しそうに離れていった。
「そういうことよ」
「そういうことなの?」
いまいち何をしたらいいのか分かっていない様子のコスモスだが、手馴れた様子で精霊を扱っているのを見ていたルーチェは小さく笑って頷いた。
「しかし、そう簡単に追い込まれてくれるのかなぁ」
「それがねぇ、案外簡単に追い込まれてくれるもんなのよ精霊ちゃん」
「そんな簡単にいったら苦労しないと思いますけど」
アジュールとアルズのことを信じていないわけではない。だが、相手も相手だ。途中で勘付かれた場合、ここまでくる確率は下がる。
木陰に隠れ息を潜めるレイモンドの頭上で様子を窺いながら、長閑な光景が戦場に変わるとは想像もつかない。
この辺りの魔物はまだ強くはないので、レイモンドやトシュテンが軽く睨んだだけで逃げていってしまう。
眠くなりそうだなとコスモスが欠伸をした瞬間、耳を劈くような爆音が聞こえ彼女は大きく瞬きをした。
(上手く誘導されてくれればいいけど)
未だ不安になるコスモスに楽しそうに笑うエステルの声が聞こえてくる。
『不安になる理由などなかろう。ここに来る以外の道を断たれているのなら、ここに来るしかないのだからな』
『え?』
『巧妙に細工をしてそう仕向けられておる。周囲も軽い結界や忌避するような気配を漂わせてここに向かうのが最適だと思わせられる』
『……マジですか。想像以上にその、凄いというか味方で良かったと心底安堵しました』
『なに、お主であれば結界だろうがなんだろうがすり抜けてしまえば良いだろう。追い詰められても逃げ場はある』
『確かに。そう考えるとこの状態って最良なのかもしれないって思うんですよね。現実の肉体捨てたわけじゃないですし、元の世界も恋しいですけど』
そう会話していると大きな魔獣がドンと着地した音が響いた。咆哮と打撃音が続き、衝撃波に飛ばされそうになるコスモスをレイモンドが優しく押さえた。
ルーチェはいつの間にか分厚い本を片手に持ちながら呪文を呟いている。
「おっとぉ」
暫く様子見しているとばかり思っていたコスモスは、急にレイモンドが動いたので慌ててしがみついた。
振り払われなかったところをみるとこのままでいいのだろう。
そんなことを思っていると、魔獣から距離を取った二つの影が見える。
そして間髪入れず降り注ぐ光の鎖。
拘束力は前回と変わらず、修道女を抱えたまま攻撃を回避していた魔獣をしっかりと縫いとめる。
抵抗して暴れようとすればするほど鎖が食い込み焼けるような音が響いた。
しっかりと魔獣に抱えられている修道女も苦痛に満ちた顔をして悲鳴を上げていた。
「あの鎖って聖職者なら無効とかじゃないのね」
「そもそもあの女は聖職者ではありませんから効果抜群ですよ」
そう言い放ったトシュテンは修道女目掛けて術を放つ。避けることができない彼女に容赦ない攻撃が集中し魔獣が吠える。
吠えたところで身動きが取れないのでどうしようもない。悲鳴を上げる修道女が大人しくなったところでやっと攻撃を止めたトシュテンは小さく息を吐いた。




