146 一家団欒
「なんでこうなるの」
目の前の光景に思わずそう呟いてしまったコスモスが振り向くも、当然そこには誰もいない。
正面に目を戻せば、仲睦まじいカニ家族の姿がある。
「ここが一番安全だと判断されたか、それとも謀られたか」
「後者じゃないことを祈るわ」
ユリアの屋敷に家族揃っておいておけないとはいえ、こちらに家族が揃ってしまうとまた面倒なことになるのではとコスモスは首を傾げた。
栄養状態良し、環境も良し、精神的負荷も低い。世話をしてくれている人物も固定で二名ほどいるようだ。
いずれ自然に返すから過度な接触は控えているらしいが、仲の良いカニ家族を眺めながらほのぼのしている姿を良く見る。
(あれ、これって最適な環境なのでは?)
『ユリアが嫌う長子の陣営なれど、あやつが判断してここに父親を連れてきたのならばそうなのだろうな』
『現状、一番安全で環境のいい場所ってことですか』
『ああ』
コスモスも初めてここで母子を見た時にそう思った。しかし、ここに連れて来たのはユリアが嫌い目的の読めぬアラディアの陣営である。
何か裏があるのではないかと警戒していたのだが今のところその気配はない。
ノアとアラディアが繋がっているのだとしたら納得できる。
しかし、ノアに自分を敵に回す理由があるだろうかと疑問になった。謀られたかと言ったアジュールの言葉を思い出してコスモスは考える。
証の持ち主以外は出入りできぬ月石鉱山に、コスモスはなんの苦労もなく入れる。だからこそノアのお願いも無事にきくことができたのだ。
月石鉱山で入手した鉱石をノアが他へ渡すということは考えられない。
今までの出来事を簡単に説明したコスモスに、エステルは暫く考えるようにしてから入手した鉱石でギリギリだなと言ったのだ。
どうやらノアが何を作ろうとしているのかエステルには想像がつくらしい。
何を作るのかと聞いてもエステルはニヤニヤと笑うだけで教えてくれない。次に会った時にそれが分かるだろうとだけ言った。
「でも、本当。アジュールが無事で良かったわ」
「マスターに心配されるとは、私も落ちたものだな」
「そうは言ってもね。私もエステル様の忠告が無かったら危なかったと思うもの」
本能的に嫌な感じはしたが、すぐに行動に移せたのはエステルの声があったからだ。
それがなかったら硬直したまま最悪の状況になっていたかもしれない。
何がいたのか、あったのか。戻って確かめることもなかったコスモスには分からないが、アジュールに聞いても分からないままでいいとだけ言われてしまった。
「でも、アラディアとレナードが繋がってたのは衝撃だったわ。いや、あるのかもしれないけど」
「最初からだと思うぞ」
「最初から?」
「恐らく、ユリアが家を出る前からだ」
レナードから微かにアラディアの匂いがしたと獣は言う。彼の嗅覚は確かだから間違いなどではないだろう。
どれだけ慎重に身奇麗にしても残り香というものはあるらしく、川辺でアラディアと会った時にアジュールは「おや?」と思ったらしい。
『ほぉ。己の愛人を妹の世話係にしたか』
『勝手に愛人関係にしないでくださいよ。元は同じ家にいたんだから交流もあるでしょう。ユリアの懐刀というくらいなら、長子であるアラディアが知らないはずもないでしょうし』
『甘いなぁ、コスモス。本当にお主は平和でのんびりとした世界にいたのだな』
『そうですね。幸い、人間関係のドロドロぐちゃぐちゃは実体験したことないので感謝してます』
一瞬、元彼のことが頭を過ぎったがあれは違う。
あれは自分が一方的に愛想を尽かされて振られただけだ。
そう思いながらコスモスは軽く鼻で笑った。
「で、どうする。カニ家族は元の場所には戻せないが合流は成功した。マスターの用事も片付いた現状、これ以上ここにいる理由もないが」
「そうね。元の場所に戻るまでなんて言ってたらどれだけ時間かかるか分からないし。カニさんに挨拶して土の神殿に向かいましょうか」
「そうだな」
目標は達成した。これで本来の目的地に迎えると気持ちを切り替える。
珍しそうな声を上げるエステルに首を傾げれば、助けないのかと尋ねられた。
『助けるって、リーランド家の問題ですか?』
『ああ。ユリアに随分肩入れしておるのだろう』
『それはそうですけど、部外者が首突っ込んでもいいことはないですし。中途半端に巻き込まれた形ですから』
積極的に介入するのは避けたい。
もし自分達が完全に巻き込まれている状態ならば無視するわけにもいかないが、もうその理由がなくなってしまった。
カニ家族の合流という目的が達成されてしまったからだ。
ユリアのことは心配だが、彼女が悪く言っていたアラディアは悪人ではなさそうなのできちんと話し合えば何とかなると思う。
妹のことを心配し過ぎているドリスもアラディアとユリアが和解すれば安心できるだろう。
『そうか。そうだな。カニ家族をどうにかする途中で巻き込まれてしまえば、否が応でも何とかしなければいけないからな』
『……ゾッとするのでやめてください』
『確かに、中途半端も中途半端だ。しかし、本来の目的とは違うのも確か』
楽しそうに笑うエステルの声を無視しながらコスモスは傍らにいる獣へ視線を落とす。それだけで理解したのかアジュールは水浴びを楽しんでいるカニ親子のところへ移動した。
大きくはさみを振るカニと何かを話している。
一番大きなカニが体を左右に揺らせながらバチンバチンと音を鳴らす。見ればその円らな瞳からは滝のような涙が流れていた。
「わぁ。まだフィナーレには早いのに感動してらっしゃる」
『本能的にここは大丈夫だと分かっておるのだろう』
「売り飛ばされたりするかもしれませんよ?」
『それならとうにやっておる』
その通りだろう。
アジュールの傍にきてぱちんぱちんと可愛らしくハサミを鳴らす子供のカニ。前足で押されて水中に落ちても楽しそうにハサミを鳴らす。
カニ家族のハサミの音に見送られながらコスモス達はその場を後にするのだった。
「うん? 土の神殿はどこだっけ?」
「正確な場所ならエステル様に聞けば良いのではないか?」
「あ、そっか。うーん」
「どうした?」
「何か忘れてるような気がするんだけど何だったかな」
モヤモヤとするがそれが何なのか分からない。
アジュールも不思議そうに首を傾げるだけなので、大したことではないのだろう。
そのうち思い出すかと気楽に考えながらコスモスはエステルが告げる方向へと移動を始める。
薔薇鉱山を少し過ぎた辺りで休憩を取ることになり、コスモスは一息ついた。
本当は休まず移動もできるのだがコスモスの精神的なものを心配するアジュールの配慮だろう。
「いいお天気ですね」
「そうですね」
心は晴れ晴れとはいかなくとも、空はぬけるような青さで気持ちがいい。本当にいい天気だなと思いながらコスモスはふと隣を見る。
気づけばアジュールの尻尾に軽く飛ばされ、代わりに前に出た彼がグルルと威嚇していた。
そんな状況に、コスモスに声をかけた人物はきょとんとした顔をして首を傾げた。




