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いえ、私はただの人魂です。  作者: esora
祝福の代償
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148 自覚し続けること

 今すぐ逃げたい心情だが、しっかり抱えられている腕の中では身動きもままならない。いつものようにすり抜けてしまえばいいのにそれができないのは、彼を置き去りにして消えてしまった罪悪感があるからだろう。

 ここまで逞しく育ってくれたのなら何も言う事はないと距離を取ればいいのに、可愛らしい笑顔の奥に潜む恐怖に寒気を感じた。

(おかしいな。こんな子じゃなかったんだけど……)

 人は成長するものだと分かっていてもそれを受け入れるまでに時間がかかる。いつまで経っても可愛いアルズでしかなかったコスモスとしては寂しいがそれが自然のことだ。

「それで、お仕事行かなきゃいけないんでしょ?」

「僕の仕事って何だと思いますか?」

「聞かなくていいです」

「えー」

 こんなことをしてる場合じゃないだろうと遠回しに告げれば、アルズはにこっと笑ってそう尋ねてきた。

 嫌な予感しかしないコスモスはすぐにそう答える。

 アルズの不満そうな声と同時に、アジュールがホッと息を吐いたのが分かった。


『つまらんのう』

『土の神殿に行くのが目的なんですよ。ユリアには悪いですけど、これ以上首を突っ込まずに退散するのが一番だと思います』

『半分ほど浸かっておいてか』

『まだ……どっぷりではないですし、私はそこまでお人好しじゃないですよ』

『そうだな。カニ家族は無事に合流し、あの様子なら悪く扱われることはないだろうからの』


 完全に信用できるのかと言われれば頷けないが、それでも現状一番良い環境にいるのは間違いない。

 あとは、騒ぎが落ち着いた後で元の住処に帰れればいい。

 あの場所が気に入ったならそこにいればいいんじゃないかと思いながらコスモスはスポンとアルズの腕から逃れた。

 軽く聞こえた舌打ちは気のせいだということにして天高く跳ぶ。

 ここなら容易に捕まえられないだろうと思ったからだ。

「あー、マスターひどいですよ。久々の再会だっていうのに」

「いつまでも甘えん坊じゃないでしょう? 自立できるくらい逞しくなったようだし」

「……」

「それに、私の事情に無理に関ることないのよ」

「ふーん。それがマスターの本心ですか」

 本心と言われればそうだが、それだけではない。異世界からの転移者であることを隠しているコスモスとしては、転生者であるアルズとは距離を置いたほうがいいと思っていた。

 自分が転移者であることは隠すべきだとマザーやエステルからも言われている。

 アジュールはコスモスが転移者だろうがさして興味を示さなかった。だが、首輪なしの体もないただの人魂の状態で異世界から来た人間がフラフラしているのが危険だということは分かる。

 だからこそマザーも自分の娘として扱っているのだし、それをコスモスも了承した上で利用させてもらっている。

 アルズは転移者ではなく転生者だ。つまり、前世の記憶を持ちつつこの世界の住民として生まれ育った。

 通常なら消えるはずの前世の記憶が色濃く残り、その知識を活用しながら今の立場にいるのだろう。

 コスモスが転移者だと知った場合彼がどんな反応をするのかが怖い。

 気にしすぎだろうかと思いつつも、コスモスはその時がくるのが不安でしょうがなかった。


『……怖いか』

『はい。一度中途半端にいなくなった手前、何とか力になりたいとも思いますけど自活できてるようですし。元の世界に帰るために動いてると知れたら、拗ねるどころじゃすまないような気がして』

『気のせいだったらいいだろうが、気のせいではないだろうな。死にかけのところを拾われて生きていく術をそれなりに教えられた。突然お主が消えたというのもしょうがないと理解しているだろうが、トラウマになっていそうだな』

『私のせいじゃないんですけどね……』


 できればコスモスだってちゃんと独り立ちするまで見守りたかった。だがやけに鮮明な変な夢だと思っていた出来事が、現実とは思うまい。

 何で自分ばかりこんな変な体験をするんだ、と頭痛がしながらコスモスは溜息をついた。

「分かりました。仕事が終わり次第合流しますね。あ、何か困ったことがあれば呼んでください。僕の名前を呼んでくれたらすぐに駆けつけますから」

「えっと、アルズ。分かったんだよね?」

「はい。マスターの気持ちは分かりました。でも、僕がすることは変わりませんから」

「ん?」

「置いてかれるのはもう嫌ですから、ついていきますよ。僕がしたいことを僕が決めたんです。マスターもそれでいいって言いましたよね?」

「あぁ、うん。まぁ……」

 情けないくらいに歯切れが悪くなるコスモスはスススと退避するようにアジュールの傍まで移動する。

 面倒臭そうな顔をした獣は溜息をついて背中に着地した主を、ぺしりと尻尾で軽く叩いた。

 そのせいでコスモスはバランスを崩し、宙に放り投げられる。その隙を逃さぬよう再びアルズに捕まってしまい、彼女は恨めしそうにアジュールを見つめた。

「マスターはマスターがやりたいことをすればいいんですよ。僕も僕のやりたいことをするだけなので」

「うーん、気持ちはありがたいけどね。協会と揉めたりするの嫌よ?」

「大丈夫ですよ。僕のことで協会が何か言ってきたら、サクッとヤっちゃえばいいんです」

 笑顔で言うことじゃないだろうと思いながら、コスモスはもしかしたら自分の想像していることとは違うかもしれないとアルズを見つめる。

「指名手配になるのはごめんだわ」

「バレなきゃ平気なのでは?」

 やはり想像通りだったかと思いつつ、どうしたものかと考えているコスモスの耳に笑いを噛み殺しているアジュールの声が聞こえてきた。

 どうやらあの魔獣はこの若い獣人がお気に召したらしい。

(メイド服の美少女に抱き締められてるのはとても嬉しいんですけどね。中身は男の子だし、可愛かったあの頃と違って怖くなってるし。時間の経過って怖い)


