161 赤に焦がれる
お気に入りの黄色いドレスはよく似合っていると周囲からも評判のものだ。シンプルなデザインで自分の可憐さを引き立ててくれる。
これを着ている時は必ず幸運が訪れた。だから、ここぞという時は必ずこのドレスを着るようにしていた。
デザインは流行のものではないが、いつ着ても色褪せることはない定番のものである。
我儘を言って家から持ってきてもらったこのドレスさえあれば、これからのことなんて怖くはない。
ドリスにとっては自分を奮い立たせるラッキーアイテムだった。
そんなお気に入りのドレスが汚れてしまう。黄色と白に落ちる赤は目に毒々しくて思わず彼女は笑ってしまった。
「ドリス!」
遠くでギュンターが自分を呼ぶ声が聞こえると、ドリスはそのまま体を震わせて笑い始める。
(久々に聞いたわ、あいつのこんな声。懐かしい)
燃えるように熱くなっていく体を抱きとめるギュンターを見上げ、ドリスは笑った。顔を合わせれば悪態をつき、乙女心など微塵も分からず色々な女に手を出す元婚約者。
それでもドリスは素を見せても怯まないこの男のことを好ましく思っていた。
恋というよりは友情。異性間に友情が発生しないならば、同士のようなそんな関係。
「うるさいわね。鼓膜が破れる」
「しっかりしろ! 何であんな馬鹿な真似をした」
白い手についた赤い血。自分にもちゃんと赤い血が流れているのかなんて思いながらドリスは溜息をつく。
ドレスや小物を選ぶ時は必ず赤以外を選んでいた。それは、無意識なのかどうなのかは本人も分かっていない。
ただ、姉の鉱山で採掘された綺麗な赤い宝石は一目惚れして何度もねだって譲ってもらったほどだ。
ペンダントに加工されたその宝石は、宝石箱の一番奥に眠っている。
たまに取り出しては眺めて愚痴を言ったりする。そう、そこに誰かがいるかのように。
「なんでって、いいタイミングだったでしょ? ベストじゃない」
餌にするって言ってたじゃないとドリスが言えばギュンターの顔が歪む。
彼らが本気でそうするつもりじゃなかったことは彼女もよく分かっている。ただの冗談だというのに笑うことすらできないのか、とドリスは息を吐いた。
ゲホゲホ、と咳き込んで彼の衣服を汚す。
その頬にも自分の血が飛び散って眉を寄せれば、彼は汚れることも厭わずしっかりとドリスを抱えなおした。
「褒めるわけないだろ。だから置いてくれば良かったんだ」
「ユリアにね、悪いことしちゃった。私のくだらない嫉妬で、あんなことになるなんて、ゴホッ、思ってなかったけど」
「もう喋るな。止血をするから黙ってろ」
「分かってる。もう、分かってる。ここが、私の運命だって」
正直ドリスも死にたくはない。けれど、頭で考えるより先に体が動いてしまったのだからしょうがない。
妹を嫉妬で結晶化させた悪い姉の末路は、元婚約者を庇っての死など笑えるではないか。
これはまた姉に怒られてしまうなとその姿を思い浮かべ、必死に止血をするギュンターを見つめる。
お気に入りの黄色いドレスに赤いシミが広がり、修復は不可能だろうと思った。どうせ捨てられるのだろうから一緒に葬ってくれとドリスが呟けば「馬鹿!」と怒られた。
(なにを必死になってるのよ。ばかみたい)
そんなに必死にしたところで何の意味もないのにと思うが、力がなくて言葉にできない。
過去の懐かしい出来事が一瞬のように目の前を通り過ぎていく感覚に、死が近いのだと彼女は悟った。
(くだらないけど、私らしい中途半端な終わり方だわ)
ぼやける視界に映るユリアの顔が心配そうに自分を見つめていて、ドリスは泣きそうになってしまった。
(私が悪いんだから、貴方がそんな顔することないの。寧ろ、恨まれて当然なんだから)
ああなるなんて知らなかった。知っていたらやっていなかった。
自分が代われたらいいのに、なんて思ったところで遅いのは分かっている。
体が冷えていくのを感じながら自分を呼ぶ声を遠くに感じ、ドリスは目を閉じた。
