156 いし
失礼しますと告げて入ったアラディアの部屋で、すぐにコスモスに気づいた彼女はペンを動かしていた手を止めてにこりと微笑む。
「これはこれは精霊様。狭い室内ですがよろしければゆっくりなさってくださいね」
「ありがとうございます。お仕事中にお邪魔してすみません」
「あら、アジュールさんもいらっしゃらないのですね。アルズも席を外していますので会話することは無理ね」
自分にもう少し力があればと呟くアラディアだが、コスモスからしてみればじゅうぶんである。他の国ではコスモスの姿さえ認識できないものが普通だというのに、この国では声は届かずとも姿が見える者が多すぎる。
はっきりと見えたり、ぼんやりとしていたり、気配だけを何となく察したりと個人差はあるもののコスモスとしては油断ができない。
勘がいいからだろうとの一言では片付かないだろうと心の中で呟いていると、苦笑していたエステルが彼女を宥めた。
『そう怒るでない』
『怒ってません。今まで自分がどれだけ甘やかされて油断してばっかりだったのかと思っていただけです』
『……今後、悔い改めるわけでもないのだろう?』
『うっ……人間、休息は必要ですから』
『まぁよい。お主の頑張りは私がよく知っている。必要な情報を入手できるかも分からんのに、各地のゴタゴタに巻き込まれ災難だと同情もしている』
『寧ろ、私が行く先で揉め事起こるんじゃないかと心配になるんですけどね』
動かなければ、じっとして大人しくしていればレサンタでの出来事もなかったのではないかと思うことがある。
全てはソフィーア姫の成人の儀を台無しにした黒い蝶から始まるのだが、気がつけば神殿めぐりを始めていた。
(火の神殿から土の神殿へということは、残りの風と水の神殿にも行かなきゃいけないんだろうけど)
恐らく火の神殿を訪れてから神殿同士で情報の共有が行われているだろう。
少しでも帰還への手がかりがほしいコスモスとしては、行くしかない。
体の奥で静かに燃える精霊石の力を感じながら、彼女は棚の上に飾られている鉱石に気づいた。
深い赤色と花びらのように幾重にも重なった鉱石。アラディアの管理する薔薇鉱山で採れる薔薇石と呼ばれる石だ。
職人の手で加工されれば上流階級もうっとりする程の美しさである。
(採掘された状態が既にゴツゴツした花びらのようになってるのね。ここに並んでる細工も見事だわ)
巨大な薔薇石の頂に鎮座するのは鳳凰を思わせる鳥だ。こちらでも有名な鳥なんだろうかとコスモスが思っているとエステルが説明してくれる。
『これは神が鳥に化けたとされる時の姿だな』
『あぁ、そう言われれば本の中の挿絵と似ているような、似ていないような』
『コスモス、お主は一応マザーの娘なのだからその程度のことはきちんと覚えておかねばだめではないか。マザーの顔に泥を塗っても構わんと思っているのかもしれんが、そうなったら余計に面倒なことになるだろう』
『いや、さすがに私もそんなことは思いませんよ。教会に関する本と、宗教や神話についてはとりあえず詰め込みましたから』
詰め込めるだけ詰め込んだだけで理解しているわけではない。
欲しい時に欲しい情報がもっとスムーズに出てくればいいのに、と思っているとコスモスの頭に神が化けたとされる鳥の絵が何点か表示される。
驚いた声を上げたエステルに大丈夫かと尋ねれば、急に情報が流れてきて驚いたと溜息をついた。
『この、出し入れをもっと素早くスムーズにできればいいんですけどね』
『……ふむ。少し警戒されているようだが、練習してみる価値はあるか』
『エステル様?』
『いや、なんでもない。コスモス、自分の情報を管理する管理人を想像せよ』
『かんりにん?』
そんなもの想像してどうするんだと思ったコスモスだったが、早くしろとエステルが急かすので考える。
どんな管理人がいいだろうか。
想像でいいのなら美形に限る。性別はどちらにしようかと悩んで悩んで、決められなかった。
男は端整な顔立ちに銀色の長髪を緑色のリボンで一まとめにした執事風。背は高く物腰柔らかでというところまで想像した。
女もまたうっとりするような端整な顔立ちに、艶やかな銀色の髪を靡かせ青い薔薇の髪飾りをつけた姿を想像した。ドレスは華美ではないが安っぽくもない清潔感のあるシンプルなものにする。すっきりとしたパンツスタイルでポニーテールの執事風もありかと想像し、また決められなくなってしまった。
どちらも瞳の色はパライバトルマリンを思わせるような鮮やかな水色にした。
『ふむふむ。ほうほう。なるほどな』
『どっちかにしないとだめですかね。どっちも捨てがたいんですけど、ちょっと時間もらっていいですか?』
『ハハハ。どちらにせよ、ソフィーアに似ているな』
『言われてみれば確かに。でも、あれほどの美少女他にはいませんからねぇ』
無意識のうちに彼女と似てしまうのはしょうがないのかもしれない。
元気にしているかなと思っているとエステルが小さく息を吐いた。
『銀髪は希少だからな。一部では神に愛された証とも言われているが、真偽は確かではない』
『母親似だとか言ってましたね』
『いや、母親ではない。母方の祖母に似たのだろう』
『そうなんですか?』
母親似だと周囲が言っていたからそう思っていたが、きっぱりと否定したエステルに親交があったのだろうかと思う。
滅多に祠から出ることがないフェノールの神子とソフィーアの祖母の接点が想像できなかった。
水鏡で覗いてたのかもしれないと一人納得したコスモスは、薔薇石を触りながら通り抜けたりしてみる。
