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いえ、私はただの人魂です。  作者: esora
聖炎の守護者
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103 一方通行

 ロッカの時と同じように王妃の精神世界に巣食う魔物を倒せば王妃も目覚めて一件落着だとばかり思っていたコスモスは眉間に皺を刻みながら宙を睨む。

 こんなことになるなんて予想できただろうか、と問う相手もいなかった。

 エステルは霊廟を出た辺りで目を覚ましたらしいのだが、途中で何故返答がなかったのかとの問いには少し具合が悪かったとしか言わなかった。

 無理しないで休んでいてくれというコスモスの言葉に素直に従って暫く祠に帰ると去ったエステルが心配だが、コスモスにできることはない。

 せめて、霊廟地下で何があったかだけでも説明しておけば良かったかと思うが今更だろう。

 祠に戻ったほうが良く休めるだろうし、祠の現状も心配なはずだ。また戻ってきたらその時に話そうと思いつつコスモスは溜息をついた。

「あー、何でこうなるかな。もっとサクサクっと、簡単とは言わないけどこんな、こんな……」

 正直言って知りたくなかった王と王妃の馴れ初め話。

 最初は可愛らしい反応だったのに、見た目よりも年上に見えるような言動をしていた黒の少女。

 考えなきゃいけないことがまた増えてコスモスの眉間の皺が固定しそうだった。

「マスター、これからあの神官と会う予定なのだろう?」

「予定というか、今後のことについてここに来るらしいけど」

「そう簡単に帰してもらえそうにもないな。これ以上面倒になる前に、祠へ帰りたかったんだが」

「え? エステル様は祠に戻ったんだし、役に立たない私を置いておく意味もないと思うんだけど」

 何かを察知しているらしいアジュールが溜息をつくのと、ドアが急いでノックされたのはほぼ同時。嫌な予感がしつつ返事をしたコスモスに、ライツが顔を出した。

 久しぶりだと会話をする間もなく、真剣な表情で入室してきた彼は椅子に座ってお茶を飲んでいたコスモスの元へ行くと小声で告げる。

「ベリザーナ様が消えました」

「は?」

「……いえ、亡くなったというわけでもなく本当にその姿が消失してしまったのです。城内でも一部の者しか知りませんし緘口令が敷かれていますが、御息女とエステル様にはお伝えするようにと」

 そう言われても、と言いかけたコスモスだったがアジュールの深い溜息にかき消されてしまった。

 床に伏せていた彼は体を起こしてライツの足元まで行くと、服の裾の匂いを嗅ぎ再び溜息をついた。

「ライツ、お前は王妃の私室に入ったのか?」

「え、ええ。師匠が王妃殿下を診るというのでその助手として入りました。しかし、姿がどこにもなく消えてです」

「第一発見者ってこと?」

「そうですね。私と師匠が第一発見者になります」

「私はここでこのまま待機してるの?」

「お願いします」

 現場に行ったところで何か役に立つわけでもないだろうと思うコスモスに、ライツは部屋から出ないようにと告げて出て行った。

 バタバタと忙しそうに出て行く彼の姿を見ていたコスモスに、大きく伸びをしたアジュールが声をかける。

「マスター。私は散歩に行ってくる」

「は? ライツが今出ないでって……あ、ちょっと!」

「そう言われたのはマスターとエステル様だ。私ではない」

 ゆっくりと影に沈みながら姿を消すアジュールはそう言い残して消えた。何か気になることでもあったのだろうかと思うが、言葉どおりの意味なのかもしれない。

 深く考えすぎるのも良くないなと思いながらコスモスは冷めたお茶を飲みながら、今後どうなるのかと黒の少女が言っていたことを思い出した。

 彼女が言っていたことが本当ならば、こうなることも予定通りだったのだろう。

「王妃様は何がしたかったんだろう。消えたかったのかな?」

「そうだと思いますよ」

「うわ、びっくりした」

「申し訳ありません。ノックをして声をかけたのですが反応がなかったもので」

 呟いた言葉に返す者がいるとは想像していなかったコスモスは、飛び上がるほど驚いて声の主を見上げた。彼は軽く頭を下げるとそのままコスモスの正面の席に座る。

 ふう、と一息ついて伏せられたカップにお茶を注ぐ姿を見ながらコスモスは溜息をついた。

「おや、お一人とは珍しい」

「さっきライツが来ました。彼とその師匠が王妃様消失の第一発見者だと。エステル様は一旦祠へ

帰るそうです。アジュールは散歩に行きました」

「なるほど。そうですか」

「何とかしてみせると意気込んでたのに、この有様とは情けない」

「いえ、それは御息女の責任ではありません。寧ろ、上手く利用されたと怒ってもいいくらいですよ」

 ライツと同様に深刻な表情をしているかと思ったトシュテンは意外にも落ち着いていた。

 他国のことだからだろうかとコスモスが思っていれば、彼はお茶を一口飲んで静かにカップを置いた。

「御息女に気を遣わせてしまって申し訳ありません」

「え?」

「まるで、上司に報告する部下のようでしたので」

「あぁ」

 それは仕方がない。自分は生粋の箱入り娘ではないのだからとコスモスは溜息をつく。

 人間だった頃の癖が抜けないのだろうとぼんやり会社で働いている日々を思い出し、慌てて首を左右に振った。

(いやいや、人間だった頃じゃないし。今でも人だし)

