137 もや
リーランド家とは、ユリアとドリスの生家である。
彼女達の母親が現リーランド家当主であり、多くの鉱山と鉱夫を抱えている。リーランド家が所有する鉱山からは良質の鉱石が産出されるので市場でも高値で取引されている。
取り扱いは原石のほか、研磨加工し多種多様な商品として出回っている。
(鉱夫の待遇は良く、鉱山も今のところ閉山する心配はない。加工する職人の技術も高く、自社工房をいくつも持っていると)
代々そうやって鉱山に関わる仕事をしながら、市場のバランスも考え一強にならないように調節もしているようだ。
しかし、他の鉱山を所有している家にもリーランド家の者が嫁いでいたりしているので、結局のところリーランド家が制しているといっていいだろう。
(不満出てないならそれでいいんだろうけど)
リーランド家と他の鉱山を所有する家との最大の違いは、月石鉱山である。
月石鉱山で採れるものは希少で滅多に出回らないとされている。そして宗教的観点から特別視されている場所だ。
(創造神が一休みしたって言い伝えられてるだけで、聖地だものね)
ただ、古い書物にそう記されているだけで神聖なる場所となっている。
リーランド家初代がとある鉱山で一休みする神の姿を見たというだけで聖地扱いされるなら、この世界はあらゆる場所が聖地になるだろう。
口にしたら袋叩きにあいそうなことを思いつつ、コスモスは溜息をついた。
ユリアの部屋のドアがノックされ、レナードの声が聞こえた辺りまでは覚えている。次の瞬間、気づけばまたふわふわと漂っていたのだからコスモスもわけが分からない。
(雲の上にいるようでもあり、羊の群れの上にいるようでもあり……大きな綿飴の上に乗ってるような……)
思考がぼんやりとするのは先ほどと変わらない。しかし、嫌な感じはせず寧ろ安心できて心地よい。
アジュールと出会った時とは違う感覚だが、あちらよりはこちらのほうが良い気がした。
(月石鉱山を所有管理するのは代々リーランド家の務め。王家といえど強奪することは許されない)
過去にはその所有を巡って王がリーランド家を潰そうとしたらしいが、神殿の巫女と教会の介入によって王は誅され王家は滅びたと文献にはある。
(希少な鉱石が採取される月石鉱山、それを所有するリーランド家と結晶化)
やはり月石鉱山に何かがあるのは間違いないだろう。しかし、証を持つユリアに無断で入るわけにはいかない。
(入ろうと思えば入れるけど、カニさん家族救出して合流してから考えよう)
お家騒動に巻き込まれている感じもするが、これ以上首は突っ込みたくない。しかし、ユリアのことは心配だ。
自分の力でどこまでできるかと悩んだコスモスは、溜息をついて軽く頭を左右に振った。
(一番の目的は土の神殿に行くことだわ。うん、ちょっと忘れてたけど)
寄り道しすぎかもしれないなと腕を組みながらコスモスは眉を寄せる。
第一、本来の目的は何だ。
(元の世界に五体満足、ここに来る前の状態で帰ること)
一番大切なことは忘れていない。
毎回遠回りばかりして目的の情報が得られないことにイライラすることもあるが、そう簡単にはいかないとマザーからも言われていたのであまり期待しないようにしている。
(異世界から何かを召喚できる力をもつ人がゴロゴロしてたらもっとヤバイだろうしなぁ)
コスモスの頭の中でも、該当者なしとの声が響く。
今まで出会った人達の中で、召喚ができそうなのはマザーとエステルくらいだろうとコスモスは考えていた。
(命と引き換えにって言ったらもっと多いんだっけ?)
バカなことをするなぁと思いながら溜息をつくコスモスの目の前に、薄暗い靄が映し出される。靄の向こうはどうなっているのか分からないが、嫌な感じがした。
飛び込んだらユリアの部屋に出たように、これもどこかへ通じているのだろう。
(こんなところに飛び込むほど、私も馬鹿じゃないわ)
一人頷きながらいつまで経っても消えない靄を見つめていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「この始末まで私につけろというの? あぁ、もうどうして私の邪魔ばかりするのよ」
「申し訳ありません」
「こうなるなんて予想もしてなかったわ」
「ぼ、ぼくもです」
会話が聞こえてくるので耳を澄ませて聞いていると、一人は黒の少女の声に良く似ていた。そしてもう一人の声もどこかで聞いたことがあるような気がするとコスモスは小さく唸る。
(ちょっと、のぞくだけなら)
顔を出して様子を窺うだけなら大丈夫だろうと靄に近づき、距離を確認しながら頭だけ出す。引きずられるかと思ったがそんなことはなかったので安心する。
(あー、ここも薄暗いな。どこかの建物内部だと思うんだけど……声がするのは、灯りが漏れてるところかな?)
