106 聖炎の中
「なるほど。ベリザーナは、自ら聖炎に飛び込んだということか」
「父様!」
「陛下!」
ぽつり、と呟かれた言葉にハッとしてフランと大臣は声のする方へと顔を向ける。そこには王が立っており、生気のない顔をして聖炎を見つめていた。
大臣に抑えられていたフランは彼を振りほどいて父親の前に立つ。聖炎を背後に彼は立ちふさがるように両手を大きく広げた。
「父様、お答えください。私の知らぬ姉を追いつめ、人形を聖炎に葬ったのは父様なのですか?」
「何を言うかと思えばフラン。私がそのようなことをするはずがないだろう?」
「ですが!」
「あぁ、御息女が言ってる? だから何だ。それこそ嘘ではないか?」
往生際が悪いのか認めたくないのか。
最初に会った時の印象はどこへやら、ロクでもない男だなと思いつつコスモスは親子のやりとりを眺める。悔しそうな感情が小さな後姿からも伝わってきた。
楽しそうに笑う王は狂ったかのように息子たちの顔をゆっくりと見つめて口を歪める。
(これが別人みたいって言ってたことかな?)
「確かに、証拠はありませんからね」
「流石はオールソン殿。話が分かって助かります」
「オールソン殿」
まさかトシュテンが父の肩を持つとは思っていなかったのだろう。失望した様子でトシュテンを見つめるフランに、大臣はゆっくりと王子の前に立つ。
静かに溜息をついて王を見つめ「御息女の御言葉は真実かと」と告げた。
「ロータル、貴様は私のせいだというのか?」
「そうは思っておりませんが、エステル様や御息女が嘘をつく理由もないと考えます」
「ならば勘違いしているのだろう。あまり私の機嫌を損ねるような真似をするな。フランを早く部屋に戻せ! この部屋には誰も近づけるな!」
「それはできません。エステル様と御息女にはベリザーナ様の為だけではなく国の異変についても協力していただいているのです」
(エステル様は祠に帰っちゃってるけど、オールソン氏が知ってるからいいか)
先ほどまでは王が怖いからずっと従ってきたのだと言っていた大臣が、王子を庇いながら王を真っ直ぐに見つめて言い返している。
頭を垂れて素直に従うとばかり思っていた王は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「一国の王に濡れ衣を着せ、その地位や尊厳を貶めるような発言をするような者に協力を仰ぐというのが愚かだったのだ」
「そんな……」
「古き時代の神子。形ばかりの祠を守っているからといって祭り上げられ、神にでもなったつもりでいるのか哀れだとは思わないか? マザーの娘もそうだ。本当にマザーの娘かどうかも分からない。そう神子が騙っているだけかもしれないぞ」
馬鹿にするように笑いながら貶されるコスモスだったが、自分のことについては特に何も思わなかった。しかしエステルのことを馬鹿にされるのは気分が悪い。
この場に彼女がいなくて良かったと思いながら、コスモスは黒く濁る王の霊的活力を見つめていた。
「残念でしたね。愛した王妃も、その連れ子である姫の魂も手に入れることができなくて」
「オールソン殿? 一体何を……」
戸惑う大臣に笑いかけてトシュテンは話を続ける。コスモスに催促して彼女が見た王妃らの記憶を詳しく教えてもらっているうちに、王の狙いがなんとなく分かった気がしたのだ。
コスモスは相変わらず暢気に台座中央、聖炎の中にいるがたまに暇そうにコロコロと内部を転がったりしていた。自分しか見えないからといって自由すぎるな、と思いつつもトシュテンの気持が和らぐくらいには役に立つ。
「これは失礼。オールソン殿は神官でしたな。気分を損ねましたかね」
「いいえ。どう思うかは個々の自由ですので。それよりも、あれだけ執着なさっていた王妃のことはもう良いのですか?」
「それが本人の望んだことであれば仕方ないでしょう。彼女には窮屈すぎたのでしょうね」
(あれだけ執着してたって情報聞かされて、見せられて平然といられるのはやっぱり……)
トシュテンのことだから王の変化には気づいているはずだと、コスモスは目の前に立つ大臣とフランの背中を見つめた。恐らくこの二人は気づいていないに違いない。
