141 なまえ
そもそも、カニ家族救出すれば終わりのはずだ。そこに変なお願いをされたからややこしくなっているが、リーランド家の騒動に自ら巻き込まれることもない。
ひどいと言われようが優先すべきことは先にある。
カニ家族救出はコスモスの我儘のようなものでもあるので、それを解決したらトシュテンと合流して女王に挨拶をしてから土の神殿へ向かいたい。
(勝手に約束したのはアジュールなんだけどな。関わりたくないと思っても、ユリアのことを完全に無視できない自分もいる……)
あれもこれも、自分が助けたいと思う欲深さ。
そんな力は無いと自覚しているはずなのに、何とかなるのではないかと思ってしまうのは未だお客様気分だからだろうか。
異世界からきた、特殊な能力や加護を持つ存在。
この身でそれには当てはまらないと自分で言うわりに、もしかしたら物語の主人公達のように活躍できるのではないかと思ってしまう己が恥ずかしい。
「カニ家族救出するためには、リーランド家の騒動を何とかする必要もありそうね」
「えっ」
「私のお願いもスムーズにいくと思うし」
「……自分で行けばいいんじゃないかな? 貴方なら行けるでしょ」
「行けないことはないけど、あの場所は相性が悪いのよ」
わざとらしく大きな溜息をついて少女はちらりと背後の少年を見る。大人しくソファーに座って会話を聞いていた少年は軽く身構えた。
「アレはもっと駄目ね。失敗するのが目に見えているもの」
「あーうん。分かる気がするわ。拾われる前の彼だったらできそうだけどね」
「そんなに印象違う?」
「うん。前に会った時はもっと殺気立ってたし、邪魔するなら倒すってギラギラしてるところあったもの」
それが例え相手を思っての行動だったとしても、あんなことでは感謝されるわけもない。もっとも、あの時の彼は感謝される為にあんなことをしたとは思えないが。
(誰も信じてくれないだろうけど、阻止するために何でもするって感じだったものね)
「あんなにオドオドして、怯えて弱気な別人じゃなかったわ」
「ふぅん」
聞いてきたわりに興味がなさそうに答える少女にコスモスは首を傾げた。
もし彼がメランと同じような性格に豹変したらどうするつもりなのだろう。そうなったとしても簡単に伸せる自信があるからこの態度なのか。
よく分からないとコスモスは気づけば人型の姿で腕を組んでいた。
「そんなことよりも、今はカニ家族のことが大事でしょう? 救出するのが難しいなら先に周囲を片付けるしかないと思うけど」
「強制的になんとか妻子を父親のいるユリアの屋敷に移動させれば……」
「それで良くなると思う?」
「いや、うん。正直、ユリアのお姉さんがいい顔しないような気がするけど」
ユリアはコスモスの頼みならばと二つ返事で引き受けてくれるだろうが、彼女のことを過度に心配しているらしいドリスはそうもいかないだろう。
可愛い妹が不幸になりそうなものは一つでも潰しておきたいと思うはずだ。
(私のこともよく思ってなかったくらいだからなぁ。カニ父は何とかごまかせるとしても、妻子合流させて安全が確保できるまで置いてもらうのは難しいか)
「こ……」
「ここは無理よ。貴方は今、特殊な方法でここにいることを忘れてはだめ。呼んだのは私だけど、本来なら容易に来れない場所なのよ」
「さすがですよね!」
なぜかグッと拳を握ってキラキラとした視線を向けてくる少年に、コスモスは小さく笑って返す。どう対応していいのか未だに良く分からない。
「移動させることは?」
「そうね……そのくらいならしてあげてもいいわ」
「あげても?」
お願いされているのだからそのくらいしてもいいだろうに、と思ったコスモスが首を傾げると少女は眉を寄せてコホンと咳払いをした。
「いいえ、そうね。言い方が悪かったわ。そのくらいの手助けならできるわ」
「凄いね。その調子でさ……」
「リーランド家のお家騒動には関われないわ。それは貴方でなければ」
「いやいやいや」
「もしかしたら裏に、情報を持ってそうな人が関わっているかもしれないわよ?」
