163 計算外
アラディアの屋敷に戻り、宛がわれていた部屋に入ると先客がいた。
それに気づいたコスモスだが驚いたのは一瞬ですぐにベッドへと向かう。座り心地のよいソファーでも良いのだが、そのまま寝てしまいそうな気がしたのだ。
にこやかな笑顔でその様子を見ていた人物はゆったりとした動作でコスモス達を労う言葉をかけると、当然のようにコスモスを捕まえた。
「……」
「あっ」
「お疲れ様でした。私のいない間、御息女を守っていただいてありがとうございます」
「当然のことだ。礼には及ばん」
捕まえられたコスモスは無言だが、背後にいたアルズが声を上げ眉を寄せる。
視線を合わせてバチバチと牽制し合う二人をよそに、アジュールは欠伸をしながらベッド近くのラグの上に横になった。
部屋に入ってきてから無言のままのコスモスは溜息をついてトシュテンの手からすり抜けると、ベッドへ向かった。風の精霊の力を借りてクッションを座りやすいよう整えれば、サッとアルズが手伝う。
慣れた手つきでコスモスが座りやすいように配置すると、次は素早くお茶の準備をし始めた。
ぺろぺろ、と丁寧に毛繕いをしているアジュールは深い溜息をつく主に向かって口を開いた。
「だからここは大丈夫だと言っただろう?」
「アジュール、説明」
「そう怒るな。あの男が黙っていろとうるさくてな」
「貴方の主は誰だったかしら?」
椅子を持ってベッド近くに腰を降ろした男を見ることなく、コスモスはわざとらしくそう問いかける。じっと彼女を見つめていたアジュールは溜息をついて、じろりと椅子に座るトシュテンを睨んだ。
面倒なことをするのが嫌なのだろうが彼の主であるコスモスは自分を見つめたまま動かない。その視線が溜息と共にトシュテンへ移る前にアジュールはゆっくりと目を伏せた。
「馬車で襲われてから私がマスターと合流するまで、この男の行動は伏せておくことにした。その方が動きやすいからな」
「裏で動いてたってことですね。まぁ、僕も人のこと言えませんけど」
トレイに人数分のお茶を持ってきたアルズはそう告げてコスモスにカップを手渡す。久々に人型になったコスモスは礼を言って受け取るとカップの中身を一気に飲み干した。
「私は餌か」
「そんなことはありません。御息女が動いてくださったからこそ、最悪の事態にならずに済んだのですから」
「わー、胡散臭いですね。面の皮が厚いって言うか……って、これも人のこと言えませんね。えへへ」
思ったことを素直に口に出してしまうアルズが心配になったコスモスだが、これはわざとかと気づいてお茶のお代わりをもらう。
椅子に座りカップに口をつけたトシュテンは、にこりと微笑んで返した。
「アジュール殿からお話は伺っておりますよ。私のことも御存知かとは思いますが自己紹介を……」
「あ、大丈夫です。分かってるので」
(そこは分かっていても聞くのが礼儀じゃないの?)
