151 潜る
ドリスの他にユリアが心を許し、信じそうな相手をあげてもらう。その中には母親とアラディアも入っていたが、今回は除外された。
二人を目の敵にしているユリアのことを考えると、二人と実父は当てはまらないからだ。
ここは素直に両親とアラディアに反感を抱かせるよう誰かがユリアに吹き込んだと思うのが妥当だろう。
ユリアの傍についていたレナードがドリスに不審なところは無かったと言うも今のところ一番怪しいのが彼女である。
ドリスがユリアを唆したとして、その目的は何だと思うかとコスモスがアルズを通してアラディアに尋ねる。
その質問を予想していたのか、彼女の表情は変わることなく青の瞳が僅かに鋭く細められた。
「単純に考えるとするなら、証持ちのユリアを担ぎ上げて月石鉱山の独占とリーランド家の掌握でしょうね」
「ユリアさんを担ぎ上げた程度でそんなことが可能ですか?」
「久しく出ていなかった証持ちだもの。担ぎたい輩は他にもいるでしょうね。ただ、ユリア本人はそんな性格じゃないと思っていたけど……分からないものね」
半分血が繋がっているのに分からないことが多い。
子供の数が多いからよけいにそうなってしまうのだろうかとコスモスが呟けば、アルズがリーランド家の実子は七人でその他は養子なのだと教えてくれた。
「子沢山だけど、一妻多夫ならなぁと思っていたらそうだったの」
養子といえどその待遇は実子とあまり変わりがない。充分な教育を受け、その特性を活かせるような道に進んでいる者が多い。もちろん、本人がやりたいことをやっても咎められることはないらしい。
「母はお人好しなところのある人物なの。困っている人は見過ごせないし、助けを必要としているならそれを救おうと行動してしまう。仕事もできて慈愛に満ち溢れ、家族に対する愛情も深いそんな母を尊敬しているわ」
アラディアから母親の話を聞いているだけでコスモスは実際に会ってみたいと思った。そしてこんな時に頭に浮かんで比較してしまうのが実母ではなくマザーだったことで一人微妙な顔をする。
確かにコスモスの実母は世間一般の母親とそう変わらない。子育てをして家事をしつつパートに出て気の合う仲間と趣味や旅行で楽しんでいる。
「……」
『どうしたコスモス』
「あぁ、いや……なんでもないです」
あれほど焦がれるように帰りたかった元の世界や家族、友人への思いが最近は変化しつつあるようで不安になる。
うまく言葉で表現できないのがもどかしいが、自分が今までの自分ではなくなっていくような感覚をどこかで自覚していた。
それが人をやめるということなのか、それともこちらの世界に来て慣れてきただけなのかは分からない。
少なくとも元の世界のことを忘れることはなく、帰還したいという気持ちも変わっていない。
「現在の監視体制はどうなっていますか?」
「継続中よ。気づかれた気配はないわ。今のところ目立った動きはないようだけど、恐らく今日中にでも動くでしょうね」
「お嬢が行方不明になって丸一日。ドリス様が直接動くとは思えないですがね。しかし、ギュンターの手下があの場にいたとなると、俺も監視されてたってことになりますけど」
気付かなかった自分への嘲笑か眉を寄せたレナードにいつもの余裕はみられない。雑な罠を仕掛けてコスモスを捕えようとしたくらいだから相当焦っていたのだろう。
「ん? ちょっと待って。ユリア、行方不明なの?」
「あぁ、マスターは知らなかったんでしたね。知ってる前提で話してしまってすみません」
「そうだったわ。私ったら、先にそれを言わなくてはいけなかったのに……」
「気が動転しているんでしょう。無理もありません」
丁寧な口調でレナードはお茶のお代わりをすすめる。温くなったお茶を飲みほしたアラディアは溜息をつくと手を組み合わせコスモスを見つめた。
「つまり、私を連れてきた理由はそれ?」
「今回乱暴な真似をしてマスターをここに連れてきた理由は、妹であるユリアさんを探すのを手伝って欲しいということですか?」
「手荒な真似したのは謝っただろうがよ」
