164 姉妹
夢など見ずに眠ってしまえればいいのにそうもいかないらしい。
溜息をついてコスモスは目の前の光景を眺めた。
面倒だという雰囲気がその溜息から感じられるが、苦笑するような存在はここにはいない。
どうやら夢の中までエステルは介入できないらしい。
(やろうと思えばできると思うけど、気配がないってことはいないんだろうし)
そう思いながら彼女はこめかみを軽く揉む。
自分だけが認識できる自分の姿。夢の中でも変幻自在だが今回は人型のようだ。首を傾げて球体にと念じればそうなってしまうのだから便利である。
(夢なのか夢に似た何かなのか)
何か、とは誰かの過去の記憶であったりその土地の過去の記憶であったり様々だ。
そう言えばアルズと出会ったのも夢の中だったっけ、と思いながらコスモスは眉を寄せる。今の彼ではなく過去の彼と出会ったのだから時間がおかしい。
過去に干渉できてしまうのかしら、とぼんやり考えているとわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
「そこにいるのは分かっているのよ。知らないふりしないでこっちに来たらどうなの?」
「お姉様その言い方はあんまりですわ。相手は高位精霊様です。穏やかな性格だとは言え無礼はいけません」
「胡散臭いのよく信じられるわね」
「ドリス姉様!」
陽光差し込む大きな窓の近くで可愛らしい女性が二人お茶をしている。室内は穏やかな橙色と白で統一されておりユリアの部屋であることが分かった。
恐らく本邸にある彼女の部屋なのだろう。
(白昼夢、みたいな感じね)
結晶化しているユリアと一命は取り留めたものの意識が戻る確率は低いだろうとされるドリスの二人が目の前で仲良くお茶をしている。
穏やかな空気の中、軽く言い合いなんかしてどこにでもいるような姉妹の日常のようなそんな光景。
(金髪碧眼の美少女姉妹がお茶を飲んでいる光景……眼福です)
思わず拝んでしまいそうになりながらコスモスはぼんやりとその光景を見つめていた。
「ちょっと、聞こえてるの?」
「ドリス姉様。穏やかに、優しく、ですわ」
「わ、分かったわよ。確かに色々言い過ぎたところもあったし」
「聞こえません」
にっこりと笑顔でそう告げてカップに口をつけたユリアをドリスが小さく目を見開いて見つめる。ふっくらとした唇をギリッと噛んで眉を寄せてから息を吐くと、ドリスはコスモスへ視線を受けて笑顔を浮かべた。
「精霊様、よろしければ一緒にどうですか? 好みの茶葉や菓子を用意させていただきますわ」
「いえ、結構です。見てるだけで充分なので」
どうやら姿は見えているらしいと気づいたコスモスは思わず即答してしまった。その瞬間ぴしりとドリスの笑顔が固まったような気がする。
(普通に会話ができている?)
これは好き勝手できないなと焦っていたコスモスだが、ふと自分の横になにやら文字のようなものが浮かんでいることに気づいた。
淡く発光したその文字はコスモスが発言したことがそのまま書かれている。
(これは便利だわ)
便利だが不用意な発言は避けなければいけない。
「なにそれ気持ち悪い」
「お姉様! 精霊様は自分はここで見守っているだけでいいとおっしゃっているのにどうしてそんなことを言うのですか」
「えぇ、だって見てるだけで充分とか普通に考えて気持ち悪いでしょ。まぁ、私の美しさと可憐さは精霊の心さえ奪ってしまうのだからしょうがないけど」
美しい金髪をさらりと手で後ろへ流す仕草は様になっていて見とれてしまう。自分の美しさを自覚しそれを武器にしているのだから当然かもしれないが。
ふん、と肩をそびやかしている姿もコスモスからしてみれば可愛らしい。
「あんなことして、あんな目に遭ってるのにすごい精神力だわ」
「うっ」
「それで、私は夢の中のお茶会に招かれたの? それともこれは都合の良いただの夢?」
「さすがに精霊様も分かりませんか。私も気づけば本邸の自室にいていつもの生活を送っていたのです。ええ、その、家を出る前の」
「私も気づいたら自分の部屋にいてびっくりしたわ。でも、この家にいるのは私とユリアの二人だけなのよ」
ちらり、と窓から外を見れば穏やかな陽光に照らされた美しい庭が目に入った。精霊たちが庭のあちらこちらで楽しそうに踊っている。
しかし、ドリスの言う通り人影は見当たらなかった。
「不思議な空間ね。貴方達しかいないのに、とても穏やかで心地がいい」
「喜んでいただけて嬉しいです」
「いや、気持ち悪いでしょ。衣食住に困らない、空腹も感じないけど何かが欲しいと思えば大抵のものはポンと現れるんだもの」
「悪い感じはしないんだからいいでしょう?」
「はぁ。そんな性格だから利用されるのよ」
「お姉様に言われる筋合いはないと思うわ」
