113 におい
行方不明の王の捜索はこれからも続行するが、王位が空席のままというのは国民に不安を与えてしまう。
病死したということになっている王妃を亡くして心を病んでしまった王がどこかへ姿を消してしまったのだろうという噂が流れ定着しつつあることはフランたちにとっては幸いとも言える。
仕事を、民を棄てるような行為だというのにレサンタ国民にそれほどの動揺は見られなかった。
それも気丈に振舞うフランの姿を見ているからだろう。
(暴動が起こらないだけマシよね)
不安を煽って混乱させようとした輩についてはアジュールの活躍もあり捕縛することができた。牢に入れられた彼らはただの旅人だと言い張っていたが、コスモスとアジュールから話を聞いたトシュテンが問いただしたところ急に黙秘してしまった。
ミストラルで食べさせられた黒い蝶の感想を笑顔で聞いてもらっただけなのだが、恐怖させるには充分だったらしい。
(オールソン氏曰く、何かしら呪いを受けているから自白すると恐らく死ぬことになっているんだろうと言っていたけど)
解呪するには面倒だが、苦労して解呪したところで貴重な手がかりが得られるのかと言えば可能性は低いと言っていた。
彼らをどうするのかはレサンタ国次第で、これ以上何も情報は無いと判断したトシュテンは渋るコスモスを説得したのだった。
『黒い蝶もう一回食べさせたら何か思い出しませんかね。余計なこと喋る前に死なれるのも困りますけど』
『ああ、賊のことか。あんなのは放っておけ。自分の意志で契約した以上、そうなるのは当然だ。命を賭けるほどなら相当美味しい思いをしていただろう』
『ソフィーア姫の成人の儀を邪魔した理由を問いつめたかったんですけどねぇ。オールソン氏にこれ以上は無理ですとはっきり言われちゃったからなぁ』
『指示されたまま動いたに過ぎんだろう。その内、牢の中で息絶えておるかもしれんぞ』
『物騒な』
やめてくださいよ、と言いながらも否定できないコスモスは溜息をついて加護を受けに来たフランへ視線を移す。
まだ幼いというのに短期間で両親を亡くし、これからは国を背負っていかねばならない少年。
「フラン王子、大丈夫ですよね?」
「ん? あぁ、血筋のことね。教会からの承認も受けているし、貴族連中は混乱してて反対する余裕なんてないでしょう。あったとしても、ロータルが潰すでしょうし」
「潰すって……」
「良くあることよ。ま、王子も逃げて良かったんだけどね。生家に帰るでもいいしって、それも難しいかしら」
コスモスは聖炎の中で王妃の記憶を見ているのでフランがアレス王とベリザーナ王妃の実子ではないことを知っている。
姫を亡くし更に傷心していた王妃の心の穴を埋めるように、王家の血を引くフランを養子に迎えたのだ。
まだ幼かったフランは気に入られようと必死に頑張っていたのも知っている。しかし、彼ではその穴を埋めることはできなかった。
「帰っても立場上、扱いにくそうですもんね。それに、いなくなったら余計に纏める人がいなくてボロボロになりそうです」
「そうね。ロータルは優秀と言えどアレス王に結局逆らえなかったわけだし。国の為、民の為にもフラン王子に王位を継がせてとりあえずの不安を拭い去るのが一番でしょうね」
「王子は覚悟してましたね」
「ええ。一番大人だわ。嫌がりもせず、恨み言も口にせず、国の為、民の為って……はぁ」
「ココさん?」
急に溜息をついたココにコスモスが首を傾げると、彼女は司祭とにこやかに話をしているフランを見つめて目を細めた。
彼の背後にはいつも精霊が寄り添っている。まるで、彼を守るように。
「愛情が全く無かったわけじゃないっていうのが、またね」
「え?」
「ううん。こっちの話よ。まぁ、そういう状況だから、娘ちゃんもエステル様も了承してくれて助かったわ」
「まぁ、ここまで首突っ込んだ上に、王妃……ベリザーナ様を助けられなかったのは私の力不足もありますし」
あの時ああしていたら。
過ぎてしまってから悔やんだところで遅いというのは分かっていても、悩まずにはいられない。
もっと違う選択をしていたら皆幸せになれたんだろうかと思うのだがベリザーナの心はいつまでも救われないだろう。
アレス王を正気に戻したところで自分のやってきた行為を懺悔する保証もない。
全てが突然現れ、姿を消した占い師のせいではないからだ。
「あら、なに言ってるの。確かにその命は失われたけれど、魂は救われたじゃない。それも、母子のね」
「魂は救われた……」
「そうよ。聖炎に飛び込んだのは彼女の意思だから貴方が自分を責めるのは間違っているわ。娘ちゃんは欲張りなのね」
