120 火力制御
青い空白い雲、青い海に白い砂浜。
太陽が沈めば月が昇り、雨の後には虹がかかる。
風は穏やかで優しく心地よいものばかりで構成されているような世界。
地平線の向こうには何も無いらしいが、不思議とそれを怖いとは思わなかった。
「はー。隠居にはもってこいの場所だわ」
「じゃろ?」
「何か釣れました?」
「いや、今日はまだじゃな。なに、焦りは禁物。どーんと構えてなければのう」
パラソルの下、デッキチェアでゆったりと寛ぎながら読書しているサンタはコスモスの言葉にちらりと釣竿に目をやった。
設置してある釣竿から垂れた糸は震えることなく波に身を任せるようゆっくり揺れている。
コスモスは窓の額縁に肘を置いて室内から外の様子を眺めていた。
ここへ来てから彼女の部屋として宛がわれた室内は、最初のシンプルだった頃と比べ随分と賑やかになっている。
散歩で拾った綺麗な羽や石、貝殻が棚の上に飾られてベッドには天蓋がつけられていた。
南国リゾートをモチーフとした室内はいつか彼女がテレビで見た、行ってみたい海外のホテルに似ている。
「そっちはどうじゃ?」
「まぁまぁですかね。制御は慣れてきました。言われた通りにできているのかは分かりませんけど、体は楽になりましたよ」
いつ帰れるのか分からない状況でどうしたものかと困ったコスモスに、ここに滞在しながら修行をすればいいと提案してくれたのはサンタだ。
修行という言葉にあまり良い印象を抱かないコスモスの顔を見て、彼女が何を考えているのか察したらしい彼が大きく笑ったのは今でも覚えている。
(無事に元の世界に帰れる確率を上げるためにも、力の制御は必須とは言うけど……上手くできてるのかな)
最初の課題としてシンプルな室内を自分好みに変えてみろと言われた時には目が点になったコスモスだった。
DIYが得意ではない彼女はシンプルな室内で充分だったのだが、サンタがウインク一つで室内を変えてしまった時には思わず変な声が出た。
(まさか、元の世界の自分の部屋がここに再現されるとは思ってなかったわ)
「ホッホッホ。そりゃ良かった。そうじゃな、最初の頃と比べたら安定しておるなぁ」
教えられた通りに力を使用しているはずなのに、室内は理想通りとは程遠い前衛的な芸術のようなものになっていたことを思い出す。
この場にアジュールがいたならば、溜息をついて知らないふりをされるか馬鹿にしたように鼻で笑われたことだろう。
「言われたことは分かってたつもりなんですけど、コツを掴むまでが大変で」
「そりゃしょうがない。もう十年も若ければ抵抗無くすんなり使えたじゃろうが」
「私だって好きで来たわけじゃないんですけどねぇ」
サンタが嫌味で言っているわけじゃないのは分かる。だが、口から出る言葉は可愛くないものばかり。
きっとこういうところがいけないんだろうと思っても、直そうとしないのが悪いところだ。
「しかし、基本はきちんとできておったから習得するのも早かったと思うがのう」
「あー、マザーのお陰ですかね」
きちんと身についているのか不安だったがそう言われると思い浮かぶのは穏やかな雰囲気を纏う老婦人しかいない。
何でも見透かしているようなあの人は一体何をしているだろうか。今自分がここにいるのも知っているだろうかと思いながらコスモスは脳内で「いい機会だからそこで修行なさいな」と笑顔で告げる彼女の姿を慌てて消した。
「マザーか。なるほどのう。お嬢さんにきちんと教育はしておったのか」
「?」
「あとは、神子のお陰もあるかもしれんの。フェノールの神子」
「エステル様のことですか?」
確かにそう言われればミストラルから急にレサンタへ飛ばされた時に、エステルと出会わなかったら騒動に巻き込まれることもなかっただろうが、黒い蝶関連を追いかけることもできなかっただろう。
アジュールと二人で地道にミストラルに戻れる道を探すにしても、今以上に時間がかかっていたに違いない。
結界をすり抜けてしまったのは悪いと思っているが、祠に落ちたのは幸運だった。
「そうじゃ。まさか、祠に落ちるとは思ってなかったがのう」
「えー見てたなら助けるとかしてくれてもいいじゃないですか」
「ホッホッホ。何でもできそうでできないのが、ワシじゃ」
「自慢気に言われても困ります」
それは胸を張って言うことじゃないだろうと突っ込みを入れ、コスモスは溜息をつく。結局自分で何とかするしかないのは分かっている。
分かっているが、上手くいかない。
若ければもう少し柔軟に対応できたんだろうかと考えるが、性格にもよりそうなのでどっちにしろ難しそうだと苦笑した。
想像するだけならどこへでも行けるし、なんにでもなれる。
他を圧倒する力を持つ者や、老若男女を魅了してやまない人物まで。
己の欲に忠実なメランが羨ましいわと本心ではないことを思いつつ、コスモスは意識を集中させた。
小さな竜巻を周囲に何個も作った時のように、イメージをする。
