15 城内探検
疲れた体には甘いものがいいとは言うが、これほど食べられるとは自分でも驚きだとコスモスは目の前の菓子を頬張っていた。
生クリームなんて一口食べれば胸焼けがしていた頃が懐かしい。
こちらの世界に来てから味覚まで変わったのかと、見ただけで甘すぎると分かる菓子を彼女は御機嫌で食していた。
「シュークリームみたいな……うわ、中のクリーム激甘い。なのに食べられる不思議」
「いっぱい食べて、たくさん寝るなんて子供ねぇ」
「すみません。なんだかとてもお腹が空いてしまって」
人魂が美味しそうにケーキを食べる様を見ながら、マザーは口はどこにあるのかしらとコスモスを見つめていた。
一口大に切り分けたケーキは、人魂に吸い込まれるように消えている。
本人曰く普通に食べているだけだとのことだが、疲労しているコスモスはマザーの目にもただの人魂にしか見えなかった。
面白い対象には違いないとマザーは紅茶の入ったカップに口をつける。
「それにしても、あの蝶を食べたんですって? 悪食はお止めなさいね」
「後悔はしてますけど、無味無臭だったし大丈夫ですよ」
「お腹壊すわよ?」
「今のところ大丈夫です」
コスモスとて好きで食べたわけではない。
喚きながら蝶を振り払っていた際に、数匹が口の中に飛び込んでしまっただけだ。思わず飲み込んでしまってから顔を青くさせたが無味無臭だったのでいいことにした。
何かあったとしてもマザーがどうにかしてくれるんだろうとコスモスが言えば、溜息で返される。
「そろそろお菓子以外にしたら?」
「何でも大丈夫です!」
「……食べないという選択肢はないのね」
「エネルギー欲しいんですよね。こう、体が求めているというか」
カロリーがあれば満たされるかと思ったコスモスだが、そうでもなくて少しがっかりしてしまった。
胸焼けすることもなく、ただ美味しく食べられる今の状態は人であった時よりもいいかもしれないとさえ思ってしまう。
「あれだけ暴れたんだもの。枯渇して気絶してない方が不思議よ」
「そうですか?」
鬱陶しい蝶の対処と、倒れてしまったソフィーアの心配ばかりで自分の身はあまり気にしていなかったと呟くコスモス。
黙々と平らげていく娘の食べっぷりを見ながら、マザーは苦笑した。
「そう言えば、不安を煽っていた人はどうなりました?」
「それが、貴方が言っていたような人物はどこにもいなかったわ。混乱に乗じて逃げたのでしょうね」
「気絶していたのに?」
「……そうね」
蝶の弾丸を口の中にお見舞いして気絶した輩が一人でどこかに行くとは考えにくい。
言葉を濁してチョコレートを口に運ぶマザーを見ながら、コスモスは複数犯かと溜息をついた。
その人物たちが何をしたかったのかは分からないが、どうせろくでもないことに違いない。
「貴方が気にすることはないわ。きちんとこちらで処理します」
「はーい」
「それと、貴方がサンプルとしてくれたあの黒い蝶だけど、お陰で調査が捗りそうよ」
「それは良かった」
本物らしきものも一応持っていると見せたコスモスに、それを目にしたマザーは大切にしまって誰にも言うなと静かに告げた。
わざわざ標本を取り寄せてくれるからかと思ったコスモスは、言われた通りケサランの中にしまう。
精霊を道具袋代わりに使うなんて、と盛大な溜息ももらったがケサラン自身がいいと言っていると教えれば苦笑された。
「ただ、あまりにも完璧な保存状態だったものだからどんな方法で保管したのかとしつこく聞かれてしまったわ」
「大したことはしてないんですけどね。普通ですし」
「精霊の中にしまってました、なんて言っても頭がおかしいと思われるだけよ」
「事実なのに?」
「そんなことができる存在が稀だからよ、コスモス」
稀と言われてもピンとこないコスモスは、空になった皿を重ねて片付けやすいようにしていた。ちょうどそこに侍女がワゴンを押して入ってくる。
空腹を刺激する美味しそうな香りに頬を緩ませれば、テーブルに豪華な食事が並べられた。
一礼して出てゆく侍女を笑顔で見送ったマザーはどれから食べるべきか迷っているコスモスを見つめる。
「イストに役立たずと言われたそうね」
「ですね。事実ですから、しょうがないです。その通りですから」
