147 師弟の再会
にこにこと笑顔を向けてくる美少女にコスモスは首を傾げた。いつでも飛びかかれるような体勢をとっていたアジュールだが、威嚇にも怯まない彼女を見て何を思ったのか表情を変える。
ころり、と後ろ足でコスモスを後方へ転がしながら軽く弾む彼女を長い尻尾で抑えた。
ボールになった気分だ、と変なことを思いつつにこにことしたままその様子を見ていた少女を観察した。
「こうしてお目にかかるのは初めてですね、アジュールさん」
「……ふん」
「えっ……えっ?」
彼女を視たコスモスは戸惑いを隠せずにそう呟く。クラシカルなメイド服を身に纏った彼女は尻尾から逃げるように転がり距離を取る人魂を見つめた。
にこりと微笑んでゆっくりと近づくと、大切なものに触れるように優しく抱き上げる。
すり、と熱を持つ球体に頬ずりをすればその懐かしさに目が細められた。
「お久しぶりですね、マスター」
「アルズ!?」
「はい。貴方の可愛い弟子のアルズです」
可愛い美少女は、可愛い美少年でした。
彼を視てその正体に気づいたコスモスは驚きのあまり言葉が出てこない。叫ぶように彼の名前を口にすると嬉しそうに微笑まれて微妙な顔をしてしまった。
様子を窺っているアジュールは「また変なのに好かれて」とでも言いたげな顔をしている。
『知らぬうちに獣人の弟子などおったのか』
『いや、これも良くある夢と現の狭間というか、寧ろ夢だと思ってたことなので』
『お主は本当にそれが多いの』
『私に言われても困るんですけどね』
好きでそうなっているわけじゃない。
胸の内でそう呟くとエステルが笑う声が聞こえた。
「あーうん。色々聞きたいことはあるけど、元気そうでなによりだわ」
「はい。もー、あの後大変だったんですよ。マスターは口早に色々言って消えちゃうし。協会に行ってから仕事をするようになって、力もそれなりにつけてマスターを探しながら仕事を続けてたらこうして出会えたってわけです」
「はぁ、うん。ごめん」
ぷぅと頬を膨らませて拗ねる姿は可愛らしい。中性的な顔立ちはしているが、まさか女装がここまで似合うとは思っていなかったとコスモスは深呼吸した。
もし仮に変装ではなく趣味なのだとしたら不要な言葉で彼を傷つけかねない。
(寧ろ、彼女として扱うべきなのかしら?)
「マスターを探すって目的があったから、ここまでやってこられたようなもんですけどね。僕、あの頃より成長したでしょう?」
「うん、とっても。びっくりしちゃったわ」
「えへへへ」
驚きのあまり上手く言葉が出ないコスモスを他所に、アルズと呼ばれた美少女にしか見えない美少年は獣耳を動かして人魂を抱きしめる。
抱きしめられるとよく分かるが、硬い胸板やごつごつとした腕は男のものだ。肩幅もあの頃より大きくなり、ほどよく筋肉のついた体はしなやかだった。
見た目や雰囲気は美少女のように可愛らしいのに、ギャップがすごい。
足が隠れるほどのロングスカートは、筋肉がついた脚を隠すには最適なのだろう。
声を聞けば確実に男と分かるが、出会った頃よりも低くなっているような気がしてその成長の早さにコスモスは目を細めた。
「マスター」
「あ、ごめんねアジュール。何となく勘付いたと思うけど、彼はアルズ。色々あって、中途半端に面倒見ていた子なの」
「初めまして、アジュールさん」
「……お前も大変だな。中途半端に放置されて」
「まぁ、それはマスターにも予想外だったみたいですし。それに、マスターを探すという目的を得られましたから」
何もなく悩むよりマシですと笑顔のアルズにアジュールは同情するような視線を向けた。
イグニスの時のように喧嘩になってしまうのかと案じたコスモスは、穏やかな会話にほっと息を吐く。
『まぁ、マザーの娘であるお主のことだ。何があっても驚きはしないがな』
『夢と現実の判別がまともにできない私は、自分が怖いですよ』
『そう気にするな。お主が好きなようにすればよい。今回もその結果がここに繋がったのだから』
『そうですかね』
『そうだ。変に考えすぎるな。余計に悲惨なことになる』
そうなんだろうか、と小さく唸るコスモスに気づいたアルズが抱き締めていた腕の力を緩めた。苦しがっていると思ったのだろう。
「アルズ、どうして貴方がここにいるの?」
「あ、本題ですね。簡単にお話するとそれが仕事だからです」
「あー、協会から紹介された仕事?」
「はい」
魔人協会から紹介される仕事とは何だろうと視線を下へ向ける。それに気づいたアジュールは溜息をついて「直属だな」とだけ言った。