溜息をついて頭を軽く左右に振るドリスを見ながらユリアも言い返す。その鋭い言葉は事の外効いたようで、ドリスは動きを止めてしまった。
そんな姉を見てもユリアは動じもせず笑顔を浮かべてコスモスのために用意した席へ彼女を促す。
誘われるがまま着席したコスモスは小さく唸りながら眉を寄せて今にも泣きそうな顔をしているドリスを見つめた。
どうやら自分がやったことの重大さは自覚しているらしい。
「思ったよりもギスギスしてなくて良かった」
「ドリスお姉様が証持ちの私をそれほど羨んでたなんて知りませんでした。心配ばかりされていたので」
「そ、それも嘘じゃないわ」
「欲しいなら差し上げたいくらいですわ。移植ができるならばすぐにでも」
「別に本当に欲しいわけじゃないし……」
「証持ちはいずれは鉱山のために死ぬ運命ですものね。歴代証持ちの不審死も調べなければ分かりませんでしたけど、証拠隠滅していないのですから一体お母様が何を考えているのか分かりません」
「そんなの簡単じゃない。貴方をできるだけ遠くにやって、穏やかに暮らして欲しいのよ」
行儀悪く頬杖をつきながらドリスは妹を見上げる。背筋を伸ばして見つめてくる緑色の瞳は彼女と良く似ているが明るさが違う。
ユリアは濃い緑であるのに対して、ドリスの瞳は薄い。
「移植も無理、証が出た部分を切除しようとも他の箇所に現れるだけ。月石鉱山があるからこそのリーランド家だというのに、久々に出現した証持ちが行方不明だなんてお先真っ暗ではありませんか」
「大したことじゃないわ。お母様もアラディア姉様もそうおっしゃっていたでしょう? 月石鉱山は象徴的なものであり、それで稼いでいるわけじゃないわ。もし月石鉱山がなくなっても破滅なんてしない」
「けれど、月石鉱山があるからこそ微妙なバランスを保っているようなものでしょう?」
「そんなのもどうとでもなるわ。国にしろ、教会にしろ昔のように己の私服を肥やそうとする輩ならともかく、今は象徴的な役割しか求めていないもの」
(つまり、月石鉱山で採取される魔石は大して必要とされていないということ? それよりも神が一時的にいたということの方が重要ってことかしら)
月石鉱山で採取される鉱石はそのほとんどが国と教会に収められ流通することはない。アラディアが小さな鉱石を持っていたがそれは管理するリーランド家だからこそ所持できるものなのだろう。
「そうだとしたら、証持ちの存在はただ祭儀をするだけのものですか? ただ、祭儀をするためだけにこんなリスクを背負わなければいけないの?」
証持ちに選ばれたことは誉れである。
神からの祝福を賜ったありがたいことなのだ。
そう教えられてきたことは一体何だったのかと呟くユリアに、ドリスも返す言葉はない。恐らくリーランド家の者ならば誰でも知っている教えなのだろう。
「強すぎる祝福は呪いになってしまう、ってことよね」
「……強すぎる祝福」
「あぁ、そう。そうね。そうだわ。精霊様がその祝福を受けてくだされば一番良いのだけど」
ぼんやりとしたように空中に書かれる文字を読んで口にするユリア。
ドリスは小さく笑いながら何度も頷いて、愛らしいと評判の笑顔を浮かべコスモスを見つめた。
ぼんやりとした人の輪郭しか分からないけれど、不思議な精霊がちゃんとそこにいるのは分かっている。
「そうしたところで今後リーランド家に証持ちが現れないとは限らないけど、今さえ良ければいいってこと?」
「っ!」
「それは……」
コスモスとしては単純な疑問であった。
今の苦しみから逃れられるのであれば押し付けられるものに押し付けたいと思うのは普通だ。
仮にユリアの証をコスモスが受け入れられたとして、ユリアの結晶化が治るとは限らない。
証が消えたと同時に木端微塵に消滅ということもありえるのだ。そこまでして、証を剥がしたいというのならコスモスも協力してもいいかなと思うが彼女の家族を思うと安易に引き受けるわけにもいかない。
(私のリスクなんてどうとでもなりそうだものね。そう考えている自分が一番危ないのは分かってるつもりだけど)
「そうね。先延ばしにするだけの可能性が高いわね。高位精霊に証を押し付けましたなんて知ったらお母様倒れそうだもの。国や教会に知れても面倒なことになるわね」
「そんなこと、するつもりはありません」
「貴方の幸せを祈らせてください。あぁ、可愛そうな貴方。貴方の悲しみや辛さは私が必ず癒して差し上げます」
「なにそれ?」
突然ドリスが芝居じみたセリフを告げてゆっくりと胸元で両手を組み合わせる。祈りの言葉を呟きながらユリアを見つめるが彼女は怪訝そうな顔をするばかり。
コスモスはそう口にして首を傾げたがすぐに思い当たって「修道女」と呟いた。
「修道女、ですか?」
「そっか。ユリアは知らないか。それなら良かったわ。変に匂わせるから心配だったけど、良かった」
