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12 成人の儀 閉幕

 温かな光は黄金色。

 その中心にいる銀髪の少女はただ穏やかに微笑み、目を閉じた。


(あぁ、なんて温かい)


 幼少時より抱いていた埋まらない心の穴。

 それが何が原因で空いたものなのか判らず、苦痛にもならないのでずっと放置していた。

 今、その穴をゆっくりと満たしてゆく温かな感覚はとても心地よくて全身から無駄な力が抜けてゆく。

 母親は幼い頃に亡くなったが、まるで母親の腕の中にいるような感覚だとソフィーアは記憶を手繰る。

 柔らかく波打つ金色の髪に、鮮やかな緑の瞳。

 穏やかな微笑を湛えている姿は父親が大切にしている絵の中の存在だ。

 幼い頃から絵や話の中でしか知ることの出来ない母は余りにも遠く、その温もりが知れない。きっと、皆が言うように心優しく素晴らしい女性だったのだろう。けれど触れ合った記憶もない少女にとったら絵本の中の登場人物とさして変わりはなかった。

 それは自分を産んでくれた母親に対して薄情とも言えるだろうが、この感情をどう説明したらいいのか判らない。

 実母には感謝しているがはっきり言ってしまえばそれだけだ。

 自分がおかしいのだろうかと父親にその感情を伝え、兄にも話してみたが皆末娘の少女を優しく労わり、覚えていないのもしょうがないけど、母親は素晴らしい人だったよという答えしかくれない。

 そんなものなのだろうとその事について考える事をやめた少女の心には、いつの間にかぽっかりと穴ができていた。

 成長してもその穴は塞がらないままで、いつの間にかその穴の存在さえ忘れてしまう。


 母親は素晴らしかった。温かい人でちょっとお茶目だった。


 それだけでいいではないか、と少女は誰かに母親がいないことを同情される度に笑顔でそう答えていたのだ。

 そうすれば、皆が安心する事を彼女は知っていたから。

 家族も仕えている使用人も皆優しくしてくれる。優しくされればされるほど心苦しくなってしまうのは、きっと彼女もまた心優しい性格だったからだろう。

 物心ついたころに母親はおらず、その寂しさを埋めるように父親と三人の兄たちは妹にたくさんの愛情を注いでくれた。

 少女も母親がいないことはきちんと理解して、それについて寂しいと感じることはなかった。

 母親についていた古参の使用人に一度正直に寂しくないと言った時に、非常に驚かれ号泣されてしまったことがある。

 彼女は物心つくまえに母親を亡くした少女が周囲に心配かけぬよう強がっていると見えたらしい。本当に寂しくないのだと告げれば告げるほど嗚咽は酷くなる一方で、それを見た少女はそれから「寂しくない」と正直に言うことをやめた。

 誰かに問われれば「寂しいですが他の家族もいますから」と静かに微笑んで答える。

 それが誰もが納得する答えだと分かったから。 

 

(あの方に触れられた時も、こんな風に温かかった)