この場にいるのがトシュテンと王だけなら何とかなるだろうが、万が一大臣と王子が聖炎に突き飛ばされた時には防御膜を張って助けるか弾こうとシュミレートする。
「何をしても無駄ですよ。貴方の手元に二人の魂は来ませんから。霊廟地下の隠し部屋を荒らしても無駄なことです」
「先ほどから何を言っているのか分からないのですが?」
「貴方は王ではない。王を依り代に魂の収集を行っているどこかの誰か。間違っていますか?」
「何を言うかと思えば。失礼ではありませんか? 一介の神官ごときが」
今にも牢へ入れて処刑しろとでも言わんばかりの気迫に、コスモスは深呼吸をして王を注意深く見た。
相手が強ければ弾かれてしまう慧眼だが、ここで使わねばいつ使うのだと集中する。
ごう、と一際大きく炎が燃え上がった瞬間に驚いた隙を突いて深く探る。
(名前に偽りなし。生命力は中の下、魔力は上。体の中心部が濁って影のようなものが全身を包んでる。零れ落ちた影の形は蝶。ここでも黒い蝶か)
いっそのこと、ここから飛び出して喰らってしまえば王は憑き物が落ちるのだろうかと思ったコスモスだがトシュテンに目で制されてやめた。
何も言っていないのに何故か見透かされた気分がして気持ち悪かったが、今そんなことは気にしていられない。
(こうして見ると、ローブを被った占い師のように見えなくもない……かな? 魔力の異常な上昇は誰かが介入してるからだろうけど)
「ああ、でもそんな無礼な発言も私は許しましょう。エステル様と御息女が聖炎に身を捧げてくだされば全て不問にします」
「陛下、一体何を!」
「そうです父様! お二人を聖炎になど」
「私は侮辱されたのだ。国王である私を侮辱するのはこの国を貶すのと同義。あろうことか王妃と姫殺しの濡れ衣を着せられている。しかし、それも聖炎に身を捧げ愚かな考えを浄化していただくことで許されるのだ。国際問題に発展するでもなく内々に処理できる。よき話ではないか? ロータル」
どうやら王はエステルやコスモスを聖炎へ捧げたい様子だ。
聖炎の台座から一番離れた場所にいる王の影へ、フッと息を飛ばしたコスモスは落ちた炎が影を焦がし消滅させる様を見て首を傾げた。
思ったほどの効果は得られないが影の量が増えた気がする。
王に問われた大臣は少し考える素振りをしたものの、トシュテンを見てから静かに息を吐く。
「陛下はエステル様と御息女を聖炎へと捧げたいのですか?」
「それが一番だ。私を悪く言うのも恐らく本意ではないのだろう。何か悪しきものに憑かれたお二人を救うためには、それしかあるまい。浄化された二人の魂は神の御許へ行く」
「いえ、それが……御息女は既に聖炎の中におられます」
「なんだと?」
静かにそう告げた大臣の言葉に、歓喜に満ちた笑い声を上げる王。その姿にフランは大臣の服を握り締めながら体を震わせる。
何がそんなに嬉しいのかと思いながらコスモスはデコピンをするように炎を指で弾き、王の影へと落とす。
他の人に当てないようにコントロールするのが難しいが、それは室内にいる精霊が上手くカバーしてくれた。
「残念ながら、ピンピンなさっていますが」
「は?」
「消失しておりません。姿を消した王妃や神隠しにあったとされる姫のこと、そして人形の気配はこの中で全て御息女が見たものです」
それを代弁したに過ぎませんのでと笑顔で告げるトシュテンに反して、王の顔が歪んでいく。
その発言に驚いた王子がそろりと背後を振り向くも、静かに燃える青い炎があるだけで他には何も見えなかった。
「何の目的で魂を集めているのかは知りませんが、入手し損なった王妃と姫の魂の代わりをエステル様と御息女で賄うというのが間違っていましたね」
「何故消えない? あの子も人形も跡形もなく消えた。聖炎は全てを焼き尽くすはずなのに、何故だ?」
「そうですね。何故と言われても困るのですが、そういう方ですからとしかお答えできませんね」
驚愕の表情でトシュテンを見つめる王の反応に、それほど驚くことかとコスモスは首を傾げた。今の王ならばその程度は予想できただろう。
それとも彼に憑いてる何かが自分のことを知らないのだろうか。
(知ってたらもっとスマートにするかな?)
