157 二人の管理人
『主が誰か、相手がどうやっても逆らえぬ存在だと知らしめるしかあるまい』
そうエステルに言われたものの、それが一番難しいのではないかとコスモスは首を傾げた。アラディアは部屋を浮遊し、加工された鉱石を眺めているコスモスを見てから再び椅子に座って仕事を続ける。
会話はできないものの、何かあったら言ってくださいねと声をかけてくれた。
(とりあえず主従関係をはっきりさせる、か)
アジュールは従属していると自分で言っているがその様子は普通の主従関係とは違う。もっとしっかり首輪をつけて従わせておくようにとエステルにも言われているがその通りだとコスモスは思った。
思ったが、いつも通りになってばかりだ。
アジュールがその気になればいつでも自分を切り捨てることができるのは自覚している。しかし、それだけの力をもった上で彼は自分に不利な契約を結びコスモスの手足となって動いてくれている。
攻守も、情報収集も、困ったときに頼るのも全て彼だ。
(少し、依存しすぎてるかな)
アジュールの目的は分からないが自分に害がないならそれでいい。今までそう思ってきたが、少し考えるべきかと悩んでいると綺麗な銀髪を持つ男女が恭しく礼をしてそのまま止まった。
楽にしてと告げればスッと顔を上げる。
『夢か現か分からなくなりそうですね』
『そのあたりの境界も覚えておいたほうがいいだろうな』
『覚えられるものですか?』
『経験を積むしかあるまい』
『えぇ』
『心配するな。お主は巻き込まれる運命らしいから、またあちらからやってくるだろう』
楽しそうに笑うエステルだが、彼女は仮にも神子と呼ばれる存在だ。未だどれくらいの力を有しているのかは知らないが、物騒な予言にしか聞こえずコスモスは顔を引き攣らせた。
『御安心ください。私達が御主人様のお力となりましょう』
『必要なことがありましたら、なんなりと』
『うわ、喋った』
『ふむ。飲み込みが早いのか、それとも他の理由か。どちらにせよこれで奴等はお主の中で定着した存在になった。』
良かったなと笑顔で言われるがコスモスとしては複雑だ。
情報の処理がしやすくなったと考えればいいか、と携帯端末に住むコンシェルジュを思い浮かべる。
(便利機能だと思えばいいわね)
冷静に考えると自分の想像の産物でしかないのだが、少しでも楽になるならありがたい。
エステルのお陰だなと思っていたコスモスだが、妙な気配に振り返る。
「……」
『どうした、コスモス』
『何でアラディアさんが、アレ持ってるんですかね。いや、リーランド家なら保管されててもおかしくないか』
『……ふぅむ。なるほど、確かにアレは月石鉱山の鉱物だな。大して興味がなかったわりにはよく覚えていたものだ』
アラディアが手に持ち眺めているのは掌の中に収まってしまうほどの小さな石だ。
なんの変哲もないただの石ころにしか見えないそれは、コスモスが月石鉱山内部から持ち出しノアに渡した鉱物と同じものだった。
少しだけ魔力を帯びた石。
アラディアがじっと見つめるその石を見ていたコスモスは、背筋が寒くなる。
石の内部に詰まっている魔力が渦を巻くように見えたのだ。
あの程度の小さな石ですらそのくらいの濃度がある。ということは、コスモスが鉱山から採取した石には比べ物にならないくらいの魔力が内包されていたのだろう。
魔力を帯びているくらいにしか思っていなかった自分に顔が引き攣った。
『私、よくあんなもの内部に入れて運んでたなぁ』
『お主に害はないから問題ないだろう。それとも、嫌な感じでもしたか?』
『いいえ、全く。でも、改めて視るとあんな小さな石ころなのに魔力が濃くて驚きました』
『だからこそ貴重なのだ。そして、誰もが欲しがる。何故、証持ちしか入れないのかは知らんが』
誰もが自由に出入りできるような状態になれば、必ず争いが起き血が流れるからだろうかとコスモスは考える。
しかしそれならば、証持ちを一人指名したところであまり変わりはなさそうだ。
『神のきまぐれ、ってやつですかね。どちらにせよ、耐性のない人があの中で長時間過ごすことは叶わないでしょうけど』
『誘拐、脅迫して鉱山内に入れたとしても結晶化して終わりだろうからのう』
『証持ちも耐性があるとはいえ、長時間留まれば結晶化してしまいますからね』
『昔は時間を決めて作業しておったのだろう。証持ちが望めば同伴者にかかる負荷も軽減されるはずだ』
『中和能力か』
鉱山内の高い魔力に蝕まれ、結晶化してしまう状態を和らげる能力が証持ちにはある。証持ちでなければ結界を通り抜けることは不可能なので、丁重に扱われるのも当然だろう。
漂う濃い魔力にすら気づかなかったコスモスは溜息をついた。空気が重苦しい程度に思っていただけなのにそんなことすら分からなかったとは情けないと。
エステルはコスモス自体がおかしいのだから気にするなと笑って言ってくれたが、それはそれで複雑な心境である。
『アラディアさんは大丈夫なんですかね。鉱石を持ってるだけでも影響ありそうですけど』
『影響があると分かっているから手袋をはめているのだろう。特殊加工された手袋だが、分かるか?』
『……気づきませんでした』
『視れば分かることだ。まぁ、なんでもかんでも視ていたら疲労も激しいがな』
確かに慧眼を使う時は、使うぞ、視るぞと気合を入れることが多い。自然に視ることができるようになるんだろうかとコスモスが悩んでいれば繰り返し使用して慣れるしかないとエステルに言われた。
(覚えることが多すぎる……)