「どちらにせよ先に言っていただいて助かりました」

「それで、これからどうするんです?」

 コスモスの問いにトシュテンはにっこりと微笑んで両手を組んだ。

 城内にてコスモス達と別れた後、王子を送り届けに王の下まで行ったこと。そこで、王と二人きりで話をしたことを教えてくれた。

 内容としては彼がコスモスから聞いた事を、まるで自分が直接王妃から聞いたかのように話したらしい。

 露骨に動揺する王へ渡した人形をどうしたかと穏やかに尋ねれば、眠る王妃の枕元に置いたと言っていたことを話してくれた。

「あれは、嘘ですね」

「嘘?」

「恐らく人形は始末したのでしょう」

「始末って……」

「どういう手段を取ったのかは分かりませんが、人形があれば王妃は助かっていたでしょうと告げた途端に気絶してしまいましてね」

 それはサラッと言っていいことなのだろうか。

 本当に王が王妃の枕元に人形を置いていたとしたら、トシュテンの発言は大変なことになる。いくら相手が気さくに話しかけてくれて、畏まらなくてもいいと言ったとしても一国の王だ。

 教会と国の間に嫌な火種を作るような真似はダメなんじゃないかと心配するコスモスに気づいたのか、

彼はにこりと微笑んだ。

「国と教会は確かに微妙な関係ではありますが、だからといって教会が一国に劣るというわけではありません。それに、私は脅したつもりもありませんし事実をできるだけ穏やかに申し上げただけですよ」

「戦争にならないのが不思議なくらいなんですけど」

「小さな衝突はどこであれありますからね。大きくならないうちに消してしまえば良いことですよ」

 これ以上聞いてはいけない。

 そんな声がどこからか聞こえたような気がして、コスモスは知らないうちに頷いてしまった。

 穏やかな声で優しく笑うトシュテンがとても恐ろしい。

 自分を害する気配がないものの、背筋が寒くなるのは底知れない何かを持っていると感じるからだろう。

「もし、王様の気分を害して牢屋とかに放り込まれたらとか考えないの?」

「その時はその時ですよ。寧ろ、その方が対処しやすいかと」

「……あ、そう」

 この男は自分をからかって楽しんでいるのではないだろうか。

 そんな事を思いながらも、誰かにこの会話が聞かれていたらとコスモスはひやひやする。

 当の本人は優雅に紅茶を飲みながら茶菓子を摘んでいるのだが。

「王の王妃に対する執着が怖いけど、あくまでそれは一方から聞いた話だから」

「確かに。しかし、王妃が嘘をつく理由はないでしょう。彼女は現在、自分の思う通りの状態になっているのですから」

「王に殺させて亡くなったということ?」

「ええ。一見穏やかに見える国でも、探れば色々と出てくるものですよ」

 確かにトシュテンの言う通り。昏睡する前の王妃に会ったことはなくても、コスモスがあった王への印象は良いものだった。

 良き王であり夫であり父親に見えたのだ。

 しかし、それを引っくり返すようなことを突きつけられてコスモスは混乱している。

(黒の少女の言葉を鵜呑みにするのもどうかとは思うけど、嘘をつく理由もないし王妃様も反論しなかったからなぁ)

 その上、王はトシュテンの言葉に動揺し気絶したというではないか。痛いところをつかれたと思われても仕方ない。

「王妃は戻らない。王や王子が期待していた結果にはならなかった」

「ええ、そうですね。誰かが警戒の目を潜って王妃を誘拐したのだとしても、不可能でしょう。しかし、実際に王妃の姿は消えていた」

「うん」

「今思えばその人形をもう少し詳しく調べるべきでした。何らかの手がかりはあったでしょう」

 そうは言ってももう遅い。

 王の反応から隠し持っているというわけではないだろう。そうであったら、コスモスもあの場所で王妃の魂と会うことはなかったのだから。

「オールソン氏は私の言葉を信じてそう推測していると思うけど、私が嘘をついているかもしれないじゃない?」

「それはありません」

「え、なんで?」

「御息女は態度に出やすいので嘘か本当か分かりやすいですから」

 それは褒められているのか貶されているのか。

 もう少し感情を抑えろという注意なのだろうかと彼女が考えていると、トシュテンは小さく息を吐いた。顔を上げると真剣な表情をした彼が、トントンとテーブルを指で叩いている。

