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13 五年ぶりの再会

 儀式の最後に黒い蝶が現われソフィーアの成人の儀を台無しにした日から三日が経った。

 混乱し、不安になっていた民衆や観光客たちも今では落ち着きを取り戻し、姫の心配をしながら未だ賑わう祭りの余韻に浸っている。

 ずらりと並んだ屋台は今日も盛況で、美味しそうな匂いがあちらこちらから流れてくる。

 宿はどこも盛況で、近隣の町もその恩恵に与っているらしい。

 あれ程の騒ぎがあったというのに、今ではもう皆が穏やかな表情をして姫の成人を祝っている。

 儀式後、過度の疲れによって気を失い眠ったままだった姫が目を覚ましたのはつい先程だった。

 ぼんやりとした表情で目を開けた彼女は自分を見下ろす面々を見て小さく微笑むと、何かを探すように視線を彷徨わせる。

「ソフィー? 判るかい?」

「はい……お父様」

 見慣れぬ天井と部屋の様子に自分が屋敷でもなく教会でもない場所にいるのだと気づいた彼女は、声をかけてきた父親を見つめる。

 その後方では三人の兄が心配そうに声をかけてきた。

 一番酷く心配そうにしているのが二番目の兄で、彼の言葉を聞きながらも彼女は眉を寄せる。

 頭がぼんやりとして、何を言っているのか良く分からない。

「ソフィー、何か欲しいものはあるか? して欲しい事はあるか? 何がいい? 何をして欲しい?」

「イスト兄うるさい。声小さくしてよね、ソフィーの耳に刺さるだろ」

 心配なのは分かるが、鬱陶しい。

 そう言わんばかりに三男ウルマスは兄の髪を引っ張り大事な妹からしつこい兄を離した。後ろで一つに纏められていた綺麗な金髪を力の限り引っ張られた次男イストは忌々しげに弟を睨む。

 ソフィーアの父親であるエルグラードは驚いたような顔をする娘に小さく謝り、溜息をついた。苦笑して返される声は弱々しく最愛の妻と面影が重なる。

 僅かに眉を寄せたエルグラードが言葉を紡ぐ前に、イストが退けられて空いた場所へ頼れる長兄アルヴィが入ってきた。

「失礼しますよ、父上。ごめんね、ソフィー。目を覚ましたばかりだと言うのにうるさくて」

「いいえ。お父様も、お兄様方も相変わらずで安心しました」

「ありがとう。具合はどうだい?」

「だいぶ、良い……です」

 全身の倦怠感と高熱からくる思考の低下。体を動かすのが億劫で、上手く頭が回らないが“生きている”というのは喜ばしい事だ。

 いっそのこと、と一瞬でも考えた自分に嫌悪しながらソフィーアは小さく笑みを浮かべる。

「そうか。アレクシスも来ているよ。彼が倒れたソフィーをここまで運んできてくれたんだ」

 可愛い妹の表情の変化に気づきつつもアルヴィは一つ頷いて、ベッドの足元の方から様子を窺っている青年に手招きをする。

 父親に手伝ってもらって上体を起こし、ガウンを羽織ったソフィーアは背中と腰にあてられたクッションに身を委ねながら近づいてくる青年を見つめた。

 思い出の中の少年よりも大人びていて、本当に絵本の中の王子様のようだと彼女は目を細める。

 枕元にいたエルグラードは、暴ながら凄い形相で睨んでいる次男を見るとその動きを制している下の息子に目で合図をした。こくり、と小さく頷いた彼は笑みを浮かべてズルズルと兄を引っ張ってゆく。