切り替えをスムーズにできるように練習しなければいけないかと思うコスモスの頭の中で、管理人の二人がにこりと微笑んだ。
『サポートならお任せください』
『……サポート』
『任せれば良いと思うぞ。どちらにせよ、そやつらはお主の能力の一部だからな』
それもそうか、とコスモスは二人に任せることにした。自分でも把握していない能力を有効利用することができるならこれからもっと楽になれるだろう。
無事に帰還するための情報も探してくれるようにお願いすれば、二人の管理人はぺこりと頭を下げ了承する。
(はぁ、目の保養だわ。触れないし間近で見れないのが残念だけど)
人形のように綺麗な彼らを見ているだけで心が癒される。
ソフィーアと一緒にいたときもそんな風に癒されていたことが懐かしく思える。
右も左も知らない場所で、知らない人々ばかりの中優しく対応してくれたミストラルの人がいたからこそコスモスはこうしていられるのだ。
目覚めた場所がミストラルの教会で本当に良かったと思いながら、マザーにも感謝する。
『本当にお主は……運に恵まれたな』
『自覚してます。それがこれからも続くといいんですけど』
『神に近しいのはマザーだけではないぞ。神子たる私がついておるのだ。続かないわけがあるまい?』
確かにそれはその通りだ。ミストラルから離れ心細くなったコスモスだが、こうしてエステルという心強い味方ができた。
物知りな彼女の助言のお陰で助かったのは一度や二度ではない。
レサンタを離れれば彼女との縁も切れてしまうのだろうと思っていただけに嬉しかった。
「まぁ、精霊様もこれに興味がおありですか?」
「あります」
『言ったところで聞こえていないだろう』
それは分かっているが、アラディアはコスモスの声が聞こえなくとも彼女が近くに寄ってきて手元を見つめているのに気づいたのか石の説明をしてくれた。
エステルが教えてくれたことや本に記載されていたことと同じことを説明され、コスモスは一人うんうん頷く。
上下に揺れる球体を見て自分の話が通じていると確認したアラディアは、話を続ける。
「非常に魅力のある魔石ではありますが、未だ安定して加工ができない不思議な石でもあります。それ故に取り扱いには慎重にならなければいけません」
「失敗して負傷者が出たこともあったみたいだからなぁ」
「加工されたものを身に着けることができるのも、限られた者だけということになりますね。何故だか分かりますか?」
「うーん。魔力が濃いから耐性のない人には毒だからかなぁ」
そう言いながらコスモスは悩むように左右にゆっくりと揺れる。そんな動きでもどう思っているのかを察したらしいアラディアは小さく笑って口を開いた。
「危険なのです。上手く加工すれば何倍もの効果を引き出せる魔法道具が作れます。しかし、あまりにもその力が強いものですから、耐性のある者でなければ石の魔力に酔い命を落とすことになります」
もっとも高価になってしまうので入手できる方も限られますが、と付け加えてアラディアは静かに息を吐いた。
彼女が手にしている小さな石でも加工すれば目玉が飛び出るくらいの値段になるのだろう。
もっと大きな石を最近月石鉱山から無断で持ち出したコスモスとしては少々後ろめたい気持ちになる。
腰を抜かすといわれたのも、嘘ではないのだろう。
『興味がないのなら仕方があるまい』
『最初からそれ知ってたらあんなに上手く動けなかった気がするので良かったです』
『だろうな』
相変わらず優柔不断な性格で小心者の性格が直らないところを見越した上でエステルは黙っていたのだろう。
ただ、後で慌てふためくコスモスを見て楽しむということもあるかもしれない。
ちょいちょい、とコスモスはアラディアが持っている石に触れてから彼女の手を軽く叩いた。
「精霊様は私を心配なさっているのですね。御心配には及びません。この手袋は特殊加工がされていますから。とは言っても、長時間こうして持っているのは毒でしかありませんが」
「いやいやいや、笑顔で言わないで早くしまったほうが良いのでは?」
にっこりと微笑む褐色美人にうっとりとしていたコスモスは、ハッとしてアラディアの手から石を取り上げてしまっていた箱に戻そうとする。
それに気づいたアラディアは少し目を細めて笑うので、思わず見惚れてしまう。
「あっ」
ぽろり、とアラディアの手から落ちた石がコスモスの中へと落ちた。
一瞬何が起きたのか分からなかったコスモスも魔石が体の中に入ったということに気づいて顔色を変える。
「せ、精霊様!? どうしましょう。アルズもいないのに、あぁどうしたら」
「これ、落ちたら爆発するとかないですよね」
『ないな。そういう点ではただの石だ。しかし、お主も平然としているな』
「一度中にしまった経験があるので。それに、不快な気分にはなっていませんし」
今を好機と見て解析できればいいのだけどとコスモスが思っていると、彼女の中に住まう管理人が早速石の解析に取りかかる。
自分が想像した存在なのに自分よりも優秀だとぼんやり眺めていれば、データが取れましたと教えてくれた。
「ありがとう、二人とも」
『そろそろ吐き出せ。アラディアが蒼白になっておるぞ』
「ハッ、そうでした。美人さんの憂う姿もいいですけど悲しませたいわけではないので」
『……お主は本当に、わけの分からぬことを言う』
そう言いつつも楽しげに笑うエステルにコスモスは石が保管されていた箱目掛けて体内から魔石を取り出す。
ころん、と転がり落ちた石は彼女の体に入る前の石と全く違っていてコスモスは首を傾げた。




