150 アラディア
綺麗に整えられた爪がトントンと軽く書類を叩く。
何度読んでも溜息しか出ない報告書だが、事実なのだからしかたない。
つり目がちな青い瞳が少し垂れ下がり、薔薇の蕾のような形の良い唇から溜息が漏れた。
上質な木材でできた机の上に両肘をつき組んだ両手を額に当てる。
艶やかな金髪は陽光を受けて淡く発光し、この場に画家がいたらその姿を急いで描いていたことだろう。
一人しかいない室内で暫くその格好のままでいた彼女の獣耳が何かを捉えたようにピクピクと動く。
「来たか」
そう呟いてゆっくりと息を吐くと手を解いて姿勢を正す。
ノックの音と共に聞こえたレナードの声に許可する返事をすると、見慣れた男が姿を現した。
続いて今回の協力者である可愛らしい少年が入室してドアが閉められる。
「お初にお目にかかります。私はアラディア・リーランドと申します。高位の精霊たる貴方をこのような手段でお呼びたてして申し訳ありません」
興味深そうに周囲を見回しているのか、ゆらゆらと室内を移動する球体に彼女は立ち上がって頭を下げた。
驚いたのか小さく跳ねた球体はスゥとアラディアの周囲を飛び、何かを確認するように近づく。
「前も思ったけど、本当に美人さんだわ。これは眼福」
聞こえないことをいいことにそう呟いてしまうコスモスの言葉に、くすりと笑うのはアルズだけ。
アジュールは相変わらず彼の影に潜んで様子を窺っている。
『リーランド家の長子か。外見は父親に似て美しいな。気の強さは母親似な気もするが』
『御存知なんですか?』
『実際に会ったことはないがな』
そうエステルに言われたコスモスは水鏡で外界の様子を見ている姿を思い浮かべて「覗きか」と思わず呟いてしまった。
いい趣味とは言えないが祠から移動することのないエステルを思うと、それもしょうがないかと思ってしまう。
彼女には重要な監視と確認だと言われ怒られてしまったが。
「……というわけでして」
「なるほど。奇縁もあるものね。まさかアルズが探していたのがこの方だったなんて」
「今回の件とは関係ありませんよ」
「分かっています」
「それならいいんです」
にこりと笑顔の応酬をするアラディアとアルズにコスモスは首を傾げた。そのやり取りを見ていたレナードはアルズに何か言いたげな表情をしながら胃の辺りを手で押さえている。
「レナードの話によると、姿は見えても意思疎通はできないのよね。アルズは可能だということかしら」
「もちろん。例え言葉が通じなくてもマスターが何を言いたいのか、思っているのかは分かりますよ」
可愛らしいとしか言えない笑顔で断言する姿は頼もしく見えるのだが、コスモスとしてはちょっと引く。
心の内まで見透かされているなんてそんなのは恐怖でしかない。
しかし、アルズなら可能そうで頭が痛いと静かに溜息をついた。
「今回の件に協力を仰ぎたいのだけれど、どうかしら」
「そうですね。マスター次第だと思いますよ。ちなみにその場合の見返りは何を?」
「リーランド家が用意できる範囲のものならばできる限りよ」
「……これはまた、本気ですか」
そう言われても特に欲しいものがないコスモスは困る。しかし、アジュールもエステルも貰えるものなら貰っておけと言う。
恐らくアルズもそう言うだろう。
『はぁ。やっぱり、逃れられませんでしたね』
『何とか逃れようとしたところで捕まったな。これもまた運命か』
『運命……運命かぁ。それで片付けられるなら何でもいいですよね』
『これ、投げやりになるでない』
『土の神殿に向かうのを阻止されてる気分です』
『寧ろ、神殿に行くまでに経験値が増え強化できると思えばいい』
それは前向きな考え方だなと思うも、できるだけ早く土の神殿に向かうべきじゃないかとコスモスは不安になる。
こんな寄り道をしているとは恐らく土の神殿の巫女も思っていないだろう。
遅れるという連絡を入れられればいいのだが、それもそれでどうなのか。初対面の相手にいきなりそう言われては戸惑うかもしれない。
(火の神殿の巫女さんが連絡入れてくれてたけど……)
『リーランド家の騒動ではあるが、問題はリーランド家ではなく月石鉱山だろうな』
