152 ギュンター
赤毛を揺らしながらギュンターは無言で先を行く。想像していたよりも素直な彼の態度に警戒するコスモスだったが、アルズは平然としているので彼女も平静を装った。
「実際会ってみると素直で迷惑なことをするような人には見えないわね」
声を抑えることなくそう告げるコスモスに先を行くギュンターは無反応だ。アルズの近くを浮遊している彼女が彼を見れば、にこりとした笑顔で返された。
油断はできないから気を抜くなと言われているようで、彼女は気を引き締める。
距離があるとのことで、ギュンターが用意した馬での移動中だがコスモスはいつもと変わらずふわふわと飛ぶだけだ。
人型になれば馬にも乗れるかもしれないが、彼女が近づいただけで馬が嘶いて落ち着かなくなったのでそれも難しいだろう。
わざわざ乗馬せずとも素早く移動できるじゃないかとアジュールに言われたら何もいえなくなる。
(気分だけでも味わいたいとか言ったら呆れられるんだろうなぁ)
『なんだ、馬に乗ったことがないのか』
『エステル様、人の心読むの禁止って前から言ってるじゃないですか』
『駄々漏れさせているお主が悪いと前にも言ったような気がするが』
『そうでしたね。ええ、乗ったこと無いですよ。あるとしたらポニーですかね』
『ポニー?』
『小型の馬です』
幼い頃に連れて行ってもらった遊園地で乗った記憶が蘇る。穏やかで可愛かったなぁとコスモスが思っていると、前方を走っていたギュンターが急に止まった。
「ここからは下馬して行く。馬はここにおいておこう」
「……」
「あぁ、確かにユリアの気配がするわ。その他にも何かいるみたいだけど」
コスモスの呟きにアルズは馬を下りる。優しく鼻を撫でると鹿毛色の馬は嬉しそうに目を細めた。
「なるほど。昔に放棄された割には綺麗ですね」
「最低限の管理はしているが、最近まで誰かが使った痕跡があるな」
溜息をついて鉱山入り口の周辺を見回すギュンターにアルズはにこりと笑いかけた。
「ここには何回も来たことがあるようですから、白々しい嘘はやめましょう」
「え、そうなの」
驚くコスモスがやはり騙していたのかと警戒してギュンターを見る。念の為に慧眼を使って視た彼におかしいところはなかったはずだ。
アルズにそう言われたギュンターは罰が悪そうな表情をすると地面を見つめて溜息をつく。
「貴方はどこまで知っている? リーランド家の者なのだろう?」
「影にこちらの動きを監視させていた貴方が僕を知らないはずないでしょう」
「すまない。白々しい嘘はやめるんだったな」
「まぁ、監視していたのを分かっていた上で放置してましたけどね」
そうあっさり言ってしまうアルズに苦笑してギュンターは鉱山の入り口を塞ぐ扉に手を翳した。
錆付いた扉の表面に一瞬淡い光が走って紋様が浮かび上がる。扉の取っ手を引くギュンターは腰に下げたランタンに火を灯すと真っ暗な内部を見つめた。
「何もないと思うが、どうぞ入ってくれ」
「わぁ、ちょっとワクワクしますね」
「罠とかには気をつけてよ」
キラキラと目を輝かせるアルズの影から鉱山内へと滑り込むように移動したアジュールを見ながらコスモスは溜息をついた。
「ふむ。内部に敵の気配はなさそうだな。魔物が巣食っているかと思ったがいない」
「いいことじゃないの?」
「魔物が棲むにもってこいの場所だというのに気配が無い。小物程度ならいるだろうがそれらは積極的に攻撃してこないだろう。こんな鉱山なら、ドデカイのがいてもおかしくないんだがな」
「この声はどこから聞こえる? 気配がつかめない」
「あぁ、気にしなくていいですよ。敵ではないですから。貴方の使う影のようなものです」
知らない声が聞こえてきたのでギュンターが剣の柄に手をかける。その様子を見たアルズは鉱山内の様子を眺めながらヒラヒラと手を振ってそう答えた。
訝しげに彼を見つめていたギュンターだったが小さく息を吐くと警戒を緩める。そして「中に入るぞ」と告げた。
月石鉱山に入ったコスモスとしては、鉱山内部がどこも大して変わらないということに少し安心する。アジュールが敵の気配がしないと言ったお陰もあるだろう。
「この場所には何の目的で訪れていたんですか?」
