127 口なし
簡単な仕事なはずだった。
いつものように潜入して探り、目当てのものを得て去るだけの仕事。
金はいくらあっても困らないので、今回依頼された仕事も断ることなく受けた。それだけの話。
だというのに、何故自分はこんな目に遭っているのだろうかと途切れそうな意識の中で男は思った。
「ふぅん。この状態でまだ意識があるんだ。まぁ、そうだよね」
上手いこと逃げられたと思っていたのにこれは何だ。
お前は何だ。
そう問おうにも言葉が出ない。口から出るのは情けない声のみ。
暗闇の中、獰猛に光る目が自分の肉を切り裂かんとばかりに輝いているのを見つめていた男は小刻みに震えて弛緩した。
じんわりと下半身が濡れた感覚に羞恥すらない。
「お疲れさま。貴方の仕事はこれで終わりです」
「……な、んで」
姿は見えないが冷たい声に男は自分の死期が近いことを察した。
何が、どこで、何を間違ったのかと必死に今までの行動を思い返すが理由が分からない。得た情報が大したものじゃないから怒っているのだろうか。
それなら相手が望むような情報を入手すればこの状況から抜け出せるだろう。
もう一度交渉だ、と自分を奮い立たせる男の意識はそこれぷっつりと途絶えた。
目の前の死体を見つめながらコスモスは眉を寄せて溜息をつく。
(霊的活力は完全に消失してるけど、さっきまで生きていた気配があるわね)
死体を注意深く観察していたアジュールも死んでからそう時間が経っていないことを彼女に告げた。他に潜んでる気配があるかとの問いに、彼は無言で頭を左右に振る。
「という事は、一足先に処分されちゃったってこと?」
「だろうな。状況から推測するに恐らく用済みになったから消されたんだろうな」
「用済み……」
「この男がスパイだというマスターの勘を信じれば、生きていられると都合が悪いから消されたとしか考えられないからな」
食堂で給仕にしつこく絡んでいた酔っ払いの手は倍以上に腫れている。貫通したナイフのせいかと思ったコスモスだったがどうやら違うらしい。
「失禁していたせいで匂いが上手く紛れてるが、これは毒だな」
「毒?」
「ああ。恐らく鋭利なもので貫かれたんだろうな。ナイフが貫通した痕は綺麗に消えているから治癒した後に別のもので貫通されたんだろう」
「うわぁ」
食堂でナイフが貫通するのを見ていた時ですら痛そうだと思ったのに、更に同じ場所を貫かれたのかと想像してコスモスは震える。
治療できるというのも凄いのだがわざわざ同じ場所を狙わなくてもと思ってしまった。
「で、それに毒が塗ってあったんだろう」
「ということは、最初からこの男を始末するつもりだったってこと?」
「まぁ、本当のところはコイツに聞くか殺した相手を探して聞くしかないだろうがな」
マスターなら可能ではないのかと尋ねられ、コスモスは勢いよく頭を左右に振る。できるかもしれないがやりたくない。
手がかりのために、どうしてもやらなきゃいけないという場合ならしょうがないけどと呟く主に僕である獣は笑った。
「そんなことさせん。ここにあの男がいれば容易かもしれんがなぁ」
「あ、オールソン氏。はぁ、本気で私がやらなきゃいけないかと思って緊張したわ」
「すまん、冗談だ。慣れないマスターに下手をさせ、逆に引きずられて取り込まれでもしたら面倒だ」
暫く死体を見つめていたアジュールはそう呟くと、その身を影に潜ませる。場所を移動するぞとの言葉にコスモスは黙って頷くとその後を追った。
どこか近くに良い場所があるのかと期待していたコスモスだが、自分が目覚めた部屋へと戻ってきてしまい眉を寄せる。
不機嫌な主の様子が分かったのか、アジュールは困ったように息を吐いた。
「部屋の主は不在か」
「多分、お風呂だと思う。湯に浸かりながら長考するのが好きなんだって部下の人が言ってたから」
「そうか。ならばマスターはできるだけここにいろ」
「えー」
「案ずるな。私も一緒だ」
「バレたら危ないんじゃないですかね?」
相手は亜人だ。ヒトよりも感覚が鋭いので、コスモスですらいつ存在がばれるのかと冷や冷やしているのだ。
現に、酔い覚ましに外に出てきた男と視線が合ったくらいなのでばれるのも時間の問題だと思っている。
(明確に私の姿が分かるってほどじゃないけど、そこに何かがいるっていうのは分かってる反応だったからなぁ)
精霊と口にした男のことを思い出して、コスモスは小さく唸った。心配する彼女とは逆にアジュールは欠伸をして寛いでいる。
その余裕っぷりが羨ましいとコスモスは溜息をついた。
「バレようが問題ない。箱はここにある。その時点で強奪した犯人だと疑われるだろう。国を敵に回すも同じだからな。それは相手も避けたいはずだ」
「え? 国?」
「マスターが眠った後、私やあの神官も強烈な眠気に襲われてな。二人共しまったと思った時にはもう遅い。潜んでいた盗賊に襲われ追い払ったが、マスターの入った箱だけが忽然と消えていた」
忌々しそうにそう告げるアジュールはその時のことを思い出しているのか、低く唸りながら歯軋りをしている。
不意を突かれたのが相当悔しかったらしい。
コスモスは、アジュールから自分が眠っていた馬車でのできごとを聞いて天を仰ぐと自分が眠ったせいでと呟いた。
「いや、マスターのせいではない。油断していた我々が悪いのだ」
「でも寝るたびに何か変なこと起こるし」
「それはそれで良いこともある。気にしすぎだ。今まで通りで良いと思うぞ。何かあれば私やあの男がなんとかする」
優しい言葉で慰めてくれるアジュールの言葉が心に染みて、コスモスは思わず泣きそうになった。何だかんだ言っても頼りになる魔獣である。
彼女がいつも胡散臭いと失礼なことばかり思っているトシュテンも、この場にいればアジュールと同じことを言うだろう。
「襲撃を受けたといっても御者を含め全員無事だったからな。最初からこの箱が狙いだったんだろう」
「王家の馬車に乗って、大事に箱抱えてるんだものね。凄いものが入ってますよと言わんばかりに」
狙われても仕方ない状況だとはいえ、こうも簡単に盗まれてしまうとは思わなかったと呟くコスモスにアジュールも唸る。
自分がしっかりしていれば未然に防げたという思いが消えないのだろう。
それならば、やはり自分が起きていれば盗まれたのは箱だけで済んだのだとコスモスは床に伏せる獣の頭を優しく撫でた。
「ん? マスターそろそろこの部屋の主が帰ってくるぞ。私はいつも通り影に潜んで気配を消している。マスターはどうする?」
「うーん。ソファーに座って様子を窺ってみるわ」
万が一上に座られたとしてもすり抜けるので問題ない。
本当は部屋から出て行って遠くから様子を窺いたいのだが、それでは何も進展しないだろう。
(バレたらその時考える。うん、基本的に私は認識されない認識されない認識されない。大丈夫大丈夫大丈夫)
闇と同化してその気配すら綺麗に消してしまったアジュールに心細くなるが、甘えてばかりいられない。
呪文のように繰り返して深呼吸をすると、少し気持ちが落ち着いた。
部屋の主がいい人でありますように、なんて無理なことを思いながら近づいてくる足音と話し声にごくりと唾を飲んだ。