『管理しているのがリーランド家なら同じじゃないですか?』
『違うと思うぞ。恐らく相手は月石鉱山に固執し、証を持つユリアをどうにかして利用しようとしているはずだ』
『そう簡単に利用されるタイプじゃないですけどね』
母親と長子であるアラディアは敵だと思っているようだが、コスモスにはそう思えない。目の前にいるアラディアは妹を陥れようとする人物にはどうしても見えないからだ。
ただ、ユリアに仕えているレナードがアラディアと通じているのは気になる。
「マスターは、とりあえず話を聞いてから考えるとおっしゃってます」
「え、言ってな……」
「そうか。そうね。ただ協力してくれと言われても納得しないのは当然よね」
「アラディア様」
「高位の精霊に助力を請うともなれば、本来はもっときちんとしたもてなしをしなければならないわ。しかし、話を聞きたいと言ってくださっただけでもありがたいと思わなければ」
浮遊するコスモスを見上げてアラディアが一礼する。それは話を聞くと言ったことに対してのものだろう。
偉そうに浮かびすぎたかと位置を下げようとするコスモスに、エステルがそのままでいいと言う。
アラディアはアルズたちにソファーへ座るように促し、自分もテーブルを挟んで正面へ腰を降ろした。
どうしたものか、と迷っているコスモスにアルズが笑顔で小さく手招きをする。
スゥとコスモスがアルズの膝の上へ移動したのを確認したところで、手早くレナードがお茶の用意をした。
一体いつの間にと驚くコスモスをよそに、目の前にお茶の入ったカップが置かれる。
遠慮なく飲もうとした彼女だったが、その前にアルズがカップを取って飲んでしまう。ならば違う方を取ろうかと思ったところでカップをソーサーに戻したアルズがレナードを見つめてにこりと微笑んだ。
「もしかして毒味? だったら大丈夫よ」
「レナードさんお代わりお願いします。すみません、忙しくて喉が渇いてしまって」
「はぁ」
「レナードの独断とは言え、最終的な責任は私にあるわ。貴方の尊敬する高位精霊を巻き込んでしまったことは本当に申し訳ないと思っています」
コスモスを捕獲しようとしてからギュンターの手下を捕縛し、その時にアラディアへ連絡を入れたのだろう。
恐らく、力になってくれる人に心当たりがあるとでも言ったのかもしれない。
これはレナードの胸に飛び込んでそんなに自分が必要だったのかと喜びを表すべきかと冷めた目で彼を見つめていると、レナードがぶるりと震えた。
「事の発端は月石鉱山の証を持つユリアの出奔よ。あの子から話は聞いていると窺ったけれど……」
「聞きました。レナードさんもその場にいたので彼から報告を受けている通りだと思いますけど」
「レナードさんが報告した通りだとマスターは言っています」
「そう。母が証目当てにあの子を殺害しようとし、実父が実行して瀕死状態のところをレナードに助けられそのまま逃げ出した。その後国を出ることなく月石鉱山の近くに居を構え賞金稼ぎをしながら規模を大きくしていったということね」
鉱夫も兼ねている者が多いらしいが鉱夫らしい仕事はしていたのだろうかとコスモスは疑問に思う。
月石鉱山は証を持つユリアがいれば入ることが可能だ。彼女の指揮の下、貴重な月石鉱山内部の鉱石を採取し市場に高値で流せば賞金稼ぎなどしなくてもいいはず。
鉱石採取を隠すために賞金稼ぎの仕事を多く請けているとしても、ユリアの目的がよく分からない。
「命を狙われているなら国外逃亡してそのまま亡命すれば良かったのに、わざわざ目につくような場所で活動する意味ってなんなのかしらね」
「目的は知りませんが、悔しかったんじゃないですか」
ユリアの屋敷に忍び込んだこともあるだろうアルズにそう言われて、尻尾を巻いて逃げるのは嫌だというユリアを想像する。
気が強そうなのでそれはありそうだが、月石鉱山の証を持っているだけで特に有利というわけでもない。
信頼できる仲間はたくさんいるが、リーランド家が動いてしまえば容易に制圧されてしまうだろう。
「それもあるかもしれないわね。私達はあの子の誤解をとこうとしたけれど、駄目だった。時間が経てば冷静になって戻ってくるんじゃないかとも思っていたわ。それがいけなかったのだけど」