一度訪れたことのある鉱山内だが油断は禁物だ。
と言ってもこの場に油断するようなものはコスモスくらいしかいないのだが。
ふわふわ、と浮いたまま先導するアジュールについて彼らが待つであろう場所へと向かう。
アルズも得意の獲物を手にしながらいつでも戦闘できるように警戒していた。しかし表情や口調はいつもと変わらないので場慣れしていることを嫌でも感じさせる。
彼の判断だろうが自分にも責任があるのか、と思っていたコスモスは自惚れるなよとエステルに怒られてシュンとした。
「マスター大丈夫か?」
「うん。心配ないわ。元気です」
「これから戦闘になると思うので、マスターは安全なところに避難しててくださいね」
「それなりに頑張ります」
「大丈夫ですって。サクッとやりますから」
口調は軽いが頼もしい。
本当にサクサクしてくれそうだと、アルズの頼りがいのある姿にコスモスはちょっと泣きそうになった。
『育てた弟子が立派になって泣ける気持ちは分かるが後にしろ』
『分かってますって。私もただ見てるだけじゃ駄目なのも分かってます』
『ほぉ。まぁ、無理はするな。何かあればサポートくらいはしてやろう』
軽口を叩きあいながらのんびりとした空気が続けばいいのだがそうもいかないだろう。
気持ちを切り替えなければいけないのに、いまいちなコスモスを察してかエステルがそう言ってくる。
なんだかんだ言いながら最終的に助けてくれるのは知っているので、コスモスもそれをつつくような真似はしない。
『まるで、何かあるようなこと言わないでくださいよ』
『ないわけないだろうに』
『意外な展開だと助かるんですけどね。既に倒されてたとか』
『あぁ、そっちか』
それはそれで気落ちするのにそうであったらいいなという希望は消えない。自分がもっと戦闘狂だったら少しは楽になれたんだろうかと思いつつ、対峙するだろう人物を思い浮かべる。
ギュンターから渡された資料に二人の写真もあったので助かった。
『デニス・コルダは青色短髪に青目の男。ギュンターより能力が高いと思っているようだがこの資料を読む限りでは平凡だな。口の上手さと外面の良さがあるとしても、特に秀でているというわけではないか』
『修道女に関しては情報が少なすぎますね。旅する修道女ですがその評判は悪くないです。困っている人を助け、熱心に祈りを捧げる。派手な振る舞いはせず、慎ましやかに。あぁ、リーランド家にも立ち寄って祈りを捧げたと書いてありますね』
『一応、接点はあるということだな。しかし、こちらもまた普通の巡礼者としか思えんな』
胡散臭いが、と付け加えたエステルは面白くなさそうに溜息をついた。
コスモスも危ないのはデニスではなく修道女だと思っている。
情報が少ない上に嫌な感じがするからとしか言えないのが辛いが。
(レサンタのようになったら嫌だもの)
ふわり、と近づく土の精霊を纏わせたままコスモスはアジュールと同じ速度で階下に繋がる階段を下りていく。
その途中、ぺしりと彼の尻尾に叩かれてアルズに受け止められた。
「ちょっ!」
「静かにしろ。誰かいる」
「ですね」
「敵でしょ?」
ほぼ同時に動きを止めたアジュールとアルズは一瞬視線を交わして息を潜めた。
自分の声など聞こえていないだろうと思っているコスモスも、小さな声でそう尋ねるが答えはない。
静かに集中して前方を探ろうとすれば、地面を抉るような大きな音が聞こえて彼女は飛び上がりそうになった。
しっかりとアルズが抱いててくれなかったら天井を突き抜けていたことだろう。
「な、何?」
「探る」
「待機しますね」
動揺するコスモスをよそにアジュールとアルズはそう言ってそれぞれ行動し始めた。
アジュールはするりと物陰を抜けてこの先に広がる大きな空間へと移動したらしい。
彼なら何があっても大丈夫だろうと思いながらコスモスは自分を抱っこしているアルズを見上げる。
「マスターは僕と一緒に待機ですよ」
「うん」
「想像したより人数が多いなぁ。雑魚ってワケでもなさそうだし、ちょっと面倒」