「あら、思ったより傷ついていないのね」
「事実ですからね。彼は何よりも妹を大事にしていますし、その妹があんな目に遭ったら怒るのは当然でしょう」
正直ぐさり、と心に突き刺さる言葉だったがソフィーアが倒れた原因は自分にあるのだから仕方がないとコスモスは呟いた。
ソフィーアも彼女の家族も、マザーですらコスモスを慰めてくれる。
「姫に無茶させたら、守護精霊失格ですよ。寧ろ害悪なくらいです」
「あらあら、そう自分を責めてもどうしようもないわよ。貴方のお陰であの程度で済んだのでしょうし。ソフィーアも感謝こそすれ、恨んでなんかいないでしょう?」
「そりゃ、彼女はいい子ですからね。悪口なんて言わないと思います」
知らなかったから許されるわけではない。
そう呟いたコスモスだが、思ったよりも湿っぽくなっていないのを見てマザーは首を傾げる。
切り替えが早いのか、それとも所詮は違う世界の住人だからそれほど重要に思っていないのか。
心の内を知ることはできないが、鬱陶しく自分を責め続けられるよりはいいと彼女はコスモスを見つめた。
「で、これからどうします? とりあえず、儀式は終わりましたけど」
「うーん。そうねぇ」
コスモスの問いかけにマザーはテーブルに置いていた書類を手にして息を吐く。
彼女に関する途中経過が記されているものだが、相変わらず大した手がかりはないらしい。
簡単に元の世界に帰れると思っていたのが懐かしいと苦笑しながら、コスモスは白磁のティーポットからお茶を注いだ。
与えられた役目はとりあえず終えた。
マザーもこれ以上コスモスをソフィーアに縛り付けてはおかないだろう。
教会で前と同じようにのんびりと過ごして有力な情報が来るのならそれが一番の理想だ。
けれども儀式の最後に乱入した黒い蝶のお陰で自分の事は後回しだろうとコスモスも想像がつく。それは仕方が無いことで、何をおいても自分の事を優先しろと我儘を言うような性格ではない彼女はどうしたものかとマザーを見つめた。
「ごちそうさまでした。とりあえず、教会帰って寝ていいですか?」
「あ、そうだわ。情報収集自分でしてきなさいな」
「は!?」
「貴方人魂でしょう? どこでもすり抜けられるし、最適じゃない」
教会の責任者をしている人物が笑いながら言う事じゃないだろうとコスモスは心の中で突っ込みを入れる。本当にこの人物を信用して大丈夫だろうかと不安になりながら香り高いお茶を飲んだ。
教会で飲んでいるお茶とはまた違う香りと味に、コスモスは「ほぅ」と息を吐く。
「何を言ってるか分かってます? 教会の責任者ともあろう人物が、機密の眠る城内を好きに探索してこいだなんて」
「あら、だってコスモスなら大丈夫だと思って」
「異世界の人魂を安易に信用していいんですかねぇ」
「大丈夫よ。万が一があっても、この私がいるんですもの」
穏やかな声でにっこりと微笑むマザーが一瞬恐ろしく見えて、コスモスはぶるりと身を震わせた。
余裕綽々の様子で優雅にお茶を飲む姿は、貫禄を感じさせる。
自分がどこにいて何をしていても、彼女には筒抜けなのだろうなと感じたコスモスは小さく溜息をついた。
「そうですね。マザーに監視されてるなら、何しても平気ですね」
「あら、人聞きの悪い」
うふふふ、と楽しそうに笑うマザーの声を聞きながらコスモスは肉の塊を口に入れた。
監視つきの城内探索とはただのスパイではないのか。
元の世界に戻る前に消滅なんてしたくない、と思いながらコスモスは長い廊下を歩いていた。
マザーにからかわれただけだと分かっているが、悪いことをしているような気分になってしまう。
気にせず楽しんで探検してきなさいと見送られたが、本当にいいんだろうかとコスモスは首を傾げた。
「まぁ、いっか。マザーがいいって言ったんだものね」
「キュル!」
どうせならミストラル城七不思議でも作ってやろうかと思いつつ、彼女は城内にいる人々を観察する。
霊的活力を見ながら強さを振り分け、危ないと感じる人物にはなるべく近づかないようにした。
「うーん。探検して来いと言われてもなぁ。城と言えば何? 流石に王様の部屋とか入るわけにはいかないだろうからそこは除外するとして……」
透明人間のようなものだとは言え、私生活を盗み見するような行為はしたくない。
