11 成人の儀
滞りなく進んでゆく儀式にホッとしながらコスモスは頭の花輪を触った。
キュルル、と小さな声で鳴くケサランは上機嫌そうで彼女は苦笑する。
自分のことが見えるのはマザーとソフィーアだけだと言われていたが、多くの人に囲まれるのは慣れない。
ソフィーアにはコスモスが球体で見えるので、挙動不審にふらふらと飛んでいる様子を随分と心配しているようだった。
「ふう」
「大丈夫ですか?コスモス様」
両陛下との謁見が終わり、控え室に戻ってきた途端にコスモスは大きく息を吐く。
心配そうに声をかけてきたソフィーアは落ち着いていたので、申し訳なく思ってしまう。
彼女をサポートする立場だというのに、心配をかけるなんて何をやっているんだと自分に叱咤しながらコスモスは「ごめん」と謝った。
「少し、休みましょうか」
「ううん。大丈夫。迷惑かけて、本当にごめん」
多くの人の視線を浴びる中での儀式も堂々とこなすソフィーアはとても頼もしく見えた。
自分なんていらないんじゃないかと思えるほどの振る舞いに、コスモスは練習と本番の違いを改めて感じる。
透明人間状態だというのに、変に緊張してしまう自分の小ささが情けない。
「私のことが見えないとは分かってるんだけど、堅苦しいあの雰囲気に慣れていないから緊張しちゃって」
主役というわけではないのにガチガチで緊張しているコスモスのせいか、周囲にいた精霊たちの動きもどこかぎこちなかった。
いつもと変わらなかったのはコスモスの頭上にいるケサランくらいだ。
「みんな綺麗な人ばかりで、目の保養になったわ」
「ふふ。素敵な方々ばかりですから」
ソフィーアの家族を初めて見たコスモスは、彼女の美しさは家系かと思わず頷いてしまったほどだ。
父親である大公は紳士的なおじ様であり、三人の兄もみとれてしまうほどの美形だった。
両陛下も気品と威厳ある美しい人物で、居並ぶ臣下がほぼ整った顔立ちをしているという状況はコスモスにとって恐ろしい。
現実では有り得ない状況と、目にしたことのない美形のオンパレード。
慣れない彼女が気分を悪くしてしまうのも仕方がなかった。
「姫で慣れたと思ったけど、駄目だったなぁ」
美術作品を愛でるような感覚でいればいいんだろうか、と考えながらコスモスは溜息をつく。
じゃがいもだと思うよりはマシかもしれない。
「コスモス様は、堅苦しいのは苦手のようですね」
「そうだね。縁がないから、変に疲れるのかも」
心配事がたくさんあるせいで心に余裕がないせいだろう。そう分かっているが、どうにもできないとコスモスは苦笑した。
自分のことで手一杯だというのに、マザーに言い包められ他人のために頑張って動いている。
ソフィーアのことが嫌いなわけではないが、上手く利用されているような気がしてコスモスはモヤモヤとした気持ちを溜息と共に吐き出した。
「来賓の方々の名前も覚えてないや……まぁ、私には関係ないだろうけど」
「気になる方はいらっしゃいましたか?」
「うーん。多種多様で面白い、って言ったら失礼か」
「いいえ。コスモス様らしいと思います」
くすくすと笑うソフィーアにコスモスは首を傾げた。
私らしいとは一体どういうことだろうか、と。
「遠い地で長い間眠っていらしたコスモス様には、全てが新鮮に映るのですね」
「うん、そうだね」
何を言っても好意的に受け止めてくれるソフィーアに良心が痛むのを感じながら、コスモスは大きく伸びをした。
軽くストレッチをして体の緊張をほぐす。
「ソフィーア姫はいつも通りだよね。すごいな」
「いいえ、私だって今回はとても緊張しているのですよ?」
「えー、見えないけど」
「はい。見せていないだけです」
にっこりと微笑まれながら大きく頷かれると思わず笑ってしまう。
楽しそうに笑うコスモスの声を聞きながら、ソフィーアは嬉しそうに目を細めた。
「さすがですね、ソフィーア姫」
「ありがとうございます」
白い礼服とガウンに身を包んだソフィーアの艶やかな銀髪は丁寧に結い上げられている。侍女たちが数日前から念入りに手入れをしていた成果か見事に出ていた。
頭上にはさきほど皇后陛下から載せられたばかりのティアラが誇らしげに輝いている。
