123 ゼアの街
トシュテンが手配していた宿はゼアの街の中でも1、2を争うほど人気の宿だった。造りは古いが掃除が行き届いていてスタッフの対応も良い。
料理も美味しいし浴室も広々として使いやすい。
人型になろうとも風呂に入ったところで効果があるわけでもないコスモスだが気分だけでも楽しむようにしていた。
アジュールもトシュテンも彼女を気遣ってちゃんと一人にさせてくれるのでありがたい。
(入っても入らなくても同じだろうとか言われると思ってたけど)
コスモスの身は汚れてもすぐ綺麗になるようで、汚くもないし臭くもない。どういった仕組みになっているのかと、ココに興味津々の目を向けられたが本人も自分のことが良く分からないのだからしょうがない。
(言語、文字の自動翻訳に汚れることのない体。例え汚れても自動的に洗浄とか便利な家電みたい)
それに加え人魂とはいえ自分を初見で認識できるものはほぼいない。
便利といえば便利だが、やはり慣れた肉体が恋しいと人型で浴槽に浸かりながらコスモスは呟いた。
「はー生き返る」
「ははは。御息女がそう言いつつ炭酸水を飲んでいると笑っていいのか困りますね」
「笑ってるじゃない」
「私は承知しておりますので」
(何を?)
風呂上りに用意されていた炭酸水をぐいっと一気にあおる。アジュールに慎みを持てと笑いながら言われたコスモスはその言葉を無視するように空のグラスを受け取るトシュテンへと視線を向けた。
視線に気づいたトシュテンは笑顔で首を傾げる。
綺麗な金色の髪に輝く緑玉の瞳。均整のとれた顔立ちに背の高さ、細身だがしっかりと筋肉のついた体。
(腹が立つほどのイケメンなんだけどなぁ)
出会ってきた人物のほとんどが美形であるが、こうしてよく見てみるとトシュテンも他に引けを取らない。
(黙ってたら目の保養なのに、中身が胡散臭いんだものね)
メランを追っているとは言っていたが本当にそれだけだろうか、と首を傾げるコスモス。聞いたところで正直に答えるわけもないかと思っていると彼が顔をそらした。
何をしても動じない笑顔でサラリとかわすだけに、コスモスは更に首を傾げる。
「コスモス様、そんなに見つめられては私も照れてしまいます」
「気のせいですね」
「そういう時だけ名前で呼ぶな。マスターは純なのだからそうからかうのもやめておけ」
抑揚無くそう告げるコスモスにアジュールは溜息をついてわざとらしい咳払いをする神官を見つめた。
大きなベッドに腰を降ろしたコスモスは欠伸をしながらもじもじしているトシュテンへ声をかける。
「いくら私が気絶してたとはいえ、オールソン氏は本当にこれでいいんですか?」
「ああ、またその話ですか」
「無理矢理同行させてると思われるのは嫌なので」
アジュールとの二人旅になるのだろうなとぼんやり思っていたのでトシュテンが同行すると言った時には驚いた。
てっきり次の目的地である土の神殿で解散だと思っていたコスモスだが、トシュテンは最初から彼女達に同行するため色々と根回ししていたらしい。
アジュールと二人旅だったら獣道や険しい山、深い森といった場所を移動するのだろうなと思ったが怖くはなかった。
コスモスはこの世界での自分の特性を嫌というほど分かってきたからである。便利さに負けるのはだめだと毎回言い聞かせているのだが、頑張れば睡眠も食事も必要ない。魔物と遭遇したとしても逃亡しやすい。
人らしい感覚を遮断してしまえば、極寒も灼熱も問題ない。
(人間やめるみたいで嫌なんだけど、背に腹は変えられないし)
アジュールも魔獣本来の力を発揮すれば難なく移動できるだろう。通行証も身分証明書も必要なく、奇異の目で見られたりすることもない。
睡眠を削れば何時間でも移動できるだろうから土の神殿まではあっという間だろう。
アジュールの体調を考慮しても通常より大幅な時間短縮になる。
「いくらなんでもマザーの御息女たる貴方が、魔獣と二人旅というのはとんでもないことです」
「いや、今更でしょう?」
「確かにお二人で移動したほうが時間短縮になるのは事実です。が、どうせ道とは思えぬ場所を進むのでしょう?」