一応師である自分の立場さえ危ないと焦るコスモスだが、ニコニコしているアルズはそれに気づく様子もない。コスモスの反応にトシュテンは笑顔で気にしていないと告げた。
彼女の頭の中ではエステルが楽しそうに笑い声を上げている。
「先ほどアラディア様からもお話がありました通り、ユリア嬢は無事です。ドリス嬢も一命は取り留めましたが意識は戻りません。恐らく難しいでしょうね」
「そっか。相手の狙いは本当にユリアだと思う?」
「……狙いの一つなのは確かでしょうね。」
「他は?」
「推測の域を出ませんが、恐らくドリス嬢かと」
ユリアが狙われるのは月石鉱山の証を持つものだからだろう。完全に自我を失ったわけではないというのも重要なポイントだろうとエステルが告げる。
その言葉に頷いてコスモスは首を傾げた。
「ドリスが?」
「ええ。負の感情に染まった彼女の生体エネルギーを生きながら喰らい、その魂を取り込むのも目的だったようですよ」
「相手が喋ったんですか?」
「ええ、その通りです。彼女は想像したよりも愚かでしたね」
その彼女が旅の修道女を指すのだということは、説明してもらわなくとも分かる。もっと狡猾な女狐のような性格だろうと想像していたコスモスも不思議そうに眉を寄せた。
それを察したかのように隣に座るアルズも小さく頷く。
「罠ではなく?」
「違いますね。あれはただの狂信者です。妄信するが故に視野が狭く、頼んでもいないのに色々と話してくれました。まぁ、同業者のよしみだと思ったのでしょうね。私が改宗などするわけないのですが」
穏やかな口調で話すトシュテンだったが、彼が静かに怒っているのだということはコスモスにも分かった。誰よりも何よりも神やマザーを敬愛し、不祥事を起こすのではないかと娘のお目付け役までやっているくらいだ。
本当なら自分に対しても思うところはあるんだろうなとコスモスは小さく震えた。
最初はアジュールがいればどうとでもなるから、一人増えたところで適当にあしらえるだろう程度に思っていた。
だが、今は怖い。
『これ、そのうち私も消されるんじゃないですかね』
『ん? 何故だ? マザーの娘であるお主のことは丁重に扱ってるだろう?』
『本心では認めてないかもしれないって話です。マザーの娘らしくないですからね』
『それはそうだが、仕方ないだろう。それに、マザーがお主を娘として認めているなら他に誰が異を唱えると言うのだ。そうしたところで笑顔のマザーに沈黙させられて終わるぞ』
『えっ、そこまで?』
『お主はいまいちピンときていないようだがな。マザーが娘として認めた以上はそういうことだ』
だからトシュテンもそれを疑問に思うことなくコスモスをマザーの娘として扱っているということだろうか。結構雑な扱いをされていたりするような気がすると思えば、同意するように管理人がゆっくりと頷いた。
二人共何故か笑顔のまま古代武器を持っているが、理由が分からずコスモスは眉を寄せた。
慌てるエステルを無視してコスモスはトシュテンへ視線を向ける。それに気づいた彼はにっこりと綺麗に笑った。
アルズも笑顔が可愛いが、トシュテンの場合は綺麗に入るのだろう。
(笑顔の裏で何考えてるのか相変わらず分からないわね)
「喰らうとしても、その例の修道女がですか?」
「残念ですがそこまでは分かりませんでした。当初の目的はユリア嬢とドリス嬢を奪取することのみだったようなので」
「あの女が瀕死になったのは計算外だったということか」
「だったら、本来は魔獣化したデニスが喰らう予定だったのでしょうね」
アルズの言葉にコスモスは頷く。
確かにそれならデニスがあの場で魔獣化したことの理由にもなりそうだ。本来なら鉱山内におびき寄せたところで喰らうつもりだったのだろう。
しかし、ギュンターを庇ってドリスが負傷し瀕死になってしまったところで計画が崩れた。
「丁度良く瀕死になったのだからその場で喰らえば良かったものの、失敗した。それにそこに第三者も現れた」
「リーランド家当主に雇われた賞金稼ぎの親子ね。今思えば彼らに追い立てられて鉱山に逃げ込んだようにも思えるけど」
「その通りだと思いますよ。その場で喰らうチャンスがあったのに、邪魔されて鉱山内に逃げ込んでボコボコにされたんでしょうね」
「鉱山内には何か仕掛けのようなものはありましたか? 何か、気づいたことは?」