プラチナのような金属で作られたティアラにはダイヤと思われる宝石が填められており、中央には大きな緑玉が一際大きく存在感を放っていた。
ソフィーアの澄んだ翠玉よりも深みがあり濃い緑玉は星のように煌いて華奢な彼女をより高貴な存在にしている。
エメラルドの模様は、スター効果というものに似ているとコスモスは興味津々だ。
「あとはお披露目だけだから、無事に終わらせようね」
民衆へのお披露目を残して儀式は滞りなく進んでいる。
本当は謁見の間からそのまま大広間へ移動する予定だったが、想像以上に人が集まったせいで群集の整理が追いついていないのだという。
大事な来賓の方々も予想以上に参列しているとのことで、兵士たちは忙しそうだ。
基本的に出席するのは護衛も含め三名が多い。前もって通知をしてその返事を元に席数も決めていたらしいが、駆け込み参加という非常に迷惑な人物が何人かいてバタバタしている。
そんなことでセキュリティは大丈夫なのかとコスモスは疑問に思うが、追い返すわけにもいかず追加の席を用意する為に廊下では怒号が響く始末。
「最悪だなぁ。でも、これが小国のつらさ、か」
落ち着くまで控え室で待機と言われているが、何もせずに待つだけというのも暇である。
早く儀式を終らせたいのに、と思いながらコスモスが外の様子を窺っているとソフィーアが緊張した声で呟いた。
「他国からも大勢の方々がいらっしゃっていますから……失敗はできませんね」
「そうね。まぁ、プレッシャーかかってんのはこっちだけど」
思わず顔を歪めたくなってしまうくらい大勢の人々がソフィーアの登場を待っている。
国民にしてみれば自分たちの大事な姫の晴れ舞台だ。期待するなという方がおかしいが、それにしても多すぎる。
真夏の野外ライブの比じゃない、と呟きながらコスモスは眉間を指で揉んだ。
「ま、練習通りするだけだから姫も気楽にね?」
「はい。よろしくお願いします」
ケサランの調子は良く、周囲の精霊たちもやる気に満ちている。
歴代のお披露目に比べれば派手さもなく小規模なものだが、ソフィーアが守護精霊の加護を受けていると証明するには充分だ。
謁見の間で行われた成人の儀も、参列者から異を唱えるような者はおらず滞りなく終了した。
「幸福の蝶とやらもたくさんいるし、味方は多いわ」
「幸福の蝶が……いたのですか?」
「うん。たくさんいたよ。群れで飛んでいると気持ち悪いけど、幸せの象徴なら仕方ないわ」
綺麗な模様をした蝶だけど、黒い雲のようで気持ち悪かったとコスモスが笑いながら言えば、ソフィーアは口元に手を当てて首を傾げた。
教会から城までの道すがら、蝶の姿を目にしていないのでピンとこないのだろう。
「本当にその蝶は群れて飛んでいたのですか?」
「うん。町の人たちも『幸福の蝶だ』って喜んでたよ。幸先良いねって、姫様の成人の儀が素晴らしいものになるって騒いでたもの」
何かが引っかかるのか綺麗な眉を僅かに寄せながら見つめてくるソフィーに、先日町で見た蝶の事やそれを見た人々の様子も教える。
「群れで……飛ぶ」
「うん。気持ち悪かったわ。最初何かと思ったもの。蜂かなーと思ったけど蝶だったよ」
蝶の姿を目にしたのはコスモスがここに来て少し経った頃だ。
青い空と白い雲を覆うように飛ぶ黒い蝶を見つけ、人々は興奮した様子でその姿に見入る。
ソフィーアの成人を祝いに来たのだと嬉しそうに言っていたので、縁起がいいと思っていたコスモスだが当のソフィーアの表情が冴えない。
「幸福の蝶が群れで飛ぶという話は、一度も聞いたことがなかったので驚きました」
「それだけ姫の成人を祝いたいんじゃないかな?」
「でしたら幸せですね」
くすくすと笑うその表情につられて笑いながらコスモスはある事を思い出した。
ゴソゴソ、とケサランと花輪の間に手を入れて探っているが目的のものがない。おかしいな、と首を傾げながら探し続けているとケサランが手に体をくっつけて何かを出した。
ぺっ、とケサランから吐き出されたものを見て彼女は頷く。
「これ見てくれる? この蝶は死んでるんだけど、こんな感じの蝶がたくさん飛んでいたの」
