112 火の神殿
目の前の建物を見上げながら小さく口を開けて息を漏らす。
周囲に漂う火の精霊の多さと魔素の強さにこの場所が一番適しているのだろうというのは嫌でも分かった。
白亜の建物は古い年月を経てもその厳かさが損なわれることはない。
「ここが、火の神殿」
「そうよ。ゼルマル火山の麓、初代国王の命により建立されたと言われる神殿ね。大事な巡礼地でもあるわ」
隣に立つココが動かないコスモスに気づいてそう教えてくれる。
コスモスの傍にいるはずの獣の姿は見当たらず、自分の落とした影に潜む赤い光を見つけてココは苦笑した。
周囲から認識されないコスモスなのでその影に隠れることができなかったのだろう。しかし、主を置いて留守をするわけにもいかず大胆にも魔女の影へと潜む。
悪意がないので自由にさせているが、よりによって自分を選ぶとはとココは笑った。
しかし、消去法でいくと自分しかいないのだろうと彼女は不思議そうに自分を見つめる弟子に目をやる。
「師匠? どうしました?」
「ううん。なんでもないのよ。王子は?」
「奥で祈りを捧げています。グレン殿が一緒なので大丈夫かと」
近づいてきたライツの言葉にそう返していると、いつの間にかコスモスの周囲に火の精霊が集まり始める。
鬱陶しそうに回避しようとするコスモスだが、その動きに合わせて精霊も動くので意味がない。諦めたように溜息をついて停止した彼女は火の精霊の塊のようになる。
「娘ちゃんたら本当に人気者よねぇ」
「笑いながら言われても嬉しくないですよ。何とかしてくれません? あと、その娘ちゃんて何ですか」
「御息女って呼び続けるのも堅苦しいかなと思って。呼びやすく親しみを込めて娘ちゃん」
「師匠、仮にもマザーの御息女に対してそう馴れ馴れしいのは如何なものかと」
「えぇー。だって、人魂だからタマちゃんとかそういうのはダメでしょ?」
「当然です!」
(私はネコか)
そう思いながら緊張感無く眉を寄せる魔女にライツの声が響く。失礼なことをし過ぎだと怒るライツを眺めながら、視線を逸らして唇を尖らせるココ。
御息女が呼びづらいのはコスモスとしても申し訳ないのだが、いきなり娘ちゃんと呼ぶのもどうなのだろう。
「一応、名前ありますからそっちで呼んでもらって大丈夫ですよ」
「えっ、名前あったの?」
「ココさん私のことなんだと思ってるんですか」
「マザーの娘には違いないけど、得体の知れない……」
「師匠!!」
本気で怒りますよ、と声を荒げるライツの気迫に流石のココも悪ふざけが過ぎたと反省する。両手を上げて失礼なことは申しませんと宣誓してから火の精霊を呼気で追い払おうとしているコスモスを見た。
「仮にも神聖な場所で御息女を愚弄するような真似はやめてくださいよ。これ以上国や私に負担をかけないでください」
「でも、ここで御息女連呼してたらそれこそ息がつまりそうで大変でしょ? 初めて来たっていうなら尚更だもの」
連呼されていると息がつまりそうな状況になるのか、と初めて知ったコスモスは困ったように唸る。
そうしていると規則正しい寝息を立てていたエステルが大きな欠伸をしながらコスモスの名前を呼んだ。
『そうか、お主は神殿も初めてか』
『そうなりますね』
『信仰篤い神殿で、注目を浴びぬほうが無理というもの。大体、此度の同行を要請されたのもお主や私の影響故だろうなぁ』
『さっさと立ち去るべきでしたかね』
『いや、今後のレサンタ国を考えるとフランには強い後ろ盾がいた方が良いだろうな。お主はともかく私の影響力は強いから利用するならするに越したことはない』
随分とはっきり言うんだなと思いつつ、コスモスは自分の与えるだろう影響を考える。しょせんはマザーの娘というだけで自分自身に大した力はないのだが、そのマザーの娘というのが一番凄いのだろう。
色々と動きやすくなるだろうからと考慮して使い魔から娘というポジションに格上げなったものの、安易にそれを受け入れて良かったのかと今更悩んでしまう。
利用できるなら利用しろと告げるエステルに小さく唸っていると溜息をつかれてしまった。
『そんなことではお主の願いなど叶わぬぞ』
『それは困ります』
