119 2回目です
大体この展開になる時は変なことが起こる。
それならば通常では変なことが起こらないのかと言われればそうでもないので何とも言えぬ気持ちになりながらコスモスは目を覚ました。
「やっぱり」
視界に映る光景を見て溜息をついた彼女はゆっくりと上体を起こす。聞こえてくる波の音に懐かしいと思いながら両手を上げて大きく伸びをした。
見覚えのある室内と頬を優しく撫でる潮風。
どうなるのか不安と興味が半々だったが、危険な場所に来ることはないらしい。
「はー。生き返るー。いや、全然ダメですけどね」
ひらりと彼女の視界に映る蝶が心配するように飛来する。金色の光を撒きながら蝶はコスモスの頭上へ止まった。
凝り固まっていた体を解すようにベッドの上で軽くストレッチをしていると、コンコンと扉がノックされる音が響く。
短く返事をすれば聞き覚えのある声と共に、見覚えのある人物が顔を覗かせた。
「食事の準備ができているが、食べるかね?」
「あ、はい! いただきます。あ、あのまたお邪魔してすみません」
「ハッハッハ。良い良い」
挨拶する前に暢気にストレッチをしている非常識な女だと思われただろうか。
実家に帰った時のように安心してしまって気が緩んでしまうこの場所が悪い、と責任転嫁しながらコスモスは慌てて頭を下げる。
相変わらず派手なアロハシャツを着ている老人はカイゼル髭を指先で弄りながら眼鏡の奥の瞳を細めた。
(相変わらずの、サンタさん南国バージョン)
あの時とちょっと違うのはサングラスじゃないことと、服が違うということだろうか。赤い半ズボンは同じだが半袖アロハシャツはあの時と違う柄だ。
よくそんな細かいことを覚えているな、と自分自身に溜息をついてコスモスはスリッパを履くと空腹を訴える音を響かせる。
「おやおや。腹の虫が鳴いておるな」
「うっ、すみません」
「良い良い。健康な証拠じゃからのぉ。食欲があるのは良いことじゃ」
笑いながら廊下を歩く彼の後についていきながら、コスモスは周囲を見回す。同じところに二度も来るとは思わなかったが、自分はまた釣られたんだろうかと首を傾げた。
(いや、あの時は結局釣られたんじゃなくてタモで掬われたんだっけ?)
燦々と降り注ぐ太陽の光に照らされて白い砂浜は一層輝いて見える。青い空に青い海、白い砂浜と相変わらずここは楽園だ。
そんな楽園にあるサンタ邸の前で海を眺め穏やかな風を感じながら食事をできる日がくるとは思わなかったとコスモスは目を細めた。
パラソルの下、テーブルにはたくさんの料理が並べられておりコスモスはサンタに促されるようにして椅子に座った。
(優雅なリゾート気分だわ)
テレビを見ながらいいなぁと思い憧れていた光景が目の前に広がっている。もっとこの景色や雰囲気を楽しみたいが、美味しそうな食事に彼女の腹がググゥと大きく鳴った。
自重できない腹を慌てて押さえるように手を当てると、サンタは笑って彼女に野菜がたっぷり入ったスープの器を置いた。
「遠慮しないでたくさん食べなさい」
「ありがとうございます。いただきます!」
両手を合わせて早速スープを一口。
前回も食べたが優しい味にホッとする。スープのお代わりを頼みながら白身魚のグリルを口に入れた。塩胡椒で味をつけた白身魚の上に果物を乗せてグリルしたのかと思えば、魚自体にしっかりと味がついている。
(ニンニクとレモンかな?)
薄く切られたパンを手に取った彼女はソースを拭って食べると想像通りの美味しさに思わず笑みが零れた。
「フフフフ」
「相変わらず美味しそうに食べるのう」
「美味しいですから。ありがとうございます」
空と大地と海の恵みに感謝しながら調理をしたサンタの腕を褒めちぎる。興奮した様子でどれだけ美味しいのかと伝えられたサンタは、自分の二の腕を軽く叩いて得意気に胸を反らした。
エビとアボカドと赤身魚のサラダが美味しくないはずがない。マヨネーズに似た色味をしているソースをかけて食べれば、酸味が爽やかに鼻へと抜けていく。
蒸し鶏の柔らかさもネギソースのピリッとした刺激もコスモスの食欲を増進させる。
「はー幸せ」
「そりゃ良かった」
「まだ食べてていいですか?」
「もちろん。好きなだけ食べなさい」
にっこりと笑顔でそう言ってくれるサンタにコスモスは小さくガッツポーズをしながら、次は何を食べようかとテーブルの上に並んだ料理を眺めた。
カットフルーツがゴロゴロ入っているアイスティーを飲んで、ガーリックシュリンプのようなものに狙いを定める。
「そういえば今回は相棒はおらんのぅ」
「あー、ちょっとお使いを頼んでまして。前回は瀕死でここに流れ着いたみたいですけど今回は気を失ったと思ったらここにいたんですよね」
またどこからか流されてきたんだろうかとサンタに問えば、彼は波打ち際に打ち上がっていたと笑いながら教えてくれた。
(タモで掬われなかっただけマシか)
記憶がないのならどちらでもいいじゃないかという声がどこからか聞こえたような気がしたが、気分の問題だ。
「もう来れないと思ってましたけど、来れるもんですね」
「そうじゃな。ワシもビックリじゃ」
見たところ嘘を言っているように思えないのでサンタが自分を呼んだわけではないのかと、コスモスは少し気落ちしてしまった。もしかしたら帰る方法が見つかったのではないかと思ったがやはりそう簡単にはいかないかと息を吐く。
