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10 成人の儀 開幕

 幸せを運ぶ黒い羽。

 災厄を運ぶ白い羽。

 

 ひらり、ひらりと飛ぶ黒い蝶。

 世界に愛される聖女へと幸福を運ぶように群れをなして飛んで行く。

 幸せの麟紛を撒き散らしながら。



 抜けるような綺麗な青に雲の白さが映える。

 昨日と同じようないい天気だ、今日はなぜだかとびきり素敵な景色に見えて少女は目を擦った。

 いつもよりも数刻早く目が覚め、小鳥の囀りに窓を開けると穏やかな風が彼女の頬を撫でて朝露に濡れた瑞々しい葉の香りが鼻腔に届く。

 新鮮な空気に体内が浄化されそうな気持ちになりながらしばらく外を眺めていると、白く気高い花に囲まれている光の球体を見つけた。

 蔓にぐるぐる巻きにされながらゆっくりと動いているのは呼吸をしているからか、拍動しているからなのか。

 じっと見つめていても静かなままなので眠っているのだろう。

「ふふっ」

 昨晩は緊張して中々寝付けなかったのだが、頼もしい存在のお陰で気づけば朝までぐっすり眠っていた。いつもより早起きだが、頭も体もすっきりとしている。

 今日を境に自分は大人の仲間入りをする。

 決して、失敗など許されない大事な日だ。

「コスモス様」

 ひそひそ、と周囲に響かぬよう気をつけながら口に手を当てて光る球体へと声をかける。

 穏やかに明滅していた輝きは一瞬眩く光り、少女の視界を優しく覆う。

 温かく、穏やかで、どこか懐かしさすら感じる光は神々しいはずなのに親しみやすい。

 拝するような黄金色だわ、と陽光を浴びて一段と眩く光る球体に少女は微笑を浮かべもう一度その名前を呼ぶのだった。




「コスモス様」

 心地よいメゾソフラノは小鳥の囀りか鈴の音か。

 そんな事を思いながら意識を浮上させたコスモスは、しばらくぼんやりとしながら体を起こす。

 落ちないようにと体に絡み付けておいた蔓を丁寧に外せば朝露に濡れた葉や花びらが揺れ、滴が落ちる。甘露のようだと思いながら大きく伸びをして彼女はふわりと浮いた。

「おはよう、ソフィーア姫」

「おはようございます」

「いつもより早起きだけど、ちゃんと眠れた?」

「はい、コスモス様のお陰で」

 窓辺で朝の挨拶をしながら姫を室内へと促す。

 お邪魔しますと小声で告げてコスモスが部屋に入れば背後で静かに窓が閉まった音がした。

「いつからあそこにいたの? 体冷えてない? 大丈夫?」

 夜着の上からガウンを羽織っているとはいえ長時間外気に触れていたら体調を崩すだろうと心配になる。うろうろと少女の周りを移動しながらコスモスが声をかければ、くすりと笑われた。