「離せ! ウル! 俺は、俺は許さないからな! ゆるさな…」

「ごめんねー。失礼しました」

 えへへ、と笑顔を浮かべてそのまま部屋の外に兄を引きずって行ったウルマスは、居心地悪そうにしていた金髪碧眼の青年に軽くウインクをして部屋を出て行った。

「……お父様」

「心配しなくていい」

「そうだよ。問題ないさ」

 ぎゃーぎゃー、と廊下から二番目の兄が騒いでいる声が聞こえてくる。

 あれでいいのかと心配する娘に父親は「いつものことだ」と呟き、アルヴィは穏やかな笑みを浮かべ彼女の頭を撫でた。

 そしてそんな隣でこちらを見つめながらも声を発しない青年へ姫は視線を移す。

「アレク、アレクシス様?」

「久しぶりですね。ソフィーア姫」

 昔はそう呼んでいたように彼に声をかけようとしたソフィーアだったが、慌てて呼び直す。それを気にする事無くアレクシスと呼ばれた青年は軽く一礼をすると微笑んだ。

 どことなくぎこちないその微笑にアルヴィが彼の頭をくしゃくしゃと撫でる。

「アルヴィ!」

「アル兄様!」

 いくら近しく接してきた仲だとは言え、成人を迎えた一国の王子にするような行動ではないだろうと父と妹の声が飛ぶ。それでもアルヴィは軽く肩を竦めて笑うだけ。

「ごめんなさい、アレクシス様」

「いや、いいんだ。お陰で緊張もとれたような気がするし。ありがとうございます、アルヴィ様」

「昔みたいにアル兄でもいいんだよ?」

乱れた髪を手で撫で付けながらアレクシスは律儀にアルヴィへ頭を下げる。ふふふ、と笑いながら幼少時を思い起こさせるような事を告げる長兄に、エルグラードは溜息をついた。

「申し訳ない、アレクシス王子」

「いえ、大丈夫です。それに、あの……ここでは皆さんしかいないのでそう畏まらないでくださるとありがたいのですが」

 公の場ではそれなりの立場に合った振る舞いをする。

 けれども幼い頃から交流のある彼らはアレクシスにとっては家族とまで行かなくとも親戚のようなものだ。自分の血が繋がっているだろう親戚よりも仲が良いかもしれないと思う。