「というより、デニスっぽいのはいるけど修道女っぽいのはいなくない?」
「分かるんだ?」
「一回会ったからね。なんとなく」
この先にいるのがデニスだけなら大して怖くは無いだろう。するりと抜け出すコスモスを慌ててアルズが追った。
淀んだ空気が充満しているそこには、人影が三つある。アジュールは彼らと距離を取りながらどうしたものかと悩んでいる様子だ。
「アジュール」
「待っていられなかったのか」
「いや、大丈夫だと思って」
「油断は身を滅ぼすぞ。マスターに何かあったら共倒れなのを忘れるな」
「はい」
溜息をつくがそこまで怒った様子ではないアジュールはふわふわと近づいてくるコスモスを見上げてから、視線を前に戻した。
地面に倒れている人物が一人。それを見下ろす人物が一人と、少し離れたところに小さな人影がある。
「あれー、倒れてるのデニスですね。うわ、これ先に手柄取られました? それとも口封じってやつです?」
白目を剥いて倒れている男はギュンターから貰った資料にある写真の男とは思えないほどボロボロだ。
この場にそぐわない口調でそう告げたアルズの言葉に反応したのは、そんなデニスを見下ろしている男だった。
「うーん、そうなるのかな。でもこっちも仕事だから悪く思わないでネ」
(軽い)
歳はレナードと同じくらいだろう。長身なのに猫背ぎみなのがもったいない。ふわふわとした髪は、鳥が巣でも作っていそうだと思いながらコスモスは男を探ろうとしてやめた。
『察してウインクとは、あの男やるな』
『ばれてますねー』
最近は相手に気取られずに視ることができるようになってきたコスモスだが、相手によっては気づかれることもある。
つまり、目の前の男はどこにでもいそうなただの中年男性だがその能力は高いと推測できるだろう。
「依頼主とか、教えていただけませんよねぇ?」
「それはねぇ。こっちも契約があるから、ちょっとねぇ」
「情報を引き出す前にこの有様とは残念だが、死んだわけではないのなら使い道はあるだろうな」
「はー、さっきもびっくりしたんだけど魔獣がお喋りするんだねー。凄いねぇ」
わざとらしいリアクションに驚く声。そう言えば獣人特有の耳と尻尾が見当たらない。魔法で隠しているだけだろうかとも思ったが、そうではなさそうだ。
(でも、ヒトとも違う匂いなのよね)
「こんな大きな精霊も初めて見たよ。凄いナァ。ゲットしちゃ……駄目だよねぇ」
「ハハハハ、駄目に決まってますって」
「だよねぇ」
乾いた笑いがその場に響き渡る。
目を鋭くさせるアルズが男を睨みつけるように警戒し、男は両手を上げて敵意がないことを告げる。
そんなことをしている間にアジュールはデニスを調べ終わったのかゆっくりとコスモスの元へと近づいてきた。
「愛娘のお土産にしようと思ったんだけど、残念だなぁ」
「かわいい娘さんのお土産は可愛い人形がいいんじゃないですかね」
「お人形遊びより宝石の方が喜ぶような子なんだよね」
おマセさんなんだから、と嬉しそうに呟く男の顔はとても幸せそうだ。愛娘を溺愛しているというのが分かる。
ざわざわしている土の精霊を不思議に思いながら、コスモスは離れた場所で様子を窺っていた人物がこちらに向かってくるのを見つめていた。
紫のローブを着た人物は小柄だが顔が分からない。
しかしアジュールが警戒しないところをみると敵ではないのだろう。アルズも一瞬身構えてすぐに解く。
「油売ってる場合なの? もう一人捕まえるわよ。仕事はまだ終わってないわ」
淡々とした口調で告げながら、その人物は溜息をついて階段へと向かう。その言葉をどこかで聞いたことがあったコスモスは首を傾げた。
(あれ? この声どこかで……)
「えっ、ちょ、ちょっと待って! 待って待って! 置いていかないでよー!」
コスモスの考えは情けない男の声で中断される。無言で男を置いていく小柄な人物は振り返りもせずにそのまま視界から消えていった。




