129 13番目
その立ち居振る舞いから育ちが良いのだと分かるユリアは綺麗な金髪を青いリボンでまとめ、箱の上でちょこんと座っているコスモスの元へと向かう。
じっと彼女を見つめていたコスモスは、困った表情でぶつぶつと呟く美少女に首を傾げた。
「ああ、私にも精霊と会話できる才能があれば良かったのに」
「見えるだけまだいいでしょうよ」
「見えるといってもぼんやりとだけなのよ? こんな機会に恵まれているというのに」
「はっきり見えても別にいい事ないですけどねぇ」
一人がけの椅子に座る男はコスモスに気づいた例の酔っ払いだ。集団のトップであるユリアに対する態度は馴れ馴れしいものだが、彼女がそれを許しているのだから不思議な関係だ。
歳は30代前半くらいで特筆すべき容姿ではない。普通のおじさんである。
大きな欠伸をしてちらりとコスモスを見た彼は、面倒くさそうに溜息をついた。
「俺だって見えるだけで声は聞こえませんからね。通訳の魔獣がいなけりゃ会話のしようもないですよ」
「けれど、あちらは私達の会話を理解しているのよ? あぁ、もどかしいわ」
「こればっかりはしょうがないじゃないですか。才能ですからね」
「……才能があるのに無駄にしてばかりの貴方に言われると、嫌味にしか聞こえないわね。レナード」
「すんませんねぇ。今朝もギュンターをスマートに追い払ったんですから、褒めてくれたっていいんじゃないですかね? お嬢」
ギュンターという名前を聞いたユリアの表情が険しいものになる。
良い感情を抱いてないのだなとコスモスは馬車を襲って自分を攫ったその人物のことを考えていた。今まで聞いた話から推測するに好きになれないタイプなのは分かる。
賞金稼ぎの集団とはいえ、自分がここにいるとなれば非難されるのはユリア達だろう。怒った女王が潰しにきてもおかしくない。
(アジュールに頼んだけど、どうなんだろうなぁ)
コスモスは自分の無事を知らせるためにこの場から消えた魔獣を思う。心配していると悪いから無事だと知らせて欲しいと言った時に珍しく彼は二つ返事ですぐに消えた。てっきり、面倒だと言われるかと思っていただけに意外だったのだ。
(まぁ、国内に入った時点で私達のこと感知してたらしい女王様のことだから、ここにいるのも無事なのも分かってるような気がするけど)
「その名前を出すのはやめて。報告は既に受けたはずよ」
「はいはい、そうですね。本当、大変だったんですけどねぇ」
(今のところ、勘の良い亜人に私の姿が見えたりするけど、声が聞こえることはないわね。まぁ、念の為に発言は控えるのがいいだろうけど)
アジュールを介さなければユリアたちと会話ができず不便なのはコスモスも同じ。しかし、困ることが無いので彼女は時折気まぐれに室内を飛び回ったりしていた。
ゆっくりと彼女の動きを追いかけるユリアと違って、レナードと呼ばれた男は眼光鋭くその動きを追っている。ヘラヘラしていて気が抜けたようなどこにでもいるおじさんだが、油断ができない人物だとコスモスは試すように彼の頭上に着地してみた。
さらさらとした栗毛の髪に着地する直前に放たれた殺気がコスモスの球体を包んだが、彼女の防御膜によってほどよく吸収される。
咄嗟の行動で深い意味はないらしい、と少し慌てた表情をするレナードを見てコスモスは一人頷いた。
「まぁ。私の代わりにその方に褒めていただいて良かったわねレナード」
「ちょ! 冗談キツイですって。あーマジでどこかへ移動してくださいよ精霊様。寒気が止まらない」
「失礼よレナード。その方は大切な客人なのだから」
(精霊は見えるけど、苦手か。確かに、レナードさんの頭上にいると眠くなって心地いいんだけど彼の活力を吸収してる気がする)
それは駄目だとコスモスはうとうとしそうになるのをこらえて、ふわりと少しだけ浮いた。どのくらい離れたらちょうどいいのかと調節しながら、手が通り抜けるくらいの距離で落ち着く。
「はー。精霊なんて我儘で勝手だと思ってましたけど、こんな精霊もいるんですね」
「レナード」