ポツリと呟いたレナードの言葉に反応するように、コスモスはアルズの膝の上からレナードの頭上へと飛び移る。
「げっ」
心底嫌そうな声を聞きながら二度ほど跳ねると、コスモスは再びアルズの膝の上へ静かに着地した。
げっそりとしているレナードがぶつぶつ何か呟いているが聞かないふりをする。
「ユリアさんの行方不明については僕も聞いてないだけで知ってましたけど」
「は? なんだそれ。誰から聞いた」
「ごめんなさいアルズ。このことはここでは私とレナードしか知らないの。昨日慌てたレナードからそれを聞いた時には眩暈がして倒れそうだったわ」
「一応お仕事させてもらってますからね。情報源は明かせませんが分かるものですよ」
「お前……」
「やめなさい、レナード」
家の力を使えば探すのは容易なのだろう。しかし事を大きくしたくないというのと、できるだけ母親とユリアの実父の耳には入れたくないらしい。
そんなことを言ってる場合じゃないのではと思ったコスモスだったが、万が一誘拐だった場合相手の目的が分からない。ただの身代金目的ならとうに連絡が来てもおかしくないはずだが、そんな連絡はまだないとのことだ。
「ユリアさんが月石鉱山の証持ちだということは広く知られているでしょうから、身代金を要求するよりも高値で売ったほうがいいという考えかもしれません」
「あとは、月石鉱山を自分のものにするために証持ちのユリアを監禁してるとか?」
「マスターの言う通り、月石鉱山の所有が目的ということもありますね。証持ちのユリアさんがいれば出入り自由ですから」
「懸念しているのはそこなの。ユリア個人が目的ではなく、月石鉱山の証持ちだからこそ狙われたとしたらリーランド家として動くしかなくなるわ」
「寧ろ早々に総動員して探せばいいんじゃないの? できるだけ内密に解決したい気持ちも分かるけど、ユリアのことを考えたらそうも言ってられないでしょう? 個人が目的だったら家は動かないみたいに聞こえるけど……まさか、人命より鉱山の方が大事とは言わないだろうし」
コスモスの言葉に苦笑しながらアルズはお茶を飲む。どうやら彼女の言葉をアラディア達に伝える気はなさそうだ。
『言うかもしれんな』
『えー。家族愛とか言っておきながら? いや、そういうところもあるか』
『月石鉱山の特異性が邪魔をしているというのもあるのかもしれん』
『神様が一休みしましたって言い伝えられているだけの所なのにですか?』
『コスモス、言葉には気をつけよ。どこで誰が聞いているか分らんぞ。それに、ただの鉱山でないことはお主も知っておろう』
エステルに言われたコスモスは首を傾げ月石鉱山になにかあっただろうかと考える。
ふと浮かんだのはノアとその弟子の顔。そして彼女に採ってくるように頼まれた鉱石のことだ。
『私が腰を抜かすくらいの価値があるんでしたっけ?』
『そう言っておったな。お主は興味がなさそうだったからのう』
『輝く宝石とかなら分かるんですけど、ただの大きな石にしか見えなかったので』
形が良いというわけでも、不思議な光を放っているわけでもない。漬物石にちょうどいい大きさだなと思うくらいだ。
「仮にユリアさんを手元に置いたまま、月石鉱山を所有できたとしても、相手の狙いはなんですか? それを足がかりにリーランド家を掌握するだけですかね」
「何が言いたいの?」
「月石鉱山は聖地であり、証を持つものでなければ出入りできません。それは一般的にも知られていることです。巡礼地の一つにされているのは分かりますが、他に何か秘密があるのでは?」
アルズの疑問にアラディアは逡巡するような表情を見せる。
「もちろん、それを知るのはリーランド家でも一握りでしょう。恐らく、当主と後継者たる貴方くらいなのでは?」
「恐ろしいくらいに勘が鋭いわね。それとも、それも貴方の情報源からのものかしら」
「ただの想像ですよ」
探るようなアラディアの視線を笑顔で受け止めてアルズは膝の上のコスモスを優しく撫でた。二人の会話を聞きながらコスモスは小さく唸る。
「何かがあるにせよ、ユリアを救出するなら分かりそうなことよね」
「それでマスターに協力とはどういったことを?」