「まぁ!確かに図鑑で見る“幸福の蝶”そのものですわね」
ソフィーアの目の前に掌を差し出したコスモスは、生前の美しい姿を残している蝶を見せた。虫の死骸を麗しい少女へ見せるのは気がひけるが、彼女の掌の中にある蝶はまるで生きているかのように美しい姿のままだ。
この美しい羽を見ろとばかりに羽を広げている蝶を見つめていたソフィーアは嬉しそうに声を上げる。
「私、実物は初めて見ました! あぁ、なんて素敵なんでしょう」
「綺麗だよね」
「はい! それにこの姿のままで残っているのはとても素晴らしい事です。本来ならばその姿は消えてしまうのに」
「え、そうなの?」
ソフィーアに言われたコスモスは思わず自分の掌を見つめてしまう。
どこも欠けることなく生前の姿そのままの蝶は、鮮やかで美しい模様を彼女たちに披露していた。
息を吹き返し、ふわりと飛んでもおかしくない姿は本当に死んでいるのかと疑問に思ってしまうほどだ。
角度によって鮮やかさを変える羽の模様を眺めていたソフィーは興奮した様子で手を組み合わせると、何も知らないコスモスに説明し始める。
「幸福の蝶は稀にしか目にすることのできない幻の蝶と呼ばれていて、その希少性から“見た者を幸せにする”と伝えられているのです」
「ほうほう」
「その姿が幻のように光の粒になり消えてしまう事からも、そう呼ばれているのでしょうね。幸福の蝶はその生態も謎に包まれていて解明されていないようですから」
「はぁ、神秘的なのね」
普通の蝶よりも珍しい程度かと思っていたコスモスは、驚いた様子でソフィーアの顔を見つめる。
幻の蝶と呼ばれる存在が、群れをなして国に来ている。
それはとても喜ばしいことではないか、とコスモスは気分が高揚するのを感じていた。
「一生に一度見られるかどうかと言われているのに、この歳で見ることができるなんて! それも儀式の当日に!」
「町にもたくさんいるからバルコニーに出れば嫌ってほど見られると思うわよ?」
「まぁ! ふふふ、先程まで緊張していましたのに、何だか楽しくなってきてしまいました」
しかし、あれだけ数が多ければその価値が崩落してしまうだろう。
けれどその蝶たちもソフィーアの成人を祝いにやってきてくれたのだとすれば、今日の儀式はこの国の歴史に残る事になるはずだ。
後世にまで語り継がれる見目麗しく心優しき姫と、その成人を祝う為に姿を見せた幸福の蝶。
誰も書き記さないなら自分がやろうか、とコスモスは執筆する己の姿を想像して思わずにやけてしまった。
「さま、コスモス様!」
「あ、ごめん。ちょっとぼんやりしてた」
「そろそろ時間ですので、よろしくお願いいたします」
「分かりました。こちらこそよろしくお願いします」
深々と頭を下げるソフィーアにコスモスも慌てて姿勢を正し頭を下げる。
まかせろ、と飛び跳ねるケサランを押さえて幸福の蝶をしまおうと彼の体を浮かせれば、強い吸引力に手ごと吸い込まれてしまう。
ケサランの中に手を突っ込んでいる状態だったコスモスが眉を寄せれば、ペッと勢いよく吐き出されてしまった。
「人の手まで食べないでよ……」
「キュル!」
便利な道具袋代わりになると知っただけでもいいか、と思いながらコスモスは周囲の精霊を近くに呼んだ。
ちょうど、扉がノックされ護衛の騎士が恭しく頭を下げソフィーアを迎えに来る。
室内にいた侍女は姫と精霊のやり取りを微笑ましく見つめながら、深く頭を下げた。
「お迎えにあがりました。お待たせして申し訳ありません」
「いえ、私なら大丈夫です」
部屋を出て廊下を歩くソフィーアの両脇には騎士が立っている。
教会に迎えに来たのもこの二人の騎士だ。
今回の儀式でソフィーアの警護に当たる騎士だと前もって紹介されていたが、二人とも中々の美形でコスモスは思わずじっと見つめてしまった。
こんなことができるのは自分が人魂だからだ、と見えていないことに感謝する。
二人の騎士は中性的な顔立ちをしており、体躯も細めだ。しかし、ソフィーアの右後方にいる茶髪の騎士が背負うのは身の丈ほどある大剣である。左後方にいる黒髪の騎士は儀礼用の剣しか佩いていないが油断はできない。
