118 配達よろしく
神殿を後にして王都へと戻ったコスモスは、宛がわれていた部屋に戻ってこれからの事を考えていた。
王の行方不明に加え、謎の襲撃者の登場で城内はとても忙しそうだ。警備強化と負傷者の治療、破壊された場所の修復作業の指示を出している大臣を部屋に来る途中で見かけたが、ちゃんと休養しているのか心配になってしまった。
不安になっている国民は教会で祈りを捧げているが、大きな動揺は見られないとのこと。
「大したものだな。鈍いのか信頼しているのかは知らんが、王は行方不明、謎の襲撃者が来たというのにそれほど沈んだ様子はない」
「賞金稼ぎ達が奮戦して追い払ったとか言ってたわね」
ミストラルでは聞いたことがなかったその職業にコスモスが首を傾げていると、アジュールがどこにでもいる輩だと告げる。
「恐らく旅人だろう。旅をするには路銀が必要だからな。力に自信があるなら賞金稼ぎになればいい。まぁ、依頼はピンからキリまでだが」
「そうなの?」
「野草や木の実の採取、家の手伝い、資料片付け等、力に関係ない事も多々あるからな」
「へー。資格とかはいるんだ?」
「身元を証明できるようなものがあれば、ギルドで仕事を請けられる。成果の報告や報酬を受け取るのもそこだ」
やはり旅人とはいえ身元を証明できるようなものがなければ仕事をするのも難しい。
賞金稼ぎの仕事ならコスモスにでもできるかと思ったのだが、よく考えてみると彼女の今の状態でお金はそう必要もない。
便利でありがたいのか、人外離れ甚だしくて悲しむべきなのかと思いつつ妙に詳しいアジュールはそういう仕事をしていたことがあるのかと尋ねた。
「まぁな。賞金稼ぎも傭兵もやったことがある。力で解決するものなら得意だ」
「……前から思ってたけど、アジュールって人だったの? それとも、亜人には貴方みたいな見るからに獣って種族もいるの?」
「……」
彼の話を聞いていると歴戦の猛者のような中年の男性を思い浮かべてしまうのだが、目の前の彼はどこからどう見ても魔獣だ。
魔獣の世界にもお金を必要とするようなことがあるのだろうか、と首を傾げていれば黙ってしまった獣はそのまま目を伏せて答えない。
『チッ。結局聞き出せんか。しかし、どう見ても魔獣でしかないがなぁ』
『え、いや、私は別にそういうつもりでは』
『分かっておる。だから下手に踏み込んで警戒させたのだろう』
『えぇ。そんなの分からないですって』
エステルが静かだったのはその為だったのかと思いながら、コスモスは寝入ってしまった獣を見下ろしソファーへと移動する。
その途中で、がっかりしないのかとエステルに問われた。
『あー、アジュールにですか? まぁ、人それぞれ獣もそれぞれあるでしょうし』
『そんなモノによく自分の命を預けられるな』
『贅沢言っていられませんので。それに、理由はどうあれ私を殺そうとしたところでそれが難しいのはアジュールが一番よく分かってると思いますよ』
『自分の何かの目的のために利用されてるかもしれないですけど、戦力的にも知識的にも役に立ちますから』
『お主、意外と逞しくなったな』
『そうですかね。まぁ、目の前で父親が怪物になって、過去のろくでもない事柄を知ってもシャンとしてる王子見てたら私なんて何でもないですよ』
比べるものではない、とエステルは優しくコスモスに言うが彼女は深い溜息をついてティーカップを見つめた。
侍女がいれてくれたお茶はすっかり冷めてしまっている。
電子レンジのように適度に温められたらいいのに、と思いながら見つめていると水面がボコボコと音を立てはじめた。
エステルにやめろと言われてハッとしたコスモスは、恐る恐るカップに触れる。
「あっち!」
綺麗な柄のカップが壊れてしまうことを懸念したが、どうやらその心配はないようだ。静かになった水面を見つめつつ、湯気立つお茶がほどよく冷めるのを待った。
(見つめてたら沸騰した? 私がやったの?)