プライベートに土足で侵入して得た情報なんて恐ろしすぎるとコスモスは体を震わせた。
今だって充分似たようなものだろうと言いたげなケサランを無視して彼女はパチンと指を鳴らす。
「あ、宝物庫とか? まぁ、結界とかで入れないだろうけど行ってみよう」
警報装置のようなものが作動してひどいことにならないのを祈るだけだとコスモスは歩く人々をすり抜けながらあちこち見て回っていた。
窓から見える手入れの行き届いた庭にも後で寄ることにして、ひとまず騒ぎのあった場所へと向かう。
「あらら、綺麗になってる」
ソフィーアがお披露目をしたバルコニーにやってきたコスモスは周囲を見回して感心したように息を吐いた。
あんな騒ぎがあったとは思えぬくらい、綺麗なっていて手がかりになるようなものは見つからなかった。
「何かあるかなと思ったんだけど、残念」
バルコニーから見える景色を眺めていたコスモスは活気付いている街の様子に目を細めた。
祭りのような賑やかな騒ぎがここまで聞こえてくる。観光客も未だ多く、人々は儀式の余韻を楽しむように騒いでいた。
悪い噂はすっかり無かったことのようになっていて、コスモスは安心する。
「はぁ、あんな事があったとは思えないくらいの落ち着きようでびっくりだわ」
それだけ国に対する信頼が厚いのか、それともソフィーアが愛されているのか。
どちらもかと思いながらコスモスは大広間へと戻った。
がらん、としたホールは広くここで舞踏会や演奏会が開かれるのだろう。本来ならばお披露目の後、ソワレもここで開かれるはずだった。
「ソフィーア姫の大々的な顔見せでもあったのに……」
あんなことが起こってしまって取りやめになったのは当然だ。
主役のソフィーアが気を失って倒れてしまい、会議後ほとんどの国賓が自国へと戻ってしまった。
前代未聞の事態にこの程度で済んだのがマシなくらいか、と呟いてコスモスは謁見の間へ移動する。
「……失礼しまーす」
ソフィーアが王妃からティアラを授けられた謁見の間は静かで誰もいない。
調度品や玉座を観察していたコスモスは、室内をぐるりと見回し大きく伸びをした。その時に目に入った天井画に大きく口を開けて感嘆の声を上げる。
触れられる美術館のようだと一人興奮するが、コスモスが何かに触れても全てすり抜けてしまう。
壊す心配がないからいいのだが、少し味気ない。
室内を一周すると扉の両脇に直立したまま微動だにしない兵士の前に立った。
「おい、何か……いないか?」
「は? 何を言ってるんだ? 誰もいないだろう。気を張り過ぎじゃないか?」
きょろきょろと周囲を見回す兵士の前に移動して、コスモスは彼をじっと見つめる。あえて触れずに至近距離で見つめるが目が合うことはない。
(こんな反応する人は他にもいるからなぁ)
彼女はそう心の中で呟いて残念そうに溜息をついた。
「いや……しかし」
「精霊か何かだろうさ」
「精霊、か。そうか、そうだな」
何故か納得したように頷いた兵士の前を通り過ぎ、誰か自分に気づく人物が誰かいないものかとコスモスは長い廊下を歩いていく。
何か面白いところは無いものかと迷路のような城内を適当に彷徨っていると、図書室らしい場所を見つけた。
「失礼しまーす」
謁見の間に入った時と同じように、コスモスは入室の際に挨拶を忘れない。これはマザーから言われた事を気をつけているせいでもあり、万が一誰か自分に気づく人物がいた場合に無作法者だと悪い印象を少しでも減らす為である。
もし、認識できる人がいれば当然声は聞こえているだろうし、その返事もあるはずだ。
マザーとソフィーア以外に自分の姿が分かる人がいるというのはコスモスにとって少し怖くもあり、楽しみでもあった。
「わぁ、図書室っていいなぁ。カビ臭いのとか、こういう場所に来ると何だかワクワクするのよねぇ」
文学少女というわけではないが、自分の知らない知識がたくさん眠っていると思うと妙に興奮してしまう。
コスモスは書架を埋め尽くす本を見回しながら、図書室内をぐるりと一回りしてみた。
集中すれば物に触れられるということは分かっていたので、目星をつけて本を読む。
しかし、彼女が欲しい情報は見つからなかった。
「はぁ、これも慣れなきゃいけないんだけど疲れる」