霊的活力が見えなかったら不安になっていたかもしれないが、随時更新中の霊的活力の強さは上位に入るくらいだ。
見た目で侮ると痛い目を見るというパターンかとコスモスは一人頷いた。
神官兵や王国守備隊、親衛隊の中では間違いなくトップクラスだ。
長い廊下を修道女や神官たちに先導され、騎士と神官兵数名を引き連れ進む。
触り心地の良さそうな赤絨毯を見つめながら華奢な背中越しに、早い鼓動音を聞いてコスモスは驚く。本当にソフィーアは緊張しているんだと思わず足を止めてしまった。
慌てて追いかけた彼女は、驚かせないように気をつけながら「大丈夫だよ」と呟いた。
室内から外を窺い覚悟はしていたものの、実際その場に出るとまた違うとコスモスは溜息をついた。
本当に見えていないんだろうなと不安になりながら、きょろきょろと周囲を見回す。
人々の歓声と興奮した表情、向けられる視線の多さに眩暈がしたコスモスは首を左右に振って深呼吸をした。
ゆっくりと進んでゆくソフィーアに何とかついていくものの、余裕がない。
そんな彼女を心配するようにケサランが小さく鳴いた。
『術も精神状態に左右される事が多いから、心穏やかにね』
マザーに何度も繰り返し告げられた言葉がコスモスの頭に蘇る。
理解しているが、体は極度の緊張に耐えられないと悲鳴を上げている。
人魂だというのに胃のあたりがキリキリしてきて、コスモスは優しくその部分を摩った。吐くものはなにもないが、吐き気が酷い。
マザーや陛下の声をどこか遠くで聞きながら、コスモスは必死に深呼吸を繰り返した。
(あー! もう! 姫の倍は生きてるっていうのに情けない!)
言葉に出して叫びたかったが、ソフィーアが驚くのでそれもできない。
何度も飽きるくらい繰り返した練習を思い出して、その通りにすればいいんだと自分に言い聞かせたコスモスは華奢な背中を見つめて小さく頷いた。
(失敗は、許されない)
ソフィーアが静かに腕を上げる。
始まりの合図だとコスモスはケサランと周囲の精霊に小さく手を上げた。
ソフィーアの動作に合わせてケサランが風を起こす。大小さまざまな円が宙に作られるのを見つめながらコスモスはゆっくりと息を吐いた。
「……」
ふと、コスモスが顔を上げればマザーと目が合う。微笑みながら小さく頷かれた瞬間、彼女の気持ちが楽になった。
頭上ではケサランが楽しそうにその球体を揺らしている。
指揮棒を揮うように腕や手を動かすソフィーアに合わせ、練習通りの動きをしているケサランと風の精霊たち。
よく見れば周囲にはたくさんの精霊が集まっていて、みな楽しそうに風を起こしたり回転したりしていた。
「……よしよし」
わあ! と上がる歓声にコスモスは思わず笑みを浮かべてしまう。
空に書かれる文字を見ながら目を輝かせる子供たち。
人がいないのに鳴る楽器を驚いた表情で見つめる大人たち。
彼らには見えない精霊は、楽しそうに楽器を奏でキュルルと歌っている。
気づけばコスモスも鼻歌を歌いながらその体を左右に揺らしていた。
「綺麗だなぁ」
練習と本番ではこうも違うのかと驚きながらコスモスは素直な感想を口にする。
精霊によって奏でられる演奏に聞き惚れる聴衆、指揮をするソフィーアを優しく見守る彼女の家族や両陛下たち。
温かく幸せな雰囲気で満ちているこの空間はとても居心地が良い。
少し余裕のできたコスモスは周囲を見回してある人物を見つける。
金髪碧眼という王子様らしい王子様であるソフィーアの婚約者だ。彼はまっすぐにソフィーアを見つめ、その目を大きく見開きながら口を小さく開けていた。
久々に見た婚約者が美しくなっていることに驚いたのか、それとも奏でられる音楽に聞き惚れてなのかは分からない。
どちらにせよ好印象には違いないとコスモスは自分のことのように嬉しくなった。
キュルキュル、と楽しそうに鳴いていたケサランや精霊たちも指揮をするソフィーアの動きを見ながら力を弱めフィナーレへと向かう。
ゆっくりと尾を引くように消えてゆく風の軌跡に、パチパチとまばらな拍手は割れんばかりの喝采へと変わった。
口笛やソフィーアを呼ぶ声、賞賛の声があちこちから聞こえてくる。
ソフィーアは静かに微笑みゆっくりと淑女の礼をするのだった。




