108 ライツの師匠
コスモス達が応接間に入った時には既に何人かが着席しており、彼女達で最後だと背後でグレンが扉を閉める。扉の外には信頼できる騎士が警備のために立っているが、扉が閉まったと同時に発動する魔力を感知したコスモスは小さく声を上げた。
(これ、防御系の魔法かな)
「盗聴、透視等不可の術ですよ。こういう場では基本中の基本ですからね。この室内では攻撃魔法の使用も制限されています」
「なるほど。それはすごい」
「あら、噂の御息女は私の魔法に興味津々なのかしら?」
「ええ。とても興味があるようですよ」
「それは嬉しいわ。ライツから聞いていたけどじっくり話してみたかったのよね」
ライツの隣に座っている女性が嬉しそうにウインクしながらトシュテンを指差す。椅子を引いてコスモスを座らせていた彼は気にした様子もなく笑顔で返した。
ぱちぱち、と大きく瞬きをする女性が「あら?」と首を傾げる横でライツが「隣です。彼はどう見ても男でしょう」と小声で指摘していた。
「しょうがないじゃなーい。貴方と違って見えないんだもの。でもま、従属の獣はちゃんと見えるから問題ないわね」
「相変わらずですねココさんは」
「はぁ。師匠が本当に申し訳ありません」
「いやいや。ココ殿がいつも通りでこちらも少し落ち着きましたよ」
くすくす、と笑うフランに大臣も溜息をつきながらその表情を少し和らげる。一人ライツだけが申し訳なさそうに何度も頭を下げていた。
(この人がライツの師匠かぁ。確かに魔力量が凄い。見なくても分かるくらい凄い)
艶やかな黒い髪に意志が強そうな赤い瞳。
目力が強いので軽々しく慧眼を使用すればコスモスが返り討ちにあってしまいそうだ。相手を見極めるようにとマザーやエステルからも言われているがそれが一番難しい。
経験の積み重ねらしいが、痛い思いをしてまで慣れたくはない。
(これだけの魔法使えるんだもの。私の目が焼けそうだわ)
「さて、ここに集まっているのは真実を知っている数少ない方々です。王妃の虚ろ病に消失、王の行方不明と混乱している状況ではありますが、信用できる皆様だからこそこれからのことをご相談したいのです」
ロータル大臣が恭しくトシュテンとその隣の席に座っているコスモスを見つめながらそう話す。トシュテンというよりは自分とエステルに向けられている言葉だと気づいたコスモスは思わず眉を寄せてしまった。
「相談と言われても私やエステル様は部外者なんだけど……」
協力を求められて来ただけであって、これ以上国の内情に干渉するのは危険なのではないかとコスモスはトシュテンに話しかける。彼女の声が聞こえるライツとグレンは心配するようにトシュテンへと視線を向けた。
しかし、トシュテンが口を開く前にココが大臣を見つめながら首を傾げる。
「大臣、御息女とエステル様に多大な迷惑をおかけしているのに、これ以上巻き込んでどうするの? レサンタのことはレサンタ国民である私達が何とかしないといけないでしょう?」
「言われずとも分かっているつもりです。ですが、我々は信用できる人物があまりにも少なすぎる。ご迷惑なのは百も承知です。それに御息女はともかく、エステル様は無関係とは言えないでしょう?」
「へー。古い繋がりを利用して当面の間はエステル様を後ろ盾に王子を据えるってこと。口外しないように見張る為でもあるかしら? そんなことしなくとも、口は堅いでしょうに」
赤い瞳に見つめられても大臣は目を逸らすことなく見つめ返す。彼女が言いたいことは大体分かっているのだろう。自分に否が無いとは言わないと低く搾り出すように呟いた声は思いのほか室内に響いた。
大人しく座っていたフランはちらりと大臣を見てからゆっくりと息を吐く。
「それが最善だと私が大臣に提案したのです。御息女とエステル様が逗留している今しかないと」
「フラン王子、貴方それがどういうことか分かっているの? まだ成人すら迎えていない貴方がこれからこの国を背負っていくことがどれだけ……」
「ココさん、ありがとうございます。でも、私はそのためにここに来ましたから。父の役にも立てず、母の慰めにもならなかった私ができるのはもうこれしかないでしょう?」
幼い顔をして親に甘えていたフランはもうそこにはいない。
本来なら精神的なショックで暫く塞ぎこんでいてもおかしくないのに、彼は大人びた笑顔を浮かべてその場にいる人物をゆっくりと見回した。
大臣のロータル、騎士のグレン、魔法使いのココにその弟子であるライツ。
そして今回ベリザーナ王妃の件で協力を要請したエステルと姿は見えないが確かにそこに存在するコスモス。
コスモスに協力し通訳をしているトシュテンと、我関せずといった様子で静かに伏せているアジュール。
「けれど貴方は……」
「問題ありません。フラン様は正当なる王位継承者ですから。教会にも正式に認められています」
「それはそうだけど……はぁ。決めたら曲げないものね、貴方」
「ごめんなさい」
「いいわ、謝らないで」
眉を寄せるココに大臣はそう告げる。不機嫌を露にして声を荒げるココは、揺らぐことのないフランの瞳を見つめていたが諦めたように溜息をついて軽く両手をあげた。
やり取りの意味が分からない様子のグランとライツは口を挟むことなく大人しく見守っている。
