149 トラップ
深夜に誰かに襲われるなんてこともなく、無事に朝を迎えたコスモスは人型のまま眠たげな目を擦り欠伸をした。
朝食は昨日多めに採取していた木の実だ。
食べ終わったらまた球体になって移動するようエステルに言われてコスモスは頷く。
人としての感覚を忘れないようにするためには人型で移動するのが一番だが、力の消費を抑えるのは球体が一番である。
コスモスの疲労度合いは隷属しているアジュールにも関係するので、無理はできない。
要の攻撃がいざという時何もできませんでしたなんて笑い話にもならないだろう。
「あなたの幸せを祈らせてください」
そんな言葉を聞いてコスモスは動きを止めた。
土の神殿へと向かう道すがら、修道服のようなものを着た女が一人分かれ道の中央にある木の下に立っている。
道ゆく人に声をかけ、そうして祈っている姿を眺めていたコスモスはノルマなんだろうか、と怒られそうなことを思いながら通り過ぎた。
ありがたいと思うよりも先に、胡散臭いと思ってしまう辺り若くない証拠だ。あと十年若かったら戸惑いながらも祈ってもらったに違いない。
(こっち見て微笑んだってことは、私のことは見えてたんだろうなぁ)
あまりにも自分のことが見える存在が多くないか、と首を傾げるとエステルも何か思うようで小さく唸り始めた。
『基本的にお前を認識できる存在は限られているはずだがな』
『まぁ獣人は感覚が鋭いって言ってましたし、精霊の類も身近でしょうから当然なのかもしれないですけどね』
『それにしてもだ』
『うーん。私の気が緩んでるとか?』
『そういう問題ではないと思うんだがな』
コスモスは自衛のために防御膜は常に張っており、見つかりにくいように気配もなるべく消すように心がけている。
何かいるなと相手が思っても、精霊だと思われるだろう。
あれだけ誰にも認識されないから自由にやりたい放題だと子供のようにはしゃいでいたのが懐かしい。
草を食む草食獣を眺めていたコスモスは、気分転換に移動速度を上げる。浮遊している彼女が神殿の方向へ最短ルートを選びながらレースのように加速していく姿を捉えられるものはいない。
カーブでは速度を緩めつつ障害物にぶつからないように曲がり、時には空高く跳んで上空を鳥のように駆ける。
はしゃぎすぎだ、と苦笑するエステルの声を聞きながら爽快感に叫びたくなるコスモスはぐんぐん速度を上げた。
絶叫系を好んで乗るタイプではなかったが、これは楽しい。
スピード狂の素質でもあるんだろうかと目を輝かせながら、更に加速しようとしたコスモスの目の前に白い布が迫る。
「んぐ」
慌てて気づいたコスモスが速度を落とす前に布は眼前に迫り、彼女を捕らえた。
すり抜けられると思ったコスモスが踏ん張ると、スポンと抜ける。
チッ、と舌打ちが聞こえて彼女は動きを止めた。
「誰かと思ったら、レナードだわ。無視しよう」
彼が何の目的で自分を捕らえようとしたのか分からない。きっと、狙いは自分じゃなくて偶々引っかかってしまっただけだ、と頷いたコスモスは立ち去ると見せかけレナードの頭上に着地した。
ポンポンと軽く飛び跳ねて吐き気を催す彼の反応を見る。
『魔力吸い上げとか、やることがエグイのう』
『なんだかそういう大変な体質みたいですよ。私は飛び跳ねてるだけですけど』
『餌にされそうなものなのに、よう生きておるわ』
『エステル様も結構ひどいですよね』
レナードの頭上で楽しく飛び跳ねているだけで先ほど消費した力が戻ったように感じるのだからありがたい。
「だぁかぁらぁ、俺は嫌だったんだよぉ」
「あれ、狙いは私だったの? って言っても分からないですよね」
「オエェっ、マジ勘弁してくれよ。本当に謝罪しますから離れてくださいって」
「うーん。私はもう離れてるんだけどね。見てた精霊たちが楽しそうにくっついたり飛び跳ねてたりするだけで」
地面に膝から崩れ落ちるように倒れながら、嘔吐するレナードは気配を感じてゆっくりと顔を上げる。
そこには普通の精霊よりも大きいコスモスの姿があった。
てっきり未だ密着されてると思っていた彼は、呆然とした顔でゆっくり自分の体を見て絶叫する。
あらゆる属性の精霊に好かれるようにぴったり密着されているのは、コスモスとしては微笑ましいのだが当人にしてみれば悪夢でしかないのだろう。