「はいはい。高位精霊様は相手が気遣える方なんですね」
「本当に怒るわよ?」
粗相があったらどうするの、と怒るユリアにレナードはへらりと笑って謝罪する。
コスモスは面白い関係だなと二人を交互に見つつ、ソフィーア姫とウルマスを思い浮かべていた。
ミストラルに帰りたいと思うのにお使いを頼まれている身としてはすんなり帰ることができない。各国で目撃されている黒い蝶についても気になるので帰還方法のついでに情報収集がしたい。
(成人の儀の妨害から姫の誘拐未遂、レサンタ王の魔物化、王妃の死、何者か分からぬ人物の襲撃、姿の見えない占い師、黒の少女)
全てプリニー村の近くで発見されたメランという異世界人に繋がれば簡単なのだが、ミストラルを追い出されてから行方不明なのが気にかかる。
マザーと訓練をしていた時に乱入してきた襲撃者はメランと似た容姿をしていたが本人かどうか分からない。けれど性格的には非常に似ている。
黒い蝶を使って成人の儀を混乱させソフィーア姫を誘拐しようとしていた男も似た顔をしていたが性格が違う気がした。
(世の中には似た顔が三人はいると言うけど。今なら霊的活力見る目が上がってるから探れそうなもんだけどなぁ)
分かりやすく暴れまわってくれれば助かるんだけど、とコスモスは身にそぐわない力を得て上機嫌のメランを想像した。
今彼はどこにいて何を思っているのだろう。
(特別になりたい、羨望の的になりたい、美少女や美女を侍らせたい、それから……惨めな思いをさせた奴等に復讐とか?)
自分が彼のだったら一体何を望むだろう。
「決めたわ」
「お嬢?」
「精霊様には申し訳ないけれど、これも何かの縁。暫くお付き合いくださいね」
レナードの頭上で浮遊したままのコスモスを見つめながら何かを考え込んでいたユリアは、静かに息を吐いてキリッと顔を上げた。
思い立ったら吉日とばかりに手早く荷物を纏めてコスモスの入っていた箱を丁寧に布で包んだユリアは、止めるレナードの言葉など聞こえぬ様子で移動を始める。
溜息をつきながらもついてくるあたり、レナードも人がいい。
トップが自由行動をしても大丈夫なのか不安になったコスモスだが、信頼の厚い幹部に任せてきたから平気だとレナードが説明してくれる。
(じっと見つめてただけなのに、わざわざ説明してくれるとか親切だわ)
会話ができないのにレナードは何となくコスモスが聞きたいことが分かるようで、背後に向かって一人呟き続けていた。
「精霊様はそこまで私達に興味があるのかしら?」
「お嬢は、あると思ったからそれを利用してここに来たんでしょうが」
「まぁ、利用だなんてとんでもない。レナード、私達の会話が聞こえているのを自覚しているのかしら」
「してますよ。してますけど見たところ凶暴性はないですからね」
(人畜無害です。争いごとは嫌いです)
目に力を込めてコスモスは先を行くレナードの背中をじっと見つめる。目の前に浮遊する球体を見ながらユリアは不安そうな表情をしたものの、軽く頭を左右に振って前を見据えた。
「それにどっちにしろ王家に目をつけられたら身動きが取れなくなるから急いだんでしょう?」
「ええ、そうよ。私達が馬車を襲って強奪誘拐したのではないと理解してもらえても、ある程度の拘束はされるでしょうし。その隙を狙って攻め入られるわけにはいかないわ」
「分かってますって。守りは万全ですし、お嬢の許可無く侵入できる場所じゃないですが、ここんところの積極的すぎるアプローチには嫌な予感しかしませんからね」
どこへ向かっているのか分からないままただついていくコスモスは、前方に嫌な気配を感じて先回りするとグイとレナードを押し留めた。
接触した瞬間に軽く脱力したレナードはすぐに足を止め、離れたコスモスの様子を窺う。
急に止まったことで抗議の声を上げるユリアの口に人差し指を当てると、ガコンという音と共に起動する罠を見て舌打ちをした。
「おー、檻だわ。すり抜けられるから平気だけど、これ魔力吸収する嫌なものだわ」