「……ドリスは修道女と仲良くしていたけど、ユリアには接触していなかったってこと?」
「私、特に親しい修道女はおりませんが、似たような言葉ならドリスお姉様に言われましたわ」
例の修道女はてっきりリーランド家に出入りしていたとばかり思っていたが、そうでもないのだろうか。
それとも、人の出入りが多くて接触する機会があまりないということなのか。
コスモスがそう考えていると、ユリアが小さく息を吐いて姉を見つめていた。見つめられたドリスはふい、と目を逸らして黙る。
「それも毎日のように。私の味方は自分だけ。これだけ心配して身を案じているのは家族の中で自分だけだと丁寧に何度も繰り返され、刷り込まれ心の隙を突かれてこうなってしまったわけですわ。いくら証持ちになって精神的に不安定になっていたとはいえ、情けない」
「あー、ドリスが修道女の役目をしていたようなものなのね。ドリスは自分の意思でユリアを追い詰めたの?」
「はぁ!? 追い詰めたって何よ! 私は本当にユリアのことを心配して……」
歯に衣着せぬコスモスの言葉にドリスが怒って立ち上がる。ガタンと音を立てて椅子が倒れ、カップが揺れて中に入っていたお茶がテーブルクロスを汚した。
「心配して、ねぇ。私のことを悪いやつだって遠ざけて最悪の結果にしたのは誰? ユリアが結晶化する原因を作ったのは誰? 証を持つ者は最終的に結晶化して死ぬの貴方は知っていたんじゃない?」
自分でも酷いとは思うがコスモスは気にせずそう続ける。夢か現か分からない世界の中、今はこうして対話ができない二人と話せているのだ。
この世界で彼女達が死ぬということはまずないだろう、と思いながら悔しさに歯を食いしばるドリスを見つめた。
止めに入るかと思っていたユリアはじっとコスモスと姉のやり取りを見ている。
「私よ! そうよ、全部私が悪いのよ! だって、ユリアが証持ちになるなり皆ユリアのことばかり気にかけるんだもの!」
「子供か」
「ちょっと意地悪しようと思っていただけよ。命まで取ろうとか危険な目に遭わせようなんて……思ってなかったもの」
「はぁ。これだから自分が常に一番可愛がられてチヤホヤされていないと気がすまないタイプは面倒なのよね」
「まぁ、精霊様ったらその通りですわ」
次第に小さくなっていくドリスの声を聞きながらコスモスは思っていたことをそのまま口にする。それは文字となって宙に書かれ、読んだユリアがうふふと笑って口元に手を当てた。
「お姉様はそれしかないものですから」
「ユリアも案外ひどいよね」
「そんなことありません」
にっこりとした笑顔を向けられてはそれ以上何も言えない。コスモスと妹から好き放題言われているドリスは目を潤ませて今にも泣いてしまいそうだったが、倒れた椅子を蹴り飛ばすと部屋のドアに向かって駆け出した。
「もう、出ていってやるわ!」
「お姉様……」
「あ、ちょっと言い過ぎたよね。謝ってくるか」
「いえ、大丈夫ですわ。そのうち戻ってきますから」
ふらり、とコスモスが立ち上がろうとするとユリアは静かにそれを制して笑う。妙に落ち着いている彼女の言葉にこういうことは何度も繰り返されたのだろうかとコスモスは座りなおした。
「ちょっとー! 本当にここどうなってるのよ! 屋敷外には出られないし、部屋にいても誰も来なくて寂しいし! 何なのよっ! 迎えに来なさいよ!」
「寂しいんだ」
「結局ああやって戻ってくるのですわ。最初は迎えに行きましたけど、何度も繰り返されると面倒になってしまって」
「いいと思います」
「よくないっ!」
二人を見ていると姉妹の立場が逆転しているように見える。歳が近しいからそう思うのかもしれないが。
バン、と強い力で開け放たれた扉は壊れることもなくドリスの蹴りを受け止める。一応良家の子女なのだからもっとお行儀良くと思ったコスモスだったが、ここではドリスの本性が見れて面白いといえば面白い。
ユリアは慣れた様子でそれを受け流している。
「ここのものは、壊れてもすぐに元通りになるので便利です。お姉様が癇癪を起こして物に当たったところで痛くも痒くもありませんわ。当たりそうになっても弾き返せますし」
「それはあなたが鍛えすぎなのよ!」
「生きていくためには必要ですので。証持ちになって以来、いつも以上に生命の危機に晒されていますし。現に今はもう結晶化してしまって死んだようなものですから」
「うっ」
淡々と告げるユリアの言葉に感情のまま気持ちをぶつけていたドリスは何も言えなくなる。最終的にこうなるのだからもう少し大人しくしていたほうがいいのにと思うコスモスだったが、ドリスの性格上それは無理なのだろう。
もっと早くこうなれば良かったのにと思うも、あんな結果になってしまったからこそこうなったのかと思うとコスモスは複雑な気持ちになった。