「さすがですね、アジュールさん。そうです、その通りです。僕の雇い主は協会です」
「ん? 協会からの仕事を請けてるのって普通じゃなくて?」
「普通は雇用主を紹介されるんです。協会が直接仕事を依頼することはあまりないでしょうね」
「直属というのは、協会付きだということだ。よほど腕に覚えがある者か、才能ある者でなければ無理だ」
平凡でとりたてて凄い才能はないと言っていたあのアルズが、協会から依頼されて仕事をしている。それはとてもエリートなのではないか。
「表向きには公表されてませんからね。協会に直属の部隊がいるというのは秘密ですから」
「えっ、バラしていいの?」
「マスターは僕の命の恩人ですし、知ったところでどうということもないでしょう? アジュールさんは知っていたみたいですし」
アルズの言葉にアジュールはフンと鼻を鳴らした。
彼自身も獣なのだから知っていてもおかしくはない。
「ええと、仕事でここにいるのは良いとして。その……格好も仕事だったりする?」
「はい、仕事です。僕みたいなのは女装した方が潜入しやすいみたいで。あ、趣味じゃないですよ。残念ながら目覚めてもないです」
「嫌、ではない?」
「うーん。仕事ですからね。提案された時は本気で嫌でしたけど、実際この格好の方がすんなり忍び込めるので。複雑です」
仕事だからと割り切れるようになるまで、どれだけの葛藤があったのだろう。
コスモスは、自分がいなくなってから一人で生計をたてるべく頑張っていたアルズを想像して眉を寄せた。
「流石に声出したらばれるので、昔盗賊に襲われて瀕死になった際に喉が傷つけられて声が出ないという設定にしてます。このチョーカーはその傷を隠すため、マスクは念の為ですね」
「それも協会の指示なの?」
「そうですね。それと、僕からの提案でもあります」
「……協会は何をやっているんだ」
呆れたようなアジュールの言葉にアルズはパチパチと大きく瞬きをしてからにこりと笑う。
「僕を保護しつつ、利用してるってところですね。僕としても協会という大きな後ろ盾があるから安心して暮らせるというメリットもありますし。意外と融通きくんですよ?」
「表向きはどうなってるの?」
「協会の職員として働いています。もちろん、普段は男の格好してますからこの姿が僕だと知ってるのはごく一部ですよ」
「なるほど。暗殺者としては最適だな。お前の才能はそれに特化してるわけか」
「どうでしょう。気配を消すのも潜入するのも楽にできますけど、対象を殺すのだけは今でも慣れないですね」
さらりと告げられた殺すという単語にコスモスは驚いた声を上げる。アルズの腕から飛び上がった彼女を柔らかな手が優しく元に戻した。
「よく言う。ユリアの屋敷近くの森で男を殺したのはお前だろう?」
「……さすが、アジュール先輩」
「えっ、男ってあのろくでもない酔っ払い?」
食堂の女の子に手を出そうとしてナイフを刺された男を思い出す。森で死体を見つけたのはあの男しかいない。
どうしてその男を殺したのかと尋ねる前に、アルズが口を開いた。
「あの男は屋敷内部の情報や、ユリアやその側近達のスケジュールを調べて外部に報告する役目だったんです。暫く泳がせておいたんですけど、これ以上目ぼしい動きもないですし上の了承も得て消しました」
「消し……消したの。重要な情報源にはならないって判断したのね」
「金で雇われた男でしたが、最近の動きは横暴になってましたからね。依頼主にも金額の値上げをしていたようですから、彼の依頼主もホッとしてると思いますよ」
「ということは、依頼主の特定は済んでいるということか」
「ふふふ」
可愛らしく笑い、コスモスを優しく撫で頬を寄せる姿は子供そのもので愛らしい。
中途半端にして姿を消した後ろめたさもあり、彼の好きにさせていたコスモスだが「ん?」と呟いた。
「そうなると、随分前から私に気づいてたってことよね」
「はい。僕も仕事がありましたし、マスターのお邪魔をするのもいけないなと思って様子を窺っていたんです。あの男も本当なら瀕死状態で引き渡す予定だったんですけど、運がなかったみたいですね」
「何をしれっと言っている。毒を盛ったのはお前だろうが」
「えへへ」
にこにこ笑いながら照れている場合ではないと思う。冷や汗をかきながらコスモスはそろりと彼の腕から抜け出そうとするのだが、それに気づいたアルズがじっと見つめてくるので動きを止めた。
『ほぉ、やるなぁ』
『いや感心してないでお手伝い願えません?』
『久々の再会に離れたくない子の気持ちも考えよ。被害があるわけでもないなら、じっとしてればよかろう』