「単刀直入に聞くなぁ。まぁいい。最初にここへ来たのは偶然だ。最近動きが怪しい人物を監視していたらここを逢引に使っていると判明した」
「逢引ですか」
「ああ。その前に、私がユリア嬢と婚約する予定だったというのは知っているか?」
「はい。元々はドリスさんの婚約者でしたよね。それが突然ユリアさんの婚約者になった」
アルズは知っていたようだがコスモスは初耳である。
ユリアにしつこく言い寄っていたのは知っていたがまさか彼がユリアの婚約者だったとは。
「そこまで知っているのか。流石だな」
「貴方の家の意向ですか?」
「そうだ」
「なるほど。ユリアさんに証が現れたというタイミングでドリスさんから鞍替えしたんですね」
笑顔でそう告げるアルズにそういうことかと頷くコスモス。はっきり言われたギュンターは眉を寄せて黙る。
「そうだ」
「ドリスさんとの仲は良好だったそうですが」
「ああ。両親が知り合いのお陰で小さい頃からよく遊んでいたよ」
ギュンターはリーランド家に次いで鉱山を多く持つアルテアン家の三男。好き放題遊んでいる問題児とは聞いていたが今は落ち着いているように見える。
コスモスはユリアの気配を探りながら鉱山内を泳ぐように飛んでいく。続く二人を引き離してしまわないように速度を落とす彼女は淡く発光して振り返った。どうやらギュンターもコスモスに先導されていることはあまり気にならないらしい。
「よく綺麗に鞍替えできたよね。恋愛感情なんてないなら簡単なのかな?」
「その際に何か問題があったということは僕も聞いてませんね」
「それはそうだ。実際何もなくあっさり終わったからな。ただ少し、お互いに寂しく思ったと……思う」
小さな頃からよく遊ぶくらいの仲だ。婚約期間も長かったのだろう。恋愛感情がなかったとしてもこのまま穏やかに相手と添い遂げるという未来は想像していたかもしれない。
「ユリアさんがリーランド家を出ても、しつこく通っていた理由はなんですか? まさか、好きだからなんて言いませんよね」
「そうだったら悪いのか?」
「嘘はもっと上手くつくべきですよ」
少なくともそれで僕は騙せませんと笑顔を浮かべるアルズにギュンターは小さく目を見開いてから笑った。
「政略結婚に恋愛など不要だろう? 好きでも嫌いでも結婚するのが決まっている」
「ユリアさんのように家を飛び出て好きに生きるという手もありますよ?」
「彼女が本当に家を出て自由に生きているとしたら国外に出ているだろうな。証を持っている以上、オルクスでの動きは制限される。彼女がそれを知らないはずがない。もしアレで自由を得た気でいるなら、ただの子供だ」
「手厳しいですね。でも、ただの子供なのかもしれないですよ」
両親の言うことを素直に聞き、長子であるアラディアを慕い、仲良く暮らしていた家族に亀裂が入ったできごと。誰かが彼女を唆し、彼女はそれを信じて家を出た。家の道具になるのはゴメンだと思ったのかもしれないが、それは彼女本人に聞いてみないと分からない。
少なくとも家族、母と実父、そしてアラディアに対する感情が反転しているのは間違いないだろう。
「しつこく通っていた理由は、ユリア嬢の真意を確かめたかったからだ。私ですら簡単に居場所を把握できたのだから、リーランド家が自由にさせていると判断した。一応婚約者という立場だから話だけでもと思ったが甘かったな」
「毛嫌いされてますよね」
「ああ。それでも話をするために気を引こうと思ってな。色々贈り物をしたが、全く効果が無い。そんな頃、近くで動きが怪しい人物がいて……」
ギュンターの話も気になるコスモスだがそれよりも今はユリアを探すことに専念した。
ふと、視界の隅で動く精霊を見ると嬉しそうに飛び跳ねられた。風と土の精霊が混ざって遊んでいるのかと思えば、スルスルと彼女を誘うように壁から入ったり出たりを繰り返す。
「マスターはここにいろ。私が先を見てくる」
「気をつけて」
「マスター、どうかしましたか?」
「この先、隠し部屋あるみたいだからアジュールが見てきてくれるって」
コスモスが停止しているのを不思議そうに見ていたギュンターは、首を傾げながらそっと壁に手を当てる。
ゴツゴツとした岩壁の冷たい感触が伝わるだけだったが、彼が小さく何かを呟くと紋様が浮かび上がって消えた。