『性格は母親似かもしれんな。外見はあの子の祖母そっくりだが』
『へぇ。さすが、長生きしてるだけありますね』
『今、おばあちゃんと思ったか?』
『イイエ』
『別に構わんぞ』
昔から姿があのままだろうエステルを、おばあちゃん呼びするのは苦しい。中身は確実にそうだが、今の言葉を聞くに口に出せばどうなるか分からなかった。
しかし、コスモスの想像に反してエステルは優しい声でそう告げる。
『年寄り呼ばわりされるのも少ないからな。この見た目で美少女だと崇められるのには慣れているが、それも永く続けば飽きるというものよ』
『そういうものですか』
『まぁ、時と気分によるが』
(コワイコワイ)
今まで通りの接し方でいいだろうと思ったコスモスは、棚に並べてある薔薇石を見て考えた。
この世界には魔力を内包する石、魔石というものが存在している。だが、あまりにも希少なために採掘量や採取できる鉱山は限られ、王家または教会の管理下にあることが多い。
何かが頭の中で引っかかるコスモスが小さく唸ると、自分が想像した執事風の男がにこりと微笑んだような気がした。
『……エステル様は、月石鉱山が魔石の鉱山だということを知っていたんですか?』
『ほぉ。どうしてだ?』
『神が一休みした鉱山は神の力を帯び、丁重にもてなした一族はその鉱山によって繁栄を約束されたと記述している本があります』
『そんなもの、寝物語に過ぎぬではないか』
『そうですね。神の加護がある鉱山が聖地にされ、神から祝福を与えられたとしたら例え王家だろうと下手に扱うわけにはいきません。でもこれが記述されてるのはエステル様が言った通り、子供に読み聞かせるような本です』
コスモスが得た情報では月石鉱山について記されているのはその程度だ。アラディアに頼んで書庫を見せてもらったり、リーランド家に行けばまた情報は増えるだろうが今はそんな暇はない。
『それならばなぜ、魔石の鉱山だと言うのだ? そんなもの、お主の想像にしか過ぎぬではないか』
『うっ。それ言われると本当に自分が情けないですけど、月石鉱山に侵入した時のことを思い出したんです。もう一度入ってみないと確認はできませんけど、内部は魔力が濃いですよね。特に、奥に進めば進むほど』
『ほぉ』
『ノアの弟子に渡した石も興味がなかったから何とも思いませんでしたけど、今思えばあの石の内部には国が引っくり返りそうな程の魔力が内包されていたのでは?』
『確信がないのにそう言うのか』
『言われた通りに採りに行って、渡しただけですからね。そんな危険物とは思いませんでしたし。もう一度視れば何か分かるかもしれないですけど、無理でしょうね』
『他には?』
『道中でやたらキラキラしていて綺麗だなと思っていたんですけど、あれ良く考えると結晶化したモノなのかなと。生物だったものの成れの果てというか。罠の周辺に特に多かった気がして』
そう考えて思い出すと背筋が寒くなるのでなるべく思い出したくないが、そうもいかないだろう。
コスモス自身、明かりがなくても周囲が分かるので気にしていなかったがやけにキラキラと輝いていたような気がする。
他の鉱山に入ったことがないので比べようがないが、結晶化したユリアを実際目にして同じものだと気づいた。
『証を持つものですらああだ。歴代のリーランド家で証を持つ者が丁重に扱われてきたのは家に繁栄を齎すものでもあるからだ。証持ちがいなければ月石鉱山には入れぬ。入ったはいいが、耐性の無い者はすぐに毒が回り体調を崩して結晶化する』
『耐性?』
『お主には効かぬから分からなかっただろうが、奥に行かずとも魔力が濃い。魔力というか、神気というか。まぁ、いいものだろうと耐性のない者にとっては毒でしかない』
『それを知っていながら採取をするんですかね』
『いや、昔はそうだったようだがここ何代かはずっとしていないようだな。あまりにも危険すぎると国や教会と協議でもしたんだろう』
『よく取り上げられませんでしたね。それだけ危険でも魅力のある鉱山なら、国も教会も自分の管理下におきたいでしょう?』
『過ぎたものを入手しても待つのは身の破滅だ。それを痛いほど知っておるのかもな』
(ということは過去になにかしらやらかしているということか)
エステルの言葉をそう解釈したコスモスは穏やかに微笑むマザーと、豊満なボディを見せつけ投げキッスをしてくるオルクスの女王を思い浮かべた。
しかし、女王は煙のように姿を消し、代わりに置かれたのはコスモスが知らない女だ。
(いや、見たことある。前女王だ)
にこりと微笑みながら執事風の男が肖像画とその注釈が書かれている本を開いて見せてくれる。
『いやいや、だからコレ何? 便利ですけど、とても便利でありがたいですけど』
『慣れだ慣れ。どちらか選べぬのならどちらも採用すれば良い。だがまぁ、お主の気持ちを考えれば男の方が主かのう?』
『欲望まみれで申し訳ないですねぇ! 勝手に人の気持ち読まないでもらえます? 繊細なんですけど』
『ハッハッハ。すまぬすまぬ。そのまま奴等に管理させよ。管理人としてお主の中で定着させるのだ』
『これ、後々ヤバイことになったりしませんよね?』
『ヤバイこと?』
『私のこと乗っ取るとか。命とって自由にさせろとか』
五体満足で帰還する前に死んでしまったら元も子もない。
自分という存在が消えて知らない誰かに乗っ取られるというのも論外だ。
不安そうにそう尋ねるコスモスの言葉に、エステルは楽しそうに笑った後でこう告げた。
『主が誰か、相手がどうやっても逆らえぬ存在だと知らしめるしかあるまい』