王の目的は王妃を生涯自分の手元に置くこと。籠の鳥にして自由に愛でること。
しかし、王に憑いている何かの目的は王妃と姫の魂を欲しているというのは分かった。王が心変わりをして王妃の魂を欲したにしても聖炎に投げ込んで手に入れるはずもない。
聖炎で浄化されれば永遠に自分のものにできると誰かに唆されたとしたら実行する可能性は高い。
しかし、王妃と姫の記憶を読んだコスモスはそれはないなと首を左右に振る。
(姫の方は王妃を助ける為の贄に誘導。人形に魂が入っているのも王妃の肉体が自ら聖炎に飛び込むのも予想していなかったのか)
「聖炎にて浄化された魂は、永遠に自分のものにできると誰かに言われたのですか? 例えば、信頼できる占い師とか」
王妃を閉じ込めるくらいの強い魔術を使用していたなら、人形に王妃の魂が入っていることくらい簡単に予想できそうなものだ。
憑いているから能力が落ちているのか、人形に魂が入っていたとしても聖炎に投げ込まれるのは変わらないから気にしなかっただけか。
王に憑いている者の目的が魂収集だとしてもどうして効率の悪いことをするのか分からずコスモスは眉を寄せた。
(魂が目的なら王妃と姫を同時に聖炎に投げ込む機会はいくらでもあったはず。占い師が裏にいるんだとしたら自分を全面的に信用している王を騙すなんて簡単だろうし。でも、そうしなかったのは何でだろう)
「彼女が病で伏せているのは呪いのせいだと言われた。それには彼女の血を持つ者の尊い犠牲が必要だと言われたから、私はあの子に協力を頼んだんだ。私は死ねなど命じたことはない。助けてくれとお願いしただけだ」
「なんということを……」
「その身を聖炎に捧げれば呪いは解けると?」
「ああ。だって、しょうがないじゃないか。占い師がそう言ったんだ」
罪悪感など微塵も思っていない表情で王はそう告げる。
もし、血が繋がった娘だったらそんなことはしなかったんだろうかと考え、それはなさそうだとコスモスは溜息をつく。
どれだけ閉じ込めていても心が手に入らなかったから、魂の状態にして手元に置こうという考えは理解できない。何が楽しいのだろう。
好きな相手がどこにもいかないという安心を幸せと勘違いしているのだろうか。
「陛下……あぁ、何たることだ。掟の呪いそのものではないですか」
「掟の呪い。破った者は破滅と書かれていましたが本当にあるのですか?」
「現状がそうなのではないですか?」
自分の知っている王とは思えぬ気迫に冷や汗を流しながら、大臣は背後の声に答える。フランは大臣の背から顔を覗かせてちらりと父親の姿を見た。
そこにいたのは彼の知っている穏やかで尊敬できる父親ではなく、狂気に憑かれた別人だった。
怖くて目を逸らしたいのに体が固まってしまって動かない。
視線が合った瞬間、声にならない声が出た。
「フラン様、私の背に」
「……とうさま」
視界を温かなものが塞ぐ。それが自分についている精霊だと分かったのは大臣の背後に隠された後だった。
幸せだと思っていたものが彼の中で音を立てて崩れていく。
一体どこで間違ったのだろう。そう思いながら彼はぼんやりと父親の声を聞いていた。
「他に占い師は貴方に何を言ったのです?」
「何を? 私はただ彼女を手に入れられればそれで……けれど、どれだけ経っても手に入ることはなかった。だから!」
「だから?」
「占い師が言ったんだ。自分の言う通りにすれば手に入る。彼女が私のことを愛してくれると!」