「恐らくあの場所へ導かれた御息女は、あの場で貴方にしか見えない、聞こえないものに遭遇しているはずです」

「いや、だからって……」

「これはここだけの秘密ですが。私なりに探りを入れたところ、ベリザーナ様が王妃となる際に結構揉めたようですね。幸い、外部には漏れず城内でも知っているものは限られ、口を噤んでいるようですが」

「無理矢理連れてきたから?」

 何らかの偶然によって、霊廟地下のあの場所へとたどり着いた若き日の王はそこで墓守をするベリザーナに一目惚れをして強制的に連れ帰った。

 王妃になりたくない彼女と、反対する周囲を押しのけて妻にしたのだろうとコスモスは想像する。

 想像しただけでも最悪な場面ばかりで、王への好感度が一気に落ちていった。

「何故、誰も阻止できなかったの? それだけの性格なら、あんな穏やかそうにはいられないと思うけど」

「そこです。その当時、現王は王子でした。先代の王と王妃は急に連れてきた彼女と結婚すると宣言した息子に大反対したそうです。当時から仕える大臣達も説得しようとしたのですが、脅しをかけて無理矢理認めさせたのですよ」

「また脅し?」

「ええ。この婚姻を認めないのであれば、自害すると。一人息子であるアレス様はご自分の立場を盾に言うことを聞かせたのです」

「そうさせれば良かったのに」

 思わず心の声がするりと口から出てしまったコスモスに、トシュテンは一瞬驚いた表情をしてから「そんなことを言ってはだめですよ」と優しく諭す。

 乱暴な言葉になってしまったのは謝るが、コスモスとしてはそう思わずにはいられない。

 この状況を招いたのも、全ては王の自業自得なのではないか。

 本心では放置しておけばいいと思うのだが、フランの顔を思い浮かべると簡単に切り捨てることもできない。

 唸るコスモスの声を聞きながらトシュテンが部屋の扉に目をやると、ほぼ同時に控えめなノックがされた。

「はーい」

 ライツかグレンか。アジュールがノックをして入室するということは無いので、そう返事をしたコスモスだったが扉の向こうから声は聞こえない。

 しかし、誰かがいる気配がすると注意深く探ればそれが二人のものではないことに気づいた。

 とりあえず誰なのか確認してこようと椅子から移動しようとすれば、トシュテンがそれを手で制してくる。

「御息女、ここは私が」

「はぁ」

 まるで扉の向こうに誰がいるのか分かっているようだと思いながらその後姿を見つめていると、僅かに開いた扉からするりと入り込んできた人物はコスモスも見覚えのある顔だった。

「貴方がここにいらっしゃると聞いて伺ったのですが……」

 初老の男性はきょろきょろと落ち着かない様子で室内を見回し、小声でトシュテンを見る。彼に案内されてソファーに腰を下ろした男性は、ずれた丸眼鏡の位置を直して何かを探すように視線を彷徨わせた。

「御息女がいらっしゃいますのに、失礼ではありませんか?」

「ご安心を。御息女には貴方が来訪すると知らせてありますので」

(え、聞いてないんですけど)

 コスモスが怒らないからといって好き勝手やりすぎではないだろうか。

 しかしトシュテンは気にした様子もなくお茶のお代わりを注いでいるコスモスに声をかけた。

「御息女、陛下への挨拶の際に何度かお目にかかったとは思いますが、改めて紹介いたします。大臣の、ロータル氏です」

「あぁ。思い出した。そうだ、大臣だ」

「ロータル・プロッホと申します。押しかけてしまって申し訳ありません」

「御息女は気にしておりませんよ」

(いや、確かに気にしてないけど。自分の都合のいいように進めすぎでしょ)

 上手いこと利用されていることにも我慢の限界がある。かといって暴れるほどではないが、とコスモスは人魂フォームになってトシュテンの腹部目掛けて飛んでいった。

 こんなことするの、久しぶりだなと懐かしく思いながらすり抜けないように気をつけて圧をかける。

 衝撃と共に聞こえたくぐもった声。満足するように元の席に戻ったコスモスは、人型に戻ってお茶を飲む。

 新しい茶葉で入れたお茶を大臣に出せば、「ぎゃ」という悲鳴を上げて驚かせてしまった。

(そりゃカップとソーサーが宙に浮いてたら普通は驚くわよね。久々の反応だけど、なんか嬉しい)

 茶菓子や砂糖を追加で運ぼうとしたコスモスだが、トシュテンに制され大人しく席に戻る。不満そうな彼女の様子に苦笑して、トシュテンは大臣に「気にしておりませんので、大丈夫ですよ」と優しく告げた。

 

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