特に自分に害はないと確認してコスモスはするりと檻を抜け出した。コスモスが檻の中に居る姿を見て驚いた二人だが、平然と出入りを繰り返す彼女の様子に揃って溜息をつく。
「魔法使い用にカスタマイズされた捕獲檻じゃない。随分と高価なものを用意してくれているのね」
「お嬢へのプレゼントでしょうからね。しっかし、魔力使用して罠の気配も隠してたってのに不発で残念でしたね」
「精霊様のお陰だわ」
「ええ、マジでそれですわ」
檻はこのまま放置していていいのだろうかとコスモスが思っていると、レナードは会話をしながら手早く何かを取り出した。それを見ていたコスモスは思わず顔を引き攣らせてしまう。
彼が手にした人形にユリアが小さく呟き魔法をかける。
ぽい、と檻の中に放り投げられたそれは大きさを変え、横たわるユリアの姿になった。
(すごい。幻覚幻影の魔法かな。魔力を与えて大きくすることもできるのね)
「さて、行きましょう。急がなくてはいけない理由ができましたね」
「鉱山の中に入ってしまえばこっちのもんですからね。警戒しつつ行きますよ。精霊様もついてきてくださいね」
檻の中で横たわるユリアの偽物は元がのっぺらぼうの人形である。しかし、ユリアの魔法によって彼女そっくりになったその姿は本物と見分けがつかない。
何度もこの手を使っているのだろうかと思いながらコスモスはレナードに呼ばれ、慌てて飛んでいく。
「やはり馬で途中まで移動した方が良かったかしら」
「いや、こうなるとそっちの方が危険でしたね。馬で通る道にも罠が仕掛けられてるはずですよ」
「この辺りの集落を通るのもやめた方がいいわね。多めにアイテムを持ってきて良かったわ」
「あぁ、精霊様にはちんぷんかんぷんですよね。この辺り一帯はお嬢一族の領地なんですよ」
「やめて、レナード。私はもうあの家とは縁を切ったんだから」
あからさまな不快感を表に出すユリアにレナードはへらりと笑って謝罪する。
ユリアの家が所有する場所なら心強いと言いたいところだが色々あるらしいとコスモスは首を傾げた。育ちが良さそうだと思っていたが本当にいいところのお嬢様なのだろう。
「13番目の子供のことなどどうでもいいでしょうし」
「勝手に結婚相手決められてたまるかーってキレて飛び出したお嬢が後継者だと知るや否や掌返しすごかったですからねぇ」
「最悪よ。でも、いい気味だわ。渇望していた後継者の証が自分に現れなかった時の女の顔見た? 実の娘殺せって実父までノリノリなのよ?」
ユリアはそれなりに裕福な家の13番目に生まれた娘である。家長は母親であり父親が違う兄弟がたくさんいると言った。
(へぇ。一妻多夫で跡継ぎは女なのね)
月石鉱山というのはユリアの一族が昔から管理していた場所だったのだが、その周辺と内部に入ることができるのは鉱山の管理人であるという証を有するものだけ。
彼女の実母であり現当主にその証はなく、子供達にも証が無かったので後継者がいないと思われていたが見知らぬ相手との結婚が急に決まったことに反発したユリアに突如後継者の証が現れたのだ。
それなりに優しかった母は人が変わったかのように娘であるユリアを目の敵にするようになり、心の支えだった父親も優しいふりをしながら自分に毒を盛った。
死体の処理を任されたレナードは瀕死のユリアと共に逃げ出したとのことだった。
(犯人として殺されるはずだったレナードは相手を返り討ちにして自分の身代わりに仕立てたとか、手馴れてるわ)
それなら尚更ここから遠くへ逃げたほうが良かったのではと思うコスモスは、鉱山の後継者であることが認知されている現状を不思議に思う。
「マスターは、それなら何故ここに留まっているのか不思議に思っているが?」
「なっ!」
「きゃ」
気配も無く現れた影に腰を落とし警戒するレナードと、驚いた声を上げるユリアにコスモスだけはその場に似合わぬ暢気さで魔獣の元へ飛んでいった。
ぽんぽん、と無害であることを示すようにアジュールの頭上で軽く跳ねるコスモスの姿を見た二人は安心したように息を吐いた。




