130 証拠隠滅
身の危険があるならば、証など放って国外逃亡でもすればいいのにと思うのは普通だろう。
積極的に面倒なことに関わるような性格にもみえないユリアが、危険を承知で留まる理由は何なのか不思議だった。
アジュールはさして興味なさそうに周囲を見回すと頭上で跳ねる主人に軽く唸る。
「母達が私を殺したいのは、そうすれば証が他へ移ると思っているからです。まぁ、実際こうして私は生きているわけですけれど」
「試すとか馬鹿なこと言わないでくださいよ? 俺が何のために危険を冒したのか分からないじゃないですか」
「精霊様には申し訳ないのですがこれ以上お話することはありません」
「これだけ内輪揉めを説明されているのに、か?」
アジュールの言葉にユリアは眉を寄せる。どうやら、簡単な説明で終わらせるつもりがつい話しすぎたらしい。
いっそ、戻れないところまで巻き込んでしまえばいいと告げるレナードをユリアは睨みつけ、溜息をついた。
「こんな状況、今だけですよ。それはお嬢も分かってるでしょう? 王家の迎えが来たらこーんなお人好しの精霊様と出会えるまで待つつもりですか?」
「マスターに負荷がかかるのであれば、容赦はしないが」
「いやいや、そんな大変なことはないですよ。ただ一緒にいてくれればいいだけなんで」
「それが一番危ないな」
ゆっくりとレナードに近づくアジュールは牙を剥いて軽く威嚇をする。頭上にいたコスモスはころりと彼の背まで転がりながら、迷うような顔をしているユリアを見つめた。
(退くなら今このタイミングなのかな。でも、ここまで来て二人を置いて逃げる? 逃げたらこの二人危なそうだけど)
利用されているのは分かっているが、好奇心からここまでついてきたのも事実。
厄介ごとは嫌だと言いつつ、何をやっているんだろうと自分の行動にコスモスは溜息をついた。呆れながらも付き合ってくれるアジュールには本当に感謝していると心の中で呟く。
「家と縁を切ったとは言うが、証がある限り切っても切れぬだろう? その証とやらは相手が喉から手が出るほど、殺してでも奪い取りたいほどのものだ」
「そうやって入手できた試しは無いんですけどね。って、そこ滑りやすいんで気をつけてくださいね。魔物退治の罠も仕掛けてあるんで踏まないようにしてくださいよ」
「屋敷に残してきた奴等は囮にでもするつもりか?」
「そんなつもりなどありませんわ!」
「そうか?」
珍しく声を荒げ怒りを露にするユリアにアジュールは小さく鼻を鳴らす。信じていない様子の魔獣を見下ろしながら、ユリアが言葉を続けようとすると大きな地鳴りが響き渡った。
自然発生ではない人工的な揺れだと呟くアジュールにコスモスは周囲を探る。しかし、その前にレナードが目を細めて舌打ちをした。
「発破かけて強制侵入とか何考えてんだあの野郎ども」
「なんですって! 月石鉱山は巡礼地の一つとされている聖地でもあるのよ?」
「それが通じるのは信仰が篤いものだけだ。欲に目が眩めば、聖域だろうが聖地だろうが破壊しつくすぞ」
「そんな……」
「お嬢、しっかりしてください。いくら強制侵入しようと結界で守られてる限り、無駄です」
蒼褪めた顔をするユリアを気遣うようにレナードが告げるが、彼女の様子は冴えない。他に何か気にかかることでもあるんだろうかとコスモスは首を傾げ、周囲を見回した。
恐らく月石鉱山へと向かっているのだろうが、鬱蒼とした森の中は似たような景色が続くので目的地まで近いのかどうか分からない。
この様子だと敵に先回りされていそうだなと思っていれば、視界の隅にひらりと舞う黒い蝶を見つけた。
(こんな場所にまで黒い蝶?)
追いかけるべきか悩んでいると急に走り出したユリアを追ってレナードも駆ける。当然追いかけるだろうと言わんばかりに走るアジュールの背で軽く跳ねながら、コスモスは蝶が消えた方向を見つめていた。
「マスター? どうかしたか?」
「ううん。何でもない」
黒い蝶は気になるが今はユリアの方を優先したい。
さっき見た黒い蝶が見間違いでないのなら、この先もきっと出てくるのだろうと嫌な予感にコスモスは溜息をついた。
「いや、何でもなくはないんだけど。黒い蝶が見えたような気がして。追いかけようかと思ったんだけど、彼女達の方が優先でしょ?」
「マスターが黒い蝶を優先したければそうすればいいだろう」
「……そうかもしれないわね。でも、ユリアが心配だから彼女のことを優先するわ」
「だろうな」
そう呟いてアジュールは加速する。振り落とされないようにしがみ付いていろと言われたコスモスは、彼の背中から転げ落ちることのない自分の凄さに少し感動していた。
もしかしたら才能があるんじゃないかと思ったところで視界が暗転する。
トプン、と落ちていくような感覚に目を開けても閉じても暗闇しかない世界が広がる。
(私を乗せたまま影に沈んだのね。私も一緒に移動できるのはアジュールにくっついてるからかな?)
どこをどう移動しているのかさっぱり分からないが、新しいアトラクションのようで楽しいとコスモスがワクワクしていると彼から気配を消せと言われてしまった。
どうやらテンションが上がってしまったせいで、コスモスが淡く発光しているのが目立ってしょうがないらしい。
ブツブツと愚痴を零しながらも気配を消す主を乗せて、アジュールは闇を駆ける。
「これ、先回りしてる?」
「先に敵を減らして恩を売ってやろうと思ってな」
「恩を売るって……」
その考えはなかったとコスモスが呟いた瞬間に音も無く地上へ出た。一瞬眩しさに目を細めていたコスモスだったが数回瞬きをすれば慣れる。
近くにある結界を目視しながらその周辺に散らばる人の気配を探り、正確な位置を把握する。アジュールと情報を照らし合わせつつ移動し、一人、二人と気絶させていった。
手ごわい相手かと身構えていたコスモスだったが、あっさり倒れていく相手には拍子抜けだ。
「もっと手こずると思ってたわ」
「ただの見張りだろうからな」
「これで警戒されないといいけど」
「連絡手段は先に断った。定時連絡があるとしても、それまで二人が合流して中に入ってしまえば問題ないだろう」
気絶している見張りを見下ろしていたコスモスは近くにあった蔦を使って彼らを縛り上げていく。念のために猿轡も噛ませて目立たない草むらの中に転がした。
争った痕跡を精霊と一緒に消してゆくコスモスを見つめていたアジュールは、何かに気づいて視線をそちらへと向ける。
そこには黒い蝶が近くの木の幹に止まって何かをしていた。軽く身を縮めて飛び掛ろうとしたアジュールだが蝶の様子を見て体勢を戻す。
黒い蝶は幹に絡まる蔦を丁度いい長さに切って地面に落としていたのだ。
そしてコスモスはそれに気づかず、ラッキーとばかりに蔦を使って気絶した男たちを縛っていく。
彼女が証拠隠滅を終えると、それを見届けるかのように蝶たちは静かにどこかへ飛び去って行った。
「ふう。コレで少しは誤魔化せるはず」
「マスターもなかなか酷いものだな」
もっとスマートに立ち回ってくれたらここまで苦労しないんですけど、と呟く彼女の声をアジュールが無視しているとユリアとレナードがこちらに向かって走ってくる姿が見えた。




