140 おねがい
嫌な予感しかしなかったので思わずお断りしてしまったコスモスに、少女は頬を膨らませた。その様子はとても可愛らしいが、だからといって頼み事を安易に引き受けるほどコスモスも暇ではない。
「こっちも色々立て込んでるのよ」
「カニ家族のこと? 仮に合流させたところで元の住処に戻しても同じことになりそうだけど」
「それは分かってるんだけど」
「……そうね」
ユリアのいる屋敷にカニ父を預かってもらっているが、何者かに捕らえられたはずのカニ母子の待遇が想像していたものと違って拍子抜けしているのもある。
これなら寧ろ、母子の下に父親を合流させた方がいいのではないかと思うほどだ。
「川に住んでいたカニ家族の母子を人質に父親を脅す。でも、母子は移送先できちんと管理されてるって不思議よね」
「そういうこともあるんじゃない? 暴れられると迷惑だからちゃんとしなきゃいけないとか」
「それなら父親脅すのだった無謀でしょうに」
確かに。
モヤモヤとしている部分はそこか、と呟いてコスモスは首を傾げた。そうしていると、おずおずと手を上げた少年が会話に入ってくる。
「あ、あの、いいでしょうか?」
「なに?」
「その、カニお父さんを脅した人物と母子を攫った人物は別なんじゃないかと……思うんですけど」
「当然それも考えるわよ。だとしたら何が目的かっていうのが問題なの」
小さく息を吐いてそう告げる少女の言葉にコスモスは、そのパターンがあるかと言いかけて口を閉じた。
少年は笑顔を浮かべながら「そうですよね」と告げる。
なぜそこで笑えるのか分からないがキラキラとした瞳で少女を見るので、ネガティブな感情ではなさそうだ。
(ネガティブな感情に支配されたらメランに戻る……いや、だとしても同時に良く似た人物が別の場所で目撃されてる理由には弱いか)
考えた仮定をすぐに否定してコスモスは首を左右に振った。
「カニさんは家族を人質に取られて月石鉱山の結界を破壊するように指示されてたけど」
「月石鉱山の結界の破壊をカニにさせるって……バカなの?」
「そんなこと私に言われても」
「あっ、そ、そうよね。ごめんなさい。貴方に言ったつもりはないんだけど」
後ろの方では少年がびくっと体を震わせ怯えるようにコスモスをチラチラ見ていた。
何故そこで怯える、と突っ込みそうになったがやめた彼女はこほんと咳払いをする少女に首を傾げる。
「月石鉱山に結界が張られてるっていうのは常識?」
「そうね。魔術に長けているものなら気づくでしょうね。神聖な場所とされてるなら立ち入るのは管理しているリーランド家でしょうし。いくら教会といえど、管理者の断り無く侵入するなんてことはしないはずよ」
「うーん」
「管理者であるリーランド家ですら、証を持つ管理者と一緒でなければ入れないもの」
「あぁ、後継者ね」
ユリアが持つ後継者の証を思い出してコスモスが頷くと、少女は不思議そうに首を傾げた。
「鉱山管理の後継者よ?」
「うん。それで次期当主ってことよね」
「いいえ、違うわ。後継者の証というものは月石鉱山の管理をする者に現れる証よ。リーランド家の後継者とは別」
「え?」
ユリアとレナードの会話を思い出し、コスモスは小さく唸る。
あの話からはどう考えても月石鉱山を管理できる証を持つ者が次期後継者だと思ってしまう。
リーランド家のユリアと長年リーランド家に仕えているらしいレナードが嘘を言っているようにも思えなかったが、と疑いの眼差しでコスモスは少女を見た。
「私が嘘をついたところで何のメリットもないわよ。証なんてなくとも鉱山に入ろうと思えば入れるもの。貴方のようにね」
「何でそんなに詳しいの?」
黒い蝶まで纏わせたり使ったりして怪しすぎる目の前の少女が怖くなって、コスモスは思わずそう尋ねてしまった。
そうしてからしまった、と言わんばかりに誤魔化す言葉を探す。
しかし少女は寂しそうに笑うと、怒った様子もなくコスモスを真っ直ぐ見つめてこう言った。
「この見た目ではあるけど、年寄りなのよ」
「あーなんかそういうのあるね」
「ですよね! ぼくも、それだと思いました。見た目は美少女、中身は老女」
「喧嘩売ってるの?」
「ヒィ、ち、違いますごめんなさい」
(それは怒られるわ。事実にしても言い方考えないと)
先ほどまでコスモスの言動に怯えたりしていたのが嘘のように、生き生きとした表情で少年が声を上げる。
うるさそうに眉を寄せた少女が軽くそちらを見れば、しゅんとした様子でソファーに座った。
「まぁ、いいわ。答え合わせなら現当主に聞くのが一番だろうけどそうもいかないでしょうね。ならば、オルクスの女王に聞くのがいいんだろうけどそれも時期じゃない、か」
「え?」
「リーランド家は代々長子が継ぐことになってるわ。そして、長子は必ず女と決まってる」
「決まってる?」
「そう。長子に何かあった場合は次子へ。継ぐのは必ず女よ」
それも決まっているのかとコスモスが口にする前に、少女は無言で頷いた。各家庭に色々な決まりごとがあるだろうからそれに口を出すようなことはしたくないが、それにしてもこの少女が詳しいのが不思議だ。
(年の功と言われればそれまでだけど……)
「母親に嫉妬されて父親に毒を盛られ、死にそうになりながら自分を殺した罪をなすりつけられた人と逃げ出して家とは縁を切ったとか言われてたけど」
「それなら話は簡単ね。敵は内部にいる」
「でしょうね」
「両親ではなくて、よ」
(ではない?)
