138 へんげ
不思議なものだとコスモスは思う。
黒の少女も正体不明で怪しい人物には違いないが、警戒というものをしていない自分には笑ってしまう。一緒にいる少年も自分に害はないのだろうと分かっているが、嫌悪感は隠せない。
威嚇するように殺気を隠そうともしないコスモスを椅子の上に積んだクッションの上に乗せて、少女は正面に座る。
顔を青くして部屋の隅で小さくなっている少年は、少女の命令によって部屋から出て行くこともできずに震えていた。
「つまり、そこにいるのはメランと非常によく似ているけど別個体だってこと?」
「ええ、そうよ」
「霊的活力まで酷似していて別人?」
「ええ」
怒りを孕んだコスモスの言葉に少女は冷静にそう返す。お茶を飲む姿も落ち着いていて自分の方が子供の様ではないかとコスモスは眉を寄せた。
ちらり、と部屋の隅にいる少年を見れば俯いて体を小さくしたまま震えている。霊的活力など見ずとも恐怖しているのは良く分かった。
「……記憶喪失で自分のやったこと忘れてます。だから、仕方ないよね? ではなく?」
「ではなく、よ。恐らく、メランが村人に発見されるより早く私はアレを拾っているわ」
「でも」
「それに、あなたはメランとあれきり再会していないのでしょう? 今のメランを視ていないのなら決定付けるのは時期尚早だと思うわ」
少女の言葉に声を詰まらせたコスモスは、胸の内にあるモヤモヤを誤魔化すように可愛らしい菓子を頬張る。
サクサクとして甘さ控えめな生地に、こってりとしたクリームが合って美味しい。
(確かに、吹っ飛ばされた後にメランに会ったといえばロッカの中でだけど、あれは会ったとは言えないからなぁ)
痕跡を探して追うだけで、再会できていないのは事実だ。できれば会いたくないが、会って確かめたいことはある。
まともに会話ができるか分からないが、いざとなれば無理矢理欲しい情報を聞きだすことはできるとアジュールが言っていたのであまり心配はしていなかった。
「そうね。その通りだわ。いきなり不躾な態度をとって申し訳ないとは思っているけど、儀式を邪魔して混乱させたことはどう説明するの?」
「あれは……そうね。あれは、彼がやったことよ。メランじゃない」
溜息と共に頷いた少女の言葉に離れた場所に立っている少年の体が大きく震えた。バッと顔を上げたかと思えば何かを言おうと口を開け、コスモスを見て視線を逸らし口を閉じてしまう。カチカチと歯を鳴らしながら短い声を発する少年の呼吸が段々と荒くなっていく。
「儀式を台無しにしておきながら、その後も守るためだとか変なこと言って何度も襲撃してきたよね?」
「あ……うぅ」
「残念ながらあれは私の指示でもないわ。私がアレを拾ったのはその後だもの」
「ここにいるってことは、解放されたんじゃなくて逃げ出したってこと?」
「恐らくそうね。今思うと余計な拾い物をしたと思っているわ」
言葉の割りに少年の状態は良いので、きちんと面倒を見ているのだろう。はたから見れば兄妹のような関係に見えるが、主導権は完全に少女が握っている。
「何でそんな面倒なものを拾ったのよ」
「気まぐれよ。貴方もあるでしょう? そういうこと」
「……否定できないわね」
もぐもぐ、と綺麗に積み重なった小さなシュークリームのようなものを口に運びお茶を飲むコスモスは自分が段々と落ち着いてきていることに気づいた。
少年に対する怒りも、少女に対する八つ当たりに似た感情も今は薄い。
それでもソフィーア姫の晴れ舞台である成人の儀を汚し混乱させたことに対する怒りは未だ消えないのだが。
「彼に話をさせてもいいけど、貴方とではまともに会話できないだろうから私が話すわ。それでいいかしら?」
「いいわ」
少女の言う通り、恐らくコスモスと少年では会話が成り立たないだろう。少年は終始コスモスに怯えたままで、コスモスはあまり自覚していないうちに威圧して彼を追い詰めてしまいそうだ。