コスモスは聖炎の中で色々と情報を見ていたのでココが何を心配しているのか思い当たったが、何も言わなかった。
(軽々しく私が言うようなことじゃないだろうし。何かあれば後で本人から言うでしょう)
「王が行方不明だからと言って、王子を据えることに反対する者はいないのですか?」
「いても黙らせるので心配ありません」
「なるほど。王に気に入られていた派閥の力が急に弱まったから変だとは思ったのよ」
「はい。自分は王に従っただけで悪くないやら、無関係だと私やロータルに媚を売り始めていますね」
大臣であるロータルは渦中にいながら王の行動を黙認していた部分もあってか、そこを突かれると痛いようだがココには関係ない。
王が行方不明になろうとレサンタ一の魔法使いと言われる彼女は、くだらないと吐き捨てるように言った。
彼女の皮肉もさらりと受け流しながら大臣は王に敬遠されていた昔の臣下を呼び戻して、城内の勢力を変えていくつもりだと告げる。
つまり今まで王に近かった勢力を更に弱体化させ、先代王に仕えていた人物を中心にフラン王子を支えていこうということらしい。
「お前が言うなって言われるわよ、ロータル」
「言われていますが気にしません。国の安寧が第一ですから」
「あんたって本当に昔からそうよね」
どう見ても親子ほど歳が離れているようにしか見えない大臣とココだが、どうやらココの方が上らしい。容赦ない言葉にも怒ることなく受け止めて返す両者のやり取りはいつもの光景なのだとライツが小声でコスモスに教えてくれた。
「師匠の年齢は外見通りではありませんので」
「ああ、ココ殿は魔女ですからね」
「へー魔女か」
魔法使いの中でも特に秀でた者を魔女と呼ぶといつか読んだ本に書いてあった気がする。記憶を辿りながら首を傾げるコスモスにトシュテンは優しく声をかけた。
「いつの間にかそう呼ぶようになっていたので由来は様々です。ちなみに男の魔法使いの中でも特に秀でた者は賢者と呼ばれていますね」
「そうなの」
「ちょっといい?」
厳格にそう呼ばなければいけないという決まりはないので、あまり気にするなとトシュテンは言う。それを聞いていたココが声を荒げて乱入してくた。ビクッと驚いたコスモスに反応して、室内の精霊がざわめく。
ライツと一緒にいるミリィまで大きく飛び跳ねた。
精霊が怯えたのを感じたココは咳払いをしてからにこりと微笑む。
「私その呼び方好きじゃないのよ。私を呼ぶときは、ココさんか綺麗な魔法使いさんにしてくれない?」
「師匠……」
「まぁ、男女問わず秀でた魔法使いは魔術師でいいと思うけど」
「今この場ではどうでもいいことなのですがね」
「はいはいそうね。後で覚えておきなさいよ、ロータル」
爆破だわ、と物騒なことを口にしながら大臣を睨みつけるココをライツが必死に止める。そんな様子を見ながらにこにことしているフランにコスモスは安心した。
頼りになる大人がいるというだけでも心強いだろう。今は気を張っているから平気でも、きっと後でガクンと感情が落ち込む時がくる。
それを上手く乗り越えられれば彼はきっと強くなるはずだ。
「エステル様は多忙ですのでこの場にはおられませんが、私がしっかりとお伝えしておきましょう」
「なんと、そうですか。分かりました。我々も後ほど正式にお伺いするつもりです」
残念な顔をする大臣とフランは顔を見合わせるが仕方がないと頷くと、トシュテンに深く頭を下げてお願いしますと告げる。
この場にエステル様がいればな、とコスモスが思っていると凄い勢いでドアがノックされる音が響いた。
何かあったのか、と室内の扉を見つめるも変化はない。
部屋の外に立って見張りをしている騎士が動く様子もなければ、誰かがやってくる気配もしなかった。
気のせいかと思うコスモスだったが、連打されるノックの音は止まらない。
『コスモス! 開けんか! いるのは分かっているのだぞ!』
『こっちか!』
『……お主、忘れておったな』
『あははは。いやいや、いいタイミングでしたよエステル様』
エステルが祠に帰ってからすっかりこの感覚を忘れていたとコスモスは笑って誤魔化す。困ったような溜息をつきながら頭の中で響く懐かしい声を聞いて、コスモスは簡単に現状を説明した。
黙って聞いていたエステルは、ふむと呟くと了承したと伝えるように言う。
そんな簡単に利用されていいのかと思ったコスモスだったが、エステルがいいというのならいいのだろう。
「オールソン氏、エステル様今来たんですけど、その件引き受けるって」
「本当ですか。全く、あの方もお人よしが過ぎますね」
「同感だけど、エステル様がいいというならいいんじゃないの?」
コスモスの声が聞こえているライツとグレンの視線は自然とコスモスとトシュテンへと集まる。その様子を見ていたココはエステルが来たのだと気づいてパチンと指を鳴らした。
王子と大臣はきょとんとしてココを見つめる。
「ナイスなタイミングでエステル様がいらしたようよ。了承してくださるようで何よりじゃない」
「本当ですか!」
「本当なのですか!」
ガタンと音を立てて立ち上がる王子と驚いた顔をした大臣が声を上げるのはほぼ同時。室内にいる全員からの視線を集めたトシュテンは動じることもなくにこやかに頷いた。