「欲張り、ですかね?」
「だって、全知全能の神様みたいに全てを救いたいと言っているようなものじゃない」
「あー。ただの理想主義で甘ちゃんなだけですよ。エステル様にもよく怒られます。アジュールにも」
きちんと肉体があって、自分の足でこの場に立ちすり抜けることも変な力も使えなかったらこんなことは思わなかっただろう。
そんなのは自分に無理だ、とソフィーアの手助けすらできなかったかもしれない。
そう思うと不思議なものだとコスモスは他に認識されない自分の両手や体を見回した。
「ふふふ。だからこその箱入り娘ちゃんなのよね。マザーの娘らしいわ」
「そうですか?」
「そうよ。世間知らずで肉体を持たず、精霊に好かれいいように利用されているのに流されちゃうなんて。ダメよ、もっと危機感持たないと」
「うーん。利用してもメリットありますかね」
変なことに巻き込まれ多大な迷惑をかけることがあったとしても、いざとなればマザーは自分を切り捨てるだろう。コスモスはそんな気がしていた。
そんな存在知りませんと彼女が言えばそれが事実になる。
肉体を持たずフラフラしている今の状況が不安なのには変わりないが、何かがあっても逃げられるという点ではありがたい。
もし仮にマザーに娘であることを否定され切り捨てられたとしても恨むのとはちょっと違う気がする。
(ええーとは思うけど、まぁしょうがないよねとも思うだろうし。あ、でも元の世界に帰還する為には絶対に協力してもらわないと困るけど)
「多大なメリットがありそうだから、マザーは首輪付けたんじゃないの?」
「え?」
「私は魔女よ。それに、他より長く生きているからそういう人との出会いも多いのよ。あぁ、怖がらないで。怯えさせるつもりも、脅すつもりもないのよ。懐かしい匂いに嬉しくなっちゃって」
「は?」
懐かしい匂いとはなんだろうと思いながらスッとココから距離を取るコスモスに、ココはゆるりと手を伸ばして優しく人魂を引き寄せる。
コスモスに纏わりついていた火の精霊がバッと彼女から離れ、ココの影に潜んでいるアジュールが威嚇のような声を上げた。
『え、エステル様!』
『落ち着けコスモス。うろたえるでない。その魔女は別にお主を取って食おうなどとは思っておらぬ。私の目の前でそんなことをさせるものか』
『いや、でもバレ……』
『落ち着け。見た目に騙されるでない。ソレはお主が思っている以上に年寄りだぞ』
『そうかもしれませんけど』
エステルとの会話はココには聞こえていないはずだが、彼女は形の良い眉をピクリと動かすと「私は綺麗なココお姉さんよね?」と尋ねてくる。
返答に困るコスモスの代わりにアジュールが鼻で笑う音が聞こえた。
「あの……」
「外からのお客様なんて久しぶりでちょっとテンション上がっちゃったわ。あぁ、でも安心してね。貴方に害を与えるようなことはしないわ。だって、とっても不安定な存在だもの。扱いは丁重にしなくっちゃ」
「え?」
「外からのお客様はね、とても不安定な存在なの。それは今も昔も変わらない。肉体があろうが無かろうがその不安定さは同じ……ううん、肉体なしで存在しているなんて聞いたこともなかったから正直どうなのかしら」
研究対象としては非常に興味をそそるわね、なんて綺麗な笑顔で言われるものだからコスモスは無言で彼女の腕をすり抜ける。
フッと気配を消そうとしているコスモスを宥めながらココは優しく撫でた。
「まぁ、他よりも長く生きているだけに色々と協力できることはあると思うわよ」
「ココさんは、他にもその……そういう人に会ったことがあるんですか?」
「もちろん。とは言っても、今は昔ほどおおっぴらにそんな話ができる雰囲気ではないけれどね」
嫌な世の中になったわねぇと呟く彼女はフランから目を離さぬまま、コスモスと会話を続ける。
コスモスは気づいていないだろうが、彼女達の周囲には薄いベールのような防御壁が張られている。外部から見れば普通に会話しているようにしか見えないので、聞かれたくないことを話していてもバレたりはしない。
他者の注意が長時間こちらに向けられると自動解除される仕組みになっているので、余裕をもって対応すれば勘付かれることもない。
「あ、ここで話してても大丈夫でしたか?」
「大丈夫よ。抜かりはないわ。後で神殿内を案内してあげるから、その時にまた話しましょう」
「はい」
弟子に見つめられていることには前から気づいていたが、その干渉を受けて防御壁が静かに解除される。相当な手練でなければ感知できない魔力の壁に気づかぬライツに苦笑して、ココは愛弟子に向かってウインクを飛ばした。