「それの何が問題だ。マスターが安全であればそれで良いだろう」
アジュールと二人だったらどう移動していたのかトシュテンには想像し易かったのだろう。別に誰にも見られることもないのだから平気だろうとコスモスがアジュールの言葉に何度も頷くと、トシュテンのつるりとした頬が小さく引き攣った。
「御息女は御自分のお立場を理解していらっしゃいますか?」
「マザーに迷惑かけない程度ならいいかなと思って」
世界中から敬愛されているだろうマザーに迷惑をかける気はコスモスもない。トシュテンもコスモスが何かすればマザーの名前に傷がつくのを心配しているのだろう。
よく分かっているつもりのコスモスは、最悪自分がマザーの娘だとバレなければ問題ないと大きく頷いた。
アジュールもそれに賛同するように頷く。
この地方伝統の模様が描かれているベッドの上でちょこんと座っているのだろう球体を見つめていたトシュテンは、額に手を当てると軽く頭を横に振って深い溜息をついた。
コスモスとアジュールは視線を合わせ、同時に首を傾げる。
「はぁ。どうして貴方はそうなんでしょうね」
「理想ぶち壊してばかりでごめんなさいね」
「いえ、それはいいです。最初は衝撃でしたがすぐに慣れましたし、見ていておも……魅力的ですから」
「面白い、か。確かに、それには同意する」
「そうかなぁ?」
「魅力的です。いいですか、魅力的です」
知らない世界で必死に動き回りつつ、途中でやる気をなくしたり流されたりと中途半端でイライラしそうなものだけど、とコスモスは心の中で呟いた。
何かを思い出すように笑うアジュールに自分の面白い部分なんてあったかと眉を寄せる。
「とにかく、私は我慢ならないので同行させていただきますね」
「ああ、その話だった。ええと、どこまで?」
「どこまでも、とお答えしたはずですが」
道中でもこんなやり取りをしてその時にもそんな事を言っていたとコスモスは思いだす。やはり聞き間違いじゃなかったのかと彼女が眉を寄せれば、漂う沈黙にトシュテンが溜息をついた。
「御息女が私の同行を好ましく思っていないことは承知しております。ですが、マザーの大切な御息女の供が魔獣だけとは許せません」
「……ほぉ」
「もちろん、アジュール殿の実力は理解しているつもりです。箱入り娘で世間知らずの御息女と違って世界のことについても詳しい。ですが、獣の身だからこそできないことも多く不便でしょう?」
「今のところ不便だと思ったことはないがな。私はマスターの僕だ。マスターが行きたいところについていくだけだ」
不便だとトシュテンは言うがコスモスとしてはそんなに不便に思うことはない。何しろ自分を認識できる者が極少数であり、どんな障害も頑張ればすり抜けられるのだから。
アジュールも人が多い場所では影に隠れてその姿を消してくれている。悪目立ちすることもないので困ることもないだろう。
「オールソン氏が心配してくれるのは嬉しいですよ。どうせ私の立場とエステル様と交信できる能力を利用して何か企んでるんでしょうけど」
「……御息女、心の声が漏れていますよ」
にっこりとした綺麗な笑顔を向けられるがときめきも何もないコスモスは、疲れたように溜息をついた。
「分かってて言ってるんですよ。確かにオールソン氏のマザーに対する忠誠やその信心深さは巫女様も言う通り本物なんでしょうけど、それがその娘にまで及ぶとは限らないでしょう?」
「そういうところを敢えて言ってしまうのがマスターらしいな」
クククと笑うアジュールに褒められてるのか馬鹿にされているのか分からない。だが、その笑い声はとても楽しそうだった。
コスモスを見つめるトシュテンの目が大きく見開かれ、ぽかんとしたように口が開いている。そんなに意外なことを言ったつもりはないとコスモスが不思議そうにしていると、彼は慌てて表情を元に戻した。
椅子に座り冷めたお茶で口内を湿らせた彼は、額に手をついて盛大な溜息をつく。
(なんなのよ。言いたいことがあれば言えばいいのに)