大人の余裕を見せろ、冷静になれと何度自分に言い聞かせても無理そうだとは自覚している。
会話の途中で体当たりして彼をふっ飛ばし、気絶させてしまってから後悔する未来が見えそうだとコスモスは小さく息を吐いた。
空になったカップには琥珀色のお茶が注がれる。
「儀式を邪魔したのも、襲撃してソフィーア姫を誘拐しようとしたのも全て彼女を守るためだと彼は言っているわ。それは一貫して変わらない」
「はぁ」
「悪い奴等が彼女の命を狙っているから保護しないと危ないんだとか。どうやらその悪い奴等が穢れのない魂と命は上質で成人の儀を機に刈り取るのが一番いいタイミングだと言ってたらしいわ。それを聞いた彼が何とかして助けないとと思ってやった結果がアレよ」
まるで他人事のように話す少女の声を聞きながら、コスモスは口を開けたまま動きを止めていた。どう反応したらいいか分からないといった様子の彼女にお茶をすすめ、少女は話を続ける。
「いつ、どこで、誰がそんなことを話していたのかと聞いても『分からない』しか言わないし。嘘ついているようには見えないけど、それ以外の情報はあやふやで私もよく分からないの」
「別に、信じてるわけじゃないってことかな?」
「半々かな。目を離すとまた変な事しそうだったし、興味があったから拾ったけどあまり役に立たないわね」
(辛辣)
コスモスは小さく唸りながら項垂れたままの少年を見る。立っていた彼はその場に膝を抱えて座っていた。ガリガリと親指の爪を噛みながら床の一点をじっと見つめている。
急に叫んで襲ってきたりしないだろうかと不安になったコスモスだったが、それを察したかのように少女が苦笑して「大丈夫よ」と告げた。
「最初の計画では、成人の儀を阻止するのが目的だったんだけど失敗して儀式を中断させることにしたようね。攻撃力の無い黒い蝶で周囲を覆い、混乱に乗じて姫だけを攫う予定だったけどまさかの失敗。これにはひどく動揺したそうよ。一度失敗すれば、同じ手を二度使うのは危険だもの、当然よね」
「あぁ、黒い蝶で攫うやり方ね。それしかないのか……」
「それでも不幸の象徴となってる黒い蝶が現れたことによって、国民は不安になり動揺は広がった。姫は体調を崩して寝込んだものだから、ここが好機と思って襲撃したけど返り討ち。またまた失敗して追い詰められ、捕まったの」
バカよね、と呟く少女に何と返していいか分からずコスモスは木苺が乗った一口サイズのケーキを食べる。甘酸っぱさがよい刺激になり、少し頭がすっきりした。
少年は会話には加わらないものの、様子を窺っているらしくガタガタと膝を揺らしている。
「黙秘してたって話は聞いたけど、その後を聞いたことなかったわ」
「それはそうよ。騎士団が捕まえた罪人をみすみす逃がしましたなんて言えるわけないわ」
「そうね。悪さしないなら次来た時にって考えるかもしれないけど」
そこまでミストラルの人は優しい、悪く言えば抜けているのだろうかと首を傾げるコスモスに少女は溜息をつく。
「次は無い、とも思って警戒したでしょうね。警備が厳重な独房の中で忽然と姿を消した罪人なんて恐ろしいもの」
「それが疑問なのよね。そんな厳重な警備がされてる独房からどうやって抜け出したんだろうって。見張りも当然ついてるだろうし、隙をつくにしても彼はすぐ捕まりそうだし」
「……見せてあげて」
誰かが手引きしたのか、だとしたら共犯者は目の前にいる少女が一番怪しくなる。何の目的でそんなことをしたのかと考えているコスモスに、少女は振り返ることなくそう告げた。
彼女の言葉に肩を大きく震わせた少年は困ったように眉を寄せ、今にも泣き出しそうな表情で口を動かす。
「私の言葉が分からないの?」
「……分かりました」