集中が長く続かないので休みながら本を読んでいたコスモスは、肩を叩きながら溜息をついた。
気を抜くと持っていた本を落としてしまうので読み終えた後の疲労感がひどい。
目を瞑って五分程度休んでいれば元気になるが、こんな調子では先が思いやられる。
「召喚に関すること、異世界、異世界人に関する本は……そう簡単にあるわけないか」
「キュル!」
「ん? 禁書? いや、まぁ確かにありそうだけどその辺に置いてあるわけないって」
ケサランと会話をしながら彼女は眉を寄せた。
そういう本が欲しいとマザーに言えば取り寄せてもらえそうだが、それはそれで面倒だとコスモスは小さく唸る。
「誰かー! 聞こえてたら、情報くださーい!」
大声で叫んでみるが、コスモスの声に反応する者はいない。
室内には結構な人がいるというのに一人も反応してくれず、彼女は寂しくなった。
予想はできていたが、裏切って欲しかったと呟く彼女にケサランが慰めるように鳴く。
「ありがと、ケサラン」
「キュル」
コスモスは熱心に読書をしたり本を探したりしている人たちを見ながら、その内の何人かが同じような服装をしている事に気づいた。
どこで見たのかと首を傾げながら会議のことを思い出す。
「あ、あれって研究所の人かな? あの副所長さんと似てるよね、着てる服」
「キュ、キュ」
ケサランに尋ねれば彼も肯定するように鳴く。
彼らは今必死に黒い蝶についての研究をしているはずだ。会議の場にいた切れ長美形も手伝うと言っていたなぁと思い返しながらコスモスは図書室を後にした。
「さて、事件現場、大広間、謁見の間、そして図書室が終わってここです」
「キュル」
「厳重な警備だとは思っていたけど、変に緊張するわね」
一番楽しみにしていたと言っても過言ではない場所を前に、コスモスは深呼吸を繰り返して興奮する己を落ち着けていた。
心なしか彼女の頭上にいるケサランもそわそわしている。
「キュル、キュル?」
「えー地下牢? 何か出そうで嫌だけど、行きたいの?」
「キュルー!」
「……分かった。宝物庫探索が終わって余裕があったらね」
できれば行きたくない場所だが、ケサランは行きたくてしかたがないようだ。しょうがないと溜息をついて了承した彼女にケサランは嬉しそうな声で鳴く。
「さて、入れるかな?」
謁見の間にいた兵士よりも屈強そうな兵士が数名大きな扉の前に配置されている。
意識を集中させれば、結界や罠も見えた。
下手に刺激してマザーに怒られるのは嫌なのでやめようとしたコスモスだが、ケサランが彼女の頭上から飛び出して扉へと向かって行ってしまう。
「あぁ、駄目だってケサラン!」
慌てて追いかけたコスモスは、扉の前でケサランを捕獲してホッとすると急いで周囲を見回した。
状況はここに来る前と何も変わってはいない。
兵士は決められた場所に立っており、軽く雑談をしている。
魔術による結界と罠も作動していない。
「あとでマザーに言っておこうか」
「キュル」
自分が人魂だから術が作動しなかったのか、それとも術自体が不良であり作動しない仕組みになっているのか。
マザーが城内にいながら後者は有り得ないだろうとコスモスは頭を掻いて宝物庫の中に入った。
恐らくあの人なら自分がここに来て中に入ることも想定済みだろうと思いながら。
強固な扉をすり抜けて内部に入ると、そこはまるで博物館のようだった。
目がチカチカするような色とりどりの宝石や鉱物の原石、存在感を放つ大量の金塊に眩暈がしそうになる。ふらふら、と金塊に引き寄せられるコスモスを頭上で飛び跳ねるケサランが制した。
「あ、ごめん。見たことない黄金と宝石を前にしてどうにかしてたわ」
金塊をペタペタ触っていたコスモスは、ケサランの声を聞きながら頬ずりを始める。こんなベッドで寝てみたいと呟いた彼女は、宝石を見つめて溜息をついた。
「原石だけど綺麗だなぁ。宝飾系は別の場所か」
「キュル」
加工される前もどうしてこんなに美しいのかと呟きながら、彼女は石を撫でる。この場所で眠ったらとてもいい夢が見られそうだと頬を緩ませていると、ケサランは彼女から離れ室内にいた精霊たちと話し始めた。
「はぁ、幸せ。出る前にまた寄ろう」
やっと立ち上がったコスモスが次に向かったのは装備品が飾られている場所だ。