「あの魔獣、獣はいないのか? 嘘だろオイ、どうやって会話しろっていうんだよ。無理だろコレ」
「お困りのようですね、レナードさん」
「お前っ……丁度良かった。助けてくれ」
「えー。精霊さんたちに好かれていてとても素敵じゃないですか。わぁ、羨ましいなぁ」
音も無く姿を現したのはクラシカルメイド服がとても良く似合う美少女のような美少年。
こういう人物に関しては性別なんて必要ないのではないか、と思いながらコスモスは先ほど別れたばかりの彼へ目をやった。
気づけば少し離れた木陰でアジュールが楽しそうにこちらの様子を見ている。
「お前、分かっててやってるだろ。いいから助けろ!」
「うーん。助けてあげたいのは山々ですけど、そんな風に偉そうにされると助ける気も起きないというか……自業自得じゃないですか」
「は? 自業自得?」
全身から力が抜けたかのようにその場に倒れたレナードは、可愛らしく微笑んでいるアルズを空ろな瞳で見つめた。
太陽の光に照らされた彼の姿は、さながら自分を迎えに来た天使のように見えるが澄んだその瞳は全く笑っていない。
どちらかと言えば死に誘う悪魔か死神のようだと思っていると、体が軽くなった。
ほっと安堵して呼吸を繰り返し、ゆっくりと体を起こす。残念そうな顔をするアルズを睨みつけるとレナードは彼の近くで浮遊するコスモスへを視線を移した。
「用件なら僕が聞きますよ」
「あ?」
スッと邪魔するように割って入るアルズがニコニコと読めない笑顔を浮かべる。ガラの悪い声を出したレナードはアルズとコスモスを見比べて目を細めた。
「そうか、お前人探ししてたんだっけ……おいおい、やめろ。俺が悪かったからやめてくれ」
首筋に当てられる刃の冷たさに、対処が遅れた己を罵りながらレナードは溜息をついた。両手を上げて降参を告げるがアルズは動かない。
心配そうに近づいてくる精霊に小さく悲鳴を上げたレナードを見て、コスモスは「そのくらいにしてあげたら」と助け舟を出した。
「サクッとヤッた方が早いですって」
「悪かったって。心から謝罪する。お詫びもする」
「仕方ないですね。じゃあ、移動しながら言い訳を聞きましょうか」
レナードの首に当てていた短剣をしまったアルズは、にこりと微笑んで立つように促した。スカートの裾についた汚れを手で軽く払い終えると簡単な浄化の呪文を唱える。
相変わらず器用なもんだなと呟きながら立ち上がったレナードは、様子を窺うように自分の周囲を回るコスモスを目で追った。
「警戒されてますよねぇ……やっぱり」
「あぁ、最初から私が狙いだったのね。何かしたかな?」
月石鉱山に無断侵入しただろうとのエステルの言葉は無視して、コスモスは首を傾げる。彼女の言葉をアルズが伝えると、レナードは笑って誤魔化すように頭をかいた。
するり、と誰も気づかぬうちにアジュールはアルズの影へ忍び込む。一瞬遅れて反応した彼は影の中に煌く赤の双眸を見ると再びレナードへ視線を移した。
「あはは。ええと、いやぁ、貴重な虫でも取れないかなぁと」
「虫扱いか。いつもの飄々としたレナードらしくないんじゃないかな。あの布は特殊加工がしてあって私を捕縛するには最適のもの。わざわざその布を使うくらいだから、狙いは最初から私でしょう」
「え、レナードさん僕のマスターのことを虫扱いしてるんですか?」
「してないしてないしてない。その目はやめてくれ」
必死に首を横に振るレナードにエステルが笑いを堪えきれずに噴き出す。彼の腰が引けているのもおかしいのだろう。
コスモスは、虫扱いかと呟いて溜息をついた。
自分を捕獲するには最適な方法だが、他に手段はなかったのかと。
寝てる間に布を被せられそのままお持ち帰りされたら起きるまで気づかなかっただろう。レナードがここにいるということは、コスモス達を夜間に見つけられなかったのかもしれない。
しかし、この通りは神殿へと向かう道でもあるが行き先はどうやって知ったのか。
何故自分達がここを通るだろうと知っていたのかというコスモスの疑問を聞いたアルズの目が鋭くなった。
「アラディアさんの命令でマスターを捕獲しようとしたんですか?」
「いや、あの方は関係ない。俺の独断だ」