 初めて会った時の感覚を思い出していると、どこからか声が聞こえたような気がした。


『お母さんはきっと元気でいるのを喜んでると思うな』


 そうだとしたら嬉しいとソフィーアは呟く。

 今まで未来など考える余裕すらなく、病弱な己の体が恨めしくて苦痛だった。

 こんな体に産んだ親に対して恨むことは一度もない。ただ、足手まといのお荷物で何一つ役に立てないことが少女には辛かったのだ。

 少しでも役に立とうと、幼い頃から色々な本を読んで知識を蓄えた。

 自由に動き回れず、体力的にも問題がある自分の武器になるのは知識しかないと判断したからだ。

 幸いにも婚約話にも恵まれた。相手が相手だけに、少女の父親も断るかと思っていたが先方はそれを承知で受け入れたことに驚いたのを思い出す。

 迷惑にしかならないからと娘の気持ちを知っていた父親だが、小さい騎士(ナイト)の熱意に負けたと笑っていた。

 彼は優しくて、強くて、物知りで眩しいばかりの人物。

 まるで絵本の中に出てくる理想の王子様を地でいくような婚約者は自分にもったいないとソフィーアはいつも思っていた。

 けれど外に出られずとも、病弱な体が苦痛で仕方なくても前向きに過ごせたのは家族の他に彼の存在があったからだ。

 家族と同様に大切な人。

 だからこそ、自分を気にせずに幸せになってほしいと彼女は願う。


「ソフィー!」


 聞き慣れない声。

 けれどもその声は優しく温かい。

 焦って呼ぶ声は彼女をとても懐かしい気持ちにさせた。

 目を覚ました少女の目に飛び込んできたのは眩い金色で、その眩しさに目を細める。






 空を覆う黒。

 落ちてゆく幸福の蝶。

 

 歓声が悲鳴に変わるその場で、彼は彼女の元へ行かなければと体が動いた。

 親衛隊も、彼女の家族も身動き一つできずに祝福すべき儀式が汚されたことに呆然としている。

 それは主役である彼女も同じだ。

 さぞ心細く不安と恐怖に襲われているだろうと、飛んでくる蝶を振り払いながら彼女の元へと急いだ。

 背後で従者のケビンが叫んでいる声が聞こえたが気にしていられない。

 一刻も早く彼女を保護し、あの場から遠ざけなければという気持ちが彼を突き動かしていた。

「みな、落ち着け!」

「儀式が穢れたぞ!」

「押さないで! 落ち着いてください!」

「世界が終わるんだ」

 観衆を宥める兵士の声を聞きながら彼女に近づき声をかけようとした瞬間に世界が光る。

「!?」

 右腕を空に掲げた彼女から光が発せられていて、その一瞬で世界が変わった。

 空を覆っていた黒い塊である蝶はすべて色鮮やかな花びらとなり、光の雪のようなものが温かく降り注ぐ。


(何だ……これは)


 驚き呆然としていた視界の隅でゆっくりと彼女の体が傾くのが映って、彼は滑り込むようにその身を受け止めた。

「ソフィー!」

 想像していたよりも重みがあって、その顔は思い出の中の少女よりも大人びている。

 愛くるしく笑い、好奇心に目を輝かせるその翠玉の瞳は伏せられていて不安になった。

 本当に彼女だよなと少し疑問に思いながらも、彼は名前を呼び続ける。幼い頃からの愛称で、何度も。

「ソフィー?」

 ぐったりした彼女の手首に指を当て、胸が上下するのを確認してホッとする。

 脈はある。

 呼吸もしている。

 しかし、速く、荒い。

 額に汗が浮いていたので軽く拭えば、体温が高い。

 昔もよく高熱を出しては寝込んでいたなと思いながら彼は彼女の名前を呼び続けた。

 時折飛んでくる蝶たちが邪魔で仕方が無い。


 何が幸福の蝶だ。


 何が幸せの象徴だ。


 彼女の大切な儀式を汚し、この場を混乱に陥れている元凶に奥歯を噛み締めながら腕の中で眠る少女に近づこうとしている蝶たちを振り払う。

 さきほどの光で全て片付いたと思ったはずなのに、次から次へと湧いてくる蝶。

「頼む、守護精霊。いるのなら、ソフィーを助けてくれ」

 群れで近づく蝶たちが何かに阻まれるように弾かれ、落ちてゆく。

 巻き上がる風に弄ばれて力なく消えてゆく姿を見るに、きっと彼女の守護精霊がそうしているのだろうと彼は確信した。

 黒い蝶に囲まれてしまい戻るに戻れなかったが、優しい光を放つ風にその数が徐々に減ってゆく。黒い壁に隙間が出来た瞬間を逃さずその場から離れ城内へ繋がる扉へと向かった。