その一角、床より一段高くなっている場所にあるものを見つけて首を傾げた。
「んん?」
他と同じように装備品が飾られているのだが、全てボロボロで艶もなく、お世辞にも綺麗とは言いがたい。しかし、特別大事にされているのは見て分かった。
石盤に填められているプレートには“勇者が身に着けていた装備品の数々”と書かれている。
透明なガラスケースに入れられ丁寧に保存されているが、どう見てもありがたそうな物には見えなかった。防御力も高いとは思えないし、何かの加護があるようにも思えない。
「へぇ、勇者様ねぇ。この国にも勇者がいたんだ」
異世界からやってきた人だろうかと思っていると、何かを見つけたらしいケサランに頭を蹴られてコスモスはよろめいた。
ふらり、とバランスを崩したコスモスはそのまま壁にぶつかって、すり抜けてしまった。
「あー、もうケサラン!」
「キュル」
せっかく楽しく宝物庫を見学していたのに台無しだと彼女は呟きながら、強かに床へぶつけた体を起こす。ケサランに向かって軽く悪態をついてから、周囲を見回し首を傾げた。
「ん? 隣の部屋にしては何か違うな」
変なスイッチでも押してしまったかと心配したコスモスだが思い当たることはない。戻ってきたケサランに頭を蹴られ、バランスを崩して宝物庫の壁にぶつかった。
てっきり隣室か城外に出てしまったかと思っていただけに困惑してしまう。
「宝物庫の隣室が普通の部屋なわけないし、そもそもあの辺には宝物庫しかないから部屋があっても隠し部屋くらい?」
それにしては空気の流れが違いすぎる。
国が違うような、そんな違いだと上手く説明できないもどかしさに唸っていたコスモスは床を転がるケサランを頭上に乗せた。
「隠し部屋か」
見つけてはいけないものを見つけてしまったのかと思いながらコスモスが振り返れば、そこにあったのは大きな絵画。
絵画の裏に隠し扉があるのかと思って見れば、そこには姿見が隠されるように存在していた。
「ん? この鏡って確か宝物庫にもあったやつよね」
金縁の鏡は楕円形の姿見のようで、高そうな年代物だ。その表面は曇っており何も映らない。
宝物庫の装備品近く、コスモスがぶつかった壁の近くに置かれていた姿見も同じように汚れていて何も映らなかった。
「同じものってことは、やっぱり隠し扉?」
鏡の金縁は綺麗な細工がしてあり、似たような細工がしてあった両陛下の玉座を思い返して首を傾げる。
宝物庫よりもすごい宝が隠されているんじゃないかとコスモスの胸は高鳴った。
ごくり、と唾を呑んで注意深く周囲を見回す。
「ちゃんと帰れる。危ない事はしない。でも、情報収集ですから」
言い訳を口にしながら彼女は漂う精霊の色が違うことに眉を寄せた。
宝物庫の隣室なら隠し部屋だとしても精霊は同じはず。
隠し部屋だからこそ違うのだろうかと思いながら、コスモスは精霊の様子を窺った。
「敵意はなし。攻撃意思もなし。助かった」
周囲に漂う精霊たちはコスモスの姿を見ても暴れたりせず、ふわふわとその辺に浮かんでいる。
安心しながらも彼女はゆっくりと移動を始める。
何が隠されているんだろうかとワクワクしながら室内を探すが何も見つからなかった。
「避難場所なのかな?」
この壁をすり抜ければ城外かとコスモスが頭を突っ込めば、そこは誰かの執務室のようだった。広い室内に大きな机と来客用のソファーが置かれている。
ワインレッドのカーテンは開かれており、机に向かって何かを書いているらしい人物は全く見たことがない。
「は!?」
思わず大声を上げてしまった彼女は慌てて頭を引っ込めると口に手を当てた。
暫くその場でじっとしながら様子を窺ったが、気づかれてはいない。つまり、自分を認識できていないのかと安心してコスモスはもう一度壁に頭を突っ込んだ。
「これは、隠し部屋じゃないわね。隠されてる気がしないもの」
仕事をしているらしい人物の背後の窓からは外の景色が見えるが、ミストラルとは違う感覚を受ける。国が違うのかと首を傾げ、頭を引っ込めたコスモスは万が一のためと頭上のケサランをその場に残すことにした。
最初は一緒に行きたいと言っていたケサランだったが、周囲にいる精霊が自分とは違う種類の仲間だと気づいて残ることを承諾する。