「大丈夫ですよ。私はその程度で体調を崩したりはしませんのでご心配なく」

「でもねぇ……」

「油断しているわけではありませんし、体調管理には気をつけているつもりですので」

「それならいいんだけど」

 幼い頃とは違うと本人から聞いており、実際目にしているもののコスモスの頭から病弱というイメージがどうしても離れない。

 それはソフィーアが絵に描いたような姫であり、線が細く弱々しい雰囲気を持っているせいかもしれない。

 正に彼女は守られるべきお姫様である。

「朝の日課は?」

「今朝はいつもより早かったのでもう終りました。サラにも咎められることはありません」

「それは良かった」

 朝の日課というのは軽い筋トレのことだ。

 コスモスとの会話の中で筋トレに興味を示したソフィーアは、それから毎朝腕立て伏せと腹筋をするようになっていた。

 姫がそのようなことをするものではない、と侍女のサラにいつも怒られてしまうがソフィーアは懲りずに続けている。

 今ではサラも気づかないフリをしてくれているようだとコスモスは苦笑した。

「コスモス様はどうしてあのような場所に?」

「あぁ。ここの警備が厳重なのは分かってるんだけど、どうしても心配で」

「私のことが、ですか?」

「もちろん。今日の大事な主役じゃない」

 侍女が来る前に着替え始めるソフィーアの手伝いをしながら、コスモスは危機感が足りないのかと首を傾げた。

 守られるのが普通になるとこうなってしまうのかとも思いながら。

「あのような場所で眠るのでしたら、部屋にコスモス様のスペースを用意いたしましたのに」

「いやいや、流石にそれは遠慮するわ。一人で色々考えたいこともあるだろうし」

 いつもはマザーの部屋に戻って寝るが、外で寝たのは昨日が初めてだ。

 思っていたよりも暗く、静かで想像力をかき立てられる環境に恐怖を感じ、コスモスはケサランの他に精霊を多数引き連れて雑魚寝した。

 精霊に睡眠というものが必要なのかは分からないが、精霊たちは文句も言わずコスモスの傍にずっといてくれたので感謝している。

「そんなこと、気になさらなくても」

「私が気にするの」

「そうですか。では、仕方がありませんね」

 納得いっていない様子だが、小さく頷くソフィーアにコスモスは苦笑した。

 ドレッサーの前に座る彼女の髪を梳かしていると鏡越しに目が合う。

「成人おめでとう、ソフィーア姫」

「ありがとうございます。ですが、まだ気が早いですよ」

「いいのよ」

 ソフィーアは今日、成人として認められるだろう。

 子供のように振舞えるのも我侭を言えるのも今日までかと思うが、コスモスが彼女のそんな姿を目にしたことはない。

 我侭と言っても可愛らしいもので、迷惑をかけるようなことはあまりしないという印象があった。

 きっと自身のことで昔から手のかからない聞き分けのいい子だったのだろう。

「はい。あとでセットするだろうけど、綺麗に梳かし終わったよ」

「せっかくコスモス様に梳かしていただいたのなら、このままでもいいかもしれませんね」

 加護を受けているようだと呟く彼女に、コスモスは笑顔を浮かべることしかできなかった。

 偽者の加護でも彼女はこんなに喜んでいる。

 今日は何としても儀式を成功させなければ、とコスモスは大きく頷いた。

「えーと、これから食事して今日の手順をおさらいするでしょ? それでマザーのところに行ってから禊して……」

「礼服に着替えた後は控え室で待機です。城からの迎えが来れば、護衛と共に城に向かう事になっています」

「城の護衛でお兄さんが来たいって揉めてたやつね」

「お恥ずかしい」

 想定内だと笑っていたマザーを思い出していると、ソフィーアは溜息をついて顔を手で覆ってしまった。愛され過ぎて困ってしまうのだろう。

「城に到着後、控え室で家族に挨拶をして謁見の間で両陛下からご祝辞を賜り、大広間のバルコニーからお披露目となっています」

「その後はパーティよね。来賓の相手、か」

「はい。コスモス様は何も心配せず、私の傍にいてください」

「本当に楽で助かるわ」

「いいえ。コスモス様が傍にいてくだされば、私も心強くて嬉しいです」

 本心からの言葉だと思えるからコスモスも嬉しくなる。

 実際に動くのはケサランや他の精霊たちなので、コスモスがすることは特にない。

 ただソフィーアの傍にいればいいだけという簡単な仕事だ。

「……油断はできないけど」

 期待しているわよ、と呟きながらケサランを撫でると不思議そうな声を上げたケサランは任せろと言わんばかりに高い声で鳴いた。

「そう言えば昨日王都に行った時、王子様見てきたわよ。正に、王子という感じだったわね」

「王都に行ってらっしゃったんですか?」

「うん。ちょっと暇つぶしに」

 驚いた表情をするソフィーアにコスモスは息抜きも大事だと呟く。

 王都の賑やかで楽しそうな様子を話せば、ソフィーアの顔も綻んだ。

「仕事が終ったら、私も行きたいなって思ったわ」

「儀式が終ってもしばらく賑わいは続くでしょうから、楽しんで来られては?」

「そうだね。マザーに聞いてみるわ」

 どこへ行くにも自分の自由なのだろうから好きにすればいいとは思うが、一応マザーの娘という立場なので許可を取るくらいしないといけないだろうと思ってしまう。

 気にせず遊んでくればいいのにな、と自分に溜息をついてコスモスは呆れたように首を左右に振った。

「お小遣いとかくれるかな? いや、その前に購入できるの? 食べるにしても、変に注目浴びそうだし」

 この世界で使える貨幣は何一つ持っていないコスモスは、マザーの顔を思い浮かべて首を傾げた。

 小間使いのようなことはしているものの、対価を受け取ったことはない。

 それはコスモスがこの世界に存在する理由も含めて、鍵を握るだろう人物の捜索等を全てマザーにお願いしているからだ。

 第一、この世界で生活するのにお金は必要ない。

 コスモスは人間だった時とは違い、空腹も感じないからだ。食べようと思えば食べられるが、食べずとも生きていける。

 温度感覚も調節できるので困らない。

 素晴らしい身になったものだと感動した彼女だが、人の身に戻った時にその感覚のままでいると危ないとマザーに言われ、今はできるだけ人であった時と同じような条件で生活することにしていた。

 それほど意識することなく、微調整が可能なのでマザーには「器用なものね」と感心されたがコスモスとしては普通にやっていることなのでよく分かっていない。

「儀式が成功し、教会へ移動することになれば私は災いとならずに済むのですね」

「姫」

「あ、ごめんなさい。少し、緊張してしまって」

 震える両手を誤魔化すように何度も手を組みかえるソフィーアを見て、空中で腕を組んでいたコスモスは静かに彼女へと近づく。

 心配ない、大丈夫だと自分に言い聞かせてここまできたのだろう。

 小さな体を小刻みに震わせ、困惑した表情をしている姿は歳相応に見えた。

 コスモスは彼女を少しでも安心させようと、近くにいた精霊たちをソフィーアの傍に移動させる。

 最初は近づくのですら怖がっていた精霊たちも、コスモスがいれば大丈夫だと理解したのか素直にソフィーアへ近づいていった。

 淡い温もりに精霊を感じたソフィーアは、嬉しそうに息を漏らして体の力を抜く。

「大丈夫、大丈夫。何度も練習したし、私もこの子たちも全力でサポートするから」

「……はい!」

 口調は軽く、けれど油断はしないように気を引き締める。

 コスモスの明るい言葉に力強くソフィーアが頷けば、コンコンとドアをノックする音が室内に響いた。



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