『こんな子じゃなかったんですよ……素直で優しい子だったんです』
『お主と別れた後で、色々と成長したのだろうな。暗殺者としての仕事をこなし、仕事ならば相手を殺すことすら厭わない』
そう言われてしまうとコスモスは何も言えなくなる。
村を焼かれ、家族や知り合いを亡くし一人で膝を抱え震えていた少年が生きていくためには強くなるしかない。
仕事があれば対価を得られる。その才能故に目をつけられることもあるだろうが、協会が後ろ盾ならばまず大丈夫だろう。
協会の庇護の下、そういう仕事をすると決めたのはアルズ自身だ。強制されてそうしているという顔はしていない。
もっとも、そうせざるを得ない状況なのは確かだろうが。
「マスターに不快な思いをさせたんですから、当然ですよね」
「えっ」
「……マスター、きちんと手綱を握っていろ」
「はっ?」
一オクターブ低い声は男としか思えないもので可愛らしさは一切ない。驚いて短い声を上げるコスモスにアルズはにこにこと笑い、溜息をついたアジュールはそう呟いた。
「えーっと。あ、仕事はまだ終わってないんでしょ? だったらこうしているのはいけないんじゃない?」
「大丈夫ですよ。報告はさっき終えましたし。仕事はまだ続いてますけど、ここでマスターに話しかけないとどこかに行っちゃいそうだったので」
「……どこかに?」
「はい。あの時みたいにまた急に消えられたら僕もショックですもん」
面倒なことになった。
そう素直に思うコスモスにエステルの笑い声が聞こえる。
「お前、馬車が襲撃されてマスターが攫われるのも見ていたな」
「……本当にさすがですね。マスターの第一従者だけはあります」
「あぁ、そうなの」
「怒らないんですか?」
「だって仕事でしょう」
アルズはコスモスが普通の精霊ではないことを知っている。だから例え攫われたとしても上手く逃げられると思っていたはずだ。
もし仮にギュンターを張っていたのだとしたら、彼が奪った箱をどうするか想像がついただろう。
「怒ってもいいんですよ? マスター」
「いや、怒らないって。寧ろこっちの油断があの状況を招いたんだもの」
ただの人だったら何であの場で助けてくれなかったんだと喚いていたかもしれない。だが、普通でないことを自覚しているのでコスモスに怒りはない。
ぷぅ、と頬を膨らませるアルズに笑いを噛み殺すようなアジュールの声が聞こえた。
「優秀な先輩がきちんとマスターをお守りすると思っていましたので」
「それは悪かったな。我がマスターはいつでも守りが必要なほどか弱くはないのだ」
「はぁ。やっぱりアジュールさんはすごいですね。隙を見てマスターに接触しようとしたことは何度もありますけど、その度に阻んでたじゃないですか」
「お前の正体が分からなかったからな。マスターを危険から遠ざけるのは当然のことだろう?」
「むぅ」
幼さを見せるその仕草とやっていることのギャップ。
眩暈がしそうだと思いつつコスモスは静かに息を吐いた。
「まぁ、元気で良かったわ。逞しく生きているみたいだし」
「ねぇマスター?」
甘えたような声にゾクリと悪寒が走る。これは嫌な予感しかしないが拒否することも難しい。
コスモスはアルズに抱かかえられたまま平静を装って「なに?」と尋ねた。
「僕のこともう置いてったりしませんよね?」
「あれは私も予想外だったんですけど……」
「勝手についていっても文句言いませんよね?」
「そうねぇ」
彼がどうしたいかは彼が決めるべきだろう。
コスモスとしては今の仕事をそのまま続けたほうが安定して良い生活ができると思うのだが。
どうやらアルズはコスモスが悪いわけじゃないと理解していても、中途半端なまま彼女がいなくなってしまったことを根にもっているらしい。
「あ、アジュール」
「好きにしろ。決めるのはマスターだからな」
「わぁい。ありがとうございます」
良いとは言っていないが、半ば押し切られる形でアルズの同行を許すことになってしまった。協会は大丈夫なのかとコスモスが心配すれば彼はにっこりと笑う。
「行方不明になってしまった恩人を探すのが優先ですからという条件で仕事をうけているので大丈夫ですよ」
「……しっかりしてる」
「協会は専属にしたいようでしたけどね。マスターに合流さえできればこっちのもんですから」
「わお」
「また面倒なのを拾ったな」
溜息混じりに呟くアジュールの声を聞きながら、コスモスはどうしてこうなったと心の中で呟いた。
楽しそうに腹を抱えて笑い転げるエステルの姿が見えたような気がしたが、きっと気のせいだろう。