『ならばマザーの娘という地位を存分に利用するといい。今までもマザーの娘だからと体よく扱われているではないか』
『まぁ、それは……そうかもしれませんけど。情報収集するにしても情報が情報だけに探りにくいですし』
『だからこそ、マザーの娘という地位を上手く使えば良い。一般では手に入らぬ情報も得られるだろう?』
いざとなればすり抜けて盗聴するなり探るなりすればいいだろうが、どこでも入れるわけではなさそうだ。
これから先、そういう場面になった時にどうすべきかとココの影に潜む獣へと目をやるが、彼にも限界があるだろう。
『そうですね。上手く立ち回れるかは分かりませんが、何とか頑張ってみます。エステル様がいつでも傍にいるわけではないですもんね』
『ん? 私はいつでもいるぞ。来るぞ』
『は?』
『物理的な距離がどれだけ遠かろうが、こうして精神だけ飛んでくるのは造作ない』
『……どこにいても?』
『あぁ。私ほどの優秀な神子となればお主がどこにいようと関係ない』
ちょっとセキュリティを強化しておかないと。
そう思いつつコスモスは高らかに笑うエステルの声を聞きながら自分を呼ぶココへと目をやった。
「目立つのあんまり好きじゃないかなぁって思ったんだけど、余計なお世話だったかしら」
「いいえ、気遣っていただいてありがとうございます。でも、どうせどこに行ってもマザーの娘として知られているでしょうからどっちでもいいですよ」
「え、娘ちゃんでもいいの?」
「呼びやすければそれで」
「御息女!」
どうしてもそう呼びたいのかと苦笑しながらコスモスがそう言えば、ココは嬉しそうに笑顔を浮かべライツは声を荒げる。
そんなに怒ることでもないとライツを宥めれば、師匠が調子に乗るのでやめてくださいと言われてしまった。
「いいじゃないのライツ。娘ちゃんがいいよって言ってくれてるんだもの」
「はぁ。まぁ、御息女がいいのであればいいですけど。馴れ馴れしすぎるのもどうかと思いますよ?」
「あら、ライツだって娘ちゃんと仲いいクセして何なのその態度」
「仲良くとは語弊です。正しくは親しくさせていただいている、ですから」
「同じじゃない」
「違いますよ。私は師匠と違ってきちんと敬意を表していますので」
いつ見ても楽しい師弟のやり取りを微笑ましく見守っていると、神殿の奥から見慣れた姿がこちらを見つめていることに気がついた。
コスモスと同じく、仲の良い師弟を微笑ましく見つめているらしい。
「あ、オールソン氏」
「あら見てたなら声かければいいのに。意外と奥手なのね」
「師匠!」
「申し訳ありません。お二人のやり取りがとても微笑ましかったものですから」
城内で姿が見えないと思ったらこんなところにいたのか、と驚くコスモスにココは頬に手を当ててフフフと笑う。
笑顔で返すトシュテンとの間に漂う空気は、互いの腹の探りあいのようにも見えてコスモスは苦笑してしまった。
慌てるライツは恥ずかしそうに視線を逸らしてからトシュテンに頭を下げた。
「中で王子がお待ちですよ。迎えに行くと言ってきかないので、私が代わりにお迎えに上がりました」
「それはご丁寧にどうも。と、言っても貴方が言っている相手は娘ちゃんなんでしょうけど」
「そんなことありませんよ。レサンタ一と言われる魔法使いのココ様も大事な国の宝ではないですか」
「ライツ、あの二人怖いね」
「御息女。思っていても口に出したら駄目です」
笑顔で会話する二人を眺めながらコスモスはライツの隣に移動してぼそりと呟く。声を潜めながらライツは二人の耳に入らぬよう彼女に注意した。
ココの影に潜んでいるアジュールの溜息が聞こえ、トシュテンが「おや?」と視線を下げる。しかし影の中の獣は気配を消して彼の視線を無視した。
「よろしければ、こちらに移りますか?」
「あーやめてくれない? 今は私が娘ちゃんの傍にいて護衛でもあるのよ」
「おや、そうでしたか。それは申し訳ない」
「本当よ」
「中に入りましょう。フラン王子をこれ以上待たせるわけにもいきませんし」
ふん、と気合を入れて人型になったコスモスはそのまま神殿の中へと入っていく。ここにも霊廟と同じく邪なものを遠ざける結界が張られているらしい。
コスモスは何も感じなかったが、ココの影が少し呻いた声が聞こえた。