「何故?」
「お嬢が心を許していた存在だし、何より力になってくれるんじゃないかと思ったからだ」
その言葉に偽りはないだろう。
殺気を隠そうともしないアルズを落ち着かせるために、コスモスは彼の頭にちょんと着地する。軽く衝撃に一瞬大きく瞬きをしたアルズだったがすぐに笑顔になった。
「マスターが何故ここを通ると知っていたんですか?」
「いや、それはた」
「たまたま、ではないでしょう?」
「……はぁ。旅の占い師に言われたんだよ。探しものは必ずここを通るって。だから、その、仕掛けて待機してたってワケだ」
旅の占い師と聞いてコスモスの頭に浮かんだのはレサンタでの出来事だ。
評判の占い師に占ってもらったことを思い出す。
願い事、叶うが非常に難し。波乱あり。
もっと穏やかに解決できないものかと思いながら、現状に溜息をついた。あの占い師は今どうしているだろうか。
(ろくでもない占い師の行方も分からないままだし。これ、絶対後で出てくるパターンでしょ)
知ってる、と誰にでもなく呟いてコスモスは息を吐いた。
あの時のことを思い出すと胸の奥が熱く焼けるような感覚になり、吸収した精霊石の力が暴走しそうになるので深呼吸して自分を落ち着かせる。
無理に抑えはせず、緩やかに呼吸をしながら害がない程度にして放出。
人がいないような場所を狙ってすぐ消えるような小さな火球をいくつも飛ばすと、悲鳴がいくつか聞こえて何かが落ちる音がした。
顔色を変えたアルズが素早く移動した先には見慣れぬ男と女の姿がある。
人がいないと思ったんだよね、と言い訳をしながら謝ろうとするコスモスだったがアルズが二人を手早く縛り上げてしまったので驚いた。
少し遅れて姿を見せたレナードは、アルズが縛り上げた二人を見て眉を寄せる。
「連絡を取る前に気絶させたので大丈夫ですよ。処理が面倒なので、自害しないようにしておきますね」
「悪い、助かる。こいつら、ギュンターの手先だな」
「知り合いですか」
「やめてくれよ。こんな奴等と知り合いだなんて気持ち悪い」
「どうします?」
「部下に連れて行かせる。俺たちは別だ」
コスモスが一緒に連れて行かないのかと思っていると、アルズの影に潜む赤い目と目が合った。ニヤリとするようなその表情に、この獣は気配に気づいていたなと察する。
それからアルズが二人に何かしら施して、レナードの部下が到着すると気絶した二人をそのまま連れて行ってしまった。
「アラディア様のところへ戻る。全てはそこで話そう」
「マスターが着いて来てくれるとでも?」
「ちょ、えっ……えっ、そうなのか」
「だって、関係ないですもん。協力するもんだって思ってるその考え方やめたほうがいいですよ」
すっかり着いていくつもりになっていたコスモスは、アルズの言葉にハッとして気を引き締める。
流されるところだったと慌てれば、エステルがアルズのことをいい弟子だと褒めた。
キリッとした表情で戻ると告げたレナードは、予想外のアルズの言葉にうろたえる。ちらちら、と窺うように頭上のコスモスに目をやっていたが眉は下がり、情けない中年になってしまっていた。
「第一、僕は仕事ですからいいですけど、マスターにメリットはないでしょう?」
「えっ……精霊ってそんな感じなのか」
「精霊にも色々種類はいますけど、基本的に何かしてもらいたいなら対価が必要でしょう? まぁ、僕のマスターはとても優しいので無償でもいいと思いますけど」
アルズがそう言えばレナードはホッとした表情をする。
対価を貰うことなど考えていなかったコスモスは感心したようにアルズを見つめた。
「仕事の報酬に勝手に何かしら貰っていかれても、文句は言わないでくださいね」
「なにかしら?」
「そうですね。貴金属品や食料、薬、古書、古代のアイテム、貴重な素材、あとは魂とか寿命とか? 目に見えないものを奪われる方がこわいですけどね」
ふふふ、と笑う姿はとても愛らしいがその口から出る言葉は恐ろしくてコスモスも小さく震えてしまう。
どんな存在なんだ自分は、と思っているとエステルが何を貰うべきかぶつぶつ呟いていた。
「だから、精霊ってのは苦手なんだよなぁ」
深い溜息をつくレナードは額を押さえて眉を寄せる。
その姿は実年齢よりも老けて見えた。