悩むコスモスの様子を見ながら少女は楽しそうに笑った。何がそんなにおかしいのか、とコスモスがムッとすれば「素直なのね」と言われる。
そんな風に言われる歳はもう過ぎたと思っていただけに、反応が遅れた。
「貴方はユリアに肩入れしているから頭も固くなってしまっているのよ」
「でも、あの話が嘘だとは思えない」
「けれど私のことも嘘だと否定できなくて悩んでいる?」
「そうね」
「うん。やっぱり素直だわ。私、貴方のこと好きよ」
ただの優柔不断なだけじゃないのかと思いながらコスモスは可愛らしい笑顔を向ける少女を直視できなくて、誤魔化すように焼き菓子を二、三個頬張った。
空中に消える菓子に少年が驚いた声を上げる。
「ユリアに嘘を吹き込んだ人物がいたとしたら?」
「んん?」
「彼女の命が狙われたのは後継者の証が現れてから。月石鉱山に自由に出入りできる証を持つ者が久しぶりに現れたとなれば、丁重に扱われるはずよ。それだけ月石鉱山はリーランド家にとってもオルクス王国にとっても大事な場所だもの」
証を持つユリアと現当主である母親の仲が良くては困る人物。
一体誰なんだろうとその人物を想像する。
「母親が嫉妬に狂い、実父が一服盛ったなら領内で賞金稼ぎの頭になってる娘を見逃すはずもないか」
「そうね」
「私がその母親だったらすぐに刺客送るなりするもの。いくら月石鉱山の貴重な後継者といえ、そこまで憎んでたならいなくても問題ないだろうし」
各代に証を持つ者が存在していたのかどうかも調べたい。不在でも問題なかったのならば嫉妬に狂った母親の凶行も頷ける。恐らくその意を汲んでユリアの父親が毒を盛ったということだろうが夫婦仲はどうなのだろう。
一族の長たる妻に絶対服従で逆らえないのか、それとも彼女の言うことに喜んで従う人物なのか。
(ユリアの話からすれば、ノリノリって言ってたくらいだからすすんでってことよね)
「でも現状は、野放しにされている」
「ユリアは月石鉱山がある限り自分も優位に立てると思ってるみたいだけど」
「どうしてそう思っているかも不思議だけど、両親に対する感情をそう仕向けた人物がいたとするなら……」
「内部、か。家族内にいるってこと? 怖い」
「家族、使用人。彼女が心許す相手だというのは間違いないわね」
だとしてもその目的は何だろう。
最悪、ユリアが消えて得をする人物。
両親が除外されるとするなら、リーランド家次期当主である長子かユリアの証を妬む者か。
「ユリアは十三番目の子供なんですって。ということは、疑わしい兄弟だけでも十二人いるってことか。多いな」
「目的は何だと思う?」
「分からないよそんなの。ユリアを殺害して証奪って自分に移植するとか?」
「あぁ、そういう手もあるわね」
「あるんだ」
できないと否定してほしかったコスモスは、手段はあると頷いた少女にそれを想像して顔を引き攣らせた。自分で言っておきながら、食べたものが口から出そうである。
「証の所有者を殺害した場合、同時に証が消えてしまうこともあるけどね。やってみなきゃ分からないものね」
「物騒なこと言わないでよ」
「死にかけたということは、ギリギリのところで捕らえて移植する予定だったのかもしれないけど」
「もうやめてもらえませんか」
少女の言う通りコスモスはユリアに肩入れしているのだろう。
だから彼女が証を持つせいで家族内部から狙われているなんて想像するだけで辛くなってくる。
内部の人間を唆す外部の可能性だってあるじゃないかと言えば、証を継げるとしても身内でなければ無理だろうと言われコスモスは唇を噛んだ。