「居場所を特定してもらえたら嬉しいんだけれど流石に無理よね」
「マスター、できます?」
「うーん。それができたら苦労してないよね」
できたらとっくにやっている。こんなところで悠長にお茶など飲んでいないだろう。そう溜息をついたコスモスにエステルが声をかける。
『まったくお主ときたら。ちょっとは頑張らんか』
『いや、頑張ったところでどうにかなる問題じゃないですよ?』
『いや、できる』
できたら最初からやっている、と言おうとしたコスモスは中途半端に口を開けたまま変な声を上げてしまった。
心配したアルズが声をかけてくるので何でもないと咳払いをして誤魔化す。彼の影に潜むアジュールの笑い声がした。
『でき……たんですか?』
『力の消耗はあるがな。早急にユリアを見つけなければマズいことになるやもしれん』 『ユリアの身が安全ならそれでいいと思いますけど』
『時間が経てば経つほど危ないのは想像がつくだろうに。それに、ユリアはただのリーランド家令嬢ではない。月石鉱山唯一の証持ちだ』
『だとすると、エステル様もそっちで攫われた可能性が高いと思ってるんですね』
『暫く出現していなかった証持ちだからな』
ならばそれこそリーランド家の力を使って対処するのが一番なのではとコスモスは思う。
確かに大ごとにならないように内密に処理したいというアラディアの気持ちは分からないでもないが、証持ちである以前に大事な家族だろう。
色々複雑な内情があるのかもしれないので口に出しては言えないが、少し引っかかってしまうコスモスだった。
『アラディアは渋るようだが、当主への報告はしたほうが良いな。バレるのは時間の問題だ。ただし、報告は当主のみにすること』
『分かりました。とりあえずアルズにそう伝えますね。あと、私が何とかできるかもしれないことも伝えてもらいます』
『ほお。やる気になったか』
『探せるならその方法を使わない手はないでしょう』
『お主のそういう素直なところが好きじゃぞ』
これは素直に喜んでもいいんだろうかと思いながら半ばヤケ気味に告げたコスモスは息を吐いた。
よく分からないがエステルの様子から急いだ方がいいのだろう。力の消耗がどの程度なのかは分からないが、アジュールとアルズがいるなら何とかなる。それにエステルもこうして一緒にいてくれる。
コスモスが気を失ったとしても心配することはない。
『ならば早速始めるぞ。ユリアを視た時のことを思い出せ』
『はい』
それが探す手がかりになるのかと疑問に思いながらもユリアを視た時のことを思い出す。
思い出してどうするのかと戸惑うコスモスだったが、エステルは思い浮かべたユリアの存在をより鮮明にしろと言われた。
一体どうやるんだと愚痴りながらとにかく集中してユリアのことだけを考える。頭に浮かんだ彼女の姿は最初ぼんやりとしていたが、次第に鮮明になっていく。それと同時に体に負荷がかかるのが分かった。
(ちょっとダルくなってきたけど、集中しないと)
エステルの声に誘われるようにコスモスの頭の中で鮮明になったユリアの姿は今にも喋り出しそうなくらいにリアルだった。
『ユリアの核を見つめよ。その心の奥の奥まで、もっと奥まで潜り込め』
(ただの想像上でしかないんだけど、っていけない集中しなきゃ)
自分にそんなことができるのかと半信半疑だったコスモスも、エステルの言葉のまま集中し思い浮かべたユリアの核へと飛び込んでいく。底が分からない深さに恐怖を感じる暇もなくユリアに呼びかけた。
貴方は今どこにいるのか、と。
(あ、弾き出されそう)
異物の侵入を拒むように体がグイと外側へ引っ張られる。逆らうことをせずにそのままでいたコスモスは、すぐに解放され自分を呼ぶ微かな声に耳を傾けた。
もっと深く、遠いところからユリアの声が聞こえる。あぁ、自分の存在を彼女も気づいたのだと思った瞬間、コスモスはぽわんと淡く発光した。
急に流れ込んでくる情報の多さに頭がくらっとしたが、すぐに落ち着いたコスモスはいくつも浮かんだ写真のような画像を見ながらそれを言葉にする。