体の中にある火の精霊石を意識しながらゆっくりとその力を内から外へ。
「精霊石の扱いにも慣れてきたようじゃな」
「感覚で使ってる部分が多いですけどね。これでいいんですか?」
「良い良い。流れに逆らわず上手く誘導してやるのが大事じゃ」
ボボボ、とコスモスの周囲に浮かび上がる小さな火の玉。
小さいが威力は高く、連続して放ちやすいので攻撃手段として役に立ちそうだ。
「本来なら精霊石の波長と合わせて力を引き出すものじゃが、お嬢さんの場合は吸収してしまっとるからのぅ。やりやすいと言えばそうなんじゃが、火力調節が難しくなるからそこが大変じゃな」
「そうですね。ロウソクの火をイメージしたつもりなのに、ドカンでしたもんね。いやぁ、ここじゃなかったら危険でした」
「ここでも危険じゃがな」
冷静に突っ込んでくるサンタの言葉を笑顔でかわし、コスモスは火力調節ができるようになった自分の成長に何度も頷く。
もう火力調節の失敗でアフロになるサンタや汚い花火を見ることはないのだ。
「他の人は良く分からないからって教えようもないらしいので、助かります」
「そりゃそうじゃな。精霊石を取り込んだ人物なんて滅多にいないじゃろうから」
「好きで取り込んだわけじゃないんですけど……」
「そう拗ねるでない。コスモスにとって、それが一番だと精霊石が判断したんじゃろう」
「石が判断」
(石の意思ってか)
「ベタでつまらんぞ」
人の心を読むのはやめてくれませんかね、とコスモスが睨むようにサンタに視線を向ければ彼はヒゲを撫でながら楽しそうに笑うだけ。
眉を寄せながらコスモスは指先に灯した火をサンタへと飛ばすが、彼はひらりと避けた。
「そういえばここって、他の召喚者も来てるんだと思ってました」
「通常召喚者がここに来ることはまずない。お主は例外中の例外じゃから来れたのじゃろうな」
「嬉しくない例外じゃないですかソレ」
特別、特殊、例外。
その響きに他とは違うことを喜び優越感を覚えるような状況ではない。
自分は他とは違うのだと不安になって怯えてしまう。
この場所では五体満足で存在できるコスモスだが、ここを離れればまた人魂に戻ってしまうし自分を認識できる人物も限られる。
便利なところは多々あるが、それでも帰還の役には立っていないような気がして彼女は溜息をついた。
いっそ、諦めてしまえばいいのだろうか。
肉体を、肉親を、友人を、自分が生まれ育った世界を捨ててこちらに根付いてしまえばもっと楽に生きていけるのかもしれない。
「コスモス」
穏やかな声で名前を呼ばれたので彼女が顔を上げれば、こちらに背を向け読書をしているサンタがゆっくりと頭を左右に振った。
(分かってる。分かってるわよ)
何が言いたいのかは何となく分かるが、やり場の無い気持ちを溜息にするしか方法が無い。
みっともなく喚いて暴れれば少しはすっきりするのだろうが、そんな醜態を晒すのは嫌だ。
「急いては事を仕損じると言うじゃろ?」
「分かっています。分かってるつもりなんですけど、こう……よ、余計なことばかりが増えて本当は誰も私のことを気にしてないんじゃないかって」
そう思ってしまう。
便利に扱われているのも自覚しているが、自分もマザーの威光を借りて行動しているだけに何も言えない。
理不尽に落とされた挙句、漏れたようだなんて言われたらお先真っ暗になるだろうにこうして動けるのはやらなきゃいけないことがやってくるからだ。
「まぁ、確かに。助ける義理などないからのう」
「はっきり言いますねぇ」
「それでもマザーはお主を認め、己の庇護下に置いたのじゃろ? 愛娘なんて自ら言って」
「気まぐれじゃないですかね」
「野放しにしたらマズイと思ったのじゃろ。首輪のない異世界からの召喚者が人魂の状態とはいえフラフラしとるんじゃ。手玉にして利用した方が価値があると考えるのが普通じゃ」
「ですね」
そう思うところもあったが、こうはっきり言われると反論はできない。
ギブアンドテイク。
世界が良心だけでできているのだったら自分がこんな目に遭うはずはないと大きく頷いてコスモスは潮風に目を閉じた。
ささくれ立った気持ちも、波の音を聞いていれば少しずつ穏やかになっていくのだから不思議だ。
「それでも帰還の協力をすると言ったのじゃから、信じても良いと思うがなぁ」
「なに考えてるか分からないですけど、そんなひどいことはしないって私も思ってます」
何故と聞かれたら勘だとしか言えないが、今はその勘が本当であることを祈るばかりだ。
困っている人が自分の力を必要としているのなら、見捨てることはできない。
大した力もないくせに、厄介ごとに首を突っ込む自分の性格が悪いのかと眉を寄せながら、夢見が悪くなると呟いた。
(調子に乗ってガンガン進みたいけど、落とし穴がありそうで怖いんだよなぁ)
小さく唸りながら百面相をするコスモスをちらりと見て、サンタは小さく笑いながら開いていた本へと視線を移した。