「しかし」

「勿論、無理にとは言いません。お立場も、思うところも色々あるでしょうから」

「父上、アレクは昔のアレクのままですよ。羨ましいくらいに、ね」

 長男の言葉に顔を上げたエルグラードは彼と暫し見つめ合い、その隣に立つ青年へと目を向ける。

 幼い頃よりは随分と落ち着いている彼の瞳は昔と変わらず曇りが無い。

 愛娘が教会へ行ってからも定期的に顔を出してくれていた彼は、婚約者である愛娘に会えずとも愚痴を零したことはない。

 検閲されると判っていても、こちらが呆れるくらいマメに手紙を送って、近況を家族の口から聞いては嬉しそうな表情をするのだ。

 愛妻に似ている娘が可愛らし過ぎるあまり、自分は彼を邪険に扱ってしまったかもしれないとエルグラードは静かに息を吐いた。

「そうか、そうだな。アレクシス王子、私たちは少し席を」

「いえ、あの……できれば、居てくださると」

「?」

 父や兄と青年のやり取りを眺めていたソフィーアは困ったような表情を浮かべ、視線を彷徨わせる彼に父親と揃って首を傾げた。

 久々にこうして会うことができて嬉しい。

 そう思うだけで他に誰がいようがいまいが大して変わりのない彼女にとって、何故彼が困るのかが分からないのだろう。

「あの、あの、すみません」

「王子?」

「はははは!」

 白い肌を赤く染めて俯いてしまった青年にソフィーアは何があったのかと父親に視線で問いかける。エルグラードは何かしら気づいたのか目元を緩ませた。

 アルヴィは自分に隠れるように数歩退くアレクシスを見て笑い声を上げる。

「なにも緊張する事は無いだろう? 幼い頃はよく一緒にいたんだ。それに、ずっと手紙のやり取りをしていたじゃないか」

「しかし、しかし!」

「……お忙しい中、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」

「ソフィー?」

「折角の祝いの席だというのにあんな事になってしまって」

 ソフィーアは眉を寄せて胸元に手を当てた。

 本来ならばあの場所に立つことすら叶わなかった夢。

 それも偶然と幸運が重なり、ギリギリのところで叶った夢。

 その晴れの舞台で、来訪した人々に少しでも喜んでもらおうと一生懸命に練習を繰り返したことを思い出し、彼女は俯く。

 久々に会えた彼にも迷惑をかけてしまったので、気分を害してしまったのではないかと不安になった。

「いや違うんだ。そうじゃないんだ」

「アレク、ソフィーはまだ本調子じゃない。グズグズしてると、退室だぞ?」

「そうだな」

「そんな! お父様もアル兄様も、アレクシス様はわざわざ見舞いにまで来てくださったのに」

 酷い、と呟くソフィーアに父親も兄も苦笑するばかり。困ったような表情をして彼らを交互に見ていたアレクシスは「違うんだ」と真っ直ぐにソフィーアを見つめた。

 不安そうな緑の瞳に、アレクシスは「ごめん」と呟く。

「違うんだ。エルグラード様もアルヴィ様も悪くは無い。勿論、君だって」

「けれど……」

「あのね、ソフィー。アレクは照れてるんだよ」

「え?」

 言われたことがすぐに理解できなかったソフィーアは首を傾げ悪戯っぽく笑う兄を見つめた。慌てた様子で口をパクパクさせるアレクシスに大きく瞬きをしていれば気まずそうに目を逸らされる。

 隣からは口元に手を当てて俯き加減になった父親の姿があった。

「照れる?」

「あーうん。ほら、実際に会うのは久しぶりだから、随分と淑女らしい女性になったなと驚いただけなんだ」

「素直に綺麗になったと言えばいいのに」

 はは、と笑みを浮かべながら告げられた言葉に少女の頬が赤く染まった。ぼそり、と呟いたアルヴィの言葉に困った顔をしたアレクシスだったが驚いた表情をするソフィーアを見て慌てる。

「ごめん。起きたばかりなのに無理させたね。それに随分と長く話をしてしまって」

「いいえ。体調は随分と楽ですから。高熱は慣れていますし、辛くはありません」

 すぐに退室するから、と告げたアレクシスに軽く頭を左右に振って微笑んだソフィーアを眩しそうに見る父子。彼女の今後についてはマザーから聞いているが本当にそれでいいのかと悩んでいたエルグラードはもう少し様子を見る事にした。

