136 ぽわん
目的地に到着し、目的の箱を見つけるべく行動する。
配置されている人員は想像していたよりも多く、武器を携帯しているため慎重にしなければいけない。
万が一、トラップが仕掛けられていることも考慮すれば、どのルートを通って箱が置いてありそうな場所へ行くかが重要となる。
その前にまずは情報収集だ。
カニの家族が入っていると思われるその箱が一体どこにあるのか探らなければならない。
精霊に偵察を頼んでも、コスモスは精霊の言葉を全て理解できるわけではないので難しい。アジュールが単独でとも考えたが発見された時の混乱を考えると怖い。
それにもし、コスモスが一人になった時に何かに襲われたらと思うと一人で太刀打ちできるだろうかと彼女は心配になった。
気配を消して情報収集をし、目的の場所へたどり着く。
それだけなのだが、スリリングであり緊張して冷や汗が出てしまう。
けれど、少しだけその状況に興奮してしまうコスモスだ。
「えーと、アジュールさんどうします?」
「中身の確認は終了した。彼女達にも説明はしたが、想像より大人しいな」
「思ってたより待遇いいらしいものね。怪我した子には手当てしてくれて、ストレス溜まるだろうからって池作ってそこで自由にさせてもらってるし」
目の前にはカニの母子が池の中で楽しそうに遊んでいる。
怯えた様子もなく、霊的活力を見ても皆健康そのものだ。
「もっと手に汗握る状況だと思ったんだけどな……」
「マスターは何を期待しているんだ。亜人と言えど、全ての者にその姿が認識できるわけではない。私も気配を消しての行動は朝飯前だ。どう考えても苦労するはずがないだろう」
アジュールのいう事はもっともなのだが、一人ドキドキしていたコスモスは拍子抜けしたように肩を落として溜息をついた。
手近な岩の上に座りながら目の前の母子を眺める。
「失念してたよね。そうだよね。何でも通り抜けられるし、認識されないラッキーとか思ってたはずなのに感覚がまだ人間のままだったりして。いやー今回は難解なミッションでしょとか思ってた私が恥ずかしい」
「気分にムラがあるのは今に始まったことではないが、疲れているなら休養をすすめる。この辺りは安全だからな。万が一見つかったとしても私が姿を消せばいいだけで、マスターだけなら不審に思われることはないだろう」
「そうなのかな。疲れてるって感覚はあんまりないけど、そうなのかもね」
寝ていろというアジュールの言葉に甘えてコスモスは休むことにした。
カニの母子と出会えたのは良いが、これからどうやって父カニと合流させようかと考えることはたくさんある。
この場に父カニを呼んで暮らせばいいんじゃないかと投げやりなことを思いながらコスモスは目を閉じる。
「なんかさ、この感覚どこかで覚えがあるような気がするんだけど……寝るわ」
(あの時は私は寝なかったんだけど……あの時っていつだっけ?)
クククと笑うアジュールが気になったが睡魔には抗えずコスモスはすぐに寝息を立て始めた。その様子を見てアジュールはゆらりと尻尾を揺らす。
(ん? 誰かが泣いてる声がする。姫かな?)
ふわふわ、とどこかを漂いながらぼんやりとしたコスモスは声がする方へと意識を向ける。するとそこに映し出されたのは自室で俯いているユリアの姿だった。
いつも元気が良く自信に満ちているような彼女はそこにはいない。
(泣いてはいない……いや、目が赤いから泣いてたのかな)
どうして自分はそんな光景を見ているのか、そもそも自分はどこにいるのかと不思議に思うことも泣くコスモスはその様子を眺めていたが、気になって近づけば映し出された中へと入ってしまった。
落下の衝撃も何もなく、最初からそこには何もなかったかのようにすり抜けてユリアの自室に入る。
室内に彼女の姉であるドリスがいたらどうしようかと一瞬思ったコスモスだったが、その時はその時だと開き直ったように周囲を見回す。
部屋にはユリアしかいない。彼女の姉の気配は近くにはないようだ。
(お姉さんが帰った後かな?)
これはただの夢か幻で、コスモスが屋敷にいた時とは何も関係がないかもしれない。しかし、彼女はぼんやりとした感覚のままユリアを見つめる。
(変わったところは特に……え?)