『……コスモス、不用意に使うでないぞ』
『気をつけます』
自分でも力を使ったという感覚はないのだが、エステルがそう言うのだからそうなのだろう。ただ冷めてしまったお茶が温かくなったらいいなと思っただけだ。
調節が上手くいかないから使うなと言われたのだろうか、とコスモスは鳩尾に手を当てる。自分の中に吸い込まれてしまった精霊石が力を発したのかとも思ったがよく分からない。
マザーがいれば自分では分からない自分の不思議さも、この変な力とやらも上手く導いてくれたのだろうかと思うと彼女の存在が恋しくなった。
(ミストラルに行けばいるだろうけど、ここからすぐミストラルに帰れなくなったからなぁ)
レサンタでの用事が片付き次第、ミストラルに戻ろうと思っていたコスモスだったがそうもいかなくなってしまった。
一人居残りさせられた時に巫女と火の大精霊から次の行き先を指定されてしまったのだ。
(お願いするとは言われたけど、そこへ行けってことよね。断る理由もないし、受けちゃったけど)
エステルが拒否しなかったのだからその答えで良かったのだろう。
ミストラルに戻るのが随分先になってしまいそうだなと思いながら、コスモスは手紙を書くことを思いついた。
『手紙とな。まぁ、お主がそうしたいのならば良いが時間がかかるぞ?』
『しょうがないですよ』
『使い魔でも飛ばせば良かろう。力がある程度あるならその方が楽だ』
『エステル様みたいに皆が皆、使い魔いるわけじゃないんですよ?』
『何を言っておる。あの魔獣はお主の使い魔であろう』
『契約はしてますけど完全に隷属してるわけじゃないですし、そんな使い走りのような真似は……』
言いかけてコスモスは止まる。
不思議そうにするエステルの声を聞きながら、コスモスは目を伏せて静かに眠っている青灰色の獣をじっと見つめた。
一応主従関係は結んでいるものの、コスモスはアジュールのことを良く知らない。それでも上手くいっているのだからこれからもそれでいいと思っている。
(こんな身じゃなかったら、そんな楽観視できないだろうけど)
『え、できるんです? アジュール』
『できるだろうな』
『もっと早く知ってれば、無事だから心配しないでねって伝えられたのになぁ』
『誰にだ? マザーに? マザーはお主が無事であるかどうかは分かっているだろう』
『ソフィーア姫とかウルマス王子とか……』
『余計なことはやめておけ。それならばマザーでよい』
自分が無事であることを伝えても心配させることに変わりはないからやめておけと受け取ったコスモスは、少しだけ寂しそうな表情をしてから静かに頷いた。
アジュールにそういうことができるのか試したいのならばマザーにということなのだろう。
確かにそれはいい考えかもしれない。
テーブルの上に紙とペンを用意して書き始めたコスモスは、鼻歌混じりにこちらの現状を伝える内容を綴っていく。
マザーが自分の現状を全て把握していたとしても、それはそれでいい。
こうして誰かに手紙を書くというのも久しぶりでいいものだ、と思いながらコスモスは楽しそうにペンを走らせるのだった。
書きあがった手紙をミストラスのマザーに届けて欲しいと起こされたアジュールが、あからさまに不機嫌そうな顔をするのは想像の範囲内。
にこにことして手紙を差し出す主に負けた魔獣は溜息ひとつつくと、影に溶けるように消えていく。
「マスター、私が帰ってくるまで大人しくしていることだ」
「はいはい、わかりました」
「はぁ」
アジュールは自分が不在時のコスモスの身を案じているのだろう。
しかしここは城内である。優秀な魔法使いも騎士も揃っているのだから大丈夫だろうとコスモスはお気楽だった。
(まぁ、例の占い師が来ちゃったら無理だろうけどココさんいるからなぁ)
理由をつけて彼女を国から遠ざけていたほどだ。王に気に入られていた占い師とて国一番の魔女を陥れることが難しかったのだろう。
現在のココは魔法障壁の修復や結界の強化に力を入れているらしい。弟子であるライツも忙しそうだ。
『エステル様、あの襲撃者また来ると思います?』