(第一、今の状況で帰れるって言われても素直に帰れないしなぁ)
最初にここへ来た時は、帰れるのなら帰ろうとあんなに思っていたのに今では即断できずにいる。
元の世界に帰るのが最優先事項だというのは今も変わらないが、頼まれごとをされているしこのまま帰るのは夢見が悪い。
それだけコスモスが異なる世界に馴染んできたということでもあるだろう。
「前回とはまた顔付きが変わったのぅ」
「そうですかね? 自分では良く分からないですけど」
「火の大精霊の力まで分けられて。成長したもんじゃなぁ」
「大精霊様の気まぐれですよ」
溜息とともにそう告げてエビの尻尾までガリガリと食べていたコスモスは、ゆっくりとサンタを見つめる。
彼は上機嫌に笑いながら発泡酒の入ったグラスを高らかに掲げ「お嬢さんの強化に乾杯」なんて訳の分からない事を言っている。
「……えっ、見たんですか?」
全てを見透かすかのような青い瞳で見つめられ、恐怖を感じたことを思い出す。本心さえ丸裸にされそうな、あの視線は正直気持ちが悪い。
防御壁を展開させて防御膜を厚くしなければとコスモスが思っていると、それに気づいたサンタが慌てたようにグラスを置く。
「そんなことはしとらんよ! それにそう防御せんでもその子が遮断してくれるはずじゃ」
「その子?」
誰のことだと眉を寄せるコスモスに、自分だとばかりに頭上にいた蝶がひらりと降りてくる。
そのままコスモスの飲んでいるグラスに刺さった花へ止まると、ゆっくりとその翅を動かした。
「最近の悪食を怒っておるぞ。変なものでも食べたか?」
「え? いや……変なもの。まぁ、食べるとしたら黒い蝶くらいですけど無味無臭ですし特に害もないのでいいかなと」
苛立つように触覚を動かして、トントントンと前足を鳴らす蝶の様子が見える。
アジュールも特に何も言わなくなったのでいいのかと思っていたが、ダメだったのかと心配そうにコスモスはサンタへ視線を向けた。
怒っている様子の蝶に困るコスモスを見て、サンタは苦笑する。
「それじゃなぁ」
「えぇ……」
「無味無臭で害はないとはいえ、完全に無害とは言いがたいのじゃろ。完全に無害化してる自分をもっと褒めろと言うておるぞ」
「えっ、毒でもあったんですか」
感じないほど微量の毒でも蓄積すればダメージになる。蓄積される前に無害化して負担を最小限にとどめているのだろうとサンタに言われ、コスモスは蝶に向かって深々と頭を下げた。
「いつも存在感が無いので忘れてしまいますが、ありがとうございます」
「一言余計じゃな」
「いや、正直に伝えておいたほうがいいかと思って」
「それは当たっておる」
やれやれ、と言わんばかりに蝶は暫く触覚を動かしコスモスの頭上へと戻った。アジュールといい、この蝶といい、人外に世話されてばかりではないかと一人ショックを受けているとサンタがコスモスも似たようなものだろうと言って笑う。
(優しいし、食事は美味しいし、有難いおじいちゃんなんだけど相変わらず得体が知れないのよね)
「それにしても、精霊石を吸収してしまうとはのぅ。人の身では負担が大きすぎるが、人ではない故に可能というわけかの」
「え、終わったらお返ししますよ。やり方知らないですけど」
自分の大切な体に戻る弊害になるんだったら貴重な力だろうがいらない。
どれだけパワーアップして色々な人達を助けられても、それが原因で体に戻れないなど嫌だと彼女は呟いた。
元の世界に帰る方法も、自分の肉体がどうなっているのかも分からないまま色々なことに巻き込まれる。
そういう役回りは他にいるだろと思いつつも、帰還するための情報収集もできるよと言われれば行くしかない。
上手くマザーに利用されている気がしないでもないが、他に手がないのが現状だ。
「異世界から召喚された異世界人という立場では行動し辛いしのぅ」
「そうなんですよ。知ってるのはアジュールとマザー、それにエステル様くらいですし。他に漏らすなときつく言われてますから」
それは自分を思ってのことだとコスモスは理解している。いくらほとんどの生物に認識されることなく、どこでも通り抜け自由の身とはいえ万が一ということがある。
彼女たちはそれを心配してくれているのだろう。
(アジュールは特に興味がないのか、私に危険が及ぶと面倒だから言わないのか。まぁ、いなくなられると困るみたいだからかな?)
それは甘く頬を染めてしまうような理由ではない。コスモスが身を守るためにアジュールを利用するように、アジュールもまた自分を利用しているのだろう。
どう利用しているのかは分からないが何となくそんな気がしていた。
「漏れたわりには恵まれた環境ですけどね。あ、これも貴方のお陰かな」
「そうじゃな。お嬢さんには幸福の蝶がついておる。通常召喚でなかったとしても、生きていられるわけじゃ」
「物騒なこと言うのやめてくださいよ。ここでは人の身になれますけど、向こうで私を人として認識できるのはアジュールくらいですし」
「そうかの?」
「ええ。見える人は、変な球体だと思ってますよ」
アジュールにしても向こうでは人型の輪郭くらいしか分からないだろう。鏡にすら映らぬ自分の姿をここで久々に見たときは変な感じがしたものだ。
「ぶはっ、ごほっ」
パタパタと頭上で鱗粉を振りまく蝶に咽るコスモスに、サンタは彼女の頭上にいる蝶を見つめて目を細めた。