それは一体どういう事だろう。
何か知っているのかと無言で見つめるコスモスに、少女はにこりと笑うだけ。
(私をやる気にさせるだけのハッタリってこともあるか)
「可能性は限りなく低いって分かってるはずだけど?」
「残念。乗ってくれてもいいのに」
「ええと、そこの少年は帰りたいとか思わないの?」
「思います! 思ってます。でも、今のところ手がかりは皆無なので……」
しょんぼりと俯く少年にコスモスはやっぱりと呟いた。不機嫌そうに鼻を鳴らす少女を見れば、ツンと澄ましている。
もう少しで騙されるところだった、と心の中で思いながらコスモスは苦笑する。
(詳細話してないはずだけど、帰りたいって分かってるみたいだよね)
見た目よりも随分歳をとっていると本人は言うが、どのくらい年上なのかは分からない。けれど、一緒にいる少年の発言からすると自分の祖母より年上かもしれない。
これは自分の正体も分かっていると思ったほうがいいんだろうなと考えながら、コスモスはふと少女と少年の名前が気になった。
隠したいという理由があるならともかく、名前が分からないのは何かと不便だ。
「あぁ、ごめんなさい。伏せていたいという気持ちも少なからずあったのは事実だけど、ここまで縁を深めておいて名乗りもしないなんて失礼だったわ」
「いや、言いたくないなら適当に呼ぶよ」
「そっちの方が不安だわ。私はノア、彼は……」
胸元に手を当てて遅い自己紹介を始めた少女は、そこまで言って困ったように首を傾げた。ソファーに座っていた少年の顔色も悪い。
「あ、あの、弟子です。ノア様の弟子ですので、弟子とお呼びください!」
「そういうわけにもいかないでしょう」
「弟子くん」
「呼ぶの!?」
白くて小さな手を額に当て、溜息をつきながら頭を左右に振った少女にコスモスは気にせず少年のことを呼ぶ。
驚いた顔をしてコスモスを見つめる少女ことノアは、信じられないとでも言いたげな様子で彼女を見つめた。
「はい!」
「ちょっと、適当な名前が思いつかなかったからってそれはないでしょう!?」
「え、でも……いいと思うんですけど」
にこにこ、と悪意のない笑顔を向ける少年にノアは声を荒げる。師弟のやり取りを眺めながらコスモスは思わず頬が緩んでしまった。
(適当な名前が思いつかないって言ってるの気づいてるのかしら。まぁ、言いたくないなら言わなくていいとは言ったけど)
「センスがないわ。私の弟子を名乗るなら、それなりのいい名前にしなさい」
「そんなこと言われても……。名前取られちゃったじゃないですか」
「他人の前で簡単にそういうこと言わないの!」
本当にこの少年があの時の人物と同一だとは信じられない。そんな気持ちでコスモスは弟子である少年を観察していた。
前に会った時よりも幼いような気もするが、それは中身に引っ張られて外見もそう見えてしまうだけか。
ノアに怒られて涙目になりながら鼻を啜り、でもでもだってを繰り返す少年を見ていると抱いていた腹立たしさも忘れてしまいそうだ。
(名前が取られたってことは、まさか?)
「もしかして、貴方の本名ってメランだったりする?」
「わぁ、流石ですね」
「だからそういうところ直しなさいって言ってるでしょ! そうですって反応してどうするの!」
「え、だって嘘じゃないですし」
「そういう問題じゃないの!」
素直すぎると言えば聞こえはいい。だが、ノアが怒る気持ちも良く分かるとコスモスは大きく頷いた。
悪評高いメランを名乗るのはリスクが高すぎる。別人であればそれほど肩身も狭くないかもしれないが、よりにもよってその人物とは双子かと思うくらいに良く似た容姿をしている。
本人じゃないといくら否定したところで信じてもらえないだろう。
未だにコスモスも疑っているくらいなのだから。
(うーん。あっちもこっちも、面倒なことに首突っ込んでる気がする)
気のせい気のせい、と自分に言い聞かせながら落ち着くためにお茶を飲んだコスモスは、師弟の賑やかなやり取りを眺めつつ砂糖菓子を口に放り込んだ。