 急いで、けれどなるべく衝撃を与えないようにしながら早く彼女を休ませなければと彼は焦る。

「ソフィーを離せ!」

 目を開かぬ彼女を抱えながら行き交う人を躱し、纏わりつこうとする蝶を振り払って城内に戻ろうとすれば、眼光鋭い美青年が目の前に立ちはだかった。

 今はそんな事を言っている場合ではないのに、と彼の眉間に皺が寄る。

「イスト! そんなことはどうでもいい。アレク、ソフィーの様子は?」

「気絶しています。脈拍が速く呼吸も荒いですね。熱もあるみたいです」

「兄さん、だって!」

 眼光鋭い青年を押し退けて現われた長兄が抱えられているソフィーに触れて頷いた。

 そのまま彼に渡すのがいいかと青年が躊躇していれば、僅かに微笑まれそのまま中へと促される。

「とにかく、中に」

「はい!」

 力強く頷いた青年は腕の中の存在を守るようにしながら城内へと入っていった。

 背後で閉じた扉に無数の蝶がぶつかる。

「チッ」

 苦虫を噛み潰した表情をしながら城内に入ろうとしていた青年の襟元が、グイと掴まれる。不機嫌に振り返ればそこにはきょとんとした弟の姿があり、彼はにこりと笑っている。

「はいはい、うっさいイスト兄はこっち手伝って」

「何だと! 離せウル!」

「大丈夫だって。アレクだっているし、アル兄だってついてるんだから」

 それよりもこの場の混乱を収拾する方が先だろうとばかりに非難めいた視線を送る弟に、イストと呼ばれた青年は石床を蹴って良家の子息らしからぬ単語を口にする。

 それを聞かないふりをして無視をしたウルと呼ばれた青年は衛兵によってその場から退避させられている民衆と、既に退避が完了している来賓を確認して小さく頷いた。

「あーあ。虫取り網持ってくれば良かったなぁ。今なら取り放題だよ?」

「馬鹿言うな。さっさと片付けるぞ。ソフィーの儀式を汚しやがって」

「はーい」

「お前、危機感無いだろ? 分かってるのか?」

「うん。分かってる分かってる」

 本日主役の可愛い妹は素敵な婚約者と頼れる兄と共にいるのだから問題はない。

 そして目の前に広がる光景は平和に慣れきったこの国にしては滅多にお目にかかれないもの。

 儀式を汚された事に関しては兄と同じように怒っている彼だったが、口笛を吹きつつまだしぶとく残っている黒い群れをどこか楽しそうに見つめていた。

「昆虫採集にピッタリ!」

「お前っ!」

「大丈夫だよ。ほとんどソフィーの守護精霊サンが片付けてくれたし、王妃様だってほら、あそこで頑張ってる」

 指を差した方向には既に退避したとばかり思っていた王妃メディーナが自身の守護精霊の力を揮って民衆の退避を手伝っていた。

 こういう時にいそうなのはマザーだが、どうやら彼女はソフィーアについているらしいと聞いたイストが息を吐く。

「全く、あの方は」

「ほらほら、みんなが怖がってるからさっさと終わらせちゃおうよ」

 どこまでも軽いノリで先を歩く弟に額に手を当てて苦い表情をしたイストは再び盛大な溜息をつくのだった。





「あーやっぱりね、とどこかで思ってる私のせいなのか」

 溜息をつきながらコスモスは鬱陶しい蝶を手で払いのけた。

 フィナーレを迎え、拍手喝采、褒め称える声を聞きながら無事に終わろうとしていた成人の儀。

 ホッとしたその次の瞬間に空が大きく陰り、太陽が遮られた。

 雲にしては余りにも暗く、断続的に上がる小さい声やざわめきに不安の色が混ざってゆく。

 つられるように見上げた先に広がっていたのは、黒。

 青い空を塗りつぶす黒の雲。

 それが近づいてくるにつれ蝶だと判った人々は、町中でも見ていたせいか幸福の蝶が姫の儀式を祝いに来てくれたのだと色めきだつ。

 ピリッと緊張し始めるケサランと周囲に漂う精霊たちの変化に、マザーへと視線をやれば彼女は険しい表情で空を見上げている。