トシュテンに聞かれてコスモスは首を傾げる。アジュールとアルズの二人も揃って首を傾げそんなものはあったかと呟いていた。
ドリスが倒れた時にコスモスたちはその場にはいなかった。こんな場所で遭遇するはずがないだろうと油断していたのが悪い。
まさかこちらの動きを読まれて待ち構えていたとは思わなかったのだ。
だからこそドリスと一緒にいたギュンターが襲撃され、それを庇ってドリスは倒れた。
コスモス達が駆けつけた時には血だらけのドリスを抱えているギュンターが取り乱している姿があり、コスモスはエステルの助けを借りてなんとかドリスの命を繋いだのだ。
満足な治療ではなかったが、最低限できるだけのことをしてデニスが逃げた鉱山内へと向かった。
「詳細はあの親子に聞けば分かると思うけど、話してくれるかな」
「依頼で動いていたわけだからな。依頼者はリーランド家当主だ。アラディアは娘とはいえ、依頼者ではないから契約上何も言えないと言われる可能性は高い」
「ちらりと見かけましたが、どちらも相当な手練のようですね」
大変な出来事があって皆疲れているのでゆっくり休んでくれとすぐにそれぞれの部屋へ案内されたのだ。恐らく詳しいことは明日なのだろう。
トシュテンもこの屋敷で修道女を迎撃したのだから疲れているはずだろうに、そんな様子は一切無い。
そう言えばとコスモスはアジュールとアルズを見る。
アジュールは魔獣だから除外するとして、アルズのタフさにも驚かされる。獣人は基本的に人間よりも頑丈で体力もあり、身体能力も高いのだということは知っていた。
もちろん、獣人にも個人差はあるが華奢なアルズは今回あまり活躍できなかったことを残念に思っていたのだ。
「アジュール殿の言う通りですが、恐らく大丈夫だと思いますよ。今回の情報は共有しなければリーランド家としても危ういですからね」
「お取り潰し?」
「いえいえ、そうではありませんよ。今回の中心は月石鉱山ですからね。女王と教会も黙ってはいないでしょう。そしてそれを予想できない当主ではないはずですから」
今回の事件の中心には月石鉱山がある。
貴重な魔石が採取できるが、証持ちでなければ入ることは不可能。
内部も石も厳重に管理されて無断持ち出しなどできないだろう。
周囲に散らばる結晶化した生物の成れの果てを思い出しながら、コスモスはそのうち指名手配でもされるのではと不安になった。
きちんと管理しているなら、当然コスモスが持ち出してノアに渡した鉱石のことも知っているだろう。
証持ちがいないも同然な現状では確かめようが無いというだけだ。
『もしかして、狙っていたのは私が持ち出した鉱石でしょうか』
『そうかもしれんな。あれだけの魔石はそう多くない。貴重だが力も強く、扱える者も限られる』
『月石鉱山内で感じた嫌な気配もあの石を狙っていたのかもしれない?』
『証持ちでなければ出入りできないあの場所に入り込んだくらいだ。いくら結界が薄まる時期を狙ったとしても相当な実力者でなければ無理だろう』
『ということは、オールソン氏に撃退されてしまった修道女は違うってことですね』
『そうだな』
言っておきながら酷いと思ったが、すんなりエステルが同意したのであの時感じた嫌な気配は修道女より上の実力を持つとみて間違いないだろう。
エステルの言う通り結界が薄まる時期を狙ったとしても入れる時点でおかしいのだ。
それならユリアを誘拐して連れて行くほうがまだ楽である。
「色々あってお疲れでしょうから御息女はもうお休みください」
「え? あ、あぁうん」
エステルと話しながら考えていただけなのだがコスモスがぼんやりとしている様子を見て疲れていると思ったのだろう。空になったカップはアルズに回収され彼はベッドから降りると彼女が寝るための準備を始める。
ベッド下で伏せていたアジュールは目を伏せたまま尻尾を軽く動かして口を開く。
「眠れずとも目を瞑ってそこでゴロゴロしているといい。明日はまた何があるか分からんからな」
「嫌なこと言わないでよ」
「ふふふ。御心配なさらずとも、何かありましたら私が対処いたしますよ」
「あっ、その前に僕がサックリやっちゃうので大丈夫です」
笑顔が綺麗な神官と笑顔が可愛らしい弟子の言葉は心強いが怖い。
その前に処理する、とでも言いたげな赤い瞳と目が合ってコスモスは苦笑した。