癖のようなもので、霊的活力を確認したコスモスは困惑したように首を傾げた。
ユリアのオーラが一部灰色になっており、端のほうは真っ黒になっていたのだ。
これはどんな状態なんだろうと心配になったコスモスがゆっくりユリアに近づけば、何かの気配を察したのか彼女がバッと振り向く。
(おー察しがいい。というか、普通に声出してるつもりだけど出てないわ)
何でかしらと思いつつも、まぁいいかで済ませたコスモスは驚いた表情をするユリアに敵意はないとその場で浮遊したまま様子を窺う。
視線を彷徨わせながら口元に手を当てて慌てた彼女を見たコスモスは、再びゆっくり動き出した。
スゥと滑るように彼女の周囲を回って、オーラが変色していた場所を探る。
(これは、手足かな?)
肘と踵の部分が特に黒ずんでいる。どちらも服に隠されて直接見ることはできないが、そこに何かしらあることは確実だ。
トントントン、とコスモスはその部分に軽く触れながら見せるようにとユリアに頼む。言葉が通じないのは分かっているのでそうするしかない。
コスモスに軽くぶつかられているユリアは困惑した表情のまま、無言で頭を左右に振った。
(見せたくない、と。そりゃそうよね。ごめんなさい、でも見たいんです)
彼女がもし自分を未だに敬ってくれているのなら、高位精霊だと勘違いしたまま邪険にしないのなら望みはある。
どうしてかコスモスはそう思っていた。
少し距離を置いて彼女の前で浮遊したまま待っていると、突然ユリアが上着を脱ぎ長袖を捲る。履いていたブーツと靴下を脱いだ。
どうぞ好きに見てくださいと言わんばかりの様子に小さく笑いながらコスモスは気になっていた部位を確認した。
(これ、何だろう。肘周辺の皮膚が硬質化してる。ううん、これは……結晶化?)
静かに触れてユリアの様子を見るが特に変化はない。少し力を入れてみると眉が寄ったので慌てて離れるとユリアは苦笑した。
「押されて痛かっただけですわ。コレのせいじゃありません」
(普通に痛かっただけか。ごめんなさい)
謝りながらコスモスは硬質化している部分を見つめる。瘡蓋のようになっているわけではなく、皮膚の一部としてその部分だけがとても硬い。そして異質だ。
鱗のようにも見えるが僅かに魔力を帯びていて少しずつ範囲を広げようとしているのが分かった。
(最終的には全身結晶化ってことかしら?)
探してもいないのに過去の事例が頭の中に浮かんで、その稀な症例とユリアの症状が一致した。
(過去の症例も全てリーランド家。そして、ユリアもリーランド家)
踵も同じような状態で、確認し終えたコスモスは彼女の靴下を拾って膝に乗せる。意味が分かったのかユリアは小さく笑って捲くった袖を下ろした。
「ドリスお姉様が酷いことをおっしゃるの。貴方は邪悪な存在で呪いを振り撒くって。私の体調が悪いのもそのせいだって。私のことを心配してくださっているのは分かっているけど、あんまりだわって喧嘩してしまいました」
会話はできないけれどユリアは独り言のように、ぼんやりと見えるコスモスにそう話しかける。
普通ならそこで怒るべきなのだろうが、コスモスは精霊から事前に聞いていたせいかなんとも思わなかった。
(そりゃ可愛い妹になにかあったら、そうなっても仕方ないわね)
そう思いながら彼女の頭に浮かぶのは重度のシスコンであるイストであった。彼は妹に害をなす、または害をなすと思われる存在ならば例え守護精霊であろうが容赦しない。
いっそ、清々しいほどなのだがいつもソフィーアやウルマスに窘められ追い出されて終わる。
ドリスも似たようなものだろうと思いながらコスモスはポワンと発光した。優しい光がコスモスから放たれて円状に広がってゆく。
「怒っていない……という解釈でよろしいのですよね? ありがとうございます」
(気にしなくていいよ。慣れてるから)
慣れるというのもどうなのか、と自分でツッコミを入れつつポワポワと発光する。
ユリアが靴下を履こうとしていればドアがノックされて返事を待たずレナードが入ってきた。
一瞬ギョッとした顔をするレナードだったが、周囲に視線を走らせ音もなくユリアの傍まで来ると床に膝をついた。
「お嬢、大丈夫ですか?」
「ええ。あの方のお陰で随分とすっきりした気分に……って、あら?」
さきほどまでそこにいた存在はもういない。慌てて室内を見回すもいつもの精霊たちの姿がぼんやり見えるだけで、一際大きなあの存在はどこにもいなかった。
「夢でも見ていたのかしら」
「あの方? それより、症状はどうです? 何か変化はありました?」
「ううん。いつも通りよ。気持ちは楽になったけど」
足をレナードに突き出すようにして見せるユリアに、お行儀が悪いと眉を寄せつつレナードは踵を見る。昨日よりも少し範囲が広がって硬くなっていると思ったが、不思議な感じがして首を傾げた。