『成長すれば変わる者などいくらでも存在するぞ』

『分かってますけどね。分かってるつもりなんですけど、心が追いつきませんね』

『……コスモス』

『どうかしました?』

『いや、気づいていないならそれで良い』 


 何か言いたげなエステルの様子が気になったが、それよりも目の前のアルズである。

 何の仕事をしているのか聞きたくはないが、恐らくユリアやリーランド家に関することだろう。

「今回の仕事、早く終わるかと思ったんですけど結構長引いてるんですよね」

「へぇ」

「でも、そのお陰でマスターと再会できたのでオッケーです」

 えへへと笑うアルズは本当に可愛い。黒さなんて微塵も見えないいい笑顔だと思いながらコスモスは気のない返事をした。

「じゃあ僕は仕事に戻りますから、マスターはお気をつけて」

「あ、いいの?」

「はい。追いかけますから御心配なく」

 削れるんじゃないかと思うほど頬ずりをされたコスモスは、やっと離されて宙に浮かぶ。アルズは笑顔でそう言うとその場から姿を消した。

「え? 消えた?」

「能力だろうな。気配を消したり瞬時に移動したり」

「役に立ちそうな奴だなとか思ってたりする?」

「あの火の球よりはマシだろう」

「またそんなこと言って」

 溜息をついてアジュールと二人再び移動を始める。このまま順調に行けば明後日には土の神殿へ到着するだろうと言われ、コスモスは気を引き締めた。

 食事や休息は基本必要のないコスモスだが、それでもアジュールは気を遣って休憩を入れてくれる。

 夜は危ないからと火を熾して野宿するのだが、そもそもこの行為も本当は必要がないものだ。

 その気になれば駆けるアジュールに合わせてコスモスも移動できる。

 強行軍で行かないのかと、アジュールが獲ってきた魚を焼いていたコスモスはふと気になって尋ねた。

「別に急ぐ理由もないだろう。急げと言われたか?」

「言われてないね」

「だったら、休息をとりながら万全の状態で向かうのがいい」

「……ありがとう」

「気にするな。美味しい木の実の見分け方を学んだだけ成長してるぞ」

「いただきます」

 それは褒められているのか。

 複雑な気持ちになりつつ、焼き魚を頬張る。お腹が減らないはずなのに、グゥと腹の音が鳴ってエステルが笑った。


『たくさん食べると良い。食べたら眠って早朝にまた動けば良いのだ』

『のんびりしてていいのかなって思っちゃいますけど』

『人としてありたいのだろう? ならば、人であった頃と同じような行動をするのは大事ではないのか?』

『……そう、ですよね』

『コスモス?』

『いや、そう思ってたんですよ。最初は私もそう思ってたんですけど、この体というか状態に慣れてしまうにつれて、その感覚が鈍くなっていくというか』


 自分でも危険だとは思うがその方が楽なのでついつい流されてしまう。

 その気になれば感覚を無効にできる。ゆっくりと睡眠をとりさえすれば、食事も必要ない。頑張れば休息すら無用な気がする。

 それでも感覚を有効にしているのは人であることを忘れないようにするためだった。

 もし、後で人に戻れた時に変なことをしたりしないようにというのもあったが、人であることを忘れてしまうようなこの体が怖くて憎かったのだ。

 それが今ではすり抜けるのも慣れてしまって便利だなと思う日々。


『環境に慣れるように心身が変化しているのかもしれんな。しかし、戻った時のことを考えねばならんぞ。お主は戻りたいのだろう?』

『はい。五体満足でここに来る前の状態に戻りたいです』

『ならばそれをずっと思い続けることだ。現状に満足しては戻れるものも戻れなくなるかもしれんからな』

『怖いこと言わないでくださいよ』

『まだ全くと言っていいほどお主に関する手がかりが見つかっていないのだぞ? 少しは危機感を持て』


 エステルの言う通りなのは分かる。

 だが、ノアとその弟子に出会ったことも充分な収穫だろう。弟子はメランと瓜二つであり一部記憶を失っている。二人に何かしらの繋がりがあることは確実なのでメランを追えば何かしら手がかりを見つけられるかもしれない。

 とても細い線のような希望だが、そのくらいしかないのだ。

(私を召喚した人が亡くなってたとしても、その関係者が出てきてくれてもいいのに。もうこの際だから、襲撃とかでもいいから)

 デザートの木の実を食べ終わったコスモスは、魚を平らげたアジュールに促されるまま木の根元に収まるようにして目を閉じた。




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