「ええと、盗賊のアジトになってる洞窟か廃鉱山にいる。ええと、周囲に黄色くて小さな花が咲く場所で、場所はギュンターが知ってるはず」
「やっぱりあの野郎かよ」
コスモスの言葉を伝えるアルズの話を聞いたあとで、レナードが忌々しそうに眉を寄せた。
「落ち着いてください。マスターが言うには寧ろギュンターは協力的だろうと。ドリスさんと繋がってコソコソ動いているのはどうやら彼の側近のようですね」
「嘘じゃないだろうな」
「疑うのは勝手ですが、八つ当たりしないでくださいね。とりあえず、ギュンターさんに会ってみるのが良いかと。僕とマスターは行きますよ」
「精霊様の言葉を信じるとしても、行ってそうすぐに会えるとは思えないわ。私から会ってもらえるように連絡を……」
「その必要はないと思います。恐らく彼は僕たちが来るのを分かっていると思うので」
アルズはそう言うとぐったりとしたコスモスを抱えたまま立ち上がる。アラディアとレナードが顔を見合わせて何かを言おうとしたがその前にアルズが口を開いた。
「お二人はここでお待ちください。それと、当主であるお母様だけには話しておいたほうが良いとのことです」
「おい、アルズ! お前待て……って嘘だろ」
一礼して部屋を出て行くアルズを追うレナードだったが、彼が廊下に出た時にはもうアルズの姿は消えていた。
振り返りアラディアの指示を仰ごうと思えば、彼女は場にそぐわぬほど落ち着いた様子でお茶を飲んでいる。
「アラディア様」
「分かっています。ですが、私達にはこうするしかないのですよ。恐らくリーランド家として動いた時にはもう遅いのでしょうね」
ぐったりとして眠っていたコスモスが気づくと知らない場所だった。
またこのパターンかと思った彼女だったが、自分を抱えているアルズを見上げて現実かと欠伸をする。
目覚めてすぐ可愛らしい顔が見られるのだから幸せだろう。
「あ、マスターちょうど良かったです。ギュンターさんのお家突撃するところですよ」
「窓から突撃とは斬新ね」
「えへへ」
アルズの笑顔を見ていると、何をやっても許してしまいそうで怖い。それを恐らく本人も自覚していそうなのでタチが悪い。
事前調査が済んでいたのかは知らないが、初見とは思えぬ身のこなしで侵入し、使用人を装って執務室へ入ってしまう手際の良さには溜息しか出ない。
危機管理なってなさすぎじゃないですかね、と思わず呟いてしまいそうになったコスモスはその言葉を飲み込んだ。
「お茶をお持ちいたしました」
「悪いが今は頼んでいないぞ。ん? 見ない顔だな」
深い溜息をついて軽く頭を抱えていたギュンターと思わしき男は、顔を上げてアルズの姿を見ると首を傾げる。
「時間がありませんので単刀直入に伺います。リーランド家令嬢ユリア様の居場所に心当たりはございますよね?」
最近入った新人かなと思っているだろう彼に一瞬で間を詰めたアルズは喉元に短剣を当てて小声でそう告げた。
咄嗟のことで身動きが取れなかったギュンターもすぐに応戦しようとするのだが、小柄なアルズの放つ気迫に緊張したようで体が固まっている。
アルズの頭上に移動したコスモスはギュンターと目があったような気がしてじっと彼を見つめていた。
(あ、これ見えてるわ)
「分かった。ユリア嬢が行方知れずになったというのは事実だったんだな」
「さすが、お耳が早い」
「嘘であってくればいいと思ったんだが」
「話は後で。これから言う場所に心当たりがありますか?」
それはコスモスが告げた場所だ。小さく彼の目が見開き、諦めたように体から力が抜ける。抵抗する気配がないと察したのかアルズは短剣をしまって彼から少し距離をとった。
「我が家が管理している鉱山の一つだ。昔に放棄されたまま手付かずになっているが、まさかあそこを使うとは」
「実際に行ってみなければ分かりませんよ。さあ、向かいましょう」
「拘束しなくていいのか?」
「もっと早く出向いてくれれば良かったんですけど」
笑いながら両手を前に出したギュンターにアルズはにこりと笑ってそう告げる。
驚いた表情をしたギュンターは、溜息をついて諦めたように笑った。