気になるが移動するには飛び込まねばならない。
もう少し自分から見える範囲でやり取りしてもらえないだろうか、と我儘なことを思っているコスモスはビリッとした痺れを感じて慌てて頭を引き抜いた。
靄から距離を取って様子を窺う。
(なんだろう。顔がビリッとしたわ。気づかれたかな?)
何かに気づいたとしても自分の正体にまでは気づかないだろう。そうは思っていてもどうなるか分からないのでコスモスは緊張していた。
コツコツと足音が靄の向こうから響いて、近くで止まる。
(偶然なのか、分かっているのか)
「そこにいるの? そこに、いるのね」
(あー分かってる)
そう思っても素直に二つ返事で頷いて姿を見せるようなコスモスではない。じっと黙ったまま薄暗い靄が早く消えるようにと願っていた。
その場から移動するにも上手く動けないのでじっと靄を見つめるしかない。
(うわぁ、靄の一部って黒い蝶じゃないの)
「私の声が聞こえているのに無視するの? 失礼しちゃう」
姿は見えなくとも声の主がどんな表情でどんな仕草をしているのかは容易に想像できる。どうしたものかと悩んでいるコスモスの間近で声が聞こえて彼女は驚いてしまった。
「あぁ、そこにいたのね。まさかこんな形で再会するなんて思わなかったけど。ちょうどいいわ、お茶でもどう?」
薄暗い靄の向こう側からこちら側に頭だけ出して少女は微笑み、お茶に誘う。シュールな光景だなと思ったが、さっきまで自分もあんな格好だったのかと思うとコスモスは思わず目を逸らした。
「聞こえているんでしょう? 私はこれ以上そっちにはいけないのよ。美味しいお菓子もあるから、ね?」
(食べ物で釣れば釣れると思ってるなんて甘いわね)
可愛い少女を愛でながらのお茶会は楽しいだろうが、今はそれよりも安全が第一だ。ユリアの部屋に出た時とは違い、今度はどこなのか分からない場所へ出るのだろう。
無事に帰れる保証もない。
「困ってることがあるなら相談に乗ってあげるわよ?」
(情報をよこせってことかしら?)
「違うわ。力を貸してあげるって言ってるの」
(何を要求されるか分からないから怖いなぁ)
「力の使い方だって、教えてあげてもいいのよ? ま、まぁ貴方が良かったらの話だけど」
(あ、それは助かる)
ぴょん、と映し出される靄へ飛び込むと目の前にいた少女が小さく悲鳴を上げた。彼女の背後にいる誰かとぶつかり、押されたその人物は後方へ倒れる。
「もう、邪魔なんだけど」
「ごめんなさい。でも、師匠が絵に向かって独り言呟いてるからぼく心配になって……」
オドオドした様子で声を荒げる黒の少女に縮こまっているのは少年だ。
彼を見たコスモスは顔色を変え、素早く彼の懐に潜り込む。悲鳴を上げる少年を無視してそのまま押し倒そうとしたが少女によって制された。
優しく彼女に抱えられたコスモスだが、周囲に発生する辻風は勢いを増して泣きべそをかく少年を狙う。
片腕でコスモスを抱えた少女が空いた手を軽く揮えば辻風は消えてしまった。
無言で少女を睨むように見つめるコスモスに、少女は気分を害した様子もなく困ったように笑みを浮かべて腕の中の球体を優しく撫でた。
「話はちゃんとするわ。ここで騒がれても困るから部屋へ行きましょう」
「部屋ならいいの?」
「良くないわよ。意外と血の気が多いわね」
「ここへ来た自分が馬鹿だなと思っただけ」
「ちゃんと説明するってば」
低い声で呟くコスモスに、少女はそう告げると倒れたままの少年へ殺気を向けるコスモスを宥めるように撫で続けた。