アジュールに視線を向けても彼は楽しそうに笑うだけで主の無言の問いに答えようとはしない。
「分かりました。いえ、分かっていましたよ? 貴方に信用されていないということは。しかし、そうきましたか……」
「ハハハ、マスターは面白いだろう?」
「あぁ、もしかして監視?」
心配だと言って同行を申し出るトシュテンの言葉が全て嘘だとは思わないが、それにしては裏がありそうだとコスモスは考えそう呟いた。
それならば納得がいくと手を打つが音が響くことはない。
「監視?」
「マザーの名誉が傷つくようなことがあれば、即断罪できるように」
「貴方に手を出せる輩がいるとでも?」
「本気出せば何とかなるんじゃないかな」
マザーに基本知識をエステルから応用と追加の知識と実技を、そして火の神殿にて精霊石を吸収した身で一体何を言い出すのやらと呆けていたアジュールは必死に笑いを噛み殺す。
ニヤニヤとしそうになる顔に力を入れ、彼はトシュテンと主のやり取りを見守った。
「主よ大いなる母よどうか迷える魂をお救いください……」
(私のことかな)
遠回しな嫌味かとコスモスがアジュールを見れば、彼は無言で頭を横に振る。トシュテンが呟くのは祈りの言葉。
「御息女」
「は、はい」
「メランにも太刀打ちできぬような一介の神官ごときが貴方を傷つけられるわけがありません。もし仮に貴方がマザーの名誉を傷つけるようなことをしたとしても、断罪するのは私ではなくマザーです」
「はい」
「幸い、貴方はそういう事がお嫌いなようですのでそうならないとは思いますが。もう少し誇っては如何ですか? マザーの御息女なのですから」
そう言うとトシュテンは複雑な表情をして溜息をつく。
コスモスはその言葉に返事ができずにいた。適当に二つ返事をしておけばいいのだろうが、生来の性格がそれを阻む。
「誇れと言われても……」
「限られた者しか知らない場所で厳重に保護され、最近目覚めたばかりだというのは分かります。もし仮にマザーと血の繋がった親子でなかったとしても、マザーが貴方を娘としたのは事実です」
長い間眠っていてつい最近目覚めたばかり。世間知らずでもしょうがないと甘く見てもらっているのはありがたいとコスモスは思う。
箱入り娘の世間知らずな設定のお陰で助かっている部分は多いからだ。
異世界人であることは他言するな、バレるなとマザーやエステルに言われているからちょうどいい。アジュールがそれをバラすこともないだろう。
「御自身が狙われやすい立場というのも理解していますか?」
「誘拐して利用するとか、マザーを脅迫するとかってことだったら私には通用しないからそこまで考えたことないわ」
捕まえようにも方法がないだろう。どんなに厳重な場所に閉じ込めてもするりと抜け出せる。
第一、認識できたとしても捕まえることができない。
それでも何とかするとしたら、適当な箱の中ににコスモスがいると見せかけて芝居をするくらいなものだろうか。
「メランは、貴方に危害を加えたのでしょう?」
「同一人物という確証はないけど、アレがそうだっていうなら」
「ならば、誘拐できる可能性もあるということですよ。初見で貴方を認識できて接触できるのであればなおさらです」
確かにそうなったら困るとコスモスは呟く。しかし、それならアジュールと二人の方が何とか凌げるのではないかとも思った。
あからさまに何か大事なものが入ってますよと言わんばかりの箱を前に抱えて移動するトシュテンなど、狙ってくださいといっているようなものではないのか。
コスモスの疑問にトシュテンはいつものように笑う。
「それで良いのですよ」
「えっ」
「神官を連れて旅をしていると分かれば、狙ってくる輩も絞れますからね」
「狙われる前提なの」
だったらもっと目立たない移動法がいいと告げれば、箱の中に入れていたのはコスモスが昏睡していたからだと告げられる。
そう言われると申し訳なさで何も言えなくなる彼女に、トシュテンは小さく笑った。
これは裏のない笑みだとコスモスでも分かる。