ぐっと歯を食いしばって少女の言葉に震えていた少年は、着ているローブのフードを被りその場から消えた。
一瞬の出来事で口をぽかんと開けたまま大きく瞬きをしていたコスモスは、すぐに何かに気づき納得したように頷く。
少年がいたその場所に見慣れぬ蝶が一匹。
大きさも色も幸福の蝶と見まごうばかりの黒い蝶だが、残念なことに幸福の蝶ではない。
「変化できるなら、窓から逃げるのも容易だものね。窓が無くても異変に気づいた兵士が扉を開けた瞬間に外に出られるし」
「アレで逃げた後は宛も無く彷徨って森の湖に落ちて気絶してたらしいわ。私が見つけた時にはびしょ濡れのままで倒れたんだけど」
そのまま捨てられずに今に至るという少女にコスモスはカップに入ったお茶を一気に飲み干した。お代わりを頼めばポットが勝手に動いてお茶を注いでくれる。
見た目は普通のポットだが、保温性能が抜群だなと感心しつつコスモスは程よい熱さのお茶に息を吐いた。
(表向きにはまだ拘留中になってるだろうから確認するのは難しい。でも、こうして彼はここにいる。蝶の姿になれば逃亡できるのも頷けるわ)
そのまま森へと逃げて機会を窺うつもりだったのだろう。しかし、そこで倒れて目の前の少女に拾われ今に至るというわけだ。
「ちょっと待って。蝶に変化できるなら、姫を攫うのだって容易だったはずでしょ? 蝶の姿で侵入して一人でいるタイミングを見計らいその場から誘拐する方がスマートじゃない」
「そこよ。それだけの能力を持っていながら、やることは稚拙でなっていないのよ」
儀式の前も、寝込んでいた時も彼女が一人になる機会はあったはず。
最初から黒い蝶でその場を混乱させ、大量の黒い蝶と共にソフィーアを攫うつもりならばそうすれば良かったのだ。わざわざ人の姿で乗り込むリスクを冒す理由が分からない。
「じゃあどうして、って聞いたら精霊が睨みをきかせて蝶の姿では無理だったんですって」
「え?」
「上手く使えば蝶の姿のまま攫うことはできるのに、できなかった。だから人の姿で強行突破しようと思ったって」
それだけの能力があるのに上手く使いこなせないということか。それはまた不思議な話だとコスモスは首を傾げる。
例え精霊が睨みをきかせていたとしても、無視すればいいだけの話だ。基本的に気まぐれで穏やかな精霊が積極的に介入してくるはずもない。
彼の変化した黒い蝶が不幸を呼ぶ蝶そっくりだとしたら、気味悪がって近づきもしないだろう。
少女の言う通り、その力を上手く使えば誰にも気づかれず姫を攫うことも可能だ。精霊に睨まれたから怖くなって人の姿で強行突破なんて無謀すぎる。
(上手く力を使えないにしてもひどくない?)
これではまるで、突然そんな力を得て使い方に戸惑っているようではないか。
「蝶になる変化の力は後天的?」
「それも分からないんですって。気がついたらそんな能力があったって。あれもこれも分からないことばかり。嘘つくにしたってもっと上手くすればいいのにって思うし、便利な力があっても未だ上手く使いこなせない。不思議で仕方なかったけれど、異世界人なら納得よ」
それでも上手く使いこなせる者はいるけれど、と続ける少女にコスモスは勢いよく蝶になった少年へと目を向けた。
蝶はソファーの背に止まり、ゆっくりと羽を動かしている。
どうやら少女からの指示がない限りはそのままでいるつもりのようだ。
(え? いや、ちょっと待って。さらっと重要なこと言ったけど、え?)
「恐らく後天的なものだとは思うけど。自分がどこにいて何をしていたのかとか、あやふやで覚えていないって本人が言うからそれ以上は分からないわ」
「ちょっと待って。うん、ちょっと待って」
「どうかした?」
「いや、どうかした? じゃなくて。彼、異世界人なの?」
これは大事なことだ。
コスモスはゆっくりとそう尋ねるが、少女はきょとんとした表情であっさりそれを肯定した。
「そうよ」