「ソフィー。あまり無理をするものじゃないよ。アレク王子は暫くこちらに滞在するそうだから、また来てくださるさ」

「でも……」

「久々の再会に興奮するのはいいけれど、興奮し過ぎてまた体調が悪くなったら意味が無いだろう?」

 自分の胸の奥を擽る良く判らない感覚に、ソフィーアは眉を寄せて自分は大丈夫だと告げる。せっかく会えたのだから彼の時間が許す限り色々と話したい事がある。

 手紙に書かれていたことや、会えずにいた期間に彼がどんな事をしてどんなものを見てきたのか。

 検閲されて黒く塗りつぶされた箇所だって口頭ならば塞げる者はきっと誰もいないはず。

 急に目を輝かせ始めたソフィーアを見て、父親と兄が優しく宥める。

「お父様、そう言えば儀式の事は?」

「あぁ、それなら両陛下とマザーが上手く治めてくださった。来賓の方々も一部を除いたらまだ滞在しておられるよ」

 途中で気を失ってしまったのでその後どうなったのか知らない主役の少女は、今更ながらその事を思い出して慌てる。

 真っ先に聞くのはそっちじゃないのかと苦笑しながらアルヴィは身を屈めた。

「皆様ソフィーの事を心配していたよ。そして素晴らしい儀式だとも褒めてくださった」

「え、本当に?」

「ああ。皮肉な話だけれど、危機に面して君と守護精霊の力が如実に示されたからね。皆、元気になった君と話がしたくて滞在しているのさ」

 私もその一人だけれど、と付け加えて笑うアレクシスにソフィーアは信じられない様子で口元に手を当てる。

 最後の最後であんな事になってしまって、散々な儀式だったと責められているのかと思えばそうでもなかったのだ。しかし、あれは自分の力ではない。

 自分の力であんな事は為しえないのだとソフィーアは室内を見回す。

 先程から見つからぬ存在を探して注意深く部屋を見回すがどこにもその姿は無い。胸元を掴み泣き出しそうなソフィーアに三人は首を傾げた。

「どうしたんだい? ソフィー」

「具合が悪いのなら医者を呼んでこようか?」

「……あぁ、多分マザーのところだと思う」

 何を探しているのか判らない父親と兄は何も言わぬ妹に調子が悪いのかと慌て始める。違うのだ、とそれを止めた彼女の心を読んだかのように欲しい答えをくれたのは家族ではなくアレクシスだった。

「マザーの?」

「恐らく」

「……あ、守護精霊を探していたのか」

「何だ、いないのか? 私はてっきりずっとついているものだとばかり」

 基本守護精霊は守護する人物と共にいる。

 姫であれば精霊の力を扱う事ができるので狙われやすく、そのボディーガードも兼ねている精霊は姫と常に行動を共にするのが常識。

 だからこそやっと授かった精霊の守護が無くなってしまったのではないかとエルグラードとアルヴィは顔を見合わせた。

 無事に儀式が終えられた今となっては精霊がいなくても何とか誤魔化せるのだが、この場にアレクシスがいるので下手な事は言えない。

 ソフィーアが精霊の守護が受けられない、というのは国家機密でもあるのだから。

 綺麗な終わり方では無かったものの、異議も無く成人の儀が終わった。

 やっと安心できる、と思っていたがまだ気が抜けぬのも事実。

 非常に危うい綱渡りをしている状況は今も変わらないのかと言葉を探すエルグラードに、安心した吐息が聞こえる。

「そうですね。ええ、きっとマザーのところでしょう」

「ソフィー?」

「あの方がいらっしゃらず不安でしたが、確かに城内にはおりますから」

 娘の発言にエルグラードは再び息子と顔を見合わせる。

 そんな様子を気にすることもなくアレクシスだけは不思議そうに首を傾げ、ソフィーアに問いかけた。

「守護精霊の居場所が判るのかい?」

「はい。少々疲れますが、心を落ち着けて神経を研ぎ澄ませばその気配を感じる事が出来ます。正確な居場所までは判らないのですけど、城内にいらっしゃるのは確実です」

 心の中で強く彼女の名前を呼んで集中すると慣れた気配を遠くに感じる事ができた。城外にいるのなら気配を感じることはできなかっただろうと思いながらソフィーアは心底安心したように息を吐く。

「あぁ、そう言えば王妃もそんな事をおっしゃってた時があったな」

「王妃様も?」

「ああ。守護精霊を持つ姫でしか判らぬ事が多々あるのだろうな。さぁ、安心したのだから少し休みなさい」

 父親に促されてやっと頷いたソフィーアはアレクシスを見て何か言いかけたが口を閉じ、頭を下げた。次はいつ来るのかとそういうところか、と推測したアレクシスは柔らかな笑みを浮かべて彼女の欲しい言葉をくれる。

「君の体調が良いようだったら、明日も来るよ。勿論、エルグラード様の許可さえ頂ければね」

「……お父様」

「ならば今日はゆっくり休む事だね、ソフィー」

「ご飯もしっかり食べて、苦い薬も全部飲むんだよ?」

「アル兄様! 私はもう子供ではないのですよ? 大体、昔もできるだけ残さず食べていましたし、薬も……頑張って飲んでいました」

 優しく頭を撫でる父親の手に目を細めていたソフィーアにアルヴィが小さく笑いながらそう告げる。

 いつまでも小さな妹のままではないのだと感情を露にする彼女を見て三人はまるで昔に戻ったようだと笑い声を上げた。

 すぐ下の弟がこの場にいたらうるさい事になっていたに違いないと頷いて、アルヴィは損な役回りを押し付けてしまった一番下の弟に何か奢ってやらないとなと思うのだった。



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