「いえ。御息女とて望んでそうなったわけではないのですからお気になさらぬよう。万が一身動きできない場合の移動方法として有用だというのは分かりましたので」
「それは、良かったです」
今後またコスモスが気を失ってただの置物のようになってしまった場合、箱の中に入れて移動するのだろう。
その箱や布は畳まれることなく窓辺のテーブルに置かれている。自由自在に動ける今となっては無用ではないかとコスモスが思っていると、彼女の視線に気づいたトシュテンが持ち上げていたカップを静かに下ろした。
「御息女には暫くあれで移動していただきますよ。窮屈だとは思いますが、我慢してくださいね」
「えっ」
「この国は他と少し違いますので、念には念をと思いまして」
「亜人の国だから?」
レサンタとの国境からちらほらと、亜人の姿が増えていることに気づいたコスモスはオルクス王国が亜人の国であることを思い出した。
人種が違えど友好的に暮らしていると説明されたが、場所によっては小競り合いや迫害はあるらしい。
(人間同士でも衝突が避けられないんだから当然か)
「亜人が怖いですか?」
「ううん。亜人でも優しい人は優しいだろうし、酷い人は酷いだろうからそこは人間と変わらないかな。欲深さでは人間の方が勝ってるんじゃないかしら」
「ふふふ。御息女はとても慈悲深くいらっしゃる」
どこが慈悲深いのかと突っ込もうとしてコスモスはやめた。
大きな欠伸をしたアジュールが尻尾を揺らしてベッドの上にいるコスモスを見上げる。
「亜人は人間に比べて感覚が鋭い。認識できないとしても、マスターの気配に気づく者は多いということだ」
「ええっ」
「普通の亜人であれば大丈夫だと思うんですがね。どうでしょう、アジュール殿」
「そうだな。普通の亜人ならば問題ない。問題なのは、魔力が強い奴だな」
そこに何かがいると感覚的に分かってしまうなら、コスモスも下手に動けない。
特別に誂えられた箱は魔力を遮断してしまえるほどの優れものだという。箱の中にコスモスが入っている限り、彼女の安全が保障される。
検問で魔力感知されようと遮断されるためにただの箱とみなされるし、攻撃を加えようとも弾かれて終わり。そこで暮らしたらいいのではないかとニヤつくアジュールの尻尾を足で踏みつけ、コスモスは月光に照らされる箱を見つめた。
「魔力が強い人か。この国の女王様とか?」
「……何か、ありましたか?」
「お風呂に入ってたら軽く乱入されて『やだぁ~ごめんなさいねぇ。出る場所間違っちゃったわ~』ってウインクしながらペロリと舌出されたくらい」
驚きのあまりコスモスが人型から球状になってしまったのは仕方ないだろう。
トシュテンは素早く床で伏せている獣に目をやるが、アジュールは知らん顔をして目を閉じていた。
「アジュール殿、気づいていたのですか?」
「害がないから良いと思ってな。マスターが悲鳴を上げて飛び出してくるようであれば、対処した」
「まぁ、乱入って言っても『お迎えに行くからそこで待っててね~』と言われたくらい……あ、そう言えばそんなこと言われたんだった」
トシュテンに言われて風呂場での乱入事件を思い出すあたり、コスモスも動揺してるのだろう。
彼が険しい顔をして守護の強化をしなければと呟くのを聞きながら、伏せている獣の尻尾を軽く踏み続ける。邪魔だと言わんばかりにくるりと足に巻きついた尻尾が器用に彼女の足をどかす。
「アジュール。女王様と知り合いなの?」
「見たことがある」
「……ふぅん」
答えになっていないが、それ以上聞いても何も答えないだろうとコスモスは広いベッドに倒れこんだ。天井に描かれている装飾壁画は美しく、照明も高級なものだと見て分かる。
壁画をなぞるように指で何かを描くと、それは淡く発光してすぐに消えた。
「御息女?」
「あぁ、ごめんなさい。練習しようと思って、簡易結界を張ってみたの。もう来ないとは思うけど、心臓に悪いから」
「そうですね。後は私が重ねがけしておきますので、ゆっくりお休みください」
もぞもぞ、とコスモスがベッドに潜ったのを確認したトシュテンは暫く無言で天井を見つめていた。