 そして、念の為に嬉しそうに声を上げるソフィーアに注意するように告げて、何事もありませんようにと祈った結果がこれだ。

「はいはい、お掃除しますよ。凄く気持ち悪いけど」

 幸福の蝶は狙いを定めているかのように真っ直ぐ城へと向かっている。

 迷うことなくソフィーアに体当たりをしていた蝶を思い出し、狙いは彼女かとコスモスは溜息をついた。

「儀式が汚された!」

 誰かが叫ぶ。

「災厄がやってくる!」

 終末思想大好きかとばかりに嬉々として叫ぶ輩もいる。

「ソフィーア姫が呼んだのだ!」

 彼女のことをよく思っていない輩が紛れ込んでいるのかと首を傾げながら、コスモスは息を吐いて周囲の蝶を丸めると混乱を煽る人物へ向けてバンと銃を撃つような真似をした。

 大勢の人がいるので正確な場所は分からないが、多分外れないだろうという適当な勘は見事に的中し、騒いでいた男の口に丸められた蝶の塊が突っ込まれる。

 情けない声を上げながら気絶する男に民衆が憎悪を向け始めたが、騎士達に宥められ退避していった。

「おぉ、冴えてる私」

 ソフィーアは婚約者によって無事城内に避難している。来賓の避難も終わり、王妃は先頭に立って守護精霊と共に民衆の避難を手伝っていた。

 マザーの姿が見えないが、恐らくソフィーアについているのだろうとコスモスは自分をすり抜けてゆく蝶たちに溜息をつく。

「幸福の蝶と呼ばれているわりには、攻撃的よね」

「キュルル!」

「違うって? 最初は貴方だって本物だと思って興奮してたじゃない。あ、やめてその怒りはあっちにぶつけて」

 自分に体当たりをし始めるケサランをコスモスは思い切り放り投げる。

 城壁にぶつかったケサランが発生させた風に、城へ張り付いて内部に入ろうとしていた蝶たちが消えていった。

 蝶は攻撃防御共に低い。魔法を使うこともないので大したことはないが、これだけ大群で来られると鬱陶しくてたまらない。

 やろうと思えば集団で取り囲み対象を窒息させるくらいならできるだろう。

「頑張って一掃してみたけど、姫に負担かけるだけになっちゃったし」

「キュル」

「うん。姫は気にしてないとは思うけど、私が気にするわ」

「キュル、ル、キュ」

「そうね。今はそれよりお掃除よね」

 この状況を利用してソフィーアを目立たせようと思ってやった事が裏目に出てしまった。彼女に必要以上の負担を強いてしまったことに後悔しながら、コスモスはうじうじするなと叱咤するケサランに頷く。

 見たことのない蝶の大群に最初は怯えていた精霊たちも、コスモスやケサランが奮闘する姿を見て真似するように蝶を蹴散らしていた。

「蝶を花びらに変えるって、いい考えだと思ったんだけどなぁ」

「キュルー」

「サンプルに数匹採取するにしても、触れると消えるから無理だし」

 ただ、コスモスが触れれば蝶が消えるので楽と言えば楽だ。

 彼女が黒い塊に突っ込んでいくだけで群れは崩壊し、逃げるように飛び去ってゆく。

 城壁にへばりついた蝶は、彼女とケサランの指示を受けた精霊たちに消滅させられてその数を減らしていった。

「キュルル、キュ」

「お腹壊すと悪いから、食べちゃだめよ」

「キュ!」

 最初は驚くばかりだった光景も、蝶の数が減るにつれコスモスに余裕が出てくる。蝶も学習したのか本能なのか、彼女が近づくと逃げてゆく。

 それを楽しむようにコスモスは蝶を追いかけていた。

 ケサランも鼻歌を歌いながら逃げる蝶を追いかけ、体当たりで消滅させてゆく。

 まるで弱いものいじめをしているようだなと思いながら、コスモスは小さく羽を震わせる蝶にふうと息を吹きかけた。



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