それは出入り口の扉で見たものと一緒だ。
今は岩壁が消えて人一人が通れるような通路が見える。
「こんなところに隠し部屋があったのか?」
「ちょっと待ってくださいね、今確認してますから……はい、大丈夫なようですね」
アジュールが戻ってきて問題ないことを告げると、ギュンターの動きを制していたアルズが歩を進める。
アルズが入り、続いてギュンターが入ると背後は再び岩壁に閉ざされた。コスモスは便利なものだと思いながらアルズを追い越し、開けた場所で待っていたアジュールと合流する。
そこは小さな部屋のようになっており、机と椅子、簡易な寝台、本棚と樽が数個置かれている。積み重ねられた木箱もあり、コスモスが覗けば腐りかけの果実を齧っていた小動物が驚いて飛び出してきた。
「嫌だなぁ」
そう呟いてコスモスは黒い布がかぶせられた箱のようなものへと近づく。ユリアの気配はここからするのだ。
最悪な事態を想像して神に祈ろうとすれば、エステルに状態を確認しろと言われる。慌てて箱を視れば確かにそこにユリアがいた。
「隠し部屋のわりには埃がそれほど溜まっていない。洞窟内には広い休憩所もあるはずだが」
「アルズ、箱は開けないで。布もそのままでここから持ち出すわ」
「アラディアさんに連絡しますか?」
「さっきしたわ。これで応援が来るまで犯人? が戻ってこないといいんだけど」
「大丈夫ですよ。ここに犯人が戻ってきてもサクッとヤっちゃえばいいんです」
できれば色々聞きたいことがあるので生かしていて欲しいが、本当に彼ならそうしそうで怖い。
「それなら心配はないと思う。その、箱を運べばいいのか? ならば外で待機している者を呼ぼう」
「マスターが丁重に扱うようにと言ってます」
「……だろうな」
ギュンターは箱の上から動こうとしないコスモスに威嚇されている気分になりながら、軽く両手を挙げて指示に従う意志を示した。 どんな方法を使ったのかは知らないが、ギュンターとアルズが慎重に箱を隠し部屋から運び出すと、灯りを頼りに駆けつけてきたギュンターの部下が駆け寄ってくる。
彼の指示に従って箱はゆっくりと丁寧に鉱山の外へと運び出された。
「まるで棺だな」
「アジュール」
「悪かった」
ぽつりと呟かれた言葉を窘めるようにコスモスが名前を呼べば、すぐに謝罪する。少し珍しいと思いながら、コスモスは到着したアラディアの部下に指示をするアルズを見ていた。
「これはもう、私だけの問題ではないな。家同士の対立は避けられないか」
「とりあえず、アラディアに会ってからにすればいいだろう」
アルズの影からスッと現れた魔獣に驚いたギュンターだったが、その背に乗るコスモスを見て静かに息を吐く。
「まだ話していないことがあるんだろう? ならばその場で話せばいい」
「しかし、私の話など信用できぬに違いない」
「それを決めるのはお前でも私でもない。違うか?」
「いや……その通りだ。私にはもう、その道しかない」
自嘲するように笑うギュンターに少し同情心がわいたコスモスは彼の近くまで移動する。
綺麗な榛の瞳と目が合って、スキンシップのつもりで軽く頭上に乗った。
「うっ」
「あー、この人も精霊アレルギーかな。私だけ元気になるわ」
「そのようだな」
悪いことをしたなとすぐさま離れるコスモスにアジュールは笑う。慰めてくれてもいいだろうにと思うが、そんなタイプではない。
「犯人戻ってくるかドキドキしてたけど、彼の言う通り戻ってこなさそうね」
「戻ってきたとしてもこの面子だ。よほど数を従えていない限り逃げるだろうな」
「簡単に捕まってくれないか」
「犯人に関してはコイツに心当たりがあるだろうから、それは後でのお楽しみだろう」
そうなるとやはり、最近怪しいと思って彼が尾行していた相手か。逢引につかっていたというのも気になる。
ギュンターの話も途中で終わっていたことを思い出し、コスモスはアラディアの顔を思い浮かべた。
恐らく彼女ならギュンターを見た途端に斬りかかるなんてことはしないだろう。レナードがそんな気配を見せたら突撃して大人しくさせるしかない。
心配しすぎだと言うエステルに笑って頷くコスモスだったが、まさか後にそれが現実になるとは思っていなかった。