「危なかったらすぐに戻ってくるから」
「キュル」
これはもしかしたらいい機会なのかもしれない、とコスモスは壁をすり抜けて見知らぬ誰かの執務室にお邪魔することにした。
少しずつ距離をつめながら様子を窺うが、相手は仕事に集中している。
「綺麗な字だけど、見たことのない……。ミストラルとはまた別か」
その人物の歳は四十前後といったところだろうか。綺麗な白髪を後ろで一纏めにしてその頭には特徴的な角が生えている。
「渋いおじ様か」
眼鏡をかけた目元は涼やかで琥珀色の瞳が印象的だ。
ソフィーアの父親であるエルグラードも、王様も素敵なオジサマだがこちらもまた素敵なオジサマで目の保養になる。
瑠璃色のベストを身に着け特徴ある何かのエンブレムらしいループタイをしている彼はその身なりと雰囲気から高貴な身分である事が分かる。
「ふぅん。霊的活力は中の上。全体的な色味からすると、あの人に似てる気がするけどここはあの人の国なのかしら」
名前を覚えていない人物を思い浮かべながらコスモスは自分にとって何か有益な情報はないかと探していた。
何かを調べるにしても彼がいるのでは無理だろう。
窓の外に広がる景色はミストラルと全く違っていて、ここは違う国なのだと改めて思う。
「駄目か……」
せめて、彼が書いている文章が読めれば手がかりになるのかなと低く唸っていたコスモスは、特徴的な角を見つめて首を傾げた。
濃い紫色をしている角は、アンモナイトのように綺麗に巻かれている。
羊のようなその角に、変なもやもやがかかっているのが気になる。良いものではないと直感したコスモスだが、勝手に触ってもいいものかと悩んだ。
「無視してもいいけど気になる……よし。ちょっと触ってすぐに逃げる」
あとでマザーに怒られよう、と決めた彼女は大きく頷いてタイミングを見計らう。
「失礼します。ちょっとだけ失礼します」
そう言いながらそっと角に触った彼女は、モヤモヤを掴むと慌てて手を引っ込め距離を取った。ヒュと空気を切る音が聞こえて寿命が縮む。
目にも留まらぬ素早い動作で彼がコスモス目掛けナイフを投げつけてきた。
幸い人魂だったお陰でナイフはコスモスを貫通して壁に突き刺さっているが彼女にとっては恐怖だ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
ナイフをどこから取り出したのかも、そして投げた瞬間すら見えなかった彼女はガタガタと震えながら隅の方へと移動してゆく。
ゴミがついていたんです、と言い訳をする彼女の声が聞こえない男性はコスモスが触れた左角を押さえつつ目を鋭く細めると室内を見回した。
反対の手には指の間に挟むようにして数本のナイフが握られており、穏やかだった表情は険しいものへと変わっている。
上手く逃げられるだろうかと思いながらコスモスは急いで奥の部屋へと逃げた。
「わあぁ」
逃げるように慌てて飛び込んだ絵画の中でコスモスは顔面を何かに強打し床に転がった。
「……うう、またか」
もし鏡をすり抜けられなかったらどうしようと思ったがそんな心配は杞憂に終わり、無事に宝物庫へと戻ってこられた。
嬉しくてホッとしたが痛い。
「キュル!」
顔面にぶつかってきたらしいケサランは少々怒った様子で飛び跳ねていたが、今のコスモスに相手をする余裕はなかった。
強かにぶつけた鼻を摩りつつ、煩く纏わりついてきたケサランを軽く鏡へ向かって投げつければポヨンと跳ね返る。
「……モヤモヤは、字?」
固く握り締めていた右手を開いたコスモスはそこに掴んでいたモヤモヤが焼けるような音と共に消えるのを見て眉を寄せた。
遊ぶように転がっていたケサランは動きを止め、顔色が悪いコスモスを見つめる。
小さく鳴いた彼はそのまま静かに飛び上がると彼女の頭上に戻って慰めるように声をかけた。
「あぁ、ごめん。うん、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
「キュル」
「ん? 鏡はもう通れないのか。いいのか悪いのか分からないけど、しょうがない」
考えることがたくさんありすぎて頭がパンクしそうだ。
マザーに全て話すべきかと悩みながらコスモスは宝物庫を後にした。