フラフラとよろめく王は何かを呟きながら床を見つめる。
なぜか急激に増幅していく彼の魔力にコスモスが防御壁を展開させれば、王の絶叫と共にまとわりついていた影も巨大化した。
ビリビリと痺れる感覚に眉を寄せ腹に響く声と地鳴りに耐えながら、コスモスは台座の中で踏ん張る。コロコロとした人魂状態が良かったのか台座から落ちることはない。
「何? 何なの? 急に魔力が増幅して……」
衝撃波で吹き飛ばされそうになると思ったが防御壁のお陰でそうならずに済んだ。ホッとしたのも束の間、部屋を覆うような大きな影に気づいて彼女はぽかんと口を大きく開ける。
台座の前に立っていた大臣とフランもコスモスと同じものを見つめて驚愕していた。
「……チッ」
ただ一人トシュテンだけは大きな影に向かって素早く術を放つも、掠っただけで大したダメージは与えられない。
間を置かず懐から魔力を込めた札を出そうとしたが、その前に大きな影は壁を壊してどこかへ行ってしまった。大きな両翼を羽ばたかせながら夜の闇に消えていく影の姿はすぐに見えなくなる。
壊れてしまった聖炎の間で、残された四人は壁に大きく開いた穴を見る。
爬虫類を思わせる姿に大きな両翼と長い尻尾。攻撃されたらひとたまりもないだろう鋭い爪と牙。
あのシルエットは畏怖の存在そのものだ。
「うそ。王様がドラゴンになっちゃった?」
「何ということだ」
「困ったことになりましたね」
コスモスの呟きに返すものは誰もいない。
唯一聞こえるはずのトシュテンも彼にしては珍しく苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
大臣と王子はその場で暫く呆然としていたが、騒ぎを聞いて駆けつけた兵士らに抱えられるようにして部屋を出て行く。
その場を去る前に原因不明の爆発が起きて部屋の壁が壊されたと説明した大臣は、不安そうにトシュテンへと目をやったが彼は無言で頷いた。
下手に騒ぎを大きくさせないという点では彼も同じ気持ちなのだろう。
コスモスとて目の前で起こったことが信じられないとぼんやり天井を見つめる。
揺らぐ青の炎は全く変わりがなくて、記憶の残滓も既に消滅してしまい何も残っていない。
後から到着した騎士にこの場は危険だから部屋に戻るようにと言われたトシュテンは、台座に向かって小声で「帰りますよ」と話しかけた。
危うくその場で眠りそうになったコスモスが慌てて台座から飛び出すと、その姿を確認したトシュテンが部屋を出て行く。
まさかこんなことになるとは思わなかったと彼女が呟けば、誰も予想していないとトシュテンが返す。
「とりあえず今日はゆっくりお休みください。詳しいことはまた明日……まぁ、今日ですが」
「うん。おやすみなさい」
部屋の前でトシュテンと別れたコスモスはそのままドアをすり抜けて室内に入る。大きな溜息をつくと、戻ってきていたアジュールが気遣うように声をかけてきた。
「随分と大変だったようだな、マスター」
「色々ありすぎて頭パンクしそう」
「こちらもマスターの思っていた通りだったぞ」
そんな気はしていたが、はずれて欲しかった。
そう呟いたコスモスは深い溜息をついてベッドに潜り込む。心配そうな顔をするアジュールだったが、人型に戻り寝息を立てる様子に安心したのか絨毯に伏せる。
朝日が昇るまでの数時間、主の眠りが安らかであれと願いながら青灰色の獣は大きく欠伸をすると目を閉じた。