『来ないとは断定できんが、暫くは来ぬだろう。しかし、てっきり神殿襲撃が本命かと思ったがこちらが本命だったとはな。敵の狙いが分からん』
『城を落とし王都を破壊するのが目的だったんですかね?』
『それならば王子を狙うだろう。確かにこの城には国の中枢と呼ぶべき頭脳は揃っている。王都となればそれなりに財力があるものも集まっていよう。しかし、いずれ王になるだろうフランを放置などするか? 私ならばこちらを遊撃しつつ、神殿は攻め落とすぞ』
『他にも王位継承者がいる、とか?』
『あの大臣がそれを放置しておくとでも思うのか』
襲撃者が暫く来ないのならば安心だと安堵するコスモスとは違って、エステルは敵の目的が気になって仕方ないらしい。
直接本人に聞いたところで教えてくれなさそうだが、考えても仕方ないだろうとコスモスが適当な返事をすれば咎められた。
『ないですね。じゃあ、他に狙うものが何かあったのか』
『狙うもの……コスモス散歩するぞ』
『は?』
『いいから部屋を出るぞ』
大人しくしていろとアジュールに言われたコスモスは渋るのだが、エステルがうるさいので扉をすり抜け廊下に出る。
何処を散歩するのかと思いながらエステルの指示に従い移動していると、見覚えのある部屋の近くまで来た。
近づくにつれ警備が厳重になっているので、コスモスの足取りも重くなる。
自分を認識できるのは限られた者だけとはいえ悪いことをしているようで気まずい。
『エステル様、本当に行くんですか?』
『なに、ただの見回りだ』
壁をすり抜け溜息をついたところで聞き覚えのある声が降ってきた。驚いて顔を上げるコスモスに笑顔を向けるトシュテン。
うわぁ、と思わず口に出してしまいながら彼女は壁から出していた頭を引っ込める。
「大丈夫ですよ御息女。心配で様子を見に来られたのでしょう?」
「エステル様が見回りをしたいと言うので」
「ああ、エステル様でしたか。確かに、その勘は当たっていましたね」
「え?」
「ですが御安心を。何事もありませんから」
『そのようだな』
静かに壁を通り抜けて室内に出たコスモスはトシュテンの言葉を聞きながら眉を寄せる。前回来た時と大して変わりない様子に何が心配なのかと考えていたコスモスは、短い声を上げた。
壁の穴は綺麗に塞がれているがその箇所だけ壁が新しいのでどの場所だったのかはすぐに分かる。
何があっても変わることのない聖炎は台座の上で今日も静かに燃えていた。
「聖炎?」
「はい。恐らく敵の狙いはこれだったのではと大臣やココさんとも話していたんですよ」
「聖炎を、どうするつもりだったんだろう」
壊せるものには見えず、容易に消せるとも思えない。
小さく唸りながら考えるコスモスにエステルは盗むつもりだったのだろうと言った。
「え、盗む?」
「さすがはエステル様ですね。ええ、敵は聖炎を奪取するつもりだったのでしょう」
「できるの?」
「どういうやり方をするのかは知りませんが、国の象徴とも言える聖炎がなくなったとなればそれこそ大騒ぎですよ。申し訳ないですが、王の行方不明よりもです」
フランや大臣が聞いていたら不快になりそうなことをトシュテンはさらりと告げる。
それは人よりも聖炎の方が大事だとでも言っているようで、コスモスはもやもやとした気持ちになった。
『コスモス、お主の気持ちは分かるが聖炎は神から授かりしものだ。この国や土地の繁栄も聖炎あってのものだと言ってもよい』
『そんなにですか』
『ああ。世界を創りし神の力が宿っているとも言われる代物だからな』
『それを盗もうとする敵も何を考えているんでしょうね』
『上手く奪取することができれば、強大な力になる。恐らく占い師は王を操り王妃と姫の力を封じ込めた上で最終的には聖炎を奪うつもりだったのかもしれんな』
エステルの言葉をトシュテンに伝えながら、コスモスは聖炎の中で見た母娘の記憶を思い出す。今でも胸が締め付けられるその光景に目を瞑ってゆっくりと息を吐いた。
目を開く途中、聖炎の向こうに微笑み合う母娘の姿が見えたような気がしたと思えば強烈な眩暈に襲われコスモスの意識はそこで途絶えた。