「アラディア様のせいではありません」
「いいえ。ユリアに証が発現してから私達はあの子を月石鉱山から遠ざけ、普通に育って欲しいと望んだわ。両親の話にあの子も納得して、これからどうしようかという時に良い縁談が入ってきたからとりあえず会ってみることになっていたのよ」
それは知らなかったとコスモスは呟いた。
ユリアを月石鉱山から遠ざけたのには理由があるのかとアルズを通じて問いかけると、アラディアはゆっくりと息を吐いて静かに告げる。
「月石鉱山はリーランド家に富と繁栄を齎してくれたわ。それには本当に感謝しているの。けれど、証を持つ者は必ず不審な死を遂げてしまう。暫く証持ちが生まれなかったから安心していたけれど、まさか成長途中で証が現れるなんて……」
眉を寄せてカップに揺らぐお茶を見つめるアラディアにコスモスはそう言えばそんなことがあったなと頷いた。
証を持つ者が不審死してしまう。ただの迷信だと鼻で笑えない何かがあるのだろう。
万が一を考えて大切な娘や妹を危険から遠ざけたいという気持ちも分かる。
見つめるアラディアの言葉にも心にも嘘は見えない。
『リーランド家の呪い、か』
『詳細は不明だけど証持ちは必ず不審な死を遂げるかぁ。呪いですよね確かに』
喉から手が出るほど欲しいものなのに、持ち主には不幸しか与えない呪いの証。しかし、ユリアはその証を誇らしそうにしていた。
選ばれたのだと。
「ドリスさんも心配して連日のように押しかけてたのに頑固だもんなぁ。私は良くないもの扱いされて退治されそうだったけど」
「え、そんなことされたんですか?」
「うん。だからドリスさんが来てる時はユリアには近づけなかったのよ。どうやらリーランド家の人には私の姿が見えているようだから」
鮮明でなくともそこに何かがいると分かるだけでじゅうぶんだ。声が届く相手には未だ会えていないが、視認されるのにも少し慣れてしまったコスモスだった。
「三女のドリスさんて、どんな方ですか?」
「ドリス? そうね、優しくて相手を思いやる心のある子よ。心配し過ぎるところもあるけれど」
「お嬢のことも心配して毎日のようにいらしてましたから」
「あぁ、そうだったわね」
「ユリアさんとは仲が良かったんですか?」
「そうね。うちは兄弟が多いから特に仲が良いとは言えないけど、悪くもないと思うわ」
それはアラディアから見た弟妹ということだろう。
しかし、ユリアは彼女達が自分を疎んでいると思っている。誰かがそう囁いたとしても信じるだけの何かがあったのだろう。
そればかりはユリア本人でなければ分からない。
「リーランド家の後継者になる条件を知っているのは?」
「その方がそう言っているのよね。条件なんて隠しているわけではないから、誰でも知っているはずよ」
「ならどうしてユリアは証を持つ者が後継者だと勘違いしたのかな。そこが不思議なんだよね。誰かに唆されたとしても、相当信頼できるような人物じゃないと無理でしょ?」
縁談が嫌ならそうと言えばいい。少なくともこの雰囲気ならば、ユリアの性格も考えるとはっきり拒否できたはずだ。
アルズがコスモスの言葉をそのまま伝えればアラディアとレナードは一瞬顔を見合わせて溜息をついた。
「どうやら内部に敵がいるみたいなんですよね。俺は正直ドリス様が怪しいと思ってたんですけどお嬢の傍にいて様子を見る限り本気で心配しているようにしか思えないんですよね。変なことを吹き込んでいるわけでもないし。精霊様を邪険にしたのは心配し過ぎてでしょうから」
「最初にレナードにそう言われた時に、まさかと私は笑ったわ。でも今はそんな事を言ってる場合じゃないわね。身内を疑うのは辛いけれど、ドリスの周辺を探りました」
「何か出ました?」
「いいえ、特には。ただ、ドリスの言葉ならユリアは信じるだろうと思うわ」
それはつまり実妹を疑っているということだ。
本人も辛いだろうが家の為なら血の繋がった身内でも疑わざるを得ない。
ユリアにでたらめなことを吹き込んで家族と仲違いさせたのがドリスだと仮定してその目的は一体何だろう。
コスモスが心の中でそう呟くと楽しそうにエステルが